月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #17 高貴な人との出会い

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 今日もいつも通り、早朝から起きて裏庭で鍛錬を行っているグレン。いつもと異なるのはその動き。激しい動きは抑えて、ゆっくりと一つ一つの動きを確かめるようにして、それを行っていた。

「何だか自分の体じゃないみたいだ」

 自分の体の違和感にかなり戸惑っているグレン。最初は腕を失うという大怪我をしたせいかと思ったが、どうやらそうではないと分かってきた。
 それを確かめるように剣を一振り。まるで空気を切ったような感覚が手に残った。あきらかに怪我をする前よりも調子が良いのだ。

「これも奇跡か?」

 結衣のかけた回復魔法の効果。グレンが思いつくのはそれだ。だとすれば、幸いだったと言っても良い。素振りをしているだけで、グレンは自分が数段強くなっていることが分かっている。

「何を一人で呟いているのよ?」

 そんなグレンに声を掛けてくる存在。振り返らなくても、それが誰だかは分かる。

「起こした?」

「ううん。いつものくせ」

「そう」

 二人の会話には昨日までとは違う、どこか慣れあった雰囲気がある。それが何故かとなれば昨晩の出来事しか理由はない。

「逆に起こせ。女性をベッドに一人で置き去りにするなんて酷いから」

「ごめん。よく寝ていると思ったから」

 結局、朝までグレンはローズの部屋にいたのだ。

「もう平気みたいね?」

「お陰さまで。気持ちは普段通り。変な欲求もない」

「あら、残念」

「朝から挑発? それって……へえ」

 振り返ってローズを見るグレンの顔に、意味ありげな笑みが浮かぶ。

「な、何よ?」

「いや、昨日までの作った色気とは違うなと。いや色気とは違うか。でも何だかあれだ」

 質素な衣を纏っただけで、扉により掛かるように立っているローズ。それだけで、何だか香り立つような色気を感じるのは、グレンだけなのかもしれない。

「……女ですもの」

「そうだな……また少し欲望が」

「ち、ちょっと止めてよ。朝よ?」

「平気。普通の男としての欲求だから」

 健康な男子の欲求は回復力も早い。

「もう……ねえ、何だか体中が痛いの」

「ごめん。あんなだったし、それに初めてだし。とにかく無我夢中で」

「私も……」

「ちょっと乱暴だったよな。もうあんな酷いことはしないから」

 今更ながら、酷いことをしたとグレンは思っている。まさに欲望が命じるままに、ローズを抱いてしまったのだ。

「そうじゃない」

「何?」

「……お願いだから、あれ一度で終わらせないで」

「えっ? でも……」

 ローズを傷つけたとしか思っていないグレンにとって、彼女の言葉は驚きだ。

「あれで終わったら、私まるで獣に襲われただけみたい。そんなの嫌なの」

「獣って……そんなだったかな?」

「そうよ」

「でも、ローズさん」

「ローズ」

「……あのさ、そういう関係になったからって、いきなり呼び捨てってどうかな?」

 この場合は、こういう気遣いの方がローズに酷いことをしているのだが、グレンにはそれが分からない。

「私がそうして欲しいの」

「……じゃあ、ローズ。正直に言う。俺、本当の意味でローズのことは好きじゃない」

「分かってる」

 そして正直であることが必ずしも正しいわけではないことも。今のローズにとっては、どちらが良いのかは微妙だが。

「それで関係だけを続けたら、傷つけることになると思う」

「そう思ってくれる気持ちだけで私は嬉しいの」

「……今、どきっとした。女になると口説きの威力も違うな」

 ローズの真剣な表情に耐えられなくなったグレンだが。

「冗談で誤魔化さないで」

「はい……」

 ローズに怒られて、自分も真剣な表情に戻らざるを得なくなった。

「私も正直に言うわ。私は君が好き。年下だけど、意地悪だけど、それでも君が好き。まさかこんな気持になるなんて思ってもいなかったわ。でも、好きなの」

「その気持は嬉しいけど」

 女性に、こんな正面から想いをぶつけられるなんてグレンには初めての経験だ。心は大きく揺れたのだが、それでも受け入れられない理由がグレンにはある。

「君の気持ちが本当はどこにあるかも知っているわ」

「そうか……」

「それでも良いの。自分が好きならそれで……」

「それじゃあ、ローズは幸せになれない」

「甘いな。女の幸せの形は色々なの。私は君の側にいるだけで幸せなの」

 どこまでも真っすぐなローズの言葉が、グレンの心に突き刺さる。

「……またドキッとした」

「また誤魔化す」

「そうじゃない……あのさ、良いかな?」

「君は私に断る必要はない。好きな時に好きなことをして良いの」

「……参った。これは強敵だ」

 剣を置いて、ローズに近づくグレン。ローズをそっと抱き締めると、昨日とは違う優しい口づけを二人は交わした。

 

