アシュラム侵攻軍の編成が正式に決定された。正式と言っても表向きはゼクソン侵攻軍という名目になってはいるのだが。
侵攻軍は大きく三軍に分かれる。先鋒軍として全軍に先駆けて進むのが王国騎士団第一大隊および国軍第二軍の前備五大隊六千。率いる軍団長はエリック・ハーリー千人将。その後ろを進むのは、騎士団第三大隊および国軍第三軍の前備五大隊同じく六千。率いるのは、第三軍の軍団長であるアシュリー・カー千人将。後衛軍は騎士団第四大隊、第五大隊及び国軍第一軍の一万二千。軍団長はジョナサン・コールマン将軍。そして総大将はドミニク・ハドスン将軍が任命された。
総勢二万四千。それに予備軍として、騎士団第二大隊国軍第二軍の後備五大隊六千を率いるメルビン・カートライト将軍が控えている。
一部軍団を千人将が率いるという異例の陣容ではあるが、アシュラム国軍およそ一万に対して、倍以上の兵を用意しているのだ。万全と言える編成と言って良い。
勇者である健太郎は先鋒軍に属す事になった。つまり、グレンも先鋒軍と行動を共にするという事だ。
「よりにもよって……」
その編成を聞いたグレンの最初の感想はそれだった。健太郎と行動を共にする事で元々、幽鬱だった気持ちが、ハーリー千人将の名を聞いて、更に気持ちを落ち込ませていた。
「しかし、教官。ハーリー千人将は次期将軍の最有力と言われている御方です。それに先鋒ともなれば、戦功をあげる絶好の機会ではありませんか?」
不満そうな表情を見せるグレンに、ジャスティンが問いかけてきた。
「戦功になんて興味ない。俺の望みはただ一つ。無事に帰ることだ」
「それはちょっと」
戦功には興味ないというグレンの言葉にジャスティンは納得していない様子だ。
「お前らだってそうだ。従卒であるお前らに戦功をあげる機会なんてない。そうである以上は生き残ることが優先だろ?」
「……確かにそうではありますが」
「ハーリー千人将が先鋒軍の軍団長になったのは、今回の戦いで戦功をあげさせて、将軍にあげる為だ。本人もそれは分かっているはず。功に逸った将は、生き残りを目指す上では迷惑でしかない。落ち込む方が正しい」
「…………」
理屈としては分かる。だが、気持ちでは納得できないジャスティンは黙るしかなかった。
「まあ騎士であるお前たちにとっては戦場での武功は憧れだからな。仕方ないとは思うけど」
ジャスティンの気持ちはグレンも分かっている。騎士とはそういう風に育てられているのだ。
「はい」
「それでも生きて帰ってこその戦功だ。死んだ後に称えられても意味がない」
「……はい」
「言っておくけど、鍛錬で強くなった気がしていても、それを過信しないように。敵を過剰評価し過ぎるのは良くないが、過小評価はもっと駄目だ」
「敵は強いですか?」
「強い。あくまでも自分の個人的な意見だが、同数で平地戦となると苦戦は間違いないと思うな」
こんな風に考えている者はグレンの他には数えるほどしかいないだろう。
「だから倍の数を揃えるのですか」
今回の総動員数は三万。予備を抜いても二万四千だ。この数はジャスティンも知っている。
「それはどうだろう?」
「違うのですか? でも、実際に倍以上の数は」
「一斉に侵攻するわけじゃない。後軍は間違いなく、後方で控えているだけだ。まあ、それがいないと逆に後ろが不安で前になんて進めないけど」
後軍にはゼクソン王国を牽制する役目もあるのだろうとグレンは考えている。
「では侵攻は先軍と中軍の一万二千ですか?」
「恐らくは」
「何故、もっと参軍させないのでしょう? 確実を期するなら、兵数を増やせば良いと自分は単純に考えてしまいます」
「敵は他にもいるからな。全ての軍が出払ってしまえば、変な色気を出す国が出ないとも限らない」
「ウェストミンシア王国ですか」
