王国騎士団の調練場は、官舎のすぐ横にある。国軍のそれよりも遥かに広大な敷地だ。騎士団が国軍より格上だからという理由もあるが、それだけでもない。王国騎士団が保有する騎馬部隊の調練をするには、広い敷地が必要だという事だ。
この広大な調練場は、今、騎士たちの熱気に溢れかえっている。
軍の頂点に立つトルーマン元帥が謁見しているのだ。騎士たちにとっては、元帥の目に留まる絶好の機会。張り切るのも当然だ。
だが、それは逆に失敗も目に留まる機会だということに、そろそろ騎士たちも気が付いて来ていた。
「……なんだ、あの動きは?」
「何か、ございましたか?」
トルーマン元帥の呟きに、隣に立つ将軍の一人が応えた。今日が当番だったことは、彼にとって不幸だった。
「何かではない。あの騎馬部隊は何だ? 列は乱れている。間隔もバラバラ。あれでどうやって敵と戦うつもりなのだ?」
「……申し訳ございません。すぐに改めさせます」
「すぐに改まるのか? では、何故、最初からそれをせんのだ?」
軍においては正確な伝達が必要と考え、常に言葉には煩いトルーマン元帥だが、さすがにこれは揚げ足取りに近い。
「それは……言葉を間違えました。一から鍛え直させます」
「そうしろ」
トルーマン元帥に騎馬の動きひとつから指摘されたのでは、堪ったものではない。
近くに居て文句を言われ続けている騎士団の将軍たちは、このところ胃が痛い思いばかりをしていた。
「はあ」
今度は溜息だ。
「な、何か?」
「重装歩兵はちゃんと鍛えておるのか?」
「もちろんでございます」
騎馬の次は重装歩兵。騎士団は騎馬部隊と重装歩兵部隊の二つなのだから当たり前だ。要は騎士団全体がダメ出しをされているのだ。
「では、何故、動きが緩慢になっておる? いくら重い装備に身を固めているとはいえ、それでも一般の歩兵と同じように動けるのが重装歩兵であろう?」
「はい……」
「これで何度目だ?」
「……何度もご指摘を受けております」
返事に躊躇いを見せる将軍は、既に自分の失敗に気が付いていた。
「儂は何度目か、と聞いておるのだ」
予想通りの問いをトルーマン元帥は発してくる。
「申し訳ございません。正確な数までは」
「十度目だ。つまり、これで、重装歩兵の全中隊が失格という事だ」
「……はい。申し訳ございません。一から鍛え直します」
「では、そうせよ」
「はっ」
叱責に落ち込む将軍。だが、落ち込むのさえ、まだ早かった。
「……どうした?」
トルーマン元帥が厳しい視線を向けて、問い掛けてきた。
「はっ?」
「一から鍛え直すのではないのか?」
「は、はい。それはやりますが」
トルーマン元帥の問いかけの意味をまだ将軍は分かっていない。
「体力がない騎士は何をして体力をつけるのだ?」
「走り込みでしょうか?」
「分かっていて、何故、直ぐに指示をせんのだ?」
「あっ、申し訳ございません! おい! 重装歩兵の訓練を中断! 走り込みに入れと!」
「はっ! 伝えます!」
将軍の指示を受けた伝令が重装歩兵の部隊に向かって駆けて行く。
「さっき言った騎馬は?」
気を抜くのはまだ早い。事はまだ終わっていなかった。
「それも伝えます。おい! あの騎馬部隊に、基本隊列訓練からやり直せと!」
「はっ!」
こんな調子の毎日だった。トルーマン元帥が褒めることは、これまで数える程しかない。それよりも圧倒的に文句ばかり。これでは騎士たちも堪らなかった。
「……あの閣下」
「何だ?」
「そろそろ小休止を取らせても構いませんか?」
「もうそんな時間か……」
「予定では」
「決まっておるなら仕方がない。そうさせろ」
「はっ。全体休憩! 休憩だ!」
将軍の声を受けて、あちこちで休憩を告げる声が響く。調練を続けていた騎士たちは、その声を聞いて、次々と動きを止めて行った。
その場に座り込む者も少なくない。このところの厳しい調練は、鍛える以前に、騎士に精神的な疲労を蓄積させているのだ。
「だらしないな。きちんと集合して休ませんか」
「……はっ。おい、指示を出せ。号令は良い。伝令を出せ」
