念の為程度のつもりで野営地の裏手にやってきたグレンだったが、暗闇に浮かぶ数え切れないほどの松明の火を見て茫然としてしまった。
ぱっと見ただけで百の単位の数であることが分かる。ある程度は予想していたが、正面の敵と合わせると確実に自軍より多数になるはずだ。
「ちっ、正面は陽動か」
それもわずかな間。すぐに気を取り直すと近くにいた兵に状況を確認する。
「数はどれくらいですか?」
「恐らくは二百程。ただ、これで全てかが分かりません」
夜の闇の中では先の方まで見通せない。敵の後続がまだまだ存在している可能性は否定出来ない。
「……今、こちらにいる兵は五十程ですね?」
「はい」
確認出来ているだけで四倍の敵を相手にすることになる。
「中隊は?」
「三一○○八です」
「中隊長は?」
「今は正面に。こちらに来ていただくように伝令は飛ばしました」
正面に現れた敵の陽動にまんまと引っかかったということだ。
「そうですか……もう一人出してもらえませんか?」
グレンには兵に命令する権限はない。だが、中隊長が現れるのを待っている余裕はなかった。
「しかし、一人でも多くの兵が必要です」
グレンの権限以前に、兵は数を減るのを嫌がった。だが、続くグレンの言葉ですぐに心変わりすることになる。
「勇者を呼んでもらいたいのですが」
「あっ、それであれば。それで勇者は?」
勇者が一緒に戦ってくれるとなれば、これほど心強いことはない。喜んで伝令も送るというものだ。
「今はまだ天幕の前にいるはずです」
「分かりました。伝令! 勇者にここに来るように伝えてくれ! 中央の天幕の前だ!」
「はっ!」
命令を聞いて、一人の兵が後方に向かって駆けて行く。後はどれだけ早く健太郎がこの場に来てくれるか。こんなことを考えていたグレンだったが。
「ねえ? あれって敵なの?」
不意に背中から掛けられた言葉。その声を聞いてグレンの顔が大きくゆがむ。
「なぜここへ?」
グレンが振り向くと、なぜか後ろに結衣が立っていた。
「健太郎がグレンに付いて行けって。その方が安全だからと言われて」
なんて余計なことをと思ったが、この場合は健太郎を責められない。裏手からのこれほど大規模な襲撃はグレンも予想していなかったのだ。
「……では、すぐに戻ってください。今はここの方が危険です」
「あっ、そうね」
大勢の敵が迫ってきていることは結衣にも分かっている。グレンに言われた通り、引き返そうとしたのだが。
「火矢だ! 来るぞ!」
近くにいた兵が大声で叫んだ。松明の代わりに闇に浮かぶ火の明かり。それが一斉に野営地に向かって、飛んでくる。
それを茫然と見ている結衣。
「ちっ」
小さく舌打ちしてグレンは結衣を地面に押し倒した。降り注いでくる火矢。いくつもの矢が地面に突き立っていく。
それが止んだところで、グレンはすばやく立ち上がると、敵の動きを確認する。
野営地までの距離はかなり詰まってきていた。
「大丈夫?」
「運は良い方で。それよりもさっさと下がってくれますか」
心配そうに結衣が声を掛けてきたが、今はそれをありがたがる気持ちにはなれない。
「でも怪我人が」
この台詞で結衣が何をしようとしているのかが分かった。敵の初撃で何人もの怪我人がでている。それを治療しようというのだ。
「……治している間に敵がきます。戦えますか?」
「それは」
結衣の才能は回復魔法のみ。戦いに関しては、ただの女性だ。
「では下がってください」
「でも」
「足手まといだ! さっさと下がれ!」
非常事態の今、なかなか言うことを聞かない結衣にグレンは苛立ってしまう。結衣一人に構っている余裕はないのだ。
「でも、私は聖女よ!」
グレンの怒鳴り声に結衣も声を強めて言い返してきた。
「……嫌がっていたくせに」
「それに相応しい行動を取れと言ったのは貴方よ」
「……じゃあ、治せ」
確かにグレンは結衣のそのようなことを言った。自分の言葉に従おうとする結衣には文句は言えない。
「言われなくてもそうする」
「前線を前に出してくれ! 聖女が怪我人の治療に入る! その前に隊列を!」
「はっ!」
何の軍権もないグレンに素直に従って、兵たちは隊列を前に出した。三一○大隊においてグレンがどういう存在なのかは全兵士が知っているのだ。
「……その兵は死んでいる。生き返らせることは出来ないだろ?」
「あっ……」
