様々な可能性を考えてみる。だがこれといった答えが出てこない。何かが足りていない。それは分かっている。何か見落としていることがあるのではないか。そう考えて、始めから思い返してみる。
彼女に何があったのか。彼女は何を言っていた。その中に答えが必ずあると信じて。
「……何を考えているのですか?」
その思考を邪魔する問いは先生からのものだ。
「ちょっと」
「隠しても分かりますよ。あのエルフのことでしょう?」
「分かってるなら聞くなよ」
分かっているから邪魔しているのだ。そうであることをヒューガもまた分かっている。
「なんだか上手くいっているようですね?」
「まあ、順調かな。前みたいに揉めることもない」
「関係が深まったということですね? 二人の距離が縮まった。心の距離がね」
嫌味たっぷりの言葉。クラウディアのことになると先生は感情的になる。
「……絡むなよ」
「絡みたくもなりますよ。姫を蔑ろにして別の女のことばかりを考えている」
「蔑ろにはしてない。エアルにはディアのことはきちんと話してある」
それが出来るようになったことが、二人の距離が以前よりも縮まった証。先生にとって良い情報ではない。
「だからと言って姫が認めるとは限りませんよ?」
「……分かってるよ。ていうか今更、何を絡んできてるんだ? しばらく何も言わないから先生もてっきり認めたのかと思ってた」
「認めるわけがないでしょ? 私は姫が誰よりも大事ですからね」
「じゃあ、何で黙ってたんだよ?」
「死ぬと思っていたからですよ。どうせあのエルフは死ぬ。そうであれば姫の脅威にはなりません」
彼女が死ぬ前にヒューガとクラウディアが再会することはない。エアルが二人の関係を阻害する可能性はないと先生は考えていたのだ。
「……別に今でも脅威にはなってない。ディアを一番大切に思う気持ちに変わりはないからな」
「そうだと良いですけどね?」
「そうだよ」
「では何を考えているのですか?」
「エアルをどうすれば助けられるか。エアルは生きたがってる。言葉にはしないけどな。それが分かったからには死なせない方法を見つけなければならない」
何か方法があるはずだとヒューガは考えている。だが、それ以前に何故、エアルが今のような状態になったのかを解明することが先。それが分かってこそ、解決策を考えられるのだ。
「助けるつもりですか?」
「当たり前だ。目の前に死にそうな人がいるのに放っておけるはずがない」
「それは自分の女だからでしょ?」
「仮に先生だとしても同じだ」
これは本心。ヒューガにとって信頼出来る相手は少ない。だからこそ、その限られた相手は大切にしようとする。
「私にそんな趣味はありません」
「……そういう意味じゃないから」
「まあ、いいでしょう」
「いいのか?」
これまでのしつこさから考えると、やけにあっさりした引き方。先生が納得するような話があったとは思えない。
「常にこうしておけば、姫を忘れることはないでしょう?」
「……こうされなくても忘れないから」
あっさり引いたのではない。より長い期間をかけて、しつこく言われ続けるだけだった。
「だと良いですがね? それで、何か分かりましたか?」
「考え始めたばかりだ。まずは原因が何かを考えている。可能性はすぐに見つかった。でも確証が持てない。ヒントはどこかにあるはずなんだ。エアルの身に起こったこと。エアルが話したこと。その中のどこかに」
「はあ、なんでそうやって何でも一人でやろうとするのですかね?」
「どういう意味だよ?」
「いいですか? もう一人同じ経験をした者がいます。その二人に共通する何かを考えたほうが全部一から考えるより早いでしょ」
「分かってる。ハンゾウさんだろ?」
ハンゾウのケースについてはヒューガも当然考えていた。だが先生が言っているのはそういうことではない。自分一人で抱えないで周りに相談しろと言っているのだ。
「私で役に立つのであれば何でも聞いてくれ」
自分が役に立つと知って、ハンゾウが声を掛けてきた。
「辛いことを思い出させることになる」
「まさか、それを気にしていたのか?」
「……それも少しある」
