結衣との会話によってムカムカした気持ちを抱えながらも、グレンは顔見知りの侍女を見つけて伝言を頼んだ。結衣に頼んだ侍女への伝言だ。
結衣は伝えておくと言ったが、グレンはもう結衣の言葉を信じられなくなっている。
伝言の中身を聞いて少し驚いた顔をした侍女だったが、快く引き受けてくれた。
それを終えて城を出るとグレンは騎士団官舎に向った。
官舎の最上階。その奥にあるトルーマン元帥の執務室を訪れる為だ。
トルーマン元帥の執務室を訪れるのは初めて。さすがに何度か訪れたことのあるバレル千人将の執務室とは違っていた。前室には侍従や直属の部下が座っていて、そこで面会を告げる。約束があっても、すぐに会えるわけではない。前室の椅子には面会を待つ人が数人座っていた。
グレンもその椅子に座って、呼ばれるのを待つことになった。
周りの視線がグレンに突き刺さる。グレンの顔を知っている人は何とも複雑な表情で。知らない人は、こんな若造が元帥に何の用だという感じで見ている。
ただ見られている本人は、このことよりも未だに結衣に腹を立てていて、それに気付かないでいた。
しばらく椅子に座っていると、奥からグレンの名を呼ぶ声が聞こえた。それに応えて立ちあがったところで、ようやくグレンは周りの視線に気がついた。
特に先に座っていた人の冷たい視線に。
「……えっと、先で?」
「名を呼ばれたのだ。そういうことであろう」
「……申し訳ありません」
少し背を丸めて、先に待っていた人たちの前を横切る。奥の部屋の扉はすでに開けられていた。
「グレン、入ります」
「おお、早く入れ」
「はっ!」
部屋の中もまた広い。トルーマン元帥だけでなく、何人もが机に座って仕事をしていた。
「座れ」
指し示されたソファーに座ると、トルーマン元帥も机から立ちあがって、グレンの前に座ってきた。
「あの、自分が先で宜しかったのですか?」
「すぐに取り掛かってもらいたい仕事が山ほどあるからな」
「山ほど、ですか」
冒頭から嫌な予感がする言葉が飛び出してきた。
「そうだ。従卒の調練については聞いているな?」
「はい。引き続き見るようにと」
「それ以外の時間でやってもらいたい仕事を今から説明する」
「はい」
「次の戦争の件だ。これはどこまで話していたかな?」
「ゼクソン経由でアシュラムに攻め込む。この程度かと」
グレンの説明を聞いたトルーマン元帥が顔を顰めた。自席で別の仕事をしていた人たちまでグレンの言葉に反応して、手を止めて怪訝そうな顔でグレンを見詰めていた。
「……それを話したか?」
「あれ? 聞きませんでしたか?」
「それは機密の類だ。さすがに話していないと思うが」
「……あっ、自分の推測でした。勘違いして申し訳ありません」
何度も考え、ローズに話したりして、グレンはすっかり自分の推測が事実と思い込んでしまっていた。
「謝罪でなく分かった理由を言え」
「……王女殿下のご婚約で」
細かくは他にもあるが、これが決め手だ。
「そうか。その情報は入るか。ご本人からだな?」
「はい」
「では問題ないな」
「閣下!?」
あっさりと事を終わらせようとするトルーマン元帥に、慌てた様子で話を聞いていた部下の一人が声をあげた。
「別に機密を誰かが漏らしたわけではない。まさか王女殿下を罪に問えというのか?」
「……いえ」
「では大人しく座っていろ」
「はっ……」
言われた通り、部下は大人しく椅子に座った。
「言葉にしては不味い内容でしたか?」
この反応で、グレンも自分の発言が軽率だったと気がついて、苦笑いを浮かべている。
「相手に知られては困ることだ」
「そのままゼクソンに攻め込む選択肢もあると思いましたが?」
「ゼクソンよりもアシュラムを先に何とかしておきたい」
「砦だけが理由ではないのですね?」
アシュラムとの国境には堅固な砦がある。これもゼクソン経由でアシュラムを攻めると考えた理由の一つだ。
「そうだ。ゼクソンを先にしてアシュラムとの国境を接してしまえば今の砦は要所ではなくなるからな」
「では、何故?」
「今のゼクソンに他国に攻め入る力はない。一方でアシュラムにはある。ゼクソンを攻めればアシュラムは途中で参戦してくるだろう。だが、アシュラムを攻めている中で、ゼクソンにそれを邪魔する力はない。二国が協力出来ない内に、片方をという考えだ」
これはグレンの知らない情報だ。
「何故、ゼクソンにはその力がないのでしょうか? それなりにゼクソンも準備をしてきたと思っておりました」
