月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #23 古巣

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 久しぶりに訪れた国軍調練場。グレンはじっと三一○一○中隊の調練の様子を眺めていた。行なわれているのは中隊を半分に分けての実戦形式の演習だ。きれいに隊列を組んで、ぶつかり合う二つの部隊。剣を振るタイミングも合っていた。
 そこからは押し合いが続く。それでも最前列が大きく隊列を乱さないように気を付けているのが、離れた場所からでも分かった。

「いかがですか?」

 問い掛けてきたのはグレンの後任の中隊長となったボリスだ。

「良いですね。見事に統制が取れています」

「そうですか」

 グレンの言葉にボリス中隊長はほっと胸をなで下ろす。中隊を離れた後も、ボリス中隊長の中では、グレンを上司と見る気持ちは消えていなかった。
 続いて最前列の交替が行われる。一度、大きく押し込んだところで、素早く最前列の兵たちが後ろに下がる。それと同時にその隊列の間を縫って、後ろに控えていた小隊が前に出てきた。
 入れ替わりも乱れが無い。それを見て、満足そうにグレンも頷いている。

「徹底的に体力訓練と統一行動の訓練をやってきました」

「はい。見事ですね。自分が居た頃とは別部隊のようです」

「ありがとうございます」

 二人のやり取りはまるで視察する上役と見られる側の部下のようだ。実際にそうなのだが。

「少し試しても良いですか?」

「……どうぞ」

「じゃあ、丁度、第十小隊ですので」

 何をするつもりなのか気が気でないボリス中隊長を尻目に、グレンは数歩前に出た。

「カルロ! アイン! 伏せろ!」

 グレンの声に反応して、名前を呼ばれた二人は最前列にも関わらず、その場に伏せた。すかさず、二人の抜けた穴を埋めるように後列にいた兵が前に出る。

「赤! 押し込め!」

 グレンの号令で、その部隊が力押しで前に出ようとする。それを反対側も防ごうとするのだが、急に増した圧力で、わずかに下がってしまった。

「赤! 前列交替! 負傷者確保!」

 続けて出されるグレンの号令。又、最前列が交替する。先ほどと違うのは下がっていく兵たちが、伏せたままのカルロとアインの二人を引きずる様にして、連れて行ったことだ。

「良いですね。正直、ここまでとは思っていませんでした」

 グレンは振り返ってボリス中隊長に笑顔を見せた。

「ありがとうございます。では次の調練に移ってもよろしいでしょうか?」

「はい。ただ、これまでの調練も完全には止めないで下さい。時間の配分を徐々に変えていく形で」

「分かりました」

 試験は合格というところだ。三一○一○中隊の調練はグレンが考えたもの。体力向上はグレンが居た時からだが、それに統一行動を追加した。
 兵士に抜きん出た強者はいない。そして必要ない。一人一人の弱さをお互いに支え合って戦う。こういう考えからだ。
 最初に徹底したのは決して一人で前に出ないこと。自分の目の前の敵を倒しても、その場で次の敵が来るのを待て。敵が来なければ隣の味方の支援をしろ。それも必要なければ休め。上層部が聞いたら怒鳴り込んできそうな指示なのだが、戦功よりも命という考えを中隊全体が共有していて、勝手にそれをやっているのだ。
 この三一○一○中隊の行動は、他の中隊にも影響を与えてきている。
 間近で調練の様子を見ている他の中隊にとって、厳しい調練を続け、見る見る動きが変わっていく三一○一○中隊は注目の的なのだ。
 何人かの中隊長は実際に、ボリス中隊長に調練の意味と方法を聞きに来て、自分の中隊に取り入れている人もいる。
 そして、三一○大隊長であるバレル千人将はというと、グレンの指示であると知って、それを黙認していた。
 凡人であるバレル千人将に優れている点があるとすれば、たとえ目下の者であっても、優れている点は素直に認め、それに任せる度量があることだろう。それが多くの場合、丸投げになってしまうのが欠点なのだが。
 そのバレル千人将ともグレンは会う予定にしている。