ハンゾウの問いに少し照れた様子で答えるヒューガ。つまり、そういうことなのだ。
「ヒューガ殿、もう少し我等を信頼してもらいたい。こうして一つ所で生活しているのだ。そんな遠慮は却って失礼ですぞ」
「……悪い。じゃあ遠慮なく。二人の共通の出来事は奴隷にされたこと」
「……そうですな」
ヒューガの話を聞いた途端にハンゾウさんの顔が曇る。思い出したくない気持ちがあるのは隠せなかった。
「やっぱり止めとく?」
「いえ、大丈夫です。隷属の首輪の影響が一番に考えられますな」
「ああ、でもどうだろ? 隷属の首輪をつけてしばらく経つと皆死ぬ。そんな事実あるのか?」
「それはありませんね。少なくとも人族では長生きした者はいますね。エルフは、さすがに詳しい事例を知りません」
先生もまた自分の知識を話してくる。クラウディアの話は、全てではないがきっかけ作りで、こうして皆で話し合う場を作る為にヒューガの考え事を邪魔したのだ。
「エルフだけが特別な可能性か。人族とエルフの違い。エルフのほうが長命。これは関係ない。やっぱり精霊だな」
「最初にそれを考えるべきでしょ?」
「それに囚われて他のことを見逃したくない。だから一番可能性の低そうなのから考えてた」
「はあ……頭が良いのか悪いのか。それで後は?」
「思いつかない」
「じゃあそれしかありませんね?」
「決めつけて大丈夫かな?」
解決策を考えるのにどれだけ時間がかかるか分からない。誤った方向での思考に長く時間を使うことをヒューガは恐れている。普通の人とはやや異なる考え方だ。
「時間がないのでしょう? 可能性の高いものから潰していくべきです」
これが普通の考え方だろう。
「……精霊が狂った。この可能性はある」
今は全員で考える時間。ヒューガも先生に従うことにした。
「それはないと思うな。リースは私には精霊はいないと言っていた」
「エアルも見放されたと言っていた」
「なんですか。回答を得ているじゃないですか。それですよ。エルフの力の源たる精霊がいない」
「でもな、それが原因だとしてどうすれば良いんだ?」
その可能性はヒューガも考えた。だが問題はどうすれば解決するか。精霊が離れたのは結果であり、そうなった根本原因が分からなければどうにもならないのだ。
「精霊と契約を結べば良いのでしょう?」
「でもエアルの呼びかけに精霊は応えなかった。そうだよな?」
「確かに、だからこそ我等は……どっちにしても同じでしたな。結界が見つかったと言って無事でいられたわけではない」
「それは別の話。なんで精霊は応えないんだろう?」
これが分からない限り、解決策は見つからない。
「それこそルナちゃんに聞けばいいでしょ?」
「聞いたよ。でもルナが分からないって言うんだ。精霊のことをルナが分からないなんて、ちょっと理解出来ない」
「だから精霊以外の可能性を探っていたのですね?」
「意味なく無駄なことをする趣味は僕にはない」
ルナは見た目は子供だが、すごく博識だ。精霊は記憶を共有できる。そのおかげだろうとヒューガは考えている。結んだばかりのルナはそれほどではなかったのだが、それだけ記憶を共有出来る相手、ルナが増えたということだ。
そのルナが分からないと言っているのだ。精霊に関係ないのではないかと疑いたくもなる。
「ふむ……カルポくん。ゲノムスくんに聞いてみましたか?」
「はい。でもゲノムスも同じ答えです。分からないと」
「なるほど。これは思った以上に難しい問題ですね?」
知恵を出し合えばそれでなんとか出来るような問題ではない。先生は自分の考えが甘かったこと知った。
「簡単だったらとっくに手を打ってる」
「もう手はない?」
「いや、ひとつある」
「何故それをしようとしないのです? ヒューガくんらしくありませんね?」
可能性があるのであれば、それを行うのがヒューガだ。先生はそう認識している。
「簡単には出来ない。エルフのことはやっぱりエルフに聞くのが一番。そして一番詳しそうなエルフは都にいる」
「なるほど。敵地に乗り込むわけですね?」
「まだ敵認定はしてない」
「まだと言うことは、いずれは?」
