月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #19 勇者付き騎士のお仕事

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 正式な勅命を受けて、グレンは国軍を退役し、勇者付の騎士となった。
 新しい職場は、騎士団官舎に一室を設けられている。厚遇といっても良いが執務室を与えられたからといって、そこでは何もすることはない。勇者の鍛錬に付き合って、騎士団の調練場に居ることがほとんどだ。
 そして、そこでも決められた何かがあるわけではない。戦えないというグレンの嘘を勇者は信じ込んでいて、立ち合いを求められることもなく、ただ勝手に自分の鍛錬を行っているだけだ。
 そんなグレンの話し相手と言えば。

「左手での鍛錬か?」

 同じ様に、何か仕事があるわけでもなく調練場に顔を出しているトルーマン元帥だけだ。

「少しは振れるようになりませんと。生きられる確率は少しでも高めておこうと思います」

「そうだな。まあ、見た限り、それなりに振れているのではないか?」

「そうですか? まあ鍛錬の時間はたっぷりありますからね。奴隷騎士に話しかける人なんて閣下くらいしか居ません」

 個人付騎士がどういう存在であるか、ウェヌス王国の者であれば、誰もが知っている。同じ騎士を称されるのは、王国騎士団の騎士としては納得出来ないことだ。

「……愚かなことだ」

「それは不敬では?」

 トルーマン元帥の言葉は聞きようによっては、勅命を出した国王への批判になる。

「誰とは言っていない」

 つまり、国王への批判だ。

「なるほど。しかし、実際にそうなのですか? それはそれで問題だと思います」

 自国の王が愚かであること。国にとってはかなりの問題だ。

「今の時代に個人付騎士を復活させるのだ。それだけで分かるであろう? 厳しく育てられたはずなのだがな。それの反発が出たようだ」

 トルーマン元帥は堂々とグレンの推測を肯定してきた。トルーマン元帥でなければ出来ないことだろう。

「先代が早世されたのが原因ですか?」

 先代国王は若くして亡くなっている。そのせいで、現国王の即位は早かった。

「そうだな。もう少し大人になってからだと違ったのかもしれん。親の苦労を見ればな」

「もう一つ気になるのですが?」

「何だ?」

「その方は閣下にも反発されているのですか?」

「……それはないと思っておる。そこまで考えておらんな」

「あれ? では今回の自分の件は誰が?」

 グレンはてっきりトルーマン元帥を嫌う国王によって、貶められたのだと思っていた。

「儂に対抗しようと思う者、そしてその力がある者は一人しかおらん」

「大将軍ですか」

 国軍の頂点であるトルーマン元帥に対抗出来るのは、次席であり、将軍位の頂点である大将軍しかいない。 

「お前が儂に反発しているのを見たからであろう。それであれば、自陣に取り込める。取り込めなくても儂にぶつけることが出来る。当てつけもあるのだろうな」

「……嫌がらせではなく、自陣営への取り込み? 大将軍って、あれなのですか?」

 相手は大将軍。馬鹿という言葉は口にしないでおいた。
 今回の一件は、騎士になったという喜びなど一欠けらもなく、奴隷に貶されたとグレンは思っている。それを図った者を恨みには思っても、感謝することなど決してない。