「あとこれを。調練を始める前に行う様にして下さい」

「何ですか、これは?」

 グレンが差し出してきた紙を受け取って、ボリス中隊長は問い掛けてきた。書かれているのは、ボリス中隊長にとって何とも意味不明な内容だった。

「ストレッチというそうです」

「分かりません」

「それはそうです。異世界の知識ですから」

「勇者ですか……」

「はい。調練の前に行うと怪我をしづらくなるそうです。関節や筋肉を伸ばすと言っていました。正直良く分かりません。でも、実際にやってみると確かに体が軽くなります」

「そうですか」

「結構時間が掛かるので本当は調練前に個々でやってもらうのが良いのですけどね。そこまで強制は出来ません。しばらく試してみて、効果を実感できるようなら、あとは自主性に任せてください。意味があると思えば、勝手にやってくれるでしょう」

「分かりました」

「あとこれも。これはもう完全にやるかやらないかは個人に任せてください」

 またグレンは紙の束を差し出してくる。

「……これは?」

「柔軟だそうです。ストレッチと何が違うのか自分にも分かりません。関節の可動域がとか言っていました。そもそも可動域というのが分かりませんね」

「はい」

 ちなみに教えた健太郎も分かっていない。グレンに何が違うのかと聞かれて、適当に答えただけだ。

「とにかく長く続けていると体が柔らかくなるそうです。体が柔らかくなると、体を動かすのも楽になるそうで。素早く動けたり、安定したり」

「勇者の強さの秘密ですか?」

「……体は固かったですね」

「はい?」

 グレンの顔には苦笑いが浮かんでいる。

「知識としては知っていても、実際にやるとは限らないようで。勇者ははっきり言って怠け者です。それでも強いから勇者なのでしょう」

「……そうですか」

 その怠け者を頼りに、ウェヌス王国は戦争を行おうとしている。ボリス中隊長の中で不安が膨らんでいった。

「さて自分はそろそろ行きます。バレル千人将との約束の時間がありますから」

「そうですか。次はいつ?」

「……分かりません。思っていたよりもはるかに忙しくて」

「勇者付となると色々とありますか」

「いえ、忙しいのはもっぱら爺と我儘女の相手をすることです。それに子供や雌猫が加わって大変です」

 トルーマン元帥とメアリー王女、そして勇者の二人だ。

「それは……」

「誰かは聞かないでください。公言したら、首をはねられても文句は言えませんから」

「……はい」

 

◆◆◆

 騎士団官舎に戻って、グレンはバレル千人将の執務室に向かう。

「グレンです」

 扉の前で名乗るのは名だけだ。所属もない、準騎士なんて言いたくもないグレンにはこれしかなかった。
 扉が開いて、侍女のサラが顔を出した。勇者付になってからも何度か来ているが、相変わらず複雑な表情を見せている。