「……揚げ足とるな。望んで敵を作る趣味も僕にはない」
エルフの側が一方的に敵視しているのだ、とヒューガは考えているが。
「とてもそうは思えませんね。ヒューガくんはある種の人間については、全て敵に回しそうです」
「……それは否定できない」
どうにも相性の悪い相手というのがヒューガにはいる。そのつもりはなくても怒らせてしまう、そこまでいかなくても不快に感じさせてしまう相手だ。たとえば勇者がその一人だ。
「まあそれはいいですね。結局のところ、答えはエルフの都にあるということですね?」
「その可能性はある」
可能性があるだけで絶対ではない。長老たちよりもルナたちのほうが大森林について多くの知識を持っている。ヒューガはそう考えている。精霊であるルナたちが多くの精霊たちが住まう大森林のことを良く知っているのは当然だ。それでもわずかな可能性にヒューガは期待しているのだ。
「それで駄目だったら?」
「また解決策を探す」
「諦めないのですね?」
「当たり前だ。ぎりぎりまで足掻いてみせるさ」
「でもルナちゃんがねぇ……本当に分からないのですか?」
精霊であるルナたちが精霊について知らないという。先生もそれは異常なことと思い始めている。
「ルナが嘘をついてるって? それはあり得ないな」
「怒らしたとか?」
「それも……否定できないな」
エアルの件でルナたちが不機嫌になっているのをヒューガは知っている。
「おやおや、ルナちゃんもいつの間にか大人になったのですね? さてはヤキモチですか?」
「話をややこしくするな」
「さて、冗談はこれくらいにしてヒューガくん。貴方はもっと人に頼ることを覚えるべきです。人に遠慮ばかりしていないでね。エルフの都にすぐに乗り込まないのも大方、長老たちですか、彼らに迷惑をかけるなんて考えてるのでしょ?」
「…………」
図星。ここまで自分の心情を見抜かれるとヒューガは思っていなかった。そう思うこと自体、彼が人と距離を置こうとしている証だ。
「いいですか? 今ここにいる全員がヒューガくんの為に何かしたいと真剣に思っているのですよ。たまにはそれに甘えてみなさい」
先生の言葉にハンゾウを始めとして全員がヒューガのほうを見て、頷いている。その気持ちは嬉しい。だが、この件については人族であるハンゾウたちは役に立たないだろうとヒューガは思っている。それが分かっていて頼ることが申し訳ないのだ。
「ありがとう。でも」
(大変!)
突然、ルナの絶叫といっていいような叫び声がヒューガの頭に響いた。
「なんだ!?」
こんなことは初めてだ。よほどのことが起こったのだとヒューガは考えた。
(エアルが)
「エアルがどうした?」
(結界を出た)
「何だって!? 何でそんな真似を!?」
まったく予想していなかった事態。それにヒューガは大いに焦っている。
(詳しい説明は後、急いで!)
「分かった」
慌てて部屋の外に飛び出すヒューガ。後ろから先生の問いかける声が聞こえたが、今は説明している暇はない。エアルを見つけ、連れ戻すのが先だ。
ただ、それだけで頭が一杯だった。そして何も考えずにヒューガは結界の外に飛び出していった。
◆◆◆
エアルが部屋の外に出るのは初めてのこと。ヒューガ以外の男性に、自分の醜い姿を見られたくなかったのだ。自分が蔑まれるのは良い。だがヒューガまで蔑まれるのは嫌だった。実際にはこの場所にそんな人はいないのだが、エアルにはそれが分からない。
こんな姿の自分を抱いているヒューガが馬鹿な男だと思われたくない。考え過ぎかもしれない。そんな思いもあるが、それこそが間違いであった場合にことを考えると思い切った行動は出来なかった。
だがもうそんな心配をする必要はない。エアルは死のうとしているのだ。
ヒューガとの約束を破るのは申し訳ないと思っている。だがそれよりもエアルはヒューガに忘れられたくなかった。自分が死ねばヒューガは悲しんでくれる。今はもうそれに確信を持ってる。一番ではなくても、ヒューガは自分を大切に思ってくれている。そう思える。
だがいつかはヒューガも自分のことを忘れて、本当に大切な人と幸せに暮らすことになる。それがどうしても嫌だった。醜い考えだと分かっていても、受け入れられなかった。