「その辺ははっきりせんが、少なくとも儂からは引き離された」

 グレンは国軍を離れている。もうトルーマン元帥の影響下にはない。だが、同時に大将軍の影響下からも離れたことになる。

「今後の動きで分かりますか。いずれにしろ、厄介なことです」

 グレンは一つの可能性を考えた。それが現実になれば奴隷騎士から逃れられるかもしれないが、それには必ず代償を求められるはずだ。

「……儂が意地になり過ぎた。すまんかった」

「本当に悪いと思っていますか?」

「当然だ。素直に退役させてやれば、こんな事態にはならんかった。それに、勇者付の騎士では軍に居ないも同じだからな。何の為に引き止めていたものやら」

「では一つお願いを聞いて頂けませんか?」

 グレンがトルーマン元帥の反省の意志を確認したのは、これを言う為だ。

「……碌な事ではないな。だが、まあ、言ってみろ」

「閣下は戸籍管理局に顔が効きますか?」

 戸籍管理局。その名の通り、ウェヌス王国民の戸籍を管理している組織だ。

「また変なところを。無くはない。長く居るとな、色々な所に知り合いが出来るものだ」

「それは良かった。では自分の戸籍、いえ、妹を戸籍から外して頂けませんか?」

 これをグレンが頼む意味。トルーマン元帥にはすぐに分かった。

「……勇者がそんなことをするとは思えんがな」

「念の為です。男なんて分かりません。自分の妹はとびっきりの美人ですから」

「とんだ馬鹿兄だな。しかし、それをしても血縁関係は変わらん」

 戸籍から外しても血縁があれば、奴隷騎士の制約からは逃れられない。だが、グレンとフローラの間には血縁関係は存在しない。

「大丈夫です。血の繋がりはありませんから」

「そうなのか?」

「はい。妹は養女です。そして両親は亡くなっています。兄妹の関係を解消してもおかしくはありません」

「では、何故、自分で手続きをしない?」

「ちょっと事情がありまして、堂々とやりたくないのです。閣下にお願いするのも、かなり問題なのですが、閣下であればことは自分だけで済むかなと」

 実に思わせぶりな言い方をグレンはしてきた。こんな言い方をされれば、何かあるのは明らかだ。

「おい? お前の戸籍に何があるのだ?」

「分かりません。あるかもしれませんし、ないかもしれません。あった場合の話です」

 トルーマン元帥の問いにグレンは曖昧な答えを返す。実際、グレン自身も真実は知らないのだ。

「……何だか良く分からんが、まあ良いだろう。それくらいは上手くやってやる」

「お願いします。あっ!」

「何だ?」

「レン・タカノです」

「何がだ?」

「自分の名前です。今は本名で呼ばれてもピンと来ませんが」

 グレンの説明を聞いて、トルーマン元帥は呆気に取られている。グレンが、ここまで怪しげな人物だとは思っていなかったのだ。

「……偽名だったのか?」

「まあ」

「良く国軍に入れたな?」

「そうですね。今考えれば不思議です。でも何も言われておりません」

 戸籍管理といってもいい加減なもの。全ての国民が登録されているわけではないのだ。この事実はグレンの知らないことだ。

「いい加減なものだな。それもついでに変えておけば良いのか?」

「ああ、そのほうが有り難いです」

「タカノ? どこかで聞いたような」

「……それは無いのでは? 自分でもあまり聞いたことのない姓です」

 胸の高鳴りをトルーマン元帥に気づかれない様に気にしながら、グレンは言葉を返す。

「そうだな……話を変えても良いか?」

「もちろんです」

 自分の素性から話がそれるのはグレンも大歓迎だ。

「戦争が近い。まあ、小規模な戦いだがな」

「相手はどこですか?」

「ゼクソン王国」

「よりにもよって、そこですか?」

「そう思うか」

 やはり、グレンは他国軍のことも調べていた。自分の勘は正しかったとトルーマン元帥は考えている。

「ちゃんと調べて相手を選んでいるのですか? それに他国と戦端を開くのはまだ早いと思います。まあ、自分は永遠に開かない方が良いと思っていますが」

 グレンの方は特に隠しているつもりはない。そもそも戦況報告は軍政局に申し出ないと閲覧出来ない。その記録は残っているのだ。

「そうはいかん。しかし、早いとは?」

「ゼクソン王国の歩兵部隊の強さは我が国を大きく凌駕しています」

「そこまで調べておったのか」

「まあ。きっかけは戦術の勉強に少しはなるかと思ってですが、思った以上に勉強になりました。敵の戦術がですけど」

「同数では無理か?」

 こういう聞き方をするトルーマン元帥もゼクソン王国軍の強さを認めているということだ。

「いえ、必ずしもそうは思いません。ゼクソン王国の歩兵は強いですけど、騎馬部隊とかは今一つです。その辺で勝機は見出だせるかと」

「では、よりにもよってと言ったのは?」

「追い詰められれば、他国と同盟なんて話になるのではないかと思いまして」

「……なるほど。アシュラムか」