「はっ」
これはこの将軍のちょっとした心配りだ。号令を出せば、騎士たちは直ぐに動かなければならなくなる。伝令であれば、それが着くまでは、その場で休んでいられる。
「ふん」
トルーマン元帥も直ぐにそれが分かって、軽く鼻を鳴らした。調練で楽をさせて何の意味があるのか。こう考えるタイプなのだ。
あちこちに散らばっていた騎士たちが、少しずつ集まってきている。
そして、その間を白銀の鎧に身を固めている騎士たちの中では異色の真っ黒な服を着た男が一人歩いてきた。
それが国軍の制服であることくらいは騎士たちにも分かる。何故、国軍の兵がという騎士たちの戸惑いは、やがて別のものに変わっていった。
銀髪で小柄な国軍兵士という、その容姿に気が付いて。
騎士たちの視線が、どんどんと厳しくなっていく中を、グレンは何ら気にした様子もなく、真っ直ぐにトルーマン元帥に向かって歩いて行く。
建前は、その隣にいるアステン将軍の下へだが。
「……小僧」
グレンの姿を視認して、トルーマン元帥の口から呟きが漏れる。
「アステン将軍!」
「何だ?」
「三一○一○中隊長グレン! 三一○大隊長バレル千人将のご指示により。書類をお届けに参りました!」
「ああ、そうか。わざわざ、ご苦労だったな」
アステン将軍は、予めグレンが来ることを知っていた。それが当たり前のような態度でグレンを迎える。
「いえ、大隊長のご指示ですので」
「確かに受け取った。用件は他にあるか?」
「大隊長からのご指示は以上です!」
「そうか」
「ただ、せっかくの機会ですので、一つお聞きしたいことがございます!」
「……それは?」
いよいよ、ここからが本番だ。
「自分は、一月前に退役願いを提出しておりますが、一向に通達が下りません。第三軍団長として、アステン将軍は何かご存じないでしょうか?」
「それを俺に聞くか……」
隣に居るだけで良いと思っていたアステン将軍は、グレンの振りに戸惑ってしまう。
「アステン将軍は、大隊長の上司にあたる方ですので。何か問題がありましたか?」
「それは……特にないと思うが」
トルーマン元帥が反対しているからとは、アステン将軍は口に出来ない。
「では、自分の退役は正式に認められたということでよろしいですか?」
「はあ?」
何故、そういう話になるのか、アステン将軍には分からない。
「大隊長の上司であるアステン将軍が問題ないとおっしゃられたのですから、問題ないと判断致します」
グレンが企んだのは、承認を得たという既成事実を作ること。衆人環視の場で、アステン将軍が承認したとなれば、それを引っくり返すことも又、難しいはずという考えだ。
「ち、ちょっと待て」
「何か書類に問題がありましたか?」
「いや、無い」
「自分は軍に入って二年を超えております。他に退役条件はございますか?」
「無い、な」
グレンの退役に規程上の問題はない。無いと分かっていて、グレンは一つ一つ、アステン将軍に確認している。
「では自分の退役には全く問題はないということで。大隊長にも伝えておきます」
「いや、それは……」
最後の最後の確認にきてアステン将軍は躊躇いをみせてしまう。
「……何かございますか? 特に他の将軍がたからも、自分の認識誤りのご指摘はないようですが?」
更に他の将軍もグレンは巻き込んでいく。アステン将軍だけに背負わせては無理だと考えた結果だ。
「まあ、そうだが」
「では」
その言葉を受けたところで、すかさずこの場を去ろうとしたグレンだったが、それを許すトルーマン元帥ではなかった。
「小僧!」
「……はっ」
「姑息な真似を。こういう場であれば、儂が何も口を出さんとでも思っておったか?」
「申し訳ございません。自分には元帥閣下が何をおっしゃられているか理解出来ません」
「儂が何も言わなければ、それでお前の退役が認められたものとするつもりであろう?」
トルーマン元帥の推測通り。だが、この事態はグレンには織り込み済みだ。
「……やはり分かりません。何故、閣下の許可が必要なのでしょうか?」