どうすればヒューガにずっと覚えていてもらえるのか。ずっと考えて出した結論がこの行動だ。
自分が死んだことをヒューガに認めさせないこと。行方不明という結果になれば、死んだとは分かっていてもヒューガはそれを認めないでいてくれる。そう考えたのだ。
自分は最悪だとエアルは思う。最後の最後、死んだあとまでヒューガを困らせようとしている。
許してくれなくても良い。ただ忘れないでいてくれたら。それだけが今のエアルの願い。
(早く私の目の前に現れて。そして出来る事なら骨も残さずに私を消し去って。私が死んだという証拠を残さないように)
まだ姿を現さない魔獣に願う。
すでに歩くだけで辛い。少しでも拠点から離れようと頑張ってきたが、そろそろ限界が来ている。魔獣に襲われる以前に自分は死んでしまうかもしれない。そう思い始めた。
それでも良い。死んだ後に魔獣が自分を消し去ってくれるのであれば、痛い思いをしなくて済む。そう思ったところで、痛みを恐れるのは死を覚悟した人の考えではないとエアルは思った。覚悟を決めようと思った。
すでにエアルの体は限界。木の根元に寄りかかるようにして座り、じっとあたりの様子に耳を澄ます。
ドュンケルハイト大森林。全てのエルフの故郷。ふと、ここで死ねることは幸せなのかもしれないと思った。結局、自分の人生は幸せだったのかと。
心から愛する人に出会い、その人に愛され、そしてエルフの故郷で死ねる。エルフの体は死して、土に帰り、そこから新たな精霊が生まれる。
エルフに伝わるおとぎ話だ。許されるのであればそうあって欲しいとエアルは思う。そうなれば精霊としてヒューガの下に行ける。
彼女は許してくれるだろうか。ヒューガの想い人にそっくりな精霊ルナ。可愛い娘。あれがヒューガの想い人。エアルの意識が混濁し始めている。
自分とは異なる、とても愛らしい女の子。ヒューガに相応しいと思える人。エアルの目の前にいくつもの光が見える。
それは魔獣の目。獲物を狙う獰猛な目。ようやくその時がやってきた。エアルはそう思った。さようならと声にならない声で呟く――
「ふざけるな!」
魔獣の目の光の前に立ちふさがるようにヒューガが立っている。それは一瞬のこと。たちまちヒューガに殺到する魔獣の目の光。ヒューガはそれを避けるように動き回っている。
「……何しているのよ!? ここがどこだか分かっているの!?」
「当たり前だろ!? 文句を言う元気があるなら、とっとと逃げろ!」
「逃げるのは貴方でしょ! 言ってたじゃない! 自分ではまだここの魔獣には勝てないって!」
「知るか! そんなこと! とにかくお前は死なせない! その為なら俺は何だってやって見せる!」
エアルの耳にヒューガの声だけが聞こえてくる。
動き回る気配。魔獣の目の光が集まっている場所。恐らくそこにヒューガがいる。光の数はとても数えられない。
「馬鹿! 貴方の命は大切な人の為にあるのよ! それをこんなことで危険にさらすなんて……」
「お前もその大切な一人だ! いいから、早く逃げろ! つぅっ……」
「ちょっと……? まさか怪我しているの!?」
「かすり傷だ!」
「嘘よ!」
ヒューガが戦っている様子はもうエアルには見えない。だがかすり傷程度でうめき声をあげるはずがない。
「ルナ! とにかく魔獣をエアルに近づけるな!」
「ヒューガは!? ヒューガのほうが危険!」
「僕はまだ大丈夫! 思ったよりも戦える!」
「でも!?」
「いいから! とにかくエアルを拠点に転移させろ! その後に僕を拾ってくれればいい!」
「時間がかかる! ここにはまだ張ってない!」
「張ってない!? なんだか分からないけど少し無理してでも頼む!」
今は緊急事態。ルナに無理をしてもらうことをヒューガは覚悟した。
「分かった! エアル行くよ!」
ヒューガの指示に従いエアルを転移させようとしたルナたちだったが。
「ちょっと待って! ヒューガは大丈夫なの!?」
「…………」
「ルナ! 答えて! 貴方にとって大切なのは誰!? ヒューガでしょ!?」
「ヒューガが望んでる」