ウェストミンシア王国はウェヌス王国の西方にある大国。ウェヌス王国と並ぶ大陸における二大強国の一方と言える存在だ。
「一番は。単独で我が国に対抗出来るとしたらウェストミンシアだろうな」
「しかし、彼の国とは同盟を結んでおります」
「いつ破られるか分からない同盟だ。今の同盟はお互いに勢力を伸ばす邪魔をしない為のもの。いずれは相対することを前提としている。隙があれば容赦なく攻めてくると思う」
「……そうですね」
「まあ、ウェストミンシアも忙しそうだから、余程の事がない限り平気だ。その余程をわざわざ作る必要はない」
「西方の戦況はどうなのでしょう?」
ウェストミンシア王国の出方によっては、戦争は拡大し、長期化することになるとジャスティンにも分かった。こうなると、その出方が気になる。
「そこまでは自分も知らない。でも慎重に進めているのだろ? 隙を見せたくないのは向こうも同じはずだ」
「そうですね」
「まあ、先の事を考えても仕方がない。考えるのは目の前の戦いだ」
「はい」
「直接ぶつかるのは、先軍と中軍の一万二千。ほぼ同数と言って良い。それに敵の一万は臨時徴兵をしない場合の数だ。自国であれば徴兵も容易だからな。数は敵の方が多くなる可能性はある」
「そうなると苦戦するのではないですか?」
「平地での戦いではと俺は言った。そう成らないようにすれば良いし、そうするつもりだと思う」
「そうなのですか?」
「攻めるのは恐らく国境を越えた所にある二か所の城砦だ。それを敵に侵攻が気付かれないうちに速やかに落とす。それが出来れば、戦いはかなり有利になる」
行軍計画の検証の為に提示された資料から、こんなことまでグレンは考えていた。考えると分かっていて、トルーマン元帥は資料を見せたのだから、まんまと嵌っているのだが。
「そう、うまく行くものでしょうか?」
「その二か所の守りはそれ程固くないという話だ」
「国境の城塞なのに守りが薄いのですか?」
侵攻先がアシュラムであるという事実は、極一部の上層部が知っているだけで、軍全体には伝わっていない。侵攻軍にさえ実際に伝わるのはゼクソン領内に入ってからの予定だった。
「……それはそのうち分かる。とにかく速やかに二か所を落として、防衛戦に戦いを変化させる。それで敵を損耗させるという戦い、だと思う。数が少ないように思えるのは進軍速度を上げる意味もあると自分は思っている」
「そうですか……長期戦になりますね?」
砦の防衛線ということでジャスティンは持久戦を覚悟した。
「そうなりそうなら、後軍の一部か予備軍が侵攻に回ると思う。敵を引き付けておいて、空いた隙を狙う感じだな」
グレンは持久戦になるとは思っていない。持久戦となっては奇襲する意味がない。
「なるほど……」
「まあ、想像だけで話しても仕方がない。編成は決まった。それに合わせて、計画の検証をやり直さないとだ」
「はい。騎士団から輜重などの必要数の細かい内容は教えてもらえたのですか?」
「ああ、教えてもらえた。あまり良い顔はされなかったけど、追い返される事はなかったな。それどころか、割と細かく教えてもらえた。言い訳のように話すのが、何だか変な感じだったけど」
「……それって」
「何?」
「それはそうだと思います。聞きに来たのが教官なわけですから」
「どういう意味?」
自分が有名人になっていることの自覚が全くないグレンだった。
「教官の噂は、徐々に騎士団全体に広がってきていますから。自分もたまに知り合いに教官のことを聞かれるようになったくらいです」
「すごく嫌な感じだけど、その噂と言うのは?」
「元帥閣下の秘蔵っ子。教官は、そう言われ始めているようです」
「……それで?」
実際にそうだとしても、トルーマンス元帥に近いと周囲に思わることは、グレンにとって望ましいことではない。
