宿屋にローズが戻ってみると、食堂にグレンが一人で座っていた。フローラの姿はない。何となく嫌な予感がして、素知らぬ顔で階段に向かおうとしたローズだったが。
「座れ」
グレンの、この一言で動きを止められた。
「……えっと、フローラちゃんは?」
「部屋に居る。すこしきつく言い過ぎたみたいだ」
「そう。じゃあ、慰めて来ようっと」
「座れ」
「……はい」
殺気を込められたグレンの声に、仕方なくローズは席についた。
「ああいう真似は二度としないでください」
「どうして?」
「フローラには表通りには出ない様に言っている。それを無視して連れ出されては困ります」
「あのさ。フローラちゃんを心配するのは分かるけど、そんな閉じ込めるような真似はどうかしら?」
行き過ぎた過保護。グレンの行動をローズはこう見ている。
「閉じ込めてはいません。他人の目につく所には出ないようにと言っているだけです」
「過保護過ぎない? 変な男が付くのを嫌がるのは分かるけど、一生こうしているわけにはいかないわ」
「それは分かっています。あくまでも王都にいる間だけです」
王都に居る間。貴族の目につく可能性が高い、今だけのつもりだ。王都を出る時は、こんな心配のない土地に行く予定なのだ。
「どうして、そこまで? 確かにフローラちゃんは男が放っておかない容姿だけど、それで必ず変な男がついて来るなんて限らないわよ?」
「付いて来る可能性もあります」
「それを恐れていたら、フローラちゃんに良い人なんて見つけられないわ」
「だから王都にいる間だけです」
「それが分からない。いえ、過去に何かあったのは分かっているけど」
グレンの両親の死。これが人とは違うものだったとローズは知っている。それがグレンに人とは違う警戒心を抱かせていることも。
「いえ、分かっていません」
だが、それが全てではない。グレンにはまだまだ隠していることは沢山あった。
「どういうこと?」
「……面倒な人だ。どこまで察しているのか分からない」
「そんなに深いところまでは突きとめていないわ」
ローズは正直に話した。下手な駆け引きが、グレンに通用しないことはもう分かっている。
「そうですか……じゃあ、この際だ。話しておきます」
「あれ? 良いの?」
秘密を話すと言われて、却ってローズは戸惑ってしまう。グレンの意図が読めないのだ。
「ローズさんは口が軽いから。どうしたのか最近はフローラとも仲が良い。推測で変なことを口走られては困ります」
「なんか複雑……」
複雑もなにも決して褒め言葉ではない。
「あまり大きな声では言えません。もう少し、顔を寄せてください」
「ええ。んっ」
「……誰が唇を寄せろと言いましたか?」
「ええ? 口づけをしてくれるのじゃないの?」
常に遊び心を忘れないローズだった。
「碌に経験もないくせに」
「それ言わないで。人に知られたくないから」
「どうして? 逆ですよね?」
「私は自分で言うのも変だけど色気が人よりもあるほうだと思うの」
「……まあ。どちらかと言えば」
これは、グレンならではの控えめな表現だ。フローラや結衣が一目で異性を引き付ける容姿だとしたら、ローズはその纏っている雰囲気で近くにいる男を絡め取るタイプ。どちらにしても、男が放っておく女性ではない。
「男は私をそういう目で見て接して来るわ。私も、そういう男の勘違いを利用しているところがあるの。そんな私が生娘だなんて知れたら、舐められるでしょ?」
「…………」
「何よ?」
「生娘って」
「あっ……」
話す必要のないことまで話してしまったローズ。その顔が赤く染まっていく。
「本当にそうだったのか。いや、驚いた。へえ、そうなのか」
「……あ、貴方だって」
「そうですけど。でも自分はまだ十七です。早い人は経験あるでしょうけど。無いと言ってもおかしい年じゃありません」
「……どうせ私は」
とっくに結婚して子供が居てもおかしくない年齢だ。
「まあ、良いのではないですか? それはそれで」
「何か下に見ているでしょ?」
「そんなことはありません」
否定しながらも、グレンはわざとらしく笑いを堪えてみせている。
「君でも良いのよ? 初めての相手は」
「そんな無理して捨てなくても」
「私みたいな立場の女にとっては邪魔なものなの。だからといって誰でもっていうのも、あれだし……」