ルナたちにとってはヒューガが一番大事。だからといってヒューガの意思を完全に無視するわけにもいかない。それをした結果、ヒューガが辛い思いをすることが分かっている場合は。
「だからって!」
「エアル、いいから急げ! ぐずぐずされているほうが迷惑だ! ちっきしょう! 強すぎるんだよ、お前らは!」
「嫌! ルナ、お願い! ヒューガを助けて!」
「大人しくして! 転移できない!」
ルナも焦っているのだ。速やかにエアルを転移させて、ヒューガを助けようと考えているのだが、動揺しているエアルがそれを許してくれない。
「助けて! ヒューガを助けて! お願い! 誰か! 私の命を全てあげるからぁぁぁ……」
「エアル!?」
「ルナ! 何が起こった!?」
ルナの声に異常を感じたヒューガ。
「エアルが倒れた!」
「好都合だ! 今のうちに運べ!」
「邪魔する奴がいる!」
「何だって!? かまわないから蹴散らせ!」
「…………」
「ルナ! どうした!?」
エアルは完全に気を失ったわけではない。二人の会話は耳に届いている。届いていてもエアルには何をする力もない。その事実がエアルの胸を締めつける。ヒューガを助けたい。自分の命を捨ててでも助けたいのだ。
(それはもう聞いた)
頭の中に響く声。懐かしい感覚。それが精霊の声であることはエアルにも分かっている。
(……誰?)
(久しぶり、かな?)
(貴方たちは……私を見放したのじゃなかったの?)
声の主はエアルが結んでいた精霊の声だった。何故、今その精霊が側にいてくれるのか。
(違う。エアルが遠ざけた)
(私が? そんなつもりはなかったのだけど……ごめんなさい)
(大丈夫。理由は知ってる)
(理由って?)
(エアルは見られたくなかった)
(……思い出したわ)
エアルは思い出した。精霊たちが自分を見放したのではなく、自分がお願いしたことを。恥辱にまみれる自分の姿を見られたくなかったから。大切な精霊たちに醜い世の中を見せたくなかったから。
(探した)
(そうなの?)
(大森林は私たちには大変)
(そうね。見知らぬ土地だものね?)
(そう)
エアルの精霊たちは大森林の生まれではない。エアルの精霊たちにとって大森林は見知らぬ、場合によっては危険な場所なのだ。
(ごめんなさい。せっかく会えたのだけど、今はこんな話をしている場合じゃないの)
(分かってる。何をすれば良い?)
(助けてくれるの? もしそうならヒューガを助けて。ヒューガを襲う魔獣をなんとかして欲しいの)
(……強いよ)
元の力を持っていてもエアルには目の前の魔獣を倒せない。それは彼女の精霊たちにも倒せないということ。そうであっても、精霊たちに申し訳ない気持ちがあってもエアルはそれを望まないではいられない。
(私の力の全てを使っていいわ。足りなければ命を奪ってもいい、だからお願い)
(……やってみる)
その瞬間、エアルは全身からごっそり何かが抜けていく感覚を覚えた。それとともに遠くなっていく意識。ヒューガの声が遠くに聞こえる。
「なんだ、これ!? 火が舞ってる! ルナか!?」
「違う! でも味方だと思う!」
「とりあえず時間は稼げる! 今のうちにエアルを!」
「わかった!」
魔獣たちが火に惑わされている間にエアルを転移させる。そうしようと思ったルナたちだが、そこでまた邪魔が入る。
「今の内じゃありません! 何をしてるのです!? ヒューガくん、貴方は馬鹿ですか!?」
「またそれか!」
遠くに聞こえる新たな声。それが誰の声かエアルには分からない。誰でも良い。ヒューガを助けてくれるのであれば、そう思いながらエアルは気を失った。
◆◆◆
――顔にあたる日差しが眩しい。目を開けるとそこは見慣れた部屋で、エアルはベッドの上に寝ていた。
「生きてる?」
まずその事実に驚いた。
「起きた?」
枕元にはルナが立っていた。
「ヒューガは!? ヒューガは無事なの!?」
そのルナにエアルは焦った様子でヒューガの無事を確かめる。
「うん。ヒューガは元気」
「そう……どこにいるのかしら?」
無事であることに喜び、側にいてくれなかったことには少しがっかりした。