「秘蔵っ子どころか懐刀だと言っておきました」
自慢気にジャスティンはグレンの質問に答えてきた。
「馬鹿か?」
「はい?」
「いや、お前って馬鹿なのか? どうして否定しない?」
「えっ? どうしてと言われても、事実ですから」
「事実じゃない」
「でも閣下直々に任務を与えられているわけで」
「これは任務ではない。ただ単に暇な俺に無理難題を押し付けているだけだ」
言い訳ではなく、割りと真剣にグレンはこう思っている。
「……教官って」
グレンの考えが分かって、ジャスティンは呆れ顔だ。
「何だ?」
「どうして、そう自分に対する評価が低いのですか?」
「どうして? 妥当な評価だと思うけど。別に特別何がある訳じゃなし」
「…………」
グレンが只の人だったら、自分たちは何なのか……こんな思いがその場にいる人たちの心の中には広がっていた。
そんな微妙な空気の中、一人の従卒が部屋に入ってきた。
「……教官」
従卒のカイルは上気した表情を見せながら、グレンに声をかけてきた。
「何? あれ、遅刻?」
「あっ、いえ、ちょっと呼び止められまして……教官に御来客です」
「御来客って。どんな偉い人だ? 閣下でも来たのか?」
「いっ、いえ、女性です」
「は?」
この場にやってくる女性に、グレンは心当たりがなかった。
「あの……教官の御身内の方だと申されております」
「嘘だろ!?」
「お兄ちゃん!」
グレンの驚きの声とほぼ同時にフローラが部屋に入ってきた。質素なワンピース姿だが、フローラが着ると、それも華やかなドレスのように見えてしまう。その姿を見て、その場にいる全員が固まってしまった。
「……何しに来た!?」
「そんな言い方しないでよ。ずっと帰ってこないから心配してきたのに」
グレンの文句に、フローラは頬を膨らませて不満を示している。
「いや、それは悪かったけど」
「着替え持ってきてあげたよ」
「……帰れ」
「えっ?」
「今すぐ帰れ! 出歩いたら駄目だって言っただろ!?」
「だって……寂しいんだもの」
グレンの怒鳴り声に途端にフローラは泣きそうな顔に変わってしまう。そうされると、グレンは強く言えなくなってしまう。それに少々、演技が入っていることが分かっていてもだ。
「……だから、それは悪かったって」
「謝っても許さないもの。悪いのはお兄ちゃんの方だからね?」
「そうだけど……」
「……妹君ですか?」
フローラに見惚れていた従卒たちの中で、真っ先に立ち直ったのはジャスティンだった。
「妹君って……どんなご令嬢だよ。兄妹としてずっと育ってきたけど今は違う。元々、養女だから」
「養女……教官の、その、恋人ですか?」
「はっ? 兄妹として育ったって言っただろ? 戸籍上は外れても妹に変わりはない」
「そうですか!」
途端にジャスティンの顔が晴れ渡る。ジャスティンだけではない、他の従卒たちも同じだ。
「……何だ?」
「お嬢さん、自分はジャスティンと申します。教官の副官を務めております」
「おい、いつから副官になった?」
「教官にはいつも大変お世話になっております」
グレンの突っ込みをまるっきり無視して、ジャスティンはフローラに向けて挨拶を続ける。
「こちらこそ。お兄ちゃんのお世話をしてくれてありがとう」
「いえいえ。それほどでも」
「だから俺の話を聞け」
「さあさあ、そんな所にいないで、奥に入ってください。今、お席をご用意します」
「ありがとう!」
動き出したのはジャスティンだけではない。部屋にいる従卒たちが一斉に動き出して、あっという間に散らかっていた書類を片づけて、フルーラの為の席を用意してしまった。
「……俺は許してないけど?」
「妹君、宜しければお名前を聞かせて頂けますか?」
「フローラです」
「素敵なお名前です」
「ありがとう」
「……ジャスティン」