最後の方ははっきりと聞こえないくらいに小さな声になっていた。ローズの顔は真っ赤だ。
「恥らっています?」
「悪いか!?」
「いや。すみません。からかい過ぎですね」
グレンの顔には心からの笑みが浮かんでいた。いつも挑発する側のローズをこうしてからかうのは、何とも楽しいものがある。さっきまでの怒りはすっかり薄れてしまっていた。
「そうよ。それで肝心の話は?」
「ええ、話します。フローラは既に一度貴族に目を付けられたことがあります。フローラを妾にと言ってきた貴族が居ました」
「そう」
ローズに驚きはない。フローラでこんな話はあって当たり前だと思っている。だが、次のグレンの言葉で、この考えは一変する。
「四年、いや五年前ですね」
「……はい?」
「まだ両親が生きていた頃です」
「十歳の女の子を?」
「はい」
「変態ね」
「その通りです」
さすがに十才の女の子相手は有り得ない。これが普通の感覚だ。
「それで?」
「当然、両親は突っぱねました。それでもしつこく使者がやってきましたね」
「……ああ、分かった。繋がったわ」
グレンの両親が殺された理由。グレンの今の話は充分に動機になる。十才の女の子を妾にしようとするイカれた貴族であれば。
「そういうことです」
「それをフローラちゃんは?」
「知りません。まだ幼かったのと、両親は決して使者の前に出しませんでしたから」
「教えなかったの?」
「どうやって伝えれば良いのですか? 俺には良い言葉が思いつきませんでした」
この話を知ってフローラがどう考えるかグレンには分からない。だが、悪い方に考える可能性がある以上は、話すことは出来なかった。
「下手したら、責任を感じてしまう?」
「はい」
「……そうね」
グレンの気持ちが少しローズにも分かった。自分のせいで両親が殺されたという事実は、あまりに辛すぎる。
「同じ事が起こって欲しくない。それと、その相手が探している可能性は無くなったわけじゃない」
「それで国軍を辞めて、王都を出るのね?」
「いえ、急いでいるのは周りが何となく騒がしくなってきたからです。ローズさんもその騒がしさの原因の一つですね」
「…………」
その自覚はこれでもかというくらいにローズにはある。
「ただこの際なので、手伝ってもらおうと思っています」
「手伝い? 何を?」
「自分は他の土地の事情に詳しくないので。王都を出たとして、どこに行けば良いか分かりません。国軍から隠れることが出来て、変な貴族も居なくて、穏やかな暮らしが出来る街か村知りませんか? ああ、後、そこそこ仕事もある」
「……条件厳し過ぎない?」
そんな場所があれば、ローズ自身が暮らしている。ローズも本来は、暮らしは穏やかであって欲しいのだ。
「じゃあ、仕事は最低限の何かあれば良いです」
「国軍から隠れるっていうのは? そんな条件、必要なのかしら?」
国軍から隠れるは難しい。国内治安を担当している国軍は全国で活動をしているのだ。
「退役しても予備役ですからね。戦争が激しくなれば徴集される可能性があります。それを避ける為です」
これは嘘だ。両親の秘密を知ったグレンは、国軍ではなく、王国から隠れたいと思っている。ただ、この秘密までローズに話すつもりはない。
「じゃあ、いっそのこと、他国に逃げ出せば?」
「それでも良いですよ。そこで仕事に就けるのであれば」
王国から逃げるという点では、他国は望むところだ。
「本気?」
「本気です。どちらかと言えば、その方が良いですね。ただ、それにも条件が」
「何?」
「王国に早々に滅ぼされない国であること」
これでは逃げた意味がなくなる。
「……それはそうね。でも戦争なんて、そう簡単に起こるかしら?」
「勇者が現れたのです。戦争はやがて始まります」
戦争の為に勇者は召喚された。戦争が始まるのは間違いない。しかも、グレンの考えでは、小競り合い程度では終わらない戦争のはずだ。
「あっ、それで思い出した!」
「何ですか?」
「どうしてあんな女と知り合いになるのよ?」
結衣のことだ。グレンにもあんな女で十分に分かる。
「ああ……まさか勇者だとは。普通に声を掛けられたのです」
「馬鹿よね。本当に馬鹿。よりにもよって勇者だなんて。君、本当に静かに暮らそうと思っている?」