言葉では強く言っても、やはり結衣は動揺していた。戦場に身を置いて、落ち着いていられるはずがない。
「治すならちゃんとやれ! 動揺している暇なんてない!」
「分かっているわよ! ……大丈夫ですか? 今、治しますから」
グレンの怒声に又、大声で返すと結衣は、別の兵に声をかけて、回復魔法の詠唱を始めた。それが終わると又、次の兵の所に移動する。
だが、もう敵は目の前。治療をしている間に敵が到達するのは確実だ。
グレンは死んでいる兵が持っていた剣を拾って、そのまま右手で握った。更に腰の剣を左手に持つ。
「どこまで出来るかな?」
こう呟くと、グレンは夜の闇の中に飛び出して行った。
◇◇◇
夜明けまでにはまだ時間がある。一部の部隊には引き続き臨戦態勢を取らせたまま、大隊は戦後処理に移っていた。
怪我した兵は一カ所に集められて、怪我の手当が行われている。死んだ兵も少なくない。そうした兵も一カ所に集められて埋葬されるのを待っていた。
「怪我はないのか?」
バレル千人将がぼんやりと立っていたグレンに声を掛けてきた。
「まあ、何とか。被害はどの程度ですか?」
「まだ確認中だ」
確認に時間がかかるだけの数が犠牲になっている。快勝には程遠い結果だ。
「敵は?」
「それもまだだ。かなりの数は討ったと思うが、引いて行った敵の数は暗くて確認出来ていない。今は残された敵の数を調べている」
「引き算ですか? でも、元の数が」
倒した敵や捕虜の数を調べても、敵の総数が分からなければ意味はない。グレンはこう思ったのだが、これは間違いだ。
「置き去りにされた敵に吐かせた。ざっと八百だな」
「倍以上ですか。しかし、いつの間に後ろに回り込まれたのでしょう?」
自軍も斥候を放つなど、それなりに警戒しながら進軍していたはず。あれだけの数が後ろに回り込むのを許した理由がグレンには気になった。
「元々、アジトには居なかったようだ。こちらが通過した情報を得てから後を追ってきたらしい」
「迂闊でした」
アジトだけが敵の居場所と思い込んでいた自分の過ちをグレンは知った。
「そこまでされると思っていなかったからな。仕方がないだろう」
本来これに気を付けるべきだったのはバレル千人将なのだが、本人は、すっかりグレンに任せていたつもりになっている。
グレンはこれについては何も文句は言わない。夜襲を警戒する中で考慮しておくべくだったと反省していた。
「それで正体は?」
「盗賊だな」
「そうなのですか?」
ただの盗賊があれだけの襲撃をと驚いたグレンだったが、これは早とちりだった。
「元は叛乱組織だ。だが、資金も尽きて、盗賊稼業に身を落としていたようだ」
「しかし、八百の盗賊団ですか」
これだけの大規模盗賊団が存在しているなど、グレンは全く知らなった。ただ、これも早合点だ。
「いや、最近集まってその数になったそうだ」
「……そこまでしますか」
何故集まる必要があったのかを単純に考えれば、この戦いの為となる。
「羽振りが良くなった感じだったので、新しい資金源を見つけたのだろうと言っていたようだ。そういうことなのだろうな」
この襲撃には黒幕がいる。すでにバレル千人将もこれを確信している。
「しかし、よくしゃべりますね?」
「だから盗賊と言ったのだ。叛乱を認めるつもりはないが、それをする側にも、それなりに志はあると思っている。それを失えばただの盗賊だ」
「確かに」
今回の襲撃は、恐らくは、ただ金に釣られただけのこと。そこに叛乱の志などはない。
「少し哀れにも思えるな。利用されただけだ」
「はい。しかし、本気で勇者を殺すつもりだったのでしょうか? 自分には信じられません」
はっきりとは分かっていないが、勇者の召喚にはかなりの労力と金がかかっているように思える。それを無にする意味が分からない。
何よりも、健太郎はグレンの目で見て、権力を求める人物の脅威となるような存在には思えない。
「分からん。こうも考えられる。倍の敵に不意を突かれて窮地に陥った味方を、勇者は見事に救ってみせた。まして、元とはいえ、叛乱組織だ。それなりの戦功となるだろう。勇者の名声はあがる。その為だったかもしれない」
「好意的に捉えればそうなりますか」
結果からみれば、バレル千人将の言った通りだ。今回の件で、健太郎は勇者に相応しい活躍をしたと見なされるだろう。
「だが、跳ね除けられない可能性もあった。お前が居なければな」