「何でしょうか?」
「死にたくなければそれ以上、妹に近付くな」
「……えっと」
「殺すぞ?」
「…………」
グレンが発しているのは明確な殺気。冗談で言っているのではないと分かって、ジャスティンは動けなくなった。
「もう! お兄ちゃん! そういうのは駄目だから!」
「だって、変な虫が」
「部下の人たちを虫なんて言わないの。ジャスティンさん、ごめんなさい。お兄ちゃんが失礼な事を言って」
「い、いえ……嬉しいです」
「えっ?」
フローラに名を呼ばれた事で、ジャスティンは舞い上がってしまっている。そうなると他の者も黙っていられない。
「あ、あの! 自分はポールと言います」
「ポールさんですね、いつもお兄ちゃんがお世話になっています」
「……名前呼ばれた」
「ずるいぞ! あの自分は――」
次々とフローラに向かって自己紹介する従卒たち。その一人一人にフローラは名を呼んで、御礼を告げて行った。従卒たちは顔を紅潮させて、すっかりのぼせ上っている。
自己紹介が終わったら終わったで、仕事そっちのけでフローラに話題を振って会話を続けようとしている。それに文句を言おうと、グレンは口を開いたのだが。
「ごめんね。どうしても言うこと聞いてくれなくて」
それを遮る様にローズが声を掛けてきた。
「ローズが一緒にいてどうして?」
「言った通りよ。一人でも行くって聞かないの。放っておいたら、本当に一人で抜け出しそうだったから仕方なく」
フローラにはそういう突飛な行動力がある。グレンもこれは知っていた。
「……どうして急に? まあ、泊まり込みで仕事をしているってのはあるだろうけど、これまでも任務で家にいないことは何度もあったのに」
「多分だけど、戦争が近いからじゃない?」
「あっ、そういうことか」
「これまでの任務とは違うって分かっているからね。不安なのよ。私だってそうだもの」
「……そうか」
フローラとローズに心配をかけている。分かっていても、それに対して何もしていなかったことをグレンは気付かされた。
「帰れないの?」
「見てのとおりだ。やる事が一杯あって」
テーブルに山と積まれている資料をグレンは指さす。
「そう。私もちょっと寂しいかな?」
「ごめん」
「私はまだ大丈夫だけどね。最近のフローラちゃんは顔を曇らせている時が多いのよ」
「大丈夫って言葉だけじゃあ足りないか」
「それは自分でも分かっているよね? こんな事は言いたくないけど、死なない人間なんていない。そして君たち二人は、人よりもずっと、それを理解してしまっているのよ?」
「確かに」
二人は両親失くしている。一緒にいるのが当たり前だと思っていた人がある日突然いなくなるという経験をしているのだ。
「それもあって少し焦っているみたいね?」
「焦っているって?」
「会えないと中々進展させられないから」
意味ありげな笑みを浮かべて、ローズはグレンを見つめている。
「まさか、このところずっと挑発的だったのは……」
ローズの笑みの意味をグレンはすぐに理解した。
「言葉通り。挑発ね」
「……どうしてそんな真似を?」
フローラとはずっと一緒に暮らしていたが、こんな真似をしてきたことは一度もなかった。
「半分は私のせい。私が少しずつ近づいている一方で、自分は離れていっている気がしているみたい。そんなことを言っていたわよ」
「……どうしてそうなる?」
ローズとの関係はともなく、フローラと距離を取っている覚えは、グレンには全くない。だが、そういうことではないのだ。
「フローラちゃんの言葉を借りると積み重ねがない」
「……分からない」
「子供の頃の遊んだ記憶は山程あるけど、最近は思い出らしいものが何もないって。それはそうよね。大事に大事に宝箱の中にしまって、自分も触ろうとしないのだから」
「……何か嫌味な感じ」