「そこまで言わなくても……思っていますよ。あの人とはこれっきりです。もう会うことはありません」
「どうだかな。なんだかしつこそうな女だったわよ。それに何? 構ってもらうのが当然みたいな嫌な性格」
「随分と厳しい評価ですね?」
厳しい評価ではあるが、グレンの評価と同じだったりする。ただ、自分ほど話していないだろうローズが、どうして同じ評価に至ったかは気になる。
「何となく分かるのよ。ああいう一見、真面目そうな感じが、実は一番性質が悪いって。自分は正しいと思い込んでいるからね。周りの気持ちなんて考えない」
「なるほど……たまには良いこと言いますね?」
「たまにって何よ?」
「いえ、大変参考になりました。気を付けておきます」
「あら、じゃあ御礼は、御礼? 口づけで良いわよ、ほら、んんっ」
そしていつものようにグレンの挑発に走るローズ――だったのだが。
なんとグレンは、挑発のつもりで突き出したローズの口に自分の唇を重ねてきた。
「…………」
まさかの事態にローズは大きく目を見開いて固まってしまっている。
「お礼返しましたから。これ以上は請求しないでください」
「……した」
「しろと言うから」
「まさか、本気でするなんて」
「あれ? まさか、これも初めてですか?」
「…………」
沈黙が答えだ。
「今度、挑発したら、また乗りますからね。それが体の関係であっても」
「……どうして?」
これまで拒み続けてきたグレンが、いきなりこんな行動を起こした理由が、ローズには分からない。
「ローズさんを大人しくさせるには、この方が効果的かと思いました。実際に成功どころか、思っていた以上の反応で。楽しみを覚えるくらいです」
「へ、変態」
「そうやって照れるローズさんが可愛いからですよ」
「…………」
「やっぱり楽しい」
こう言いながら、真っ赤に染まっているローズの頬に手を伸ばすグレン。そのまま、優しくローズの頬を撫で、その手を首筋に降ろしていった。
「だ、駄目」
「変なことはしませんから。ローズさんの反応を確かめたかっただけです」
「君って……もう、意地悪ね。私をこんな気持にさせて」
「この先は余計な挑発は無用です。次はこの手がもっと下に伸びることになりますよ?」
表情を真剣なものに戻して、グレンはローズに忠告する。結局これも、グレンにとっては脅しの一つなのだ。
「……分かった」
「はい。じゃあ、話はここまで。ちゃんと考えておいてくださいね?」
「あっ、分かった」
席を立って、階段を昇って行くグレン。その背中を見るローズの顔はまだ朱に染まっている。
「……なに、年下に、からかわれているのよ。もう」
ローズはまだ残る感触を確かめるように自分の唇を指で撫でた。
◆◆◆
グレンが退役願いを出してから、既に三週間が経っている。
一向に音沙汰のないことに耐えかねて、グレンは大隊長であるバレル千人将の執務室を訪れた。
「あ、あの……この間は」
「大隊長はいらっしゃいますか? お会いしたいのですが?」
気まずそうな侍女を無視して、グレンは用件だけを告げる。別に侍女に怒っているわけではない。怒っているとしたら、いつまで経っても連絡を寄越さないバレル千人将に対してだ。
「あっ、はい。あっ……」
「いらっしゃるのですね? では、通してください」
「……少々、お待ちを」
扉を閉めると直ぐにバレル千人将が侍女を咎める声が聞こえてきた。居留守を使うつもりだったのだろう。
やがて、また扉が開いて、侍女が顔を出してきた。
「今、お忙しいそうです」
「では、いつであれば時間が取れますか? いえ、お時間が空くまで待たせて頂きます」
「……少々、お待ちを」
そして、又、侍女は奥に引っ込んでいく。今度は、すぐに扉が開いた。
「どうそ。お入りください」
「失礼します!」
侍女が奥に案内するのを待つことなく、グレンは自ら扉を大きく開いて部屋に入った。
強引な素振りは、それだけ怒っているのだと示す為のポーズだ。
「あ、ああ。来たのか」
それにまんまとバレル千人将は嵌っている。上長である威厳など見せる余裕もなく、動揺した声を出した。
「お話がございます。用件はお分かりだと思いますが?」
「あれな。あれの件はまだ」
「何故ですか!? 書類を出してから、すでに三週間は経っております! 処理にこれほどの時間が必要とは思えません!」