「……どうぞ」

 それを気にする事無く、グレンは誘われるままに部屋に入った。

「おお、来たか。どうだ、勇者に愛されているか?」

 バレル千人将の第一声がこれだった。

「……どこで、そんな冗談を」

 バレル千人将の冗談に、どう反応すれば良いのかグレンは分からなかった。

「面白くなかったか?」

「いや、面白くはあります。自分のことでなければという条件付ですけど」

 冗談だと分かっていても、勇者との男色をネタにされては笑えない。

「……そうだな。笑ってくれる者がいなければ意味ないか」

「まあ」

「しかし、つくづく残念だったな」

「何のことでしょう?」

「せっかくなら、聖女付騎士にしてもらえば良かったのに。それだったら望むところだろ?」

 バレル千人将はご機嫌のようで、軽口が止まらない。

「ああいう女性は苦手です」

 ただ、この冗談もグレンには笑えなかった。苦い表情を浮かべている。

「そうなのか? かなりの美形だと思うが。俺だったら大喜びするところだ」

「性格が真面目過ぎて。なんだか融通が利かないところも苦手です」

「ではどんな女性が好みなのだ?」

「……それ説明が必要ですか?」

 自分の女性の好みをバレル千人将に教える理由が、グレンには全くない。

「お前がどんな女性が好きなのかには大変興味がある」

「……気を使わない女性ですね。それと変な駆け引きをしない真っ直ぐな女性」

 少し考えて、グレンは頭に浮かんだ言葉を口にした。

「真っ直ぐ?」

「真正面から好きだとか言われると、正直困ってしまいます」

「……まるで実際にそうされているみたいな言い方だな」

「はい?」

「居るのか?」

「……いえ」

 バレル千人将に指摘されて、ようやくグレンは自分が一人の女性をイメージして、答えていたと気が付いた。気が付いて、軽く驚いている。

「ほお。いるのか」

 バレル千人将は実に嬉しそうな笑みを浮かべている。

「いないと言いました」

「まだこれからか。まあ良い。面白い話が聞けた。さて、お茶が欲しいな。熱いお茶を頼む」

「……はい」

 いつものようにお茶を口実にサラを部屋から追い出すバレル千人将。サラが外に出て行ったところで、グレンの方から口を開いた。

「ありがとうございます」

「何の事だ?」

「……いえ」

 あえて個人付騎士のことを持ちだしてきたバレル千人将の意図をグレンは途中で気が付いた。噂好きな侍女の間で、ありもしない勇者とグレンの男色の話が面白おかしく話されていることはグレンの耳にも入っている。
 サラの前でグレンの女性の影をちらつかせて、その噂を打ち消そうというのだ。
 バレル千人将のこうした心遣いが、グレンは嬉しくて、最初の頃から大きく評価は変わっている。凡人という評価は変わらないが。

「さて本題に入ろう」

「はい」

「槍兵の件だが、やはり難しいな」

 グレンがバレル千人将に進言していたのは槍兵部隊の創設。創設といっても特別に部隊を作るのではなく、歩兵部隊にも槍を持たせようという案だ。

「そうですか。どの点が問題にされているのですか?」

「ひとつは見栄」

「はい?」

 グレンはバレル千人将が、まだ冗談を言っているのかと思ったのだが。

「現在、槍を持つのは騎馬部隊と重装歩兵。いずれも騎士だ。馬に乗るのが、騎士の特権であるように槍もそうだという者がいる」

「たかが槍です」

 本当に見栄が理由だった。グレンには全く理解出来ないものだ。

「重装歩兵にとってはそうではない。彼等は当たり前だが騎乗しない。騎士であることを示すものは槍だという主張だ」

「頑丈な鎧兜は騎士の証になりませんか?」

「武器へのこだわりだな。敵を倒す武器は誇りになっても、身を守る防具は誇りにならない。恥と感じる者までいる」

「……そんな理屈ですか」

 騎士というものはグレンにとって理解しがたいものだ。ただ強くあれば良いと、グレンは思うのだが、その強さを捨ててまで見栄を守ろうとする。

「反対する気持ちは分からなくもない」

「そうなのですか?」

 自分の考えを受け入れてくれるバレル千人将まで、たかが見栄に理解を示したことにグレンは驚いた。

「今の話は建前で本当に問題となっているのは、歩兵が自分たちと同じ活躍をしては、騎士である自分たちの価値が下がるということだ」

「やはり見栄ですね」

「俺も最初はそう思ったが、現実的な問題もあるようだ」

「それは何ですか?」

「騎士は高価だ」

 実に簡単にバレル千人将は理由を説明した。これでグレンには十分だ。

「……同じ働きをするのであれば、高い騎士を減らして、安い兵を増やそうということになる。それへの恐れですか?」

「その通り。騎士側の都合だけだが、実際に死活問題だな。案に賛成しているのは俺のような大隊長、そして反対しているのは部隊を持たない騎士たちだ。それが危機感を明確に示している」

「別に減らす必要はないはずですが?」

 グレンの提案している槍は国軍兵士の部隊を強くする為のもの。騎士が不要と考えているわけではない。

「その理由も金だ。槍を揃えるには金がかかる。その分、どこかを削らなければならない。削るとしたら騎士だと。反対する者はあえてこの話を持ち出してきた。それで一気に大勢は反対に傾いた」