「だって嫌味だもの。君にとっては宝箱でも、フローラちゃんにとっては、自分を閉じ込めるだけの檻じゃないかな?」
「…………」
ローズの指摘にグレンは返す言葉が思いつかなかった。閉じ込めているつもりはないが、完全にも否定出来ないものがある。
「まあ、言い訳みたいだけど、こういう事もあって良いと思うわよ。同年代の友人とああして……何?」
ローズがフローラたちの方を向くと、全員の視線が自分たちに向けられていた。
「貴女が教官の恋人ですか?」
「えっ? あっ、どうして?」
「だって、そんなにべったりとくっついて、親密そうにしていれば」
「あっ、そういう事。べったりなんてしてないわよ。ちょっと内緒話していただけ」
フローラに聞こえないように小声で話していたので、二人の距離はかなり近い。だが、周囲が感じ取ったのは、その自然さだ。
「でも、何だか親密な……」
「そういうこと言うと、フローラちゃんの機嫌が悪くなるわよ?」
ローズがこう言った時にはすでに、フローラは眉間にわずかにシワを寄せて、不機嫌さを隠さないでいた。
「あれ? どうして?」
「グレンが筋金入りのシスコンだって話は?」
「皆、よく知っています」
「でしょうね。それと同じくらいにフローラちゃんは筋金入りのブラコンなのよ。お互いに相手が一番。どうしようもないくらいにね」
「では貴女は?」
「私? 何かな?」
これを聞かれるのがローズは一番困ってしまう。
「まあ、どう考えても、恋人じゃないか?」
答えに困っているローズの横からグレンが恋人と認める発言をした。
「結局そうなのですね。教官って」
それを聞いたジャスティンは不満げだ。
「何だよ?」
「こんな綺麗の一言では表現出来ない程、美しい妹さんがいて、そんな色気漂う年上の恋人がいて」
「……あいつ殴って良い? わざと綺麗という褒め言葉外したわよね?」
「許す」
「いや、綺麗です! 貴女も美人ですよ! でも、妹さんと同じ言葉を並べるのは……あっ、そうじゃなくて……」
フローラが美人過ぎて、同列には並べられない。言い訳をしているようで結局、言っていることは、かなり失礼なままなのだが、これにはローズも納得だった。
「焦らなくて良いわよ。それは分かるわ」
「良かったです。えっと、ちなみに妹さんに決まった方は?」
「いると思う? こんな兄がいて」
「……そうですね。えっと、じゃあ、立候補を――」
「許さん」
最後まで言い切らせることなく、グレンは拒否する。
「早くないですか?」
「軍人は駄目だ。いつ死ぬか分からない。フローラを悲しませることになったら、俺は許せない。その時に相手が死んでいたら困るだろう? 殺せないじゃないか」
「何を言っているか理解されていますか?」
「変な事言ったか?」
「……いえ」
「あっ、じゃあ、自分は?」
そこで何故か同じ従卒のダニエルが立候補してきた。グレンとしては意味が分からない。
「お前も同じだろ?」
「騎士止めて貴族なら?」
「お前貴族だったのか?」
「はい。田舎の小貴族ですけど」
ダニエルは貴族家の人間だ。貴族家の三男で、継ぐ領地がない為に、独立する為に騎士の道に進んでいた。
「貴族も駄目だ」
「どうしてですか!?」
「貴族なんて一人の女性で我慢できずに側妻どころか妾まで抱えるような人間だ。そんな男のところに嫁に行ったらフローラが悲しむ」
「……教官はかなりの偏見があるのですね?」
「事実だ」
そういう貴族の存在をグレンはよく知っている。ただ、それが全ての貴族にの全てではない。
「家柄で偏見を持つのは良くないと思います」
「それ平民である俺の台詞だろ?」
「騎士団では貴族家の人間は偏見の目で見られる事が多いですから」
「どうして?」
「実力の世界ですから。貴族家の者は実家のコネで入団したと思われます」