「……何の事ですか?」
「惚けるな。三一○○八の中隊長から報告は受けている」
後方からの襲撃に対してグレンが何をしたか。これはすでにバレル千人将の耳に入っていた。
「だから、何のことでしょうか?」
バレル千人将の説明を聞いても、グレンは恍けてみせる。
「……それで良いのか?」
「何のことかは分かりませんが、自分の望みは平穏な生活です」
「それが出来る玉か? 俺はかなり疑問に思うぞ」
何かと目立つことを嫌うグレンだが、常に結果は正反対の状況になっている。
「強く望めば出来ると信じています」
「そうか。では、そういうことにしておこう。三一○○八中隊には俺から伝えておく。全ては勇者の功績だったと。だがな」
「何ですか?」
「まずは着替えたらどうだ? 返り血で真っ赤に染まった服を着て、自分は何もしていないは通用しないぞ」
「……確かに」
どれだけの敵を斬ったら、こうなるのかと呆れるほどに、グレンの全身は返り血で真っ赤に染まっている。恐らくは、この野営地の味方の中でもっとも凄惨な姿だろう。
◆◆◆
バレル千人将の前から下がって、グレンは天幕の陰で体を拭っていた。着替えついでに服も洗ってしまえ、そのついでに体も。そんなつもりだった。
だが服を入れた桶の水は血で真っ赤に染まってしまった。さすがにそれで体を拭うのには抵抗を感じて、乾いた布で拭くだけにしている。
だが服に染みこんだ返り血は、肌にまで届いていた。乾いた布では、拭いきれない。
「やっぱり水持って来よう」
「はい。タオル濡らしてきた」
グレンの言葉を待っていたかのように目の前にタオルが差し出されてくる。
結衣が笑顔を向けて立っていた。
「……又、盗み見ですか?」
「失礼なこと言わないで。タオル持ってきてあげただけよ。まずは御礼でしょ?」
「ありがとうございます。治療は終わったのですか?」
戦闘が終わった後も、結衣は怪我人の治療にあたっていることをグレンは知っていた。
「……魔力切れ」
グレンの問いに悔しそうな表情で結衣は答えた。
「それは仕方がないですね。じゃあ、早く休んだほうが良いのでは?」
「そうだけど。御礼を言っておこうと思って」
「御礼?」
グレンには結衣に礼を言われる心当たりがない。
「庇ってくれたでしょ?」
「……ああ、あれですか。聖女様を守るのは当然の事です。御礼はいりません」
敵の矢から身を挺してグレンは結衣を守った。ただ別に結衣だからではない。とっさのことなので、誰であってもグレンは庇っただろう。
「その聖女様って止めてもらえないかな?」
「どうしてですか? 自覚が出たのだと思いましたが?」
聖女としての義務を果たすために結衣は前線にとどまった。結衣が自分の口でこのようなことを言ったのだ。
「そうじゃなくて、グレンに呼ばれるのが嫌なのよ」
結衣の聖女と呼ばないでは自覚云々の問題ではない。
「自分の立場では当然かと」
「だから、その立場をもう少し緩くして欲しいの」
「それは無理です」
無理というより、そうしたくない。グレンは勇者の二人とは慣れ合いたくないのだ。
「私がそうして欲しいのだから、問題ないわよ」
「……では何と?」
また人の話を聞かない結衣になっている。拒否しても長くなるだけなので、グレンは少し話を進めることにした。
「結衣で良いわよ」
「ユイ様ですね。分かりました」
「そうじゃなくて」
「では何でしょうか?」
「呼び捨てでいいから」
「主従の関係ははっきりさせるべきだと思います」
「……じゃあ、命令よ。私のことは呼び捨てにしなさい」
主従関係を超えたいからこそ、呼び捨てにしてもらいたい結衣としては、この手は使いたくなかったのだが、グレンに全く受け入れる気がないのでは仕方がない。
「……承知しました」
「それと」
「まだ何か?」
「……戦えるのね?」
結衣はグレンと同じ前線にいた。前線にいて、敵の中に躍り込んで行ったグレンを見ていた。
「何のことですか?」
「惚けないでよ。一人で敵に向かって行ったのを見たのよ」
「人違いではないですか?」
「間違えるはずがない」
「暗闇の中です。絶対とは言えません。ただ仮にそれが自分であったらどうするつもりですか?」
これを尋ねるグレンの視線に厳しさが加わった。
「それは……特に何もしないけど」
実際に結衣に何をしようという考えはない。ただ自分が知った事実を黙っていられなかっただけだ。