もとよりグレンはトルーマン元帥とやり合うつもりだった。この場で一気に決着を付ける覚悟をグレンは決めている。
「何だと?」
「今、自分が話したのは、中隊長である自分の人事に関わることであります。畏れながら元帥閣下は、一中隊長の人事に介入する権限はお持ちでないかと」
「……そうくるか。規則を盾に取ればどうにかなるとでも?」
「軍組織において規則は絶対であります。そうである以上は、それは何人であろうと守らねばなりません。自分の拙い知識では、それを超越できる方が居るとすれば、恐れ多くも国王陛下ただ御一人」
国王を出すことで、トルーマン元帥を黙らせる作戦だ。国王と同等の権限を持っているとは、トルーマン元帥も主張出来ない。
「……ここで陛下を引き合いに出すのは不敬ではないか?」
「全てを超越する貴き御方と申し上げたつもりであります」
「……お前の退役は認めん」
だが、トルーマン元帥は、グレンの退役をはっきりと否認した。
「何故でありますか?」
「儂が認めんから認めんのだ」
理屈ではなく感情で。これでは国王との比較も何もない。
「それは組織の規律を乱すものだと思います。それに自分が中隊長であることに納得されている方は、ここには一人もいらっしゃいません。それで軍が機能するでしょうか?」
「納得させるだけの戦功をあげれば良い」
「では、その戦いで、自分が未熟さを露呈し、味方を敗戦に陥れた場合、自分はどのように責任を取ればよろしいでしょうか? その時になって退役となるのであれば、今退役しても同じであります」
「全く、ああいえばこういう……つまり、この場で周りに認めさせれば良いのだな?」
「いえ、そういうことでは……」
嫌な予感がグレンの心に広がった。
「では聞く。合同演習についてだ」
「それは、閣下の誤解であります。自分は演習において、取り立てて何もしておりません」
「そうではない。そうだな。戦況を第三軍が、いや、第二軍が左翼から騎馬部隊を出す前に戻そう」
「…………」
トルーマン元帥の意図がグレンにも分かった。予想していなかった展開に、直ぐに考えが纏まらない。
「さて、お前が第二軍を率いていたら、どうしていた?」
「……自分はその時、一小隊長であって、軍を率いる立場にはございません」
取り敢えず回答を拒否してみる。
「そういう立場であればと聞いておるのだ。答えろ」
「それは……」
「お前はまだ国軍の中隊長。そして儂は元帥だ。軍の規則を言うなら、お前は上位者である儂の問いに答える義務がある。答えろ……いい加減なことを言うなよ。それをすれば、退役どころか今、この場で首をはねてくれる」
「横暴な!」
「いいから答えろ! もう一度言う、これは命令だ!」
あまりにも強引過ぎる手段。論破することだけを考えていたグレンにとっては、完全に隙を突かれたような感覚だ。
「……歩兵を後退させました」
「ふむ。それで?」
「距離を取った上で、三軍右翼、三一○一○中隊に対して弓兵部隊による斉射。それで拠点は維持出来なくなります。それにより更に右翼に出ていた歩兵は孤立。三軍右翼は大きく崩れます」
「三一○一○中隊が前に出る可能性は?」
「命令があれば出るでしょう。しかし、命が惜しければ出ません」
「何故だ?」
「三一○一○中隊の前面は急な下り坂になっておりました。一度下れば退却は困難かと。逆に引き出すことが出来れば、それも又、後退の余地を失くした三軍右翼はかなり厳しい状況に置かれます」
グレンは現地を調べた上で、一番、守りやすい場所を選んだのだ。
「では三軍から見れば、弓兵部隊の斉射にどう対応する?」
「同じく歩兵を下げます」
「それでは地の理を取られてしまう」
「同じように弓で射れば良いのです。一見、地の理のあるあの場所は、歩兵を弓で削るには恰好の目立つ場所です」
高所にある。それは歩兵が攻めるには難しいが、弓で射るには障害物がない場所だ。
「ただの削り合いになるな。それが分かっていて何故、三一○一○中隊は前に出た?」
「弓兵部隊を使うことはないという判断です」
「……何故だ?」