◆◆◆

「今日はお休みなの?」

 朝からずっとふくれっ面でグレンを無視していたフローラの顔が、これを聞いた途端にぱっと明るくなった。

「そう。昨日ちょっと怪我したから大事をとって」

「ええっ!?」

「あっ、たいした怪我じゃないから。ほら、全然普通だろ?」

 フローラを心配させないように体を動かしてみせるグレン。片腕が切り落とされたなんて、これで分かるはずがない。

「そうだけど……もしかして昨日はそれで遅かったの?」

「あっ、ごめん。心配させたな。頭を打って、ずっと寝てた。気がついたらすっかり夜で」

 普段であればもっと上手くつける嘘が、今日に限ってはぎこちなくなってしまう。隠し事の内容が内容だけに、やましさと照れが混じった複雑な感情が沸き上がってしまうのだ。

「ふうん」

「はい。お待たせ。グレンは珈琲ね」

「ああ、ありがと」

「フローラちゃんはお茶と」

 そこに飲み物を持ったローズがやってきて、テーブルにそれぞれの飲み物を置いていく。そのまま、何気なくグレンの隣に腰掛けるローズ。

「……おかしい」

 そんなローズを見て、フローラが呟いた。

「どうしたの?」

「今、グレンって呼んだ」

「えっ、あれっ? いつもそうじゃない?」

 ローズもまた、この件に関しては実に誤魔化すのが下手だ。

「いつもは君とか、ねえ、だもの」

「そう。まあ良いじゃない。付き合いも長くなったわよね? そろそろ呼び捨てに変えましょう」

「あ、ああ。そうだな。その方が良いかも」

 グレンもローズを呼び捨てにしている。これは良い口実だ。

「むむっ?」

「な、何?」

「……二人、何かあった?」

 二人のぎこちない様子にフローラは完全に疑いの目だ。

「何も」「そうよ、何もないわよ」

 フローラの問いを否定する二人だが、これだけで彼女の疑いが晴れるはずがない。

「怪しいな。なんだか怪しいな」

「気のせいだって。フローラだってローズと仲良くなっただろ? それとも俺とローズがいつまでも気まずい方が良いか?」

 何とか誤魔化そうとグレンがそれらしい言い訳をしてくる。

「そんな事ないよ。皆で仲良しのほうが楽しい」

「そうだろ? そういう事だ」

「まあ良いけどね。計画通りだし」

「計画?」

「何でもない。それよりも今日はどうするの? せっかくのお休みだよ?」

 二人への追及を終わらせて、フローラは休日を楽しむことを優先させようと考えた。追及して真実を知っても、嬉しいことではないと分かっているのだ。

「そうだな」

「お出掛けしようよ。三人でさ」

「それは良いけど、どこに? 俺、心当たりない」

 お出掛けなんてすることのないグレンだ。心当たりなどあるはずがない。

「そうね。あまり目立たない場所で、それで三人で楽しめる所というと」

 考えることを諦めたグレンの代わりにローズが場所を考え始めた。だが、口にした条件はフローラの望むものではない。

「もう、又、それ? 目立たないばっかり」

「……そういう約束だろ?」

「そうだけど……でもつまらないよ。たまには行ったことがない場所が良いな」

「そう言われてもな。さすがに五年も住んでいると、この辺りはほとんど」

「……あっ。私、心当たりあるかも」

 ローズが何かを思いついて声をあげた。

「えっ、何処?」

「お城の裏の小さな林。小川なんて流れててさ。王都の中とは思えない良い場所なの」

「おい。それは無いだろう?」

 城の近くなど目立つことこの上ない。しかも、いつ貴族が現れてもおかしくない場所だ。こう思ってグレンは否定したのだが。