「先代が早世した影響は大きい。混乱を引き起こさなかった現国王も中々の手腕だと思うが、まだ国内は完全に纏まりきっていない。他国の戦いに介入は出来ないという判断だ」
「……確実性に欠けるような気が」
国内が纏まっていなくても、他国の脅威がそれを纏めるきっかけになる可能性は高い。判断材料としては薄いとグレンは感じた。
「では本音を。婚約という外交を使えるのはゼクソンに対してだけだった。ゼクソンの王は若くて独身。アシュラムの王には既に子もいる。王子という手もあるが、それでは少々弱い」
「そして、外交を使った以上は我が国としては大国の面子を汚すような真似は出来ないと」
これが前提にあって、他の理由は後付けしたもの。グレンの顔にわずかに呆れの表情が浮かんだ。
「お前の言うとおり、見栄だな」
「……その言葉は使っておりません」
「心の中では使っておっただろ? 最も実際にはもう少し考えられている。ゼクソンの王が国を纏めきれていないというのは、さっき言った通りだ。今回の我が国からの申し出はゼクソンの王にとっては願ったりの話だったはずだ」
「何故ですか?」
「我が国という後ろ盾が出来る。国を纏めるに十分な強国の後ろ盾がな」
「国を纏めるのに他国の力を使うのですか? それではその他国の影響力が大きくなってしまいます」
「それを我が国は望んでいるのだ」
戦争を行うことなく、ゼクソン王国の実権をウェヌス王国のものにする。これが理想の結果だ。
「……そうですね。ただゼクソン側からだと、どうなのですか?」
「臣下だけでなく、後ろ盾を得た王自身も良い気分はしないだろうな。いつかは影響力の排除に動くだろう。だが、それは逆に、それまでは大丈夫だということだ」
「なるほど。しかし……」
トルーマン元帥の説明を聞いても、グレンは納得しきれない。
「外交に完璧などない。外交だけではないな。完璧を待っていては何も出来なくなる。一番良い、それでも無理ならより良いで我慢せねばならん」
まだ何か言おうとするグレンに、トルーマン元帥は諭すように話をしてきた。
「……分かりました」
心の中では腑に落ちない部分は残っているのだが、これ以上、決まったことに反論しても意味はないと、グレンはそれ以上の議論を収めた。
「さて、本題に入ろう」
「はい」
「お前にやってもらいたい仕事は、派兵計画の見直しだ」
「はい?」
考えていた以上に大きな仕事。グレンに任せるような内容ではない。
「派兵計画と言っても戦略、戦術の類は見直すことは出来ん。あくまでも軍を戦場に送るまでの計画の見直しだな」
「いや、それでも何故、自分が? それに今更見直しても」
もう計画は動き出しているはずだ。それを今から見直せば、様々な問題が出るのは分かりきっている。
「もちろん、お前が見直し案を作成したとしても、計画は元のままで進むことになる」
「では、何故ですか?」
「先の為だ。今の計画立案の方法が本当に正しいかの検証をしたい」
トルーマン元帥がグレンのやらせたい仕事は、将来の為の様々な改革だ。今回の件は、その中の一つ。
「……無駄があれば省きたいと?」
「そうだ」
「意図は分かりました。それでも何故自分がというのが残ります。自分にはそんな経験も、知識さえありません」
「だから頼むのだ。経験知識がある者はどうしてもそれに拘ってしまう。間違った事をしているとは思えないのだ」
「……しかし、やった結果が全く意味のないものでは」
結果が出せる自信が今のグレンにはない。徒労に終わってしまう可能性が高いと考えている。
「それでも構わん。だからお前がやるのだ。他の者は本当の準備に忙しい。それに本職やそれに似た者がやれば、行った結果は無視出来なくなる」
「どうでも良い仕事のように聞こえてきましたが?」
「そうではない。全くその仕事に関わりのない、まっさらな状態で行うからこそ、比較が出来る。こうは思わんか?」
何気にトルーマン元帥も理屈付けが上手い。グレンと気が合う、本人たちは気が合っているとは思っていないが、理由の一つかもしれない。
「……そう言われればそうですが。実際に自分が行う範囲はどの程度なのでしょう?」
「全てだ」
「……冗談ですよね?」
退屈はさせてくれないとは思っていたが、予想をはるかに超える人使いの荒さだった。
「冗談ではない。行軍計画。必要日数の算出、途中の野営地の選定などだな。それに基づく必要な物資の算出、補給計画、輸送計画などなど。言葉の通り、全部だな」
「それをいつまでにやれと?」
「二ヶ月。二ヶ月先には出兵する。それまでにやれ」
「無理です! たった二ヶ月で出来るわけがありません!」