だがルナがいる。ルナを自分の側に置いておいてくれているということは気に掛けてくれている証。そう考えて自分を慰める。
「ヒューガは出入り禁止。今日も先生に怒られてる」
「えっ?」
出入り禁止の意味がエアルには分からない。分かるのはきっとそれは自分のせいだということ。
「そのうち来るよ」
「そう……私はどれくらい寝ていたのかしら?」
「二つ日が昇る間」
「そんなに……」
「この子たち、エアルの精霊?」
ルナの言葉でエアルは自分の周りを赤く光る玉がくるくると回っていることに気が付いた。その存在には気が付いていた。ただ目に見える形でいることを知っただけだ。
(ありがとう)
(……う、うん)
エアルの精霊の様子が少しおかしい。怯えているようにエアルは感じた。
「小っちゃいね?」
「……そうね。ルナに比べれば」
「名前を付けてあげれば良いのに」
精霊たちはルナのその言葉に反応して、より激しく動き出した。それを見てエアルは、精霊たちはルナに怯えているのだと知った。
「……怖い子ね。ルナは私がおかしくなってもかまわない?」
「ルナたちにとって一番はヒューガ。ディアが二番。エアルはその次。皆と一緒」
「そう」
これはヒューガの気持ちをそのまま反映している。エアルはそう考えた。
「あっ、ゲノムスのほうが少し上かな?」
「ゲノムス?」
「カルポの精霊」
「……私はそのゲノムスよりも下なの?」
精霊よりも格下にされた。エアルが精霊を下に見ているということではなく、ヒューガが大切にしている順番がそうであることがショックなのだ。
ただこれは勘違い。ルナは自分にとっての順番を話しているのだ。
「ゲノムスは私の言うことを聞いてくれるから」
「……本当に怖い子ね。他の人の精霊にまで言う事を聞かせているの?」
「ゲノムスは優しいから」
「あらそうなの? もしかして私の精霊たちもそうなるのかしら?」
自分の精霊もルナと仲良く、という表現が適切なのかエアルには分からないが、なるのか尋ねてみた。
「分からない。うまく話できないから」
「そうなの?」
精霊同士でも会話が出来ないことがある。エアルはこれを初めて知った。
「でも名を持てばきっと話せるようになる。ここで仲間を増やせばもっと話が出来る」
「……大森林の精霊とも私は結べるのね? その為に名をつけろと」
「そう」
ルナが名前をつけるように薦めてくる理由が分かった。そして言葉にした通り、エアルはルナが少し恐ろしくなった。
ヒューガの意思とは関係なしにルナは彼の為に動いている。そんな精霊がいるのか。ルナが特別な存在であることは間違いない。それが名を持つからだとすれば。
ルナが大切なのはヒューガ。それはエアルと同じ。ルナと自分の目的は同じはずだとエアルは考えた。
「良いわよ。名をつけることにするわ」
「ヒューガに頼めば平気。ヒューガは得意だから」
「そうね。ヒューガに良い名前を考えてもらいましょう」
(エアル?)
(大丈夫よ。ヒューガは私が信頼している人。私の全て……あっ、皆のことも大事に思っているから。本当よ)
(それは分かる)
言葉にしなくても、わざわざ頭に浮かべなくてもそれは分かる。結ばれるというのはそうことだ。
(じゃあ、ヒューガに任せておけば平気)
「もうすぐヒューガが来るよ」
エアルが精霊たちを説得したと同時に、まるでそれを待っていたかのようにルナがヒューガの到来を告げてきた。
「そう……あの、ルナ?」
「何?」
「私、変じゃない? 外を歩いた時にあっちこっち擦りむいたと思うの。顔も少し痛かったわ。私の顔、傷だらけじゃない?」
ヒューガが来る。そう思った途端にエアルは自分の身なりが気になり始めた。何を今更と自分でも思う。ヒューガは自分の外見など気にしないと分かっているのに。
「平気。エアルは綺麗だよ」
「……ルナはお世辞まで覚えたのね?」
「……本当なのに」
廊下を走る足音が聞こえる。ルナに聞かなくてもエアルには分かる。あれはヒューガの足音。少し乱れた様子は慌てているから。急がなくてもエアルはどこにも行かないというのに。
自分はもうヒューガの側を離れない。エアルはそう決めているというのに。