「でも、裏通りを抜けていけば、たどり着けるわよ」

「嘘?」

「本当。そこまでは人目にも付かない。それにお城の裏の林なんて、誰も来ないから」

「……そう言われると、確かに盲点かも。俺、そんな林の存在、初めて聞いたし」

「でしょう?」

 行くのは初めてで、人の目に付かない場所。ぴったりの条件の場所が見つかった。
 
「じゃあ、そこに行こう! あっ、お弁当持っていかない?」

 フローラも気に入ったようだ。

「良いな。ピクニックみたいだ」

「よし、じゃあ、私が腕を振るおっかな」

「いや、遠慮する」

 張り切っているローズに向かって、水を差す言葉を吐くグレン。

「どうしてよ!?」

「ローズ、何も作れないだろ?」

「……何故分かる?」

「なんとなく」

「あら、さすがは……」

「馬鹿っ!」

「あっ!」

「……怪しい」

 この件に関しては、わざとかと思うくらいに誤魔化すのが下手なグレンとローズだった。

◆◆◆

 ローズの言った通り、裏通りの路地を抜けていくと、城の裏手に辿り着いた。
 人気のない小さな林。斜面には芝生が広がり、ピクニックには格好な場所だ。芝生の間を縫うように小川も流れている。ただ、その小川は。

「大体は合っている。でも、これを小川とは言わない。下水だな」

 城からの排水を流す水路だった。

「……良いじゃない。水が流れているのは間違いないでしょ?」

「そうだけどさ。ちょっと離れよう。匂いがちょっと」

「そんなに酷い?」

「いや、実際はそこまでじゃないけど、わずかでもピクニック気分が吹き飛ぶのは」

 排水路さえなければ、のんびりするには格好の場所なのだ。だからこそ、その一点が気になってしまう。

「そうね。じゃあ、もう少し林に近い所。上に行けば平気よ」

「そうだな。じゃあ……あそこの木!」

「それぇ!」

 グレンが一本の木を指差した途端にフローラが掛け声をあげて走りだす。グレンも直ぐにその後を追っていた。

「えっ、ちょっと!」

 その二人の後を慌ててローズは追いかけた。

「一番!」

 フローラを途中で追い越したグレンが一番。

「二番!」

 フローラが二番目に木に両手でタッチする。

「はあっ……ねえ、ずるくない? 二人だけで走りだすなんて」

 遅れてローズが文句言いながら木にたどり着いた。

「悪い。小さい頃によくこんな遊びしてたから、俺たち二人には、あれで分かるんだ」

「そう……」

「ローズも、もう分かっただろ? 次は遅れないようにな」

「次……そうね。次は遅れないから」

 二人だけの思い出を聞かされて、疎外感で沈んだローズの気持ちは続く一言であっという間に明るくなる

「じゃあ、この辺で広げようか。あっ、重しの石か。ちょっと俺探してくる」

「あっ、じゃあ、私も」

「平気。二人は弁当の用意でもしてて」

「うん。分かった」

 地面に広げるシートの隅に置く石を探しに、グレンは又、斜面を降りていった。二人きりになったところで、フローラがローズの脇を突いてくる。

「何?」

「やっぱり何かあったでしょう?」

「どうして?」

「だって二人、何か自然だもの。通じあっている感じ」

 直ぐ傍で見ていれば、それも以前の二人を知っているフローラには、関係の変化は一目瞭然だ。

「……そうかしら?」

「そうだよ。フローラはお見通しなの」

「そっか。ごめんね。昨日の夜、その……」

 元々ずっと隠しておくつもりはローズにはない。そういう約束だったのだ。だが、いざとなると恥ずかしくて、きちんと言葉に出来なかった。
 それでも何があったかは、フローラにも分かる。