グレンは声を荒げて、バレル千人将を追求する。
「手続きはまだだ。まだ結論が出ていなくてな」
「では、今この場で出してください! 大隊長がご結論を出せば、それで済むはずです!」
「い、いや、頼むから、少し落ち着いてくれ。ちゃんと話すから」
グレンの勢いに押し切られることなく、バレル千人将は説明の機会を求めてきた。
「……では、お話を聞かせて頂きます」
グレンも一旦、鉾を収めて話を聞くことにした。何となくバレル千人将も困っているように感じたからだ。
「まずは座れ。座って話をしよう」
「はっ。では失礼いたします」
執務机の前のソファに向かい合って座る二人。きちんと背筋を伸ばして座るグレンと、すでに疲れ切ったようにぐったりと座るバレル千人将。対照的な二人だ。
「まず最初に言っておくが、俺が放置していたわけではない」
「では、何故、これほどの時間を必要とするのでしょうか?」
「俺はその日のうちに第三軍のアステン将軍に話を持って行ったのだ」
「……それで?」
「だが、アステン将軍も結論は出せないと。それで、更に上の将軍に伺いを立てると言って」
「えっ?」
驚きの声をあげたのは侍女だ。一中隊長の人事がそこまで上がることはない。それくらいは侍女にも分かっていた。
「……お茶を淹れてくれるか? 熱いのが良い」
「お茶は温めのほうがよろしいかと思います」
「俺は熱いのが良いのだ! 早く、お湯を沸かして来い!」
「……はい」
渋々という様子で部屋を出て行く侍女。その背中を見ながら、バレル千人将は小さくため息をついた。
「全く。自ら席を外すくらいの気配りは出来ないのかな」
「ああ、もしかして熱いお茶を望まれるのは、人払いの為ですか」
「そうだ。侍女は口が軽い。今日、ここで聞いた話が明日には広まっているなんて普通にあるからな」
「……分かるような気がします」
それを利用して、情報を仕入れた経験があるグレンには、分かり過ぎるくらいに分かっていることだ。
「さて邪魔者は居なくなった。もう分かっているだろうが、お前を中隊長に推挙したのは閣下だ。顔見知りだそうだな?」
「図書室で何度かお会いした程度です」
実際にグレンに顔見知りという意識はない。元帥閣下となれば雲の上の存在なのだ。
「それでも閣下が名を覚えているのだ。理由は分からんが気に入られたのは間違いない」
「それは名乗りましたから」
「そういうことではない。はっきり言おう。俺は未だに名を覚えてもらっていない。何度か顔を会わせているし、名も名乗っているがな」
「……申し訳ありません」
グレンは謝罪以外の言葉が思い付かなかった。これも失敗だが。
「謝るな。その方が惨めになる。だが、別に俺だけじゃない。千人将では名を覚えられている方が少ないくらいだからな」
「それで指揮が出来るのですか?」
部下の名も知らない。それで統率出来るとはグレンは思えない。グレンは部下のことは出来るだけ知るべきだという考えなのだ。
「指揮は部隊名が分かればそれで良い。そういうことだろう。何々部隊、前へ、右へ。それで指揮は出来る」
「確かにそうですけど」
「はっきり言って、お前の退役に反対しているのは閣下御一人だ。それ以外の上の者は、とっとと辞めさせるべきだと思っている」
「……それは、もしかして、最悪な状況ですか?」
とっとと辞めさせろ。これは好意的な言い方ではない。
「自業自得だ。閣下が一中隊長の人事に口を出すなど異例なこと。名誉なことと言って良い。それなのに、それに感謝するどころか退役を願い出るなど、反感を買わないほうがおかしい」
「だったら、すぐに辞めさせてくれれば良いのです」
「それを閣下がお認めにならない。その意に反して、お前を辞めさせることは誰にも出来ない。出来るとすれば、それは陛下御一人だ。そして陛下が一中隊長の人事になど口出しするはずがない」
「上に恨まれたまま、軍務を続けることは自分にとって、かなり厳しいと思いますが?」
たとえトルーマン元帥に気に入られていたとしても、そんなものは何の役にも立たない。実務でグレンが関わるのは、一番偉くてバレル千人将なのだ。
「これも噂だが」
「何でしょうか?」
「閣下は、戦功で周りを納得させれば良いと考えておいでと」