 アシュラム王国はゼンソン王国の隣国だ。そして、グレンが同盟を警戒するのは隣国だからというだけではない。

「ゼクソンの歩兵とアシュラムの騎馬がまとめて掛かってきては面倒ではないですか? 数はともかく質は我が国の上をいっていると自分は思っています」

「……そうだな」

 ゼクソンは歩兵に、アシュラムは騎馬に強みを持つ。この二国が組むとかなりの強敵となる。自分とこんな話が出来るグレンをトルーマン元帥は心の中で惜しんでいる。

「まずは敵の外交手段を塞ぐべきです。その為の時間が必要かと思います」

「それは戦術ではなく、戦略というのだ」

 そして、戦略は中隊長が考えるようなことではない。

「一緒になったら嫌だと思っただけです。そんな大げさなものではありません」

 ここでようやくグレンは自分が話しすぎていることに気が付いた。

「……まあ、そういう事にしておこう。他国はそうとして自国はどうだ?」

「それは閣下が考えられることではないですか?」

「それは分かっている。分かった上で、お前の目で見て気になる者がいるかを聞いている」

「気になる……まさか能力のことを聞いていませんよね? だとしたら難問ですね」

 今より酷い状況はないと思っているせいで、グレンは周囲への遠慮がなくなっている。

「……お前、どんどん辛口になっておるな」

「閣下に似たのかもしれません。いや、それは嫌ですね」

 トルーマン元帥にまで、こんな口を利くくらいだ。

「若い頃の儂はお前みたいに生意気ではないわ。しかし、お前の目から見て、能力はないか?」

「いえ、何も考えている様子がないので、こういう言い方をしただけです」

「では、この人はと思うのは?」

「……そこまで親しくないです」

「感覚でも良い」

「好き嫌いが混じると思いますが。それでもあえて言えば……アシュリー千人将。自分の話を聞いてくれたということですけど、それだけでなく、一応は考えてくれているみたいです。それっぽい調練を試していました」

「ほう」

 トルーマン元帥はグレンの話を聞いて感心している。アシュリー千人将ではなく、その調練をきちんと見ていたグレンにだ。

「後は……バレル千人将」

 少し考えて、グレンはバレル千人将の名を出した。

「誰だ、それは?」

「閣下が名前を覚えていらっしゃらない千人将の一人です。三一○大隊長ですね」

「身内ではないか」

「それは話したことがある人が少ないので仕方ありません」

 話したこともない人を評価出来ない。これはグレンの言い分が正しい。

「何が光るのだ?」

「何も」

「おい?」

「ですが自分が平凡であることをご存じです。だから無茶はしない。大きな戦功もあげないが大きな失敗もない。そういう方だと思っております」

 これだけではない。バレル千人将には平民出で、まだ若いグレンの能力を素直に認め、それを活かそうと考える度量もある。

「なるほど。堅実である。それも大切か。そしてお前は、エリックよりもそれを先にあげる。エリックは駄目か?」

「エリック?」

「ハーリー千人将だ」

「ああ。嫌いです」

 わざとらしく顔まで顰めて、グレンはこれを言う。

「おい」

「自分の腕を切り落とした張本人ですから」

「ほう。気が付いていたのか?」

 あの状況で、グレンがハーリー千人将の企てに気付いているとはトルーマン元帥は思っていなかった。

「それはこちらの台詞です。分かっていて、何故?」

「明確な証拠がない。それに勇者を罪には落とせない」

「なるほど」

 事故。これで終わらせるしかないのだ。

「しかし、何故分かった? 見ていたのか?」

「いえ。近くにいることで分かったのは、勇者は悪く言えば馬鹿、良く言えば素直です。真剣じゃないと鍛錬にならないは、誰かの入れ知恵だと分かりました。そして、それが出来る人がいるとすれば、勇者に剣を教えているハーリー千人将です」

「なるほど。勇者は馬鹿か」

「そっちですか? 馬鹿というより子供なのですね。自分より年上なのに、そう思います」

「元の世界の成人は二十歳らしい。五年の差がある。そのせいであろう」

 健太郎と結衣は元の世界では高校二年生だった。この世界に来て、二年は経つが、まだ十九だ。

「そういう事ですか……話を続けましょう。嫌いは別にしても、あの人の下では戦いたくありません」

「何故だ?」

「失敗を認めない。成功を過信する。あれでは、いつか大失敗します。今更、惚けても仕方がないので言いますが、演習で勝てたのは自分たちの中隊のおかげです」

「そうだな」

「それで思い出しました。あの弓兵部隊を率いていた人も凄いですね」

「ん? お前はその将をまんまとあしらったではないか?」

 弓兵部隊はグレンの中隊の襲撃によって混乱し、敗因を作った。その弓兵部隊の指揮官を凄いと評価する理由が分からない。

「あれは運です。いきなり迎撃に二中隊を割いて来たのには驚きました。たまたま、自分達の中隊が時間差で現れたので、動揺したようですが、それが無ければ止められていました」