「ああ、本当にそうなったんだ」

「だから、ごめんって」

「別に良いよ。本当はね、取引しても実際にそうなったら、もっと嫌な気持ちになるかと思っていたの。でも、何か家族が増えたみたいで素直に嬉しいと思えるの。どうしてかな? フローラにとって、やっぱりお兄ちゃんはお兄ちゃんなのかな?」

「あまり考えなくても良いと思うわよ。兄としてでも、異性としてでも、好きに変わりはないでしょ?」

 兄として育った相手を異性として好きになる。これがどういう感情なのかは、当事者ではないローズには完全には理解出来ない。出来るだけの答えがこれだった。

「そうだね」

「……ねえ、グレンが戻ってこないうちに聞いておきたいのだけど」

 何となく聞くなら今だと思って、ローズは気になっていたことを聞いてみることにした。

「何?」

「フローラちゃんは、ご両親がどうして亡くなったか覚えているの?」

「……私のせい」

 ローズの問いに、少し表情を曇らせてフローラは答えた。ローズの予想通りの答えだ。

「やっぱりね。ちゃんと分かっていると思ってた。どうして、それをグレンに言わないの? グレンは知らないと思って必死で隠しているわ」

「いつかは言うよ。でも、今はまだ」

「どうして?」

「お兄ちゃんにとって、この話はまだ辛いと思うの。フローラもすごく辛かったけど、お兄ちゃんはそれ以上で。だから知らないふりして励ましてたの。お兄ちゃん、優しいから、フローラがそれで傷ついていると知ったら、本人より落ち込みそうだから」

「……あらまあ。しっかりした妹さんで」

 内緒にしていたのはグレンのことを思って。これを知ったローズは感心するよりも少し呆れてしまった。お互いに必要以上に気を遣い合っているように思えるのだ。

「そんな事ないよ。もう一つ理由があるから。こっちは子供の理由」

「何?」

「もう少し甘えていたいの。お兄ちゃんに守られているのが嬉しくて」

「それも又、ずるい大人の女の考えよ?」

 フローラのこういう狡さをローズは知っている。天使の姿をした小悪魔というのが、ローズのフローラに対する評価だ。

「そうかな?」

「そうよ」

「でもいつかは、だよね。お兄ちゃんを解放してあげないと」

「それはどうかしら?」

「えっ? 駄目?」

「グレンにとっての生きがいはフローラちゃん、貴女よ。生きがいを失ったグレンが私は心配。それ以外に何も見えていないからね」

 フローラの為。グレンの口から出るのは、この言葉ばかりだ。自分の為に生きていないグレンをローズは不安に思っている。

「それじゃあ、困っちゃうな」

「困ったお兄ちゃんね」

「そうだね」

 二人の間でこんな会話が行われたとは知りもせずに、グレンは石を抱えて戻ってきた。持ってきたシートを広げて、四隅にそれを置いて固定する。それが終わると今度は持ってきたお弁当を広げだした。