「そうなのか?」
「それは大貴族の場合です。うちみたいな小貴族にそんな力はありません。一応、言っておきますけど、側妻なんて持つ余裕もありません。田舎の小貴族なんて極論すれば村長に爵位が付いたようなものですから」
「……なるほど」
一言で貴族といっても、その内情は色々。これをグレンは初めて認識した。
「これは言って得か分かりませんが、分けてもらえる領地もないから、自分は騎士を目指したわけです。独り立ちしないといけませんから」
「じゃあ、駄目」
「はい?」
ダニエルは調子に乗ってしゃべり過ぎた。
「生活で苦労させるような男も駄目」
「そんな……」
「でも教官」
従卒たちは諦めない。次はミルコが声をあげた。
「何だ?」
「最後は妹さんの気持ちだと自分は思うのです」
「……それはそうだけど、大丈夫。お前らの中からは選ばないよ」
フローラが望む相手であれば、グレンも反対しようがない。相手の駄目なところを徹底的に調べ上げて文句はいうだろうが。
「せめて機会を」
「はあ?」
「今日だけでは無理なのは分かります。でも、もう少し親しくなって、少しは自分たちを知ってもらえば」
「……親しくなるって、どうやって?」
ミルコの必死さに、一応はグレンも聞く姿勢を見せてみた。
「又、こうして来てもらえれば」
「あのな。ここ騎士団官舎だぞ? いくら身内とは言え、そう何度も来られるか」
「そこを何とか」
「無理」「かまわんぞ」
グレンの否定の言葉に重なる声。グレンに、他の者にも聞き覚えのあるその声はトルーマン元帥の声だった。
「……閣下!?」
それに気が付いて、グレンを始め従卒たちも慌てて席を立って姿勢を正す。訳が分からないのがフローラとローズだ。何が起こったのかと不安そうに周りを見詰めていた。
「この方はトルーマン元帥閣下。騎士そして兵の頂点に位置する方だ」
グレンの説明に慌てて二人も席から立ちあがった。
「ああ、そのままで構わん。グレンの言うとおり、儂は役職としては騎士たちの上に立つ人間だが、女性の上に立つわけではない。まあ、個人的にはいつまでも女性の上にはいたいがな」
「…………」
どうすれば良いのか誰も分からずに、部屋には沈黙が流れる。その沈黙を破れるのは、グレンくらいだ。
「ちなみに冗談は下手だ」
「そうね。しかも下ネタね」
「下ネタって?」
小さな声で会話を交わすグレンたち三人。
「おほん! とにかく座ってもらえるか? お前たちもだ」
「はい。それで何か御用ですか? 報告でしたら、もう少し纏まってからと思っておりましたが」
「いや、仕事ではない。官舎の受付がやけに騒がしくてな。何があったのかと思えば、絶世の美少女が現れたとの話であった。それでここにやって来たのだ」
「……そうですか」
すでにフローラのことは、広まってしまっている。
「しかし、実際にこうして会ってみると、騎士共が騒ぐのも分かるし、お前がムキになって隠すのも分かるな。可愛らしくて、綺麗なお嬢さんだ」
「ありがとうございます」
「隣にいる女性は?」
「同じ宿屋に住んでいる人です」
「それだけか?」
「……友だち以上、恋人未満です」
トルーマン元帥の前では、何故か恋人とは言い切れないグレンだった。
「ほう。お前から恋人なんて言葉を聞けるとはな。それはもう恋人だと認めているようなものだな」
「そんな事はありません」
「しかし……儂としてはお嬢ちゃんは可愛すぎてあれだな。こちらの女性の方に魅力を感じてしまう」
「あげませんよ」
「つまり、お前の物という事か」
「…………」
結局、隠すことなど無駄な努力だった。
「まあ良い。しかし……」
「何でしょうか?」
「お前は我が国の美姫を独り占めするつもりか?」
「はあ? どうしてそうなるのですか?」