ここまでのグレンの説明は納得いくものだった。最後にそれを否定する理由がトルーマン元帥には分からない。
「教本にそう書かれております。歩兵が混戦になった後の弓兵部隊の役目は、ただ騎馬部隊を待つだけの存在です」
理由はこれだけのこと。誰もが知っている、だからこそ通用したのだ。
「ふむ……部隊の運用が硬直化しておるということか。では弓兵部隊を使わない前提では二軍はどう動くべきだった?」
「はい?」
説明はもう終わりと思っていたグレン。だが、トルーマン元帥のしつこさは、グレンの考えている以上だった。
「考えがあるのではないか?」
「それを申し上げても結果論と思われます」
「かまわん。申してみよ」
「……三軍は二軍の騎馬部隊が出ることを見越して動いておりました。弓兵部隊を出し、騎馬部隊もほぼ同時に動かしていました」
「そうだな……あれは中々良い動きだった」
口ではこう言いながらも。実際はトルーマン元帥の感心はグレンに向けられていた。今の言葉は、グレンが三軍右翼全体の動きを戦闘中に把握していたことを示している。
「ですが、それが二軍に見抜かれていたら」
「何?」
「三軍の騎馬部隊の動きは弓兵で倒した後に少し減らせれば幸いくらいの勢いでした。始めから本気で戦う気はなかったと言っても良いでしょう。恐らくは、その時点ですでに反対側で決着を付けることを考えていたのではないかと」
「……ふむ。では二軍はどうすれば良かったのだ?」
「二軍も本気で騎馬部隊を出さなければ良かったのではないかと考えます。せいぜい半分。そして残りの半分を反対に回して右翼から攻勢を掛けます」
「二軍が右翼から……左翼が手薄になるぞ?」
「側面まで混戦になっているあの場所に、騎馬が活躍する余地はありません。あるとすれば一気に突破ですが、それは弓兵部隊により損害を受ける可能性があります」
「なるほど」
当初の躊躇いの気持ちをすっかり忘れて、グレンはトルーマン元帥に向かって、自分の考えを思いっきり述べている。結局、こういうことを考えるのが好きなのだ。
「生意気を申し上げれば二軍の失敗は、三軍に付き合って左翼で勝負しようとしたことです。二軍左翼はただ耐えれば良かったのです。そうすれば三軍は右翼に兵を回し過ぎたことで中央までも薄くなっておりました。そこで左翼を崩せば、正面が薄くなった三軍は耐えることが出来ず。二軍の本陣への突撃を防げなかったと思います」
「……確かに生意気だ。お前のそれは二軍を率いていた将を馬鹿にしているのと同じだな」
文句を言いながらも、トルーマン元帥の顔は笑っている。グレンが三軍右翼全体どころか戦場全体を考えていたことが分かったのだ。
「……申し訳ございません。そんなつもりはありません。それに結果を知った上での発言ですから、何の意味もありません」
「嘘をつけ。自分たちが陣地を取った後、軍全体がどう動くか考えておったのだろう? その後の動きを素早く判断する為に様々な想定をしていた」
「そんなことはありません」
「仮にそうだとすれば、この場で考えたことになる。それはそれで驚きだがな」
「……ああいえば、こういう」
トルーマン元帥のしつこさに、グレンも思わず本音を口にしてしまう。
「何だと!?」
「何でもありません!」
姿勢を正して、大声で叫ぶグレン。この態度もトルーマン元帥には、ふてぶてしく見える。だが、グレンのこういう態度が、何故かトルーマン元帥は憎めないのだ。
「全く……とにかくお前の退役は認められん」
「何故ですか?」
「今の話を聞いて認められるか?」
「それは閣下のお考えであって、軍の総意ではありません」
「……誰か文句はある者はいるか?」
グレンがそう言うなら、トルーマン元帥としては軍の総意にするまでだ。今はそれが出来る自信がある。
「その問いで否という将軍がたは居ないと思います」
「お前は黙っていろ! 遠慮はいらん! 異論があれば言え!」
「……自分は閣下に同意いたします。いえ、部下にこのような男が居たことに気付かなかった自分を恥じております。是非、引き続き三軍に置いて頂きたく」