「……何で俺ばっかり働いている?」

「好きでやっているくせに」

「そうだけど。少しは手伝え。こういうのは皆でやったほうが楽しい」

「そうね」

 次々とシートの真ん中に置かれていくお弁当。カップに飲み物を注いで、いよいよ始まりだ。

「じゃあ、久しぶりの全員での外出に」

「「乾杯!」」

 カップを軽く合せると、早速、三人はお弁当に手をつけ始める。

「ちょっと多かったかな?」

「平気、三人だったら食べれるよ」

「そうか。そうだな」

「……お天気が良くて気持ち良いね」

「ああ、そうだな」

 のんびりと空を眺めることも、グレンとフローラにとっては久しぶりのことだった。

「こういうのも良いわね。青空を見ながら食事なんて、いつ以来かしら?」

 ローズも似たようなものだ。

「俺たちも王都に来てからは一度もなかったな」

「じゃあ、また来ようよ」

 フローラはすっかり、この状況が気に入ったようだ。

「まだ始まったばかりだから」

「でも、来ようよ」

「そうだな……」

 三人の楽しい歓談の一時。そのはずだったのだが。

「どうしたの?」

 突然、剣を取って立ちあがったグレンに驚いて、ローズが問い掛ける。

「……誰だ!?」

 グレンの視線は林の中に向いている。フローラもローズも視線を向けるが二人には、何も見えなかった。

「誰も居ないわよ」

「いや、居る。隠れているのは分かっている。出てこい!」

 グレンの声に木の影に隠れていた人影が揺れる。

「フローラ、ローザ」

 慌てて、グレンの背中に隠れるように移動する二人。

「怪しい者じゃない。いや、怪しいか。とにかく、その物騒なものをしまってくれ」

 木の陰から男の声が聞こえてきた。敵意は感じられないその台詞に、少し安堵したグレンだが、それで気を緩めるわけにはいかない。
 昨日、その気の緩みで痛い目にあったばかりなのだ。