「こんな綺麗な妹がいて、こんな素敵な恋人がいる、その上、我が国が誇る王女の心まで」
「わぁああああっ!」
トルーマン元帥の言葉を遮ったグレンだったが、それは少し遅すぎた。頬を膨らませてグレンを睨んでいるフローラと、呆れ顔で見ているローズ。二人の視線に追い込まれて、小さく背中を丸める事になった。
「ねえ、グレン。我が国の誇る王女の心って何かな?」
「何だろう?」
「それ、私聞いていないけど?」
「何もないから」
「君は私には誠実でいてくれるって言ってなかったかな?」
「……ごめんなさい」
ここで半ば白状してしまうのは誠実なのだろうか。もっともグレンには白状しているつもりはない。
「もう、やっぱり! この女ったらし! 君は何を考えているの!? 相手は王女様よ!?」
「大声出すな! 廊下に聞こえる!」
「……じゃあ、ちゃんと説明して。どういう事かな?」
「ちゃんと話しただろ? ちょっと親しくなっただけだ。王女殿下は恋愛に憧れていて、その相手をしただけ。それが閣下の誤解を生んだだけだ」
「怪しいな。私に話さない事が怪しい」
女性の勘というものは、後ろめたいところのある男には、実に恐ろしいものだ。
「何にもないから。あったら大変だろ? それに王女殿下だって、それくらい弁えている。恋愛遊びはあくまでも遊び。それ以上はない」
「……まあ、そうね。それに真相を突き止めて困るのは君だからね」
「それって、ちょっと言い方が」
ローズの言い方ではメアリー王女と何かあったという前提になってしまう。
「何?」
鋭い視線をグレンに向けるローズ。ローズの中では、すでに疑いは確信に変わっているのだ。
「何でもありません」
「ちょっと失言してしまったかな?」
グレンとローズのやり取りを楽しそうに見ていたトルーマン元帥が話に入ってきた。
「ちょっとではありません。軽口だとしても軽率過ぎます」
「そうだな。では、その詫びにさっきの話だ」
「さっきの?」
「お嬢ちゃんがここに来る話だ」
「ああ。それが何か?」
「考えてみたら、お嬢ちゃんを放ったらかしにさせて、お前を家に帰らせないのはちょっと軽率だった。だから、その代わりにお嬢ちゃんの官舎への出入りを認めてやろう」
「本当ですか!?」
グレンが反応するより先に、フローラが喜びの声をあげた。従卒たちも小さくガッツポーズを作っている。
「ちょっとフローラ。喜ぶのは早い」
不満があるのはグレンだけだ。
「だって」
「閣下のお気持ちは嬉しいのですが、自分としてはあまり妹を人目に晒したくないのです」
「悪い虫が付くからか?」
「まあ、そうです。ここは騎士団官舎、それに城のすぐ隣ですから」
「ふむ……では、こういうのはどうだ?」
トルーマン元帥は少し考えて、提案をしてきた。
「何でしょうか?」
「お嬢ちゃんは儂の縁者だということにしよう」
「はい?」
「儂の縁者にちょっかい出す馬鹿はおらん」
言い寄る者がいないかは微妙だが、無体を働こうとする者はいないだろう。
「……しかし、ここに来る理由がありません」
「それも大丈夫だろう。何と言ってもお前は儂のお気に入りだからな。お前とお嬢ちゃんを儂が結びつけようと画策していることにすれば良い」
「あっ、それ良いかも!」
でっち上げであるのにフローラは大喜びだ。
「フローラ……」
「よし決まりだな。受付には儂が話しておこう。それで問題ない」
「しかし」
「反対しているのはお前一人のようだが?」
「…………」
嬉しそうに瞳を輝かせているのはフローラだけでなく、従卒たちもだった。その瞳の輝きを一身に集めてしまっては、グレンも何も言えなくなった。
この日から、フローラとローズは騎士団官舎への自由な出入りを許される事になる。
そして、それに誰も文句を言う人もいなかった。騎士たちの多くも、フローラの姿を見ることを望んだからだ。