口を開いたのはアステン将軍だった。アステン将軍はトルーマン元帥と対等に渡り合うグレンを見て、驚きを隠せないでいた。
「ほら見ろ。他の者は?」
「…………」
中には異論がある者の居るかもしれない。だが、グレンを否定する理由は何もないのだ。
「将軍は皆、お前を認めた。これで文句はあるまい」
「文句はあります。退役を留める権利は」
「いい加減にしろ!」
「……しかし、将軍がたが納得しても、その以外の方はどうでしょうか?」
グレンのしつこさも、実はトルーマン元帥に負けるものではない。
「何?」
「例えば、閣下がおっしゃった演習で二軍を率いておられた方。三軍のその方も恐らく気を悪くされているでしょう?」
「……そうくるか」
将軍が認めても、その下の将が認めない。それは軍の総意ではないがグレンの言い分だ。
「中隊長である自分にとって、雲の上の存在である将軍方よりも、大隊長の職に就かれる千人将の方々に睨まれるほうが大問題です。確か、演習では」
「とっさにそれを思いつくとは、お前の頭の中はどうなっておるのだ?」
「何のことでしょう?」
「……エリック! アシュリー! ここに来い!」
「「はっ!」」
トルーマン元帥の呼びかけに、すぐ後ろにいた二人が返事をした。それを知って、益々トルーマン元帥の顔に苦いものが浮かぶ。
「……話は聞いていたな? というか聞かされていたな?」
「はっ」「そういう事か」
二人の返事は微妙に異なっている。
「どう思った? 正直に感想を言え」
「……正直に申してよろしいですか?」
最初に口を開いたのはエリック・ハーリー千人将。三軍を率いていた将だ。
「かまわん。そう言っておる」
「あまり気分が良いとは言えません。この者が言うのは実際に結果論です。それで自分の采配を批判されるのは納得いきません」
「そうか……アシュリー、お前は?」
「彼に一つ聞いてよろしいですか?」
「かまわん」
「右翼で攻勢を掛けたら本当に勝てたか?」
「それは……絶対とは言えません」
「ほら見ろ。騎馬部隊が動けば、こちらだって対応を考える。そう簡単に行くか」
グレンの言葉にハーリー千人将が、それ見たことかと話に割って入ってきた。
「エリック。自分は彼に聞いているのだ」
そのハーリー千人将を、アシュリー千人将が窘める。
「……この男がそう言ったのだ」
「良いから、少し黙っていてくれ。……では、確実に勝つ方法は? 自分はどうすれば良かったのだ?」
「戦場で確実はないのではないでしょうか?」
こういう物の捉え方は少しトルーマン元帥に似ている。
「では確率の高い方法は?」
「……考えていたことはありますが、恐らく出来ません。それをするには二つの条件があります」
「その条件とは?」
「歩兵の統制がもう少しきちんとしていること。それと混戦でも恐れない騎馬がいること。この二つです」
「それだけでは分からんな。それがあった場合は?」
「……歩兵を後退させるのではなく、左右に割ります。その中を騎馬部隊に突入させます。弓ではなく騎馬部隊によって、自分達の中隊を蹴散らすのです。それで前線の軸を失った三軍右翼は崩壊します」
少し躊躇いながらも、グレンは説明をした。ここまで来たら、もう抵抗しても無駄だと分かっているからだ。
「危険すぎる。失敗すれば騎馬部隊は行動の自由を失くして、全滅する可能性がある」
「はい。ですが、騎馬の本質はそこにあると自分は考えます」
「騎馬の本質だと?」
「強力な打撃力と脆弱な防御力。騎馬はある一点を粉砕する為にある。その為に自らが砕け散っても、それで戦闘に勝てればそれで良いのです」
「何と!?」
「馬鹿な事を言うな! お前は騎士を消耗品だとでも思っているのか!?」
ハーリー千人将がここで又、怒鳴ってきた。だが、これは多くの騎士の気持ちを代弁したものだ。
周囲の騎士たちの様子が一層険悪なものに変わっていた。それでも、グレンはダメ押しのように、次の言葉を口に出した。
「歩兵は消耗品であるのに、何故、騎馬をそう考えてはいけないのですか?」
「何だと!?」