「……まずは出てこい」

「分かった。でも、いきなり斬りかかるような真似は止めてくれよ」

「分かった」

 木の間から、ゆっくりと姿を現した男。その姿を見て、グレンは眉を潜めた。一目見て、男の纏っている服が上質な物だと分かったからだ。

「剣をしまってくれないか? こちらに害意はない」

「……貴方は?」

 明らかに身分が上の相手に、グレンは口調を改める。

「少しは落ち着いてもらえたかな? 悪いが名乗るつもりはない。それを聞いて困るのはそちらの方だからね」

「貴族の方ですか?」

「違う。詮索も止めてくれ。そうだな、私は偶然通りかかった暇人。それでどうかな?」

「……それは構いませんが、ここで何を?」

 敵意さえなければ、相手の素性などどうでも良い。グレンにとって、身分の高い者との関わり合いなど無用なものだ。

「それはこちらの台詞だよ。改めて聞くまでもないけどね。見れば分かる」

「まあ」

「知っているのかな? ここ、城の敷地内だよ?」

「えっ!?」

 男の指摘にグレンは驚きの声をあげた、城の敷地内となれば、グレンたちは不法侵入したことになってしまう。

「城壁の外だから分かりづらいけど、一応、そういうことになっている」

「……失礼しました。すぐに引き上げます」

「ああ、良いよ。せっかくのお楽しみを邪魔したくないからね」

「でも、お城の敷地となると」

「平気、平気。誰かに文句を言われても、私が説明するから」

「……貴方が?」

 つまり男には、グレンたちが咎められないようにする力があるということだ。思っていた以上に、相手の身分は高いと知って、グレンの顔が曇る。

「というわけで、私も同席させてもらえるかな? 誰か来た時の為に」

「はい?」

 グレンの内心の不安など知ることなく、男はとんでもないことを言い出してきた。

「あっ、今の口実。楽しそうだから、それに美味しそうだ」

「……えっと」

 断るのは失礼にあたる。かといって歓迎は出来ない。

「良いと思うよ。悪い人じゃないみたいだし」

 返事に困っているグレンにローズが話しかけてきた。一応は助け舟のつもりだ。

「フローラ……」

「大丈夫。いざとなったらお兄ちゃんが守ってくれるよね?」

「それはもちろん」

「じゃあ、平気。どうぞ、狭いですけど」

 結局、グレンが返事をする前にフローラが受け入れてしまう。

「ああ、ありがとう。お邪魔するよ」

「飲み物は何が良いですか? 珈琲とオレンジジュースがあります」

「じゃあ、オレンジジュースで」

「はい」

 男に言われて、カップにオレンジジュースを注ぐフローラ。それを見るグレンの顔は複雑だ。

「ヤキモチ焼かない」

 そんなグレンを見て、ローズが囁いてくる。

「焼いてないから」

「どうだかな?」

 明らかにヤキモチ状態となっているグレン。それを知ってか知らずか、フローラは男の面倒を積極的に見ている。

「はい。どうぞ」

「ありがとう……ああ、美味しいな」

 渡されたオレンジジュースを飲んだ男は、妙に満足そうだ。

「そう? それは良かったです」

「食事も良いかい?」

「お好きなのをどうぞ。はい、フォーク」

 食事を取る為のフォークと皿をフローラは男に渡した。

「ああ、ありがとう。君は気が効くな」

「食堂で働いているから」

「そうか。それは立派だ。まだ若いのに」

「お手伝い程度です。そんな褒められるようなことじゃありません」

 こう言いながらもフローラは満更でもなさそうな雰囲気を見せている。その横には少しずつ苛立ちを募らせているグレンが居るのだが、男の目には入っていないようだ。

「それでもだ」

「あの……えっと何て呼べば良いですか?」

「ああ、そうか。呼び名がないのは不便だな。じゃあ、エドと呼んでくれ」

 男がようやく名乗った名はエド。当然、本名ではない。

「じゃあ、エドさん」

「愛称だからさん付けは良い。却って変な感じだ」

「エドで良いのですか?」

「かまわない」