「本当か?」

「止められなくても遅れました。それで騎馬部隊はやられて終わりです」

「そうだな」

「それくらいですね。後は知っている方がいません」

「……少ないな」

 グレンが上げた名はたった三名。あまりにも物足りない数だ。

「知っている方がいないと申しました」

「では調べろ。調練を見て、これはと思う将がいるか。いたら儂に教えろ」

「……自分の主は勇者では?」

 グレンは国軍から離れた。形式上は勇者と国王以外に命令権者はいない。

「知らんかったのか? 元帥というのはな、全軍の頂点なのではない。全兵士と全騎士の頂点なのだ」

「それは知りませんでした。うまいこと考えましたね?」

「事実だ」

 軍制ではなく、元帥というのは、これだけ凄い地位なのだと表現する為に言われていることだ。それをトルーマン元帥は都合良く持ち出してきている。
 そして、この日からグレンの時間は自身の鍛錬と、トルーマン元帥の為の調査に、そのほとんどを割かれることになった。

 

 

◆◆◆

 調練を終えて、健太郎がグレンの所にやってきた。その時にはもうトルーマン元帥はいない。勇者などという特殊な存在に頼るのをトルーマン元帥が良しとしていないことを、グレンは何となく話に聞いていた。

「ああ、疲れた」

「お疲れ様です」

「今日の僕どうだった?」

 こうして聞かれるのは毎日のことだ。トルーマン元帥と話をしながらも、グレンは健太郎の鍛錬から目が離せない。それで将の様子も見ろというのだ。グレンとしては頭が痛い。

「相変わらず力が抜けていないかと」

「……駄目か」

「これは想像ですが、技術の問題ではなく、心の問題ではないでしょうか?」

「心?」

「真剣で鍛錬をするのはしばらく控えた方がよろしいかと」

「どうして? 真剣の緊張感が鍛錬には必要だって聞いているけど」

 ハーリー千人将に教えられたことを健太郎は信じ込んでいる。

「その緊張感が悪い方に働いています。剣を振ることを恐れていませんか?」

「……自分では感じていない」

 グレンが何故こんなことを言い出したのか、健太郎にも分かった。人を殺したことのトラウマ。これが影響していると言っているのだ。

「そうですか」

「でも、そうかな? 恐れているって、あれだよね? 相手を傷つけること」

「そう思っております。自分の腕を切り落としたことも影響しているのではと」

「…………」

 グレンの言葉に健太郎は言葉を返せない。顔を強張らせて黙ってしまった。

「申し訳ありません。わざと言いました。今のご気分は?」

「あ、ああ。そうだね、動揺している。それに体が強張るのも分かった」

「それが鍛錬中にも起きている可能性があります」

「重傷だな……」

 グレンの説明は納得出来るものだ。だから、尚更、健太郎は落ち込んでしまう。

「実際はそれほど心配する必要はないと思いますが」

 そんな健太郎にグレンは楽観的な言い方をしてきた。

「そうなのかい?」

「死にたくないと思えば、相手は殺せます。その確たる気持ちを持てるかです」

「……普通、死にたくないよね?」

 死にたくないのは当たり前。健太郎はこう考えたのだが。

「兵の中には諦めてしまう人もいます。生き残れるはずなのに」

「どうして?」

「一般的に兵士の剣の技量にそれほど差はありません。ですが、敵が大きく見えてしまって、敵を過信して諦めてしまう者もいるのです。それに長時間の戦いの疲労も諦めてしまう原因になります。もう無理、こんな気持ちが兵の命を奪うのです」