「槍は高いですか……」

 槍のコストについてまではグレンも計算はしていない。だが、そこまで高いとは思っていなかった。

「国軍兵士に行き渡らせるには相当な数を揃えなければならない。それにお前の考えた槍兵の運用方法だと、戦場に槍を捨ててくることになる」

「槍を持ったままでは混戦は戦えませんから」

 歩兵同士のぶつかり合い、対騎馬戦など、グレンは僧兵部隊の運用を提案しているが、ずっと槍で戦い続けるという考えはない。これが問題視されるとは、グレンの予想外だ。

「そこを厳しく突っ込まれた。揃えた槍を一度の戦いで捨てる様な馬鹿げた戦い方はさせられないとな」

「勝てば回収出来ます」

 負ければ、どんな運用をしても武器の多くは戦場に捨てていくことになる。同じことだとグレンは思っている。

「それを言えば、必ず勝てるかと聞いてくる。普段であれば必ず勝つという者がな」

「廃案ですか……」

 理屈ではない。騎士はどうしても認めたくないのだ。

「騎士が判断することだ。自分たちの身を削るような戦法を認めるはずがない」

「そうですか」

「だが、全く無になったわけでもない」

「一部の歩兵に?」

「残念ながら違う。運用方法だけは採用を考えようとする動きがある。歩兵ではなく、騎士がそれをやるということだな。騎士である自分が言うのもあれだが、卑怯な考えだ。戦功の機会は自分たちの手に。そういう事だからな」

 つまりグレンの提案を奪い取って、自分たちの功にしようという考えだ。これは恥と思わないのであるから、騎士の見栄というものが、どれほどいい加減なものであるか分かる。

「……もし、そうなるようでしたら、反対した方が良いと思います」

「何故だ? お前が考えた案が採用されるのだぞ?」

「失敗します」

「そうなのか?」

「個人での武勇を好む騎士に槍兵は出来ません。それぞれが勝手に動いて、望む成果は得られなくなるでしょう」

 グレンの運用は兵士を想定したもので、集団による統一行動が基本となっている。個々の武功に走る騎士には向かないのだ。

「……なるほど」

「だから反対しておくべきです。槍兵を使って失敗した時の責任を負わされない為に」

 提案を上げたのはバレル千人将だ。責任を押し付けられる可能性は高い。

「お前からこんな台詞が出るとは意外だな」

 グレンが他人に対して、冷淡であることを、さすがにバレル千人将も分かっている。自分の身を思いやるような助言は意外だった。

「自分の意見を素直に聞いて頂ける方は貴重ですから」

「なるほど。自分の為でもあるか。分かった。そうしよう」

「それがよろしいかと」

「一つ疑問がある。何故、閣下に提案しなかった?」

「ああ……」

 グレンにはトルーマン元帥に提案出来る機会がいくらでもある。自分を通じて騎士団に提案するよりは、確実に通るであろう、その方法を取らない理由がバレル千人将には分からなかった。

「閣下もお前の話は聞くだろう。そして閣下からの進言となれば、それは限りなく命令に近いものだ。抵抗する者はいるだろうが、通る確率は相当に高いぞ」

「その分、後々の反発も強くなります。ろくに形になっていない内に実戦に使って、失敗させようと考えるかもしれません。それでなくても妨害はありそうです」

「……そんなことまで考えていたのか」

 バレル千人将も騎士団の一員で、最下位ナンバーとはいえ大隊長という立場だ。騎士団内の勢力争いの存在は当然知っている。

「閣下にこれ以上、近づくことは望みません」

「……もしかして閣下は負けるのか?」

 バレル千人将はグレンの能力を高く評価している。そのグレンがトルーマン元帥に近づきたいと言う意味を考えた。

「もしかして声を掛けられましたか?」

「名を呼ばれた」

「そうでしたか」

 トルーマン元帥がバレル千人将の名を呼んだのは、グレンの話を律儀に覚えていたからだ。だが名を呼んだだけで、派閥への勧誘と周りからは取られてしまう。これがトルーマン元帥の危うさだ。
 軍を強くするつもりがあるなら、本当に派閥を作って反対派を追い払ってしまえば良い。グレンはこう考えているのだが、政争を嫌うトルーマン元帥が決してそれをしないことも分かっている。