見積もらなくても不可能なのは分かる。出兵計画は、近隣での盗賊討伐でさえ、数週間の時間を必要とすることくらいはグレンも知っている。
「一人でやれとは言わん。ちゃんと手足となる者は用意してある」
「……しかし、先ほど他の方たちは忙しいと」
少し負担が減りそうだ。だが、安心するにはまだ早い。
「だから暇な者を用意した」
「……あの、どのような方たちかお聞きしてもよろしいですか?」
「従卒たちだ」
「はあ!?」
自分よりさらに知識も経験もない従卒だちでは、全く頼れない。かえって仕事が大変になりそうだ。
「お前と同じ経験も知識もない者がやるから意味がある」
「……自分よりも更にないですね?」
「だろうな」
「それは教えながらやれと言っているように思えますが?」
「その通りだな。調練だけではなく、そういう事も教えてやってくれ」
グレンの予想通り。従卒が手伝うことで、グレンの仕事は増えた。
「……もっと適任の方がいるのでは?」
「お前以外には思い当たらない」
「……自分が何を言おうとやらせるつもりですね?」
「その通りだ」
「……幾つか確認を」
断ることは不可能となれば、より良い条件を得なければならない。グレンはその為の交渉に頭を切り替えた。
「何だ?」
「見直しを行う為には計画そのものを知らなければいけません。それはご提示頂けるのですか?」
「もちろんだ。儂の権限で全てを開示する。ああ、戦略の類は除いてだ。お前は良いが他の者にはな」
「戦場に着いてからの物資の算定は不要ということでよろしいのですね?」
「それもさせたいところだが、さすがにな。お前の事だ。戦略、戦術の不備まで指摘しかねん」
軍の機密を開示するからには、正式な軍務という形になっている。グレンが行った仕事の成果はトルーマン元帥一人の中に留めておくことは出来ず、軍の上層部で話し合われることになる。
あまり、インパクトの強い報告は今回、トルーマン元帥は求めていない。
「それは買いかぶりです。あと国軍の必要物資等は中隊の延長で少しは分かるかもしれませんが、騎士団については、さっぱり分かりません。それの知識は何処から得れば良いのでしょうか?」
「担当者を紹介してやる。その者に遠慮なく聞け」
「教えて頂けますか? あまり良い感情を持たれないと思います」
騎士が自分に対して良い印象を持っていないことくらいはグレンも分かっている。ただ、自分が実際以上に悪く考えてしまっていることは分かっていない。
「そう思って、知識を持つ者も一人だが用意してある。その者からある程度は聞けるはずだ」
「用意周到ですね」
「仕事を任せる以上は当然だな」
「……分かりました」
仕事は困難ではあるが、環境は最善のものが得られそうだ。グレンとしては、これで納得するしかない。どうせ断れないのだ。
「執務室も用意してある。元々、お前は執務室を持っていたな」
「はい」
勇者付き騎士になって与えられ、ほとんど使うことのなかった執務室だ。それを勇者付き騎士でなくなってから使うことになった。
「その隣の部屋も空けた。それを使え」
「二部屋もですか?」
「一つは仮眠室だ」
「……寝る間も惜しんでやれと?」
トルーマン元帥の容赦のなさに、グレンは呆れるしかない。
「そうでなければ二ヶ月では何も進まんだろう?」
「……人使いが荒いと人に言われたことは?」
「毎日のように言われておる。こ奴らにな」
部屋にいる者たち全員が机に向ったまま、大きく頷いていた。
「でしょうね」
「話は以上だ。必要な書類は後で全て届けさせる。足りないものがあれば、何でも言って来い」
「はい。では、早速、執務室に向かいます」
「ああ。そうしろ」
「失礼します」
ソファーから立ちあがって礼をすると、グレンはさっさと部屋を出て行った。ブツブツと独り言を呟いているのは文句半分、これからの仕事への思考が半分というところだ。
「閣下……」
「何だ?」
「何故、あのような仕事をさせるのですか? 頭は切れるようですが、さすがに無理ではないでしょうか?」
行軍計画の見直しは知識が必要な上に仕事量も膨大だ。未経験者に出来ることだとは思えない。
「今回は無理であっても良い。経験を積ますことが目的だからな」
「そういうお考えでしたか」
「だが。あれを甘く見るな。あれも出来ないことは約束しない男だ。分かりましたと言った以上は、出来る算段があるということだ」
「まさか?」
トルーマン元帥の言葉を聞いても部下は信じられない様子だ。これが当然の考え方だ。出来ると考えるトルーマン元帥の方がおかしい。