 死ぬほど辛い。実際にはこんなことは滅多にないのだが、こう考えてしまうのだ。死の実感がない人は特にそうだ。

「そうか。やっぱり良く知っているね」

「二年働いていますから」

「普通の剣での鍛錬か。エリックが許してくれるかな?」

「許してもらえないのであれば、ご自身の鍛錬の時間を利用されてはいかがですか?」

「えっ?」

 グレンの言葉に驚きをみせる健太郎。

「えっ?」

 その健太郎の反応にグレンは驚く。

「自分の鍛錬の時間って?」

「自分で鍛錬していないのですか?」

「してない……」

「それで強くなれるとは……やはり勇者は特別なのですね」

 勇者という存在の、ある意味、恐ろしさをグレンは感じた。こんな相手を敵にする側の理不尽さを。

「駄目かな?」

「いや、それは何とも。強くなれるのであれば、それで良いですが」

「……じゃあ良い」

「えっ?」

「やっぱり駄目か?」

「いえ。あの、それもハーリー千人将が何か?」

 自主鍛錬は騎士だって普通に行っていることだ。それをやろうとしない健太郎にグレンは戸惑った。

「鍛錬には適度な休息も必要だって。それは正しいと思う。筋肉とかはね、痛めつける日と休憩の日、それをうまく取ることで太く強くなるんだ」

「異世界の知識ですか?」

「そう。超回復だったかな? 一度折れた骨は直った時に前よりも太くなるんだ。筋肉もそう。切れた筋繊維がつながるときに、前よりも太くなる。それで鍛えられる」

「……切れるというのは?」

 健太郎の説明には分からない単語が多すぎる。

「筋肉は分かるかな?」

「実は分かっていません」

「そうか。腕を曲げてみて」

「はい」

「腕を曲げるときに内側の筋肉は縮んで、外側の筋肉が伸びる。それで腕を曲げられる。力こぶは分かる?」

「ああ、それは分かります」

「その膨らんでいるのも筋肉。力を入れれば固くなるよね?」

「そうですね」

「その筋肉はいくつもの細い繊維が束なって出来ている。すごく重いものをもって負荷を掛けると切れるのだけど、何本か切れても問題なく動く。そういうこと」

「……分かるような分からないような」

 また説明が複雑になっていて、グレンは分からなくなった。

「じゃあ、激しい運動をした翌日に体が痛くなったことは?」

「それは何度も経験しています」

「それが筋肉が切れて、また繋がろうとしている時の痛み……だったと思う」

「治るのに痛いのですか?」

「……ごめん。僕も詳しいことまでは。一般知識程度なんだ」

「そうですか」

 大抵最後はこうなる。健太郎は異世界の知識を盛んにひけらかすが、表面的な知識しかないので、グレンの質問に最後は答えられなくなるのだ。

「さてと今日は何の話をする?」

「話題がなければ無理しなくても良いのではないですか?」

 グレンは、もう充分に話はしたつもりだ。何もないなら帰りたい。だが。

「……退屈なんだ」

「ああ、そうですか」

 こうして又、グレンは自由な時間を奪われることになる。

◆◆◆

 世間話からようやく解放されて、健太郎の部屋を出たグレン。出口に向かって廊下を歩いているところで、不意に侍女に声を掛けられた。

「ねえ、貴方」

「自分ですか?」

「貴方しか居ないわよね?」

「まあ」

 感じの悪い侍女だ。変なのに捕まったとグレンは思っている。

「貴方ってケン様の個人騎士よね?」

「はい」

「ちょっと来て」

「はい?」

「聞きたいことがあるの。ちょっと付き合って」

「えっと、どちらに?」

「いいから付いてきなさい」

「はあ」

 やはり感じが悪い。それでもグレンは大人しく侍女に付いて、元来た廊下を歩く。
 目的地は健太郎の部屋よりも奥だった。人気のない廊下の途中で侍女は足を止めて、振り返った。

「ここよ。今使われていないの。この部屋で話をしましょう」

「廊下では駄目なのですか?」

「貴方、奴隷騎士でしょ? 良いから言うこと聞きなさいよ」

「……はい」

 内心ではかなり頭に来ているのだが、とりあえず大人しく言われた通りにしてみた。侍女の意図を探ってみたいという気持ちがあるからだ。
 部屋に入っても、すぐに侍女は話をしない。じろじろとグレンを眺めているだけだ。