 益々、苛立ちを募らせているグレンと、それを面白そうに見ているローズの二人は、完全に男の眼中には入っていない。

「じゃあ、エドは普段何をしているの?」

「私か? そうだな、何もしていないな」

「ええっ? 働いていないの?」

「ま、まあ」

「それで生活……ああ、お金持ちだものね?」

 エドの身分が高いことはフローラにも分かっている。分かっていて、気にしない様子で接しているのだ。

「まあ、生活に不自由はしないな。あっ、訂正だ。不自由はしているが、衣食住に困ることはない」

「……どういう事?」

 あえて言い直した言葉の違いがフローラには良く分からなかった。

「そういうことだ。君はフローラで良いのか?」

 フローラの問いには笑顔だけで返して、エドは話を変えてきた。

「うん」

「フローラは」

「馴れ馴れしい」

 ついにグレンの辛抱にも限界が訪れたようだ。
 
「おっ、ああ、すまん。じゃあ何と呼べば良いかな?」

「フローラで良いよ。もう、お兄ちゃん。細かいこと言わないの」

「細かくはない。大事なことだ」

「……仲が良いのだな」

 二人のやり取りは軽い文句の言い合いだが、それでもエドには仲良く見えるようだ。実際に仲は良いので正しいのだが。

「兄妹ですから」

「兄妹だからと言って、仲が良いとは限らないだろ?」

「……そうですね」

「羨ましい限りだ」

「エドにも妹がいるの?」

 エドの言い方は弟か妹の存在を示している。

「ああ、いる。兄もいるな」

「三人兄妹?」

「そう」

「ご両親も入れて五人家族か。良いね」

「良いねって?」

 五人家族であることが特別良いこととは思えない。フローラの言葉の意味をエドは理解出来なかった。

「うちは二人だけだから。あっ、今はローズさんも入れて三人」

「……ご両親は?」

「死んじゃった」

「そうか……それは済まなかった」

「平気。お兄ちゃんもローズさんも居るから寂しくない」

「そうか。つまり、二人は夫婦なのか?」

「「夫婦!?」」

 三人が家族と言われれば、グレンとローズが夫婦だと考えるのが普通だ。フローラの言い方が悪い。

「違うのか?」

「違います。あえて言うなら、恋人……あっ」

 とっさにローズを恋人と宣言してしまったグレン。恐る恐るフローラに視線を向けた。それにニヤニヤと笑って返すフローラ。

「もう聞いているもん」

「ローズ……」

「バレてたのよ。フローラちゃん、案外、鋭いの」

「昨日の今日で? そうか、バレてたか」

「エッチした二人はバレバレだよ」

「フローラ! そんな言葉、どこで覚えた!?」

 グレンが思う以上にフローラは大人なのだが、グレンは全くそれが分かっていない。

「はっはっはっ。いや、君たちは楽しいな。これは散歩もしてみるものだ」

 三人のやり取りを聞いていたエドは、とうとう大声で笑いだした。

「楽しんで頂けて良かったです……」

「もう、笑われちゃった。エド、これ食べて。フローラが作ったの」

「おお、そうか。それは楽しみだ……うん! 旨い!」

「本当!? じゃあ、これも」

 そして又、グレンを無視してフローラはエドの世話を焼き始める。

「い、いちゃいちゃと……」

 それに苛立つグレン。同じ状況の繰り返しだ。 

「おや? お兄さんはフローラのこととなるとあれだな。感情が隠せないのだな」

「ごめんなさい。この男は筋金入りのシスコンなのです」

 エドの問いにローズが事情を説明した。

「シスコン? なるほどな。まあ、こんな可愛い妹なら仕方ないか。気持ちは分かる」

「えっ?」

「どうかしたか?」

「いえ」

 さらりとフローラを可愛いと言ったエドと名乗った男。それにグレンは一切、下卑た感情を見ることは出来なかった。少し安心して、グレンはフローラがするに任せることにした。
 そもそも、フローラが自分以外の男に気軽に接するところを見るのも久しぶりだ。こういうことも必要だと、無理やり納得させた面もある。