「二ヶ月後になれば結果は分かる」
それでもトルーマン元帥は出来ると考えている。この事がそれを示している。
◆◆◆
トルーマン元帥の部屋を出ると、グレンは真っ直ぐに用意された執務室に向った。
まずは元々の自分の執務室を開けてみる。トルーマン元帥の言った通り、机などは全て撤去されて、ベッドだけが並んでいた。
「……寝る間も惜しんでは俺だけじゃないわけか」
複数のベッドが置いてあることで、グレンはこう判断した。その部屋を出て次は隣の部屋。
人気を感じるその部屋に入ってみれば案の定、すでに従卒たちが集まっていた。ジャスティン・ストーク、ポール・デミスター、セイン・カシリス、ダニエル・リンドバーグ、ミルコ・クロール、カイル・ヨークの六人の従卒たち。
「「「「教官!」」」」
「お前たちか。どういう基準で選んだか知らないが、まあ何となく予想していた顔ぶれだな」
「そう言って頂けると嬉しいです。微力ながら精一杯お手伝い致します」
この中ではリーダー格のジャスティンが代表して答えてきた。
「よろしく頼む」
「「「「はっ!」」」」
そして、もう一人、グレンの見知った顔がいた。トリプルテンにいたフランクだ。
「貴方でしたか」
「お久しぶりです。中隊長」
心の中はどう思っているかは別にして、フランクは笑みを浮かべてグレンに挨拶をしてきた。
「自分はもう中隊長ではありませんよ」
「そうでした。ただ他に呼び方を知らなくて」
「彼等には教官と呼ばれていますがフランクさんは変ですね。まあ、名前で呼んで下さい」
「ではグレン殿と」
「呼び捨てでかまいません。自分は上官でもありませんし、フランクさんより年下です」
「しかし、客将という身分になったとお聞きしました。客将とは随分と変わった身分ですが将であることに変わりません。私から見れば上職になります」
フランクの言葉でグレンは自分が客将であることを思い出した。どうして客将という立場になったのかをトルーマン元帥に聞き忘れたことも。
「……お任せします。しかし、小隊はいつ?」
「グレン殿が軍籍を離れてすぐに。さすがに残りづらいですから」
「まあ、バレてましたからね」
フランクの言葉は自分が監察部の人間であると認めている。そうであればと、グレンも正直に話をすることにした。
「その節はまんまとやられました。おかげで私は上司から怒られましたよ」
「それは申し訳ありません」
「いえ、良い経験になりました。今回もそうありたいと思っております」
「教わるのは自分の方です。国軍はまだしも騎士団に関しては全く無知ですので、よろしく御願いします」
監察であるフランクは数字については詳しいはず。フランクがこの場にいる意味がグレンには分かっている。
「お力になれるように頑張ります」
「では、早速始めましょうか?」
「資料がまだ何もありませんが?」
「それは後から届けられる事になっています。資料を見ての検証はそれからですが、その前にやっておくことがありますので、その打ち合わせを」
「やはり、貴方という人は」
いきなり打ち合わせを始めようとするグレンに、フランクは感心した様子だ。
「何ですか?」
「良いことでも悪いことでも動きが早い。それに熱心だ」
「若干、嫌味が含まれているような?」
悪いことで動きが早いというのは、三一○一○中隊に監察が入った時の対応を言っているに決まっている。
「若干は」
「……まあ、そうでしょうね。じゃあ、始めましょう。皆、席に付いてくれ」
「「「「はっ!」」」」
部屋の真ん中に用意された会議机にそれぞれが席に付いて行く。グレンは空けられている一番奥の席につくと、早速口を開いた。
「任務の内容はどこまで聞いている?」
「行軍計画の検証と聞いております」
グレンの問いにジャスティンが答えてくる。
「それだけ?」
「後は教官の指示に従えと」
「……分かっていたけど、やっぱり丸投げか。任務の内容は、その通り。今回の出兵に関する計画の検証だ。検証は全軍が戦場に到着するまで。それの全てだ」
「分かりました」
「分かりましたと言うけど、分かっていないと思うぞ」
あっさりと分かりましたと言ったジャスティンに、グレンは苦い顔を向けている。
「間違いましたか?」
「物資の算出をするには、どれだけの部隊が、何日掛かって戦場に辿り着くかを計算しなければならない。当然、全軍が一度に進むわけではないので、それぞれの行軍単位ごとに計算する。合流地点も考えなければいけないし、その日数が変われば、野営地の見直しも必要になる可能性がある。ただ資料を検算するだけじゃない」