「それで閣下は」

「これは本来の自分の意には反することです。軍を強くしようとするなら、閣下を支えるべきです。でも軍で長く勤めようと思うなら、閣下とは距離を取るべきです」

 グレンはトルーマン元帥に付いては、粛清されるとはっきりと言っている。

「やはり、負けるのか」

「戦う気がない人は戦争には勝てません。相手が勝手に負けてくれれば別ですが、それに期待するのは愚かなことです」

 能力ではない。戦意の問題だ。そして、戦意、士気が勝敗を決めるとグレンに教えたのはトルーマン元帥だ。

「分かり易い説明だ」

「理解して頂いて良かったです」

「面倒なことだ。戦争を控えているのは明らかなのに、内部でそんな事をしている」

「それが正常な考え方です。ですが、自分には理解出来ない何かがあるのも事実なのでしょう」

 相手方の事情が分からない以上は、グレンはトルーマン元帥を正義とは断定しない。良くしてはもらっていても、それだけで盲信は出来ない。

「そうだな。ああ、ちょっと違うが聞きたいことがあったのだ。知っていたら教えてくれ」

「はい。何でしょうか?」

「大隊に盗賊討伐任務が命じられた」

「……いつもの事では?」

 三一○大隊にとって、討伐任務など珍しいことではない。それをあえてバレル千人将が聞いていたことに、グレンは不審を覚えた。

「盗賊が百に対して、出兵数は三百だ」

「多いですね。どちらかの数が間違いということは?」

「確認した。だが、聞きたいのはその事ではない。部隊の指示も出ている。但し、三一○一○中隊のみ」

「一中隊だけが……」

 一中隊では百名にしかならない。出動数が三百であれば、後二中隊が必要だ。そうであるのに、三一○一○中隊だけが指定されたとなると。

「要は三一○一○中隊が必要という事だな。まあ、調練の様子を聞けば期待するのは分からなくはない。だが、元々盗賊討伐は調練の一環という位置付けだ。なぜ一番強いと思われる中隊を指名するのか。その上、盗賊の三倍もの出兵を指示するのか。それが分からない」