「それで御用件は?」

「……よく見ると可愛い顔しているのね。体も小柄だし。髪もさらさら」

「それが?」

「女の子に見えなくもないわね」

「いや、さすがにそれは無いでしょう」

 確かに小柄な方ではあるが、女の子に間違えられた経験などグレンには一度もない。

「……男色なの?」

「はっ?」

 続く侍女の質問に、グレンは呆気にとられる。

「ケン様は男が好きなのかと聞いているのよ」

「……それは無いと思いますけど」

 こんなくだらない用件で、自分の時間を潰してしまった、グレンの怒りはどんどん高まっていく。

「誘われたことは?」

「ありません」

「誘ったことは?」

「ある訳がない」

 苛立ちから口調が乱暴なものに変わる。

「何よ。怒ったの? 生意気ね」

「聞きたいことはそれだけですか?」

「ええ」

「では用件は済みましたね? これで失礼いたします」

「ちょっと待って」

 部屋を去ろうとしたグレンを侍女は引きとめようとする。

「まだ何か?」

「貴方は男色じゃないの?」

「それはもう否定したつもりですけど」

「本当に? 怪しいわね」

 あまりの侍女のしつこさに、グレンは不自然さを覚えた。嫌がらせにしては手ぬるい。侍女の虐めがこの程度で済まないことをグレンは話で聞いたことがある。
 なんとなく侍女の意図が透けてみえたところで、グレンはそれを確かめることにした。

「……本当です。僕は女性の方が好きです。男性をそういう対象でみるなんて考えられません」

 口調を普段よりも子供っぽいものに変える。

「女性が好きって。貴方、経験あるの?」

「…………」

 沈黙。後は侍女が都合良く解釈してくれる。

「やっぱりないのね? それじゃあ、分からないじゃない」

「良いなと思うのは女性です」

「ふうん……私みたいなのはどう? 良いなと思う?」

 どうやら推測が的中したようだ。内心でグレンはほくそ笑んでいる。

「大人の女性って感じがします」

 これはまんざら嘘ではない。化粧のせいか、少し派手めな顔はグレンの好むものではないが、色気があると捉えることも出来る。少なくともスタイルは悪くない。

「大人の女性? まあ、貴方から見ればそうかもね」

「あの……」

「何よ?」

「そろそろ良いですか? 女性と二人きりで部屋にいるのは緊張します」

 侍女が望んでいるであろう、初心な年下男を演じてみせる。

「……そう。緊張するの。もしかして何か期待しているの?」

「……いえ」

「女性とあまり接したことがないの?」

「普通の会話はあります。でも、こういう場はちょっと」

「ふうん」

 嫌な笑みを浮かべて侍女は更にグレンに近付いてくる。

「あの?」

「どうしてもってお願いするなら教えてあげても良いわよ」

「えっ?」

「嫌なら良いけどね。別に私はどうでも良いもの」

「それって、女性を……?」

「さあ、どうかしら?」

「……でも、こんな所で」

 侍女が焦らす以上に焦らしてみせる。

「使っていないっていったでしょ? 誰も入ってなんて来ないわ」

「……そう」

 これを確認したところで、グレンはすぐ目の前にいる侍女に手を伸ばす。後頭部を押さえて胸に引き付けると、もう片方の腕で腰を引き寄せる。

「ち、ちょっと。お願いしなさい。ちょっと」

「お願いします」

「ち、ちょっと、んっ、もう、焦らないで、ねえ」

 強引に口づけをすると、そのまま体を持ち上げて部屋のベッドに押し倒す。

「初めてなので。すみません」

 初心な仮面は外さないまま。女性に警戒心を抱かせるのはまだ早い。

「も、もう、ちゃんと、ちょっと、言うこと聞きなさいよ、ねえ」

 言う事を聞くつもりなどない。頭にきていた気持ちを発散する為に、わざと侍女を乱暴に扱っていく。

「ね、ねえ、んっ、も、もう……あっ、ちょっと」

 ローズとの時のように気持ちが熱くなることはなかった。乱暴に、それでいて頭の中は冷静なままで、グレンは侍女を責めていった――。

◇◇◇

「もう、初めてだからって。もう少し女性には優しくするものよ」

 事が終わった後も、まだ女性は高飛車のままだ。

「すみません」

 グレンの方も仮面を被ったまま。

「仕方ないわね。また教えてあげるわ」

「えっ? でも、こんなことを何度もしては」

 軽く抵抗を示してみせる。

「何よ。嫌だって言うの?」

「でも……」

「貴方、自分の立場が分かっているの?」

「えっ?」

「……これが知られたら貴方どうなるかしら? 奴隷騎士の分際で侍女に手を出したなんて、周りに知れたら」

 優越感一杯の嫌な笑みを浮かべて、グレンを問い詰める侍女。悪党振りはピークを迎えていた。だがピークになれば後は落ちるだけ。グレンの次の言葉で、この立場は一気に逆転することになる。