「自分ではありませんから、どうでも良いですけど。ですが人に誤解を与えるような言動は止めてください。そうじゃないとばらしますよ?」
とりあえずは、何にも考えていない様子の結衣に、グレンも少し気持ちを緩めて対応することにした。
「何を?」
「覗き癖があることを」
「してないから!」
「それこそ惚けないでください」
「別に嘘だからばらされてもかまわないし」
「……じゃあ、何も言わなければ自分の体を好きにして良いですよ」
「ちょっと、そんな冗談……」
そこで結衣はグレンがパンツ一枚の裸同然である事を思い出す。贅肉を全く感じさせない細い、それでいて力強さを感じさせるグレンの体がすぐ目の前にある。つい結衣はそれをまじまじと見つめてしまった。
「……いや、恥ずかしい」
わざとらしく両手で自分の体を隠してみせるグレン。
「ばっ、馬鹿じゃない」
「ですが、そんなにジロジロと見られては」
「見てないわよ!」
「いや、今も見ていますよね?」
結衣は今も、パンツ一枚のグレンと向かい合っているのだ。見ていないは通用しない。
「……じゃあ服着てよ」
「それはいくら聖女様でも我儘というものです。自分は着替えをしようとここに来て、そのついでに、すこしさっぱりしようと体を拭っていたのです」
「知ってるから。だから、タオル持ってきてあげたのよ」
「なるほど。つまり、聖女様は自分が服を脱いで、裸になり、体を拭いているところをじっと見ていたと言うのですね?」
「…………」
実際にグレンの言う通りだった。自分が何をしていたかに気付いて、今更ながら結衣は恥ずかしさを感じている。
「世間ではそれを覗きと」
「たまたまよ! 休もうと思って来たら、たまたま見えたの」
「まあ、良いでしょう。内緒にしておいてあげます」
内緒にするということは、覗きをしていたことを事実とすることだ。
「……この男は」
「もう休まれてはいかがですか?」
「そうだけど。あっ、服洗ってあげようか?」
「それは不要です」
そう言いながら、さりげなくグレンは結衣の視線を遮る形で桶の前に立つ。だが、当然、完全に隠せるはずもなく。
「……ねえ、その水って」
真っ赤に染まっている水。この意味を結衣は理解出来ていない。返り血なんて頭に浮かぶことはなく、ただ何だろうと疑問に思っていた。
「えっ? 水ですか? あっ!」
グレンの足に蹴られた桶は簡単にひっくり返って、中のものを地面に吐き出した。
「ちょっと!?」
「ああ。服が泥だらけです。せっかく洗っていたのに」
「わざとでしょ?」
「何がですか? 仕方ない。又、水を汲んできます」
桶を持って、その場を去ろうとするグレン。二三歩進んだ所で、その足が止まった。
「……まだ体拭きますけど、覗かないでください」
「覗かないわよ!」
◆◆◆
結果として、盗賊征伐任務は夜襲の迎撃だけで終わった。
態勢を整えなおして、盗賊のアジトに向った大隊が見たのは、すっかり焼け落ちてしまっている盗賊のアジトだった。
回収出来たものは何もない。つまり、策謀の証拠となるものも何も見つけられなかった。
捕らえた者達も詳しい事は何も知らず、ただ討伐軍が来るから、それを迎え撃ったという認識しかなかった。
真相は闇のまま。任務を終えて、大隊は王都に帰還した。
策謀の意図がどちらにあったかは分からないが、結果として勇者である健太郎の評価は大いに上がった。盗賊討伐任務としては異例の国王やお歴々が参加しての戦況報告会が行われ、その席で、健太郎は国王からその働きを褒められることになる。
グレンはというと、勇者付騎士として、戦況報告の場に立ち会ったものの、何事もなく、ただ隅っこで立っているだけで終わった。
戦況報告にはグレンのグの字もないのだから、当然だ。
バレル千人将は約束通りにグレンの働きを完全に抹消していた。
健太郎にとって、緊張を強いられるその場が終わると、その日の夜には、ささやかながら、お祝い会が開かれた。
主催はメアリー王女。参加者は健太郎と結衣、そしてグレン、四人だけのお祝い会だ。
「ケンは大活躍ね。倒した敵は百を超えたのよね?」
「そんなに倒したかな? 正直覚えていない。そういう点ではまだまだ。もっと落ち着いて戦えるようにならないと」