「……もう良い。二人とも下がれ。儂の間違いだった。こいつはお前たちを怒らせることはしても、機嫌を取ることはしない。そうでないと辞められんからな」
険悪な雰囲気が広がる中、トルーマン元帥が止めに入ってきた。
「私は直ぐにでもこの男は辞めさせるべきだと判断いたします」
「いいから下がれ!」
「……はっ」
かなり渋々という様子で、ハーリー千人将は元居た場所まで戻っていった。
「……退役は認めない。これが軍の決定だ」
「その決定は受け入れられません。自分は退役いたします」
まわりくどい言い方はもう不要だ。
「何故だ? 儂のほうが疑問だ。それだけの才覚があって、何故、それを軍で生かそうとせん!?」
「閣下はひとつ忘れております」
「何だ?」
「兵は勝つ為に戦っているのではありません。死にたくないから戦っているのです」
「そんな事は分かっておる」
「分かっておりません。私は死にたくないから、この軍を辞めるのです」
「お前……」
思わせぶりな言い方。それを聞いたトルーマン元帥は言葉を続けられなくなった。
「今日のところはこれで下がります。仕事が残っておりますので。しかし、自分の意志は変わりません。それをお忘れなく」
最後にもう一度、はっきりと意志を示して、グレンはその場から動き出した。
許可無く下がろうとしているのだ。無礼な行動なのだが、グレンの殺気を帯びた雰囲気に飲まれて、それを咎める者は居ない。ただ一人を除いては。
「君さ、いい加減にしてくれないかな?」
前を塞ぐようにして現れた一人の男、グレンと同じ髪の色をした、その男は、綾瀬健太郎。勇者だった。
「……何がですか?」
「勘違いで、中隊長になったくせに、少し生意気じゃないか?」
グレンを挑発しているのだが、この程度で簡単に挑発に乗るグレンではない。
「その勘違いを正そうと、自分は退役をお願いしているのですが? それに何か問題が?」
「それは……」
「失礼ですが、貴方は?」
「ケンタロウ・アヤセ。勇者だ」
「ああ、貴方が勇者ですか。ではいきなりで申し訳ないのですが、一つお願いを聞いて頂けませんか?」
初対面の勇者であろうと、目的の為であれば利用出来るものは利用する。苛々が募っているせいか、素のグレンが垣間見えている。
「何?」
「勇者様であれば、国王陛下とお話する機会もございますよね? 何と言っても勇者様ですから」
「ま、まあ」
「そして勇者様は自分のような人間は中隊長に相応しくないと考えられている?」
「そうだね。エリックの足を引っ張るような奴は不要だ」
「では、国王陛下にそう進言して頂けますか?」
そして、国王であろうとも、利用することに躊躇はない。
「何だって?」
「勇者様の口から国王陛下に正しいことを進言なさるのです。それで勇者様のご希望通り、自分は退役となり、軍全体が良い形になります」
「……いや、でも」
自分から辞めろと絡んできたくせに、国王まで持ちだされると、さすがに勇者も怯んでしまう。
「勇者様は、人が出来ないことをされるから勇者様なのです。違いますか?」
「そうだね」
「では、それをなさるべきです」
「あ、ああ」
それでも何とか了承に辿り着いた、と思ったのだが。
「小僧! いい加減にしろ!」
又、トルーマン元帥が割り込んできた。
「……爺、邪魔するな」
「今、何と言った!?」
「いえ、何も」
「この……とにかく、勇者を誑かそうとしても無駄だ。陛下が了承しても、儂がそれを覆す。儂だって陛下に進言出来る身だ」
「……しまった。それもそうか」
「ち、ちょっとどういう?」
何が何だか分からないのは、グレンに誑かされた勇者だ。
「何でもありません。勇者様。出来ましたら、閣下の邪魔が入らない形で進言をお願い出来ればと。では、自分はこれで失礼します」
言っては見たものの、これが通用しないことはグレンには分かっている。もう用はないとばかりに、健太郎を避けて、出口に向った。
「待て!」
だが、勇者が制止の声をあげる。
「まだ、何か?」
「僕と勝負しろ!」
「……はあ!?」
グレンの受難はこれからが本番だった。