「エドは毎日暇なの?」

「ああ、さすがに暇は言いすぎだな。働いてはいないが、それでもやることはある。もっぱら勉強だな。私にとっては、それも退屈なことだが」

「勉強は楽しくない?」

「学ぶものによってなのだと思う。私が学んでいる多くは役に立つか分からないものばかりだ」

「一つも楽しいお勉強はないの?」

「そうだな。剣を学ぶのは楽しいかな。強くなった実感が得られるからな」

「えっ? 剣を学んでいるの? じゃあ、エドは強いの?」

 フローラは剣に興味があるわけではない。グレンとの共通点を見つけて食いついたのだ。

「どうだろう。そこそこ出来る方だと思うが」

「お兄ちゃんとどっちが強いかな?」

「ああ、お兄さんも剣を使うのだな。確かに強そうだ。見習い騎士か何かか?」

「違うよ。国軍の中隊長なの」

「国軍? それも中隊長。その年でか?」

「まあ」

 珍しい反応ではない。グレンの見た目で、国軍の中隊長と聞かされれば、まず十人が十人驚く。

「所属と名を聞いても良いか?」

「……三一○一○中隊のグレンです」

 躊躇いながらグレンは所属を答えた。もうグレンにはエドの正体が見えてきている。想像通りであれば、あまり近づきたくない相手なのだ。

「……なるほど。聞いたことがある」

「お兄ちゃんのこと知っているの?」

 フローラはグレンの不安など分からずに、素直に驚いている。

「ああ。若いのに優秀な兵士だと聞いた。そうか、君があのグレンか」

「へえ、お兄ちゃん、有名人だね?」

「いや、そんなことはない」

 有名人だとしても、それは軍部の中だけの話だ。だが、エドはどう見ても軍人には見えない。

「でも、エドは知っているよ?」

「有名人だぞ。フローラのお兄さんは。何と言っても、あのランス……まあ、偉い人でも知っているくらいだ」

「そっか。それはちょっと嬉しいな」

「ちょっと? かなり喜んで良いと思うが」

 フローラの反応は、エドにとって予想外だったようだ。

「お兄ちゃん、国軍を辞めたがっているから」

「何と!?」

 これに驚くことでエドが軍人ではないことは、ほぼ確定となった。そして、グレンの考えも確定だ。

「フローラ、その話は」

「あっ、内緒だった?」

「内緒じゃないけど、仕事の話はさ。せっかくの休日だから」

「……そうだね。別のお話をしよう」

 それからは普段の生活の事や、エドが話す珍しい話で盛り上がった。そんな楽しい時間も終わりがやってくる。

「そろそろお暇しようかな。いつまでも戻らないと心配を掛けてしまう」

「そう。楽しかった。また会えると良いね?」

「……そうだと良いな」

 会えることなど、まずない。エドはこれを知っている。

「会えるよ。そう信じていれば必ず」

「そうだな。そう信じよう。さて、グレン。悪いが途中まで送ってくれるか?」

「えっ? ああ、はい」

 エドに従って、グレンは立ちあがった。送る必要がないことは分かっている。何か二人だけの話があるのだろうと思ったのだ。
 林を奥に少し進んだ所で、案の定、エドが話しかけてきた。

「今日はありがとう。楽しい時間だった」

「いえ、こちらも楽しかったです」

「私と会ったことは秘密にしておいてくれ」

「どうしてですか?」

 話すつもりは元からないが、あえて、これを言ってくる意図が気になった。

「私は……さすがに気が付いているのだろう?」

「はい。王子殿下ですね。エドというお名前からだと、エドワード王子殿下でしょうか?」

「そうだ。そこまで分かっていたか」

「自国の王族の名はさすがに覚えております。ただ秘密にする理由が分かりません」

「お前はランス。トルーマン元帥に近いと思われている」

「でしょうね」

 これはグレン本人も否定出来ない。このせいで、グレンにとっては酷い目にあっているのだ。

「そして、私とランスも近い関係にある」

「派閥ですか?」

「そんなことまで知っているのか? だが、それは正しくはない。別に私は派閥など必要としていないからな」

「……どういうことでしょう?」

 何となく軍部に派閥が存在することは分かっていても、その詳しいところまではグレンは知らない。知る必要のないことだと思って、調べることもしていなかった。

「周りが勝手にそう思っているのだ。王位継承争い。こう言えば分かるか?」

「……はい」

 ある意味では予想通りの内容。そして、やはり知らなくて良いことだった。

「私にはそんな野心はない。だが、私を担ごうとする者たちが居る」

「まさか閣下もですか?」

 権力争いに動いているトルーマン元帥は、グレンの持つイメージとはかけ離れている。

「いや、そうではない。ランスは私に変な者が近づかないように盾になってくれているのだ」

「それなら分かります」

「だが、それを分かってくれない。私の兄はな」

「そうですか」

 グレンたち兄妹の仲を、やけに羨んでいた理由が今、分かった。

「私と接触したと知れれば、お前も疑われるだろう。私、ランス、この二人に近いとなれば、まず間違いなく」

「秘密にするのは自分たちの為ですか」

「まあ、そうだ。良い家族だ。そんな家族を薄汚れた政争に巻き込みたくない」

「……ありがとうございます」

「私はお前が羨ましい。私もあんな妹が欲しかった」

「フローラは自分の宝です」

「その宝。大切にしろ。もう二度と会うことはない。一緒にいるところを見ただけで、勘ぐるような奴らが相手だからな。万一、城ですれ違うようなことがあっても無視しろ」

「はっ」

「では。もう一度言う。今日は楽しかった。ありがとう」

「いえ、こちらこそ。妹のあんな楽しそうな姿は久しぶりに見ました。王子殿下のおかげです」

「…………」

 何か言いたげな様子だったが、結局何も言わずに、エドワード王子は林の奥、城へ帰っていった。それを見送ってグレンも二人の下に戻る。
 やはり、この国には関わりたくない。こんな思いを強くして。