「……その戦功は、盗賊討伐程度ではないのですね?」
グレンは、自分が考えていた最悪の状況に一歩一歩近づいている気がした。
「そうだろうな。その程度で、将軍方が納得するはずがない」
「どんどん最悪な状況になっております。大隊長はそれでよろしいのですか? 中隊が単独で戦争に出ることなどありません。つまり、大隊長は盗賊退治しか経験のない大隊を率いて他国の軍と戦うことになります」
「そうなるよな。そうではないかとは思っていたのだ」
バレル千人将にとっても頭の痛い話だ。戦功をあげる絶好の機会が訪れたと喜ぶ気にはなれない。何といっても率いるのは最下位ナンバーズなのだ。
「ご存知だと思いますが、自分も他国の軍と戦ったことはありません。ですが、盗賊退治程度の経験で戦えないことは分かります。それで戦争に駆り出されては、大隊は大変な損害を被ることになると思います」
「……分かっている」
そして、そうなった場合、責任を取らされるのは大隊長であるバレル千人将だ。
「速やかに自分を退役させるべきです。それが大隊長の、そして大隊の為です」
「それが出来ないから困っているのだ。退役願いを取り下げないか?」
「それは何の解決にもなりません。自分が三一○一○中隊にいる限り、三一○大隊は、戦争に駆り出されることになります。解決方法はただ一つ。自分が軍から居なくなることです」
「そうだな。だが、それは閣下がお認めにならん。これはどうにもならんな」
この様な事態となったからには、バレル千人将にとって、グレンの言っていることは正論だ。だが、その正論を通す力がないのだ。
「つまり閣下がお認めになれば良いのです」
「どうやって?」
「説得して」
「……俺は出来んぞ」
グレンの考えを先回りして、バレル千人将は拒否してくる。
「それを行うのが上司である大隊長のお役目かと思いますが?」
「閣下に恨まれろと言うのか?」
それでは今のグレンの立場と同じだ。
「それは……確かにそうですね。恨まれて良いのは辞める自分だけです。では、自分が説得致します。ただ……」
「ただ、何だ?」
「どうやって一中隊長が元帥閣下にお会いすれば良いのでしょう?」
本来、面会など許されない立場だ。こちらから会おうと思っても、会う方法がない。
「図書室は? 何度か会っているのだろう?」
「それが最近は閣下のお顔を見る機会がなくて。大隊長のお話で分かりました。自分を避けているのですね」
「閣下が中隊長であるお前を?」
「閣下が閣下としていられるのは、自分が軍人だからです。自分はその軍人を辞めようとしております。あまりの不敬は問題となりますが、少々の文句であれば言えます。それを分かっておられるのではないかと」
「……お前、怖いもの知らずだな。あの閣下に文句を言うつもりか?」
バレル千人将にとってトルーマン元帥は、逆らおうと考えることさえ出来ない存在だ。
「それだけ追い詰められているということです」
「そうだが」
「勝ち目のない戦場に出されて死ぬよりはマシです」
「そこまで言うか……」
グレンの話は、バレル千人将が負けることが前提だ。ただ、グレンに悪気があるわけではない。
「事はそれだけの事態になりそうなのです。それで、自分はどうすれば閣下にお会いできますか?」
「謁見を申し込んで」
「それは無理でしょう。一中隊長の謁見申込みなど取り次いでもらえません。それに取り次いでもらえたとしても」
「ああ、会うとは限らないか」
「はい。大隊長でさえ、会おうとしないのですから」
バレル千人将もさきほど居留守を使おうとしていたくらいだ。
「さりげなく嫌味を入れるな。閣下と俺では立場が違うだろう?」
「まあ、そうです」
「そうなると……あれか」
バレル千人将には一つの考えがあった。グレンでは思い付けないことだ。
「あれと言うのは何でしょうか?」
「最近、閣下は熱心に騎士団の調練をご覧になっておられる。そこに行って直談判だな」
「それは国軍の中隊長である自分が行ける場所なのですか?」
騎士団の調練場と国軍のそれは違う。しかも騎士ではないグレンが軽々しく足を踏み入れて良い場所ではない。
「そうか……口実を作るか」
「口実、そんなことが出来るのですか?」
「行くきっかけは作れる。俺に書類を頼まれたことにすれば良い。