健太郎の活躍を褒め称えるメアリー王女。それにあいまいな返答を返す健太郎。そして、そんな健太郎の言葉を聞く度に、結衣はちらちらとグレンに視線を向ける。
そのグレンはと言うと、会話に参加すること無く、食事に向き合っていた。
「ユイ、どうしたの? 落ち着かないわね?」
「あっ、何でもないです」
「グレンがどうかしたの?」
メアリー王女の言葉に三人の視線がグレンに向く。だが、そのグレンは、空になった目の前の皿を見て満足そうに笑みを浮かべると、三人の視線を無視して後ろを振り返った。
「良いですね。見事な所作です」
そのグレンに後ろに控えていたミス・コレットのお褒めの言葉が下される。
「よし」
ミス・コレットからの初めての褒め言葉にグレンは嬉しそうだ。
「でも、会話を無視するのはいけません。会話を楽しむのも食事のマナーの一つですよ」
「……はい」
がっくりと頭を垂れて、正面に向き直るグレン。頭を上げたところで、ようやく三人が自分を見ている事に気が付いて口を開いた。
「何か?」
「グレン、貴方って興味がないことには本当に興味がないのね?」
「それが普通ではないですか?」
メアリー王女の問いの意味が分からなくて、グレンは怪訝そうな顔をしている。
「興味がなくても、興味がある振りをするものよ。今日の報告会だって、あれはねえ」
「あれ? 何かあったの?」
報告会で何かあった覚えは健太郎にはない。
「それがね。グレンったら、報告なんてそっちのけで、キョロキョロと辺りを見渡してばかりで」
「ああ、聞いているだけだと退屈だよな」
健太郎にとっても、緊張はあっても退屈な時間だったのだ。
「それだけじゃないわ。終いには周りに気づかれないように少しずつ、足をずらして移動していくのよ。入り口の横にいたのに、最後は反対側の端まで。見ていて冷々したわ」
「メアリー様はずっとそれを見ていたのですか?」
楽しそうに話すメアリー王女に結衣が尋ねる。気づかれないように移動している。それを気付いたメアリー王女を不思議に思ったのだ。
「……えっと。ごめんなさい。私もグレンのことを言えないわね。正直、戦況報告は聞いていても退屈で、それよりも悪戯っ子みたいなグレンの動きが面白くて」
「ああ、そうですよね。戦闘の話なんて聞いても」
「そうよ。でも、グレン、私だから良いけど、他の人に気づかれたら怒られるわよ」
「申し訳ありません。普段は見れないお歴々が揃っていたので、せっかくだからお顔を拝見しようと思いまして」
「そう。それであんなことを」
「ただ顔を見ただけでは誰か分からなくて。トルーマン元帥閣下の隣にいた方は誰ですか?」
「フィリップ・ゴードン大将軍ね」
ゴードン大将軍は軍部の序列二位。トルーマン元帥のように表に出てくることがない為に、グレンは顔を知らなかった。トルーマン元帥も本来はグレンには雲の上の存在で、顔を知るような人物ではない。
「ああ、あの方が。では、その四つ隣の方は?」
「その間の将軍は良いの?」
「軍の序列通りに並んでいたのだと思っているのですが?」
「そうよ。ああ、それで分かるのね」
「はい。二番目が大将軍であれば、その隣は国軍の第一軍から第三軍の将軍たちが並んでいる。でも、その隣が分からなくて」
「ドミニク・ハドスン将軍ね」
「ドミニク・ハドスン将軍ですね……覚えました」
「文官は良いの?」
報告会には文官の重臣も参列していた。グレンには将軍たちよりも顔を見る機会がない存在たちだ。
「接する機会はないと思いますので。それに文官の方たちは覚えている名前の数と出席者の数が一致していました。文官の方々も序列通りであれば、まあ分かります」
「……文官の名も覚えているの?」
「お歴々が参加すると聞いたので、詰め込みました。それもあって、意地でも顔を見ようと」
「そう。じゃあ、全員の顔と名が一致しているってことじゃない」
「いえ。将軍の方で参加していない方がいますから」
「ああ、そうね。辺境将軍はいないわね」
「辺境将軍? そういう将軍が居るんだ」
グレンとメアリー王女の会話に健太郎が割り込んできた。辺境将軍という存在を健太郎は知らなかったのだ。
「勇者様、そこは覚えておかないと」
その事実をすかさずグレンが嗜める。
「ケン。そう呼ぶ約束だろ?」
「お約束はケン様ですね」
粘り強い交渉の結果、呼び捨てについては何とか回避したグレンだった。
「呼び捨てで良いのに。グレンはそういうところ固いよな。それで辺境将軍って?」