「……絶対に失敗出来ないからです」

 任務はどれも失敗出来ないものだが、盗賊討伐を重視するとなると思いつく理由は限られている。

「やはり、勇者か」

「まず間違いなく。勇者が任務に就くというのは聞いていました。それがこれなのですね?」

「第三軍のしかも末尾大隊で」

 万全を期すのであれば一軍を使えば良い。三一○大隊を選ぶ特別な理由があると考えるべきだ。

「それが自分にも分かりません。自分が居るからでしょうか?」

「それはあるかもしれないが、お前は正式には軍籍を外れている。中隊への指揮権はない」

「はい……何かはある。でも、それが何かですか」

 今のところ、グレンに思いつく事柄はない。ただ、何となく嫌な予感だけは強まってきていた。

「まあ良い。もしかしたら知っているかと思っただけだ。任務を与えられれば、それをこなすだけだ」

「そうですね」

「そちらからは何かあるか?」

「いえ、ありません」

「そうか。では次は恐らく任務でだな」

「個人的にはそうでないことを祈っております。では、失礼いたします」

 グレンは席を立って部屋の出口に向かう。一瞬、躊躇ったのち、一気に扉を開いた。扉の前には慌てて、その場から飛び退るサラの姿があった。

「お茶、冷めたのでは?」

「あっ、そ、そうですね」

 冷めたどころではない。慌てて動いたので、かなりこぼれてしまっている。

「自分が男色か気になりますか?」

「……い、いえ」

 うろたえた様子を見せるサラ。今のグレンに、こういう態度は禁物だ。

「確かめるのに良い方法があります。教えてあげましょうか?」

「な、何?」

 サラを壁に押し付けると、グレンは両腕で挟み込むようにしてから顔を耳元に寄せていった。何をされるのかと、体を強張らせているサラの耳元でささやく。

「試してみませんか? 貴女自身で」

「……私?」

「そうです。貴方の体で。自分は男性が好きなのか、女性が好きなのかを」

「……そ、それって」

 ここまで言われれば、何をグレンが求めているのかサラにも分かる。

「ずっと貴女のことが気になっていました。一度振られてしまいましたけどね」

「……ごめんなさい」

「もう一度、機会を頂けませんか? きっと貴女の誤解を解いて見せます」

 顔を耳元から離して、サラの目をじっと見詰める。その視線に耐えきれず、サラは顔を赤くして俯いてしまった。

「やっぱり、自分では駄目ですね?」

 そのサラを見て、グレンは声音を優しいものに変えた。

「あっ、あの……食事なら……」

 恥ずかしそうにサラは返事を返してくる。

「本当ですか? じゃあ、又、今度、具体的な約束をしましょう」

 サラの口から了承の言葉が出たところで、グレンは嬉しそうな笑みを浮かべて見せる。

「ええ」

 それを見て、緊張が解けたのかサラの顔にも笑みが浮かんだ。

「では」

 後は一切振り返ることもせずに、グレンは廊下を早足で進んでいく。自分自身に呆れながら。

「……俺は機嫌が悪いと女性を口説く癖があるのかな?」

 盗賊征伐の話を聞いて、何か企みがあることは分かった。それに、どうやら自分も巻き込まれていることも。
 グレンは、それへの苛立ちをそのままサラにぶつけてしまった。怒りではなく、口説くことで。

「これローズにどういえば良いのかな? 又、女ったらしって言われるな」

 話す必要もないことで悩んでいるグレン。これがグレンのローズへの、ちょっとずれた誠意だった。

◆◆◆

 おまけ――そして、その日の夕方。

「馬鹿! 女ったらし!」

 サラとの一件を馬鹿正直に話したグレンは、ローズを怒らせていた。

「やっぱり、女ったらしって言われた」

 予想通りの展開にグレンは苦笑いだ。

「反省してない!」

 そして、その笑いがさらにローズを怒らせる。

「ごめん。でも、ちょっと苛ついていただけで、本気で口説く気なんてないから」

「当たり前だ!」

「……言い訳にならないか」

 では何のために口説いたのか。ふとグレンは、これに気付いてしまった。

「もう、君って男は。どんどん困った男になっていくね?」

 どちらかというと堅物だったはずのグレンの周りに次々と女性が現れてくる。ローズもさすがに呆れ気味だ。

「ヤキモチが止まらない?」

「あっ、ごめん」

「良いよ。ローズにはヤキモチを焼く事を特別に許す」

「何よ、偉そうに。でも良いのかな?」

 ヤキモチを許す。これだけのことだとしても、ローズが他の女性とは違う存在であると認めたことは確かだ。

「許すって言った」

「そう」

「その代わり、いつもの聞かせて欲しいかな?」

 少し照れた様子で、グレンはこれを告げた。

「いつもの?」

 少し首を傾げてローズは問い返す。グレンからこんなことを言われたのは初めてで、何のことか分からない。

「いつものローズの口癖」

「口癖ってこれ? ……私は君に夢中だ!」

「それそれ」

「君は私の体に夢中だ!」

「……それ要らないから」

 こう言いながらもグレンは実に嬉しそうだ。こういうローズとの他愛もないやり取りが、最近は楽しくて仕方がない。

「あら? 魅力ない?」

「……いや、凄く魅力的」

「嬉しい」

 グレンの手がローズに伸びる。その手を掴んでローズは愛おしそうに自分の頬を擦り付ける。グレンはもう片方の手を反対の頬に添えると、ゆっくりと自分の顔を近づけていった。
 喧嘩のネタが、又、一歩二人の関係を近づけていく。自分たちが思っているよりもずっと、お互いの距離が縮まっていることに二人は気付いていない。