「どうにもなりませんね」

「えっ?」

「個人付の騎士だからって女を抱いていけないなんて決められてない。自分が罪に問われることは何もありません」

「ちょっと何を言っているの?」

 いきなり態度を豹変させたグレンに侍女は戸惑っている。

「周りに知れて困るのはそちらでは? 勇者の騎士を強引に誘ってベッドに連れ込んだなんて知れたら。自分は勇者の騎士ですよ? 罪に問われるは貴女の方だ」

「…………」

 グレンの話を聞いた侍女の顔は真っ青になっている。

「貴方は侍女なんて続けられない。実家は? まさか貴族じゃないですよね? そうだと大変だ。国王陛下の勅命で騎士になった自分を誑し込んだなんて。実家も罪に問われるか、それが嫌なら貴女との縁を切るか」

「……止めて」

 震える声で、侍女はこれを口にした。だが、グレンの追い込みはまだ止まらない。

「貴族のご令嬢が一人で生きて行けますか? まあ、どうしてもと言うなら、仕事を紹介しても良いですよ。娼婦ですけど」

「そ、そんなこと出来ないわよ」

「同じですよね? 男に抱かれるだけです」

「…………」

 侍女は全身を震わせて今にも泣き出しそうになっている。

「あっ、脅し過ぎました? 貴方があまりに酷い態度だからちょっと頭に来ただけです。告げ口なんてしません。安心してください」

 又、グレンは態度を変える。

「……ほ、本当に?」

「本当です。女性を酷い目に合わせる趣味は僕にはありません。まして、貴女は……」

「そう」

「但し」

「……何?」

 グレンの一言で侍女はぶるりと体を震わせた。まだ、先程までの恐怖は完全に消えてないのだ。

「又、教えてもらえますか?」

「えっ?」

「凄く素敵でした。でも自分は未熟で……駄目でしたよね?」

「そ、そんなことないわ」

「それとも、もう自分とこうなるのは嫌ですか?」

「いえ。別に構わないわ」

 グレンの甘えた態度に、侍女の気持ちもかなり解れた様子だ。

「じゃあ、約束です」

「ええ、約束よ」

 笑みを浮かべて約束を口にする。

「ありがとうございます。さて、もう帰らないと。服着せてもらえます?」

「えっ?」

「侍女ですよね? こういう仕事は得意ではないのですか?」

「そうだけど……」

「まさか嫌だなんて言いませんよね? 自分は貴方に服を着せてもらいたいのです」

 笑みを浮かべて侍女にお願いするグレン。だが、その笑みは無邪気とはほど遠い笑みだ。侍女の心に又、恐怖が広がっていく。

「……分かったわ」

「分かったわ? 侍女って、そんな口の利き方でした? もう一度」

「……分かりました」

「はい。よく出来ました。本当に貴女は素敵な人です。すみません。自分は男色の趣味はないのですけど、素敵な女性を虐める趣味はあるようです」

「……そう」

 侍女の頭を優しく撫でながら、口では物騒なことを話している。ころころと変わるグレンの態度に侍女の頭は混乱している。

「さあ、早く服を。今すぐに」

「……はい」

 裸のままの侍女に服を着させ終わると、グレンは一人でとっとと部屋を出る。廊下に出て扉を閉めたところで、よろけるようにして壁にもたれかかった。
 少しそのままで居た後で、大きく息を吐いて気を取り直すと出口に向かって歩き出した。

「我ながら最低の男だ。鳥肌立ちそう。あれで成功か、ちゃんと優しくすれば良かったかな。次はそうしよう。でもあの女ムカつくからな。調子に乗せたら、でもな……」

 こんな言葉をぶつぶつと呟きながら。