「言葉通り、辺境軍を指揮されている将軍です。ちなみに辺境軍は東西南北の四師団で、東であれば東方辺境師団。辺境将軍は師団長となります」
「……会うことあるかな?」
辺境と聞いて、自分とは関係ない話だと健太郎は思っている。
「必ず」
「えっ、そうなの?」
「辺境というのは国境です。国境を守っている将軍たちです」
「だから?」
自分の立場を健太郎は理解していない。悪を倒す正義の味方だと思っている為に、侵略戦争に自分がかかわるという考えが浮かばないのだ。
「……会う会わないは関係なく、軽く見ることだけは決してしないでください。国境を守っているということは、もっとも戦争を多く経験されている将軍ということですから、王国でもっとも優れた将軍たちです」
「それって、もしかして国軍三軍の将軍より上って言っているの?」
「はい。そう言っています」
断言しているが、これはグレンの個人的な考えだ。軍部ではこうは評価していない。
「格は三軍が上じゃないの?」
「辺境軍は組織上は地方軍ですから、そうなります」
「でも他国と戦っている」
地方軍は国内治安、国軍が対外戦という知識は健太郎にもあった。
「守る為にです。地方軍は国内を守る軍。そして国軍三軍は攻める為の軍。他国への遠征軍です」
「そういうことか」
「だから、知っておきましょうよ。これくらいは。自分はちゃんと軍に興味を持っていると示すことが大切なのです」
「それって、あれ? 妬まれないように?」
「あっ、それは」
健太郎の答えを聞いてグレンは顔をしかめている。
「どういう事!?」
こうやってメアリー王女が反応することが分かっていたからだ。
「えっと、僕のことを妬んでいる人がいるみたいで」
「誰よ!?」
「それは知らない」「さっき自分が名前を聞いた将軍です」
「「「えっ!?」」」
健太郎の言葉に重なったグレンの答えに全員が驚いている。
「話すつもりはなかったのですけど、王女殿下に知られてしまっては。変に探られると却って刺激しますのでお伝えしておきます」
「……どうして知っているの?」
「戦況報告会で探りました。ケン様の活躍を苦々しく聞いている人は居ないかと思って見ていたら、まあ隠すことなく顔に出していました。もちろん、内心を隠している人も居たと思うので、それで全てとは言えません」
そうでなくても薄々はグレンは感づいていた。ちょっとした裏付け程度のつもりで、健太郎への感情を確かめてみただけだ。
「貴方って、本当に油断も隙もないわね。遊んでいるのだと思っていたら、そんな事をしていたなんて」
「ケン様に近づく危険は自分の危険でもありますから。調べられることは調べておかないと」
「それでどうするつもり?」
「何も。自分に何か出来る力はありません」
仮にグレンに力があったとしても、別のことに使うだろう。
「じゃあ、私が」
「勝てますか?」
「えっ?」
「何かするとは権力闘争をするということです。王女殿下は確実に勝てますか? 将軍の後ろに更に誰かいる可能性もありますが」
実際にどうかは分からない。ただ最悪の場合を考えておくのがグレンのやり方だ。
「それって……絶対とは言えないわ」
王女だからといって強い権限があるわけではない。王女で出来ることなど限られている。
「では止めて下さい」
「でも、放っておいたら」
「勝ち続ければ良いのです。元々、ケン様は勇者として勝ち続けなければなりません。やることは変わりません」
「……ケン?」
グレンは自信あり気に言い放つが、実際に勝ち続けなければならないのは健太郎だ。
「先に聞いてる。そして僕も納得した。僕は勇者。勝つしか無い」
「そう。それでグレンは?」
「自分は勇者付騎士です。主の為に出来ることをするだけです」
「分かったわ。私は何もしない。でも、何か出来る事があったら遠慮なく言ってきなさい」
「メアリー様、それは軽々しく言わないほうが」
ここで結衣が口を挟んできた。
「どうして?」
「このグレンって男は使えるものは何でも使います。そして使う時に遠慮はしない。酷い目にあいますよ」
「ユイ様、余計な事を言うと……」
「……ごめんなさい」
グレンに冷たい視線を向けられただけで結衣は小さくなってしまった。
「貴方たちの関係って……」
グレンと結衣の関係の一端を覗き見たメアリー王女だった。