「…………」
予想以上の内容に従卒たちは言葉を失ってしまった。それに代わって口を開いたのは、多少なりとも作業内容が分かるフランクだ。
「あの、本当にそれをやられるのですか?」
「閣下にそう命令された」
「……大変な作業になります。一言で野営地の見直しと言っても、それが一箇所狂えば、その先の全てを検証し直す必要が出てくるのではないですか?」
「そう思う。隣の一室は丸々仮眠室に変わっていた。つまりは、そういう事だ」
泊まり込みが必要になるほどの作業がこの先に待っている。
「閣下は何を考えておられるのでしょう?」
「何となく想像はつくけど、想像で答えてもな。やれと言う命令であるからにはやる。それだけだ」
「……分かりました。そうしますとまず何を?」
監察部所属であっても軍人であることに変わりはない。上の命令は絶対だ。やれと言われればやるしかない。
「基となる数値がまずは必要となります。誰か、今から言うものを書き出してくれ」
「あっ、では自分が」
立ちあがったのは、従卒のカイルだった。特に意味がある訳ではない。黒板に一番近いから言い出しただけだ。
「では、まずは行軍速度。騎馬を使う騎士団大隊、重装歩兵部隊。国軍は大隊単位だ。それと輜重隊。弓兵部隊は歩兵と同じと考えても?」
「標準の算出基準では区別はありません」
答えたのは、当然、フランクだ。
「やはり、そういう物があるのですね」
「その基礎数値を基に後は掛け算ですので」
「ですね。ちなみに、それは平均ですか? それとも一番遅い数字?」
「……すみません、それは知りません。確認しておきます」
「御願いします。次にゼクソンとの国境の砦までの野営候補地を片っ端から調べてくれ。距離はもちろん、野営出来る数も。これは軍の地図がいるか。頼んでおこう。それと途中の街の規模、規模というのは収容可能人数だ。宿の数、通常時の空き状況。街での催し物の時期もいるな。それによって宿の混み具合も変わってくるはずだ」
「……それは私が手配します。税の徴収局に資料があるはずです。一つに纏まったものではありませんが」
「構いません。やっぱり頼りになりますね。さすが監察局、情報量が違う」
「「「えっ?」」」
フランクが監察局の人間だと知って、従卒たちが驚きの声をあげた。
「……監察局に後ろめたい事でも?」
「ありません」
あるはずがない。従卒では監察局を恐れる仕事には就いていないのだ。驚いたのは、監察局に対するイメージからだ。
「じゃあ、驚くな。失礼だろ?」
「申し訳ありません」
「慣れているよ。軍にとって監察局は煙たい存在だからね」
グレンに叱られて可哀想と思ったのか、フランクがとりなしてきた。
「そうだとしても失礼であることに変わりはありません」
「もう良いから」
「分かりました。では話を進めます。各部隊別の必要物資。これは後で来る資料の明細を見れば何か分かる。欲しい情報は一日どれ位などだ。国軍中隊は俺が知っているが、騎士団は分からない」
「それも基準値があります」
フランクは期待した通り、良く知っている。
「それの一覧ってあるのですか?」
「監察局にあります」
「……監察局にやってもらえば良いのに」
どうやら、必要な資料のほとんどは監察局にあると分かって、グレンが愚痴を口にする。監察局であれば、行軍準備に追われているはずもない。
「いえ、それでは駄目です。閣下の意図が少し分かってきました」
フランクがグレンの愚痴を否定する。グレンたちの仕事の意味も分かったようだ。
「何だと思いました?」
「閣下は基準値そのものを見直したいのですね。それは監察局には出来ません。なんと言っても現場を知りませんから」
「俺も、そういう事だと思います。それに更に行軍、輸送の効率化も考えろということでしょう」
「そこにも問題があるのですか?」
行軍、輸送の方法そのものについては監察の範囲外だ。フランクには見当がつかない。
「閣下がやれという以上、何か変えたい部分があるのだと判断しています」
グレンも当たりがついているわけではない。それはこれから見つけることだ。
「なるほど」
「準備としては、まずは、こんな感じです。基礎数値の見直しと、それに基づく再計算を何度も繰り返すことになる。仕事の内容は分かったか?」
「「「「はい!!」」」」
「仕事は明日からだ。やりたくないが、泊まる準備をしておけ。では今日のところは解散だ」
「「「「はっ!!」」」
そして、この翌日からグレンたちの缶詰生活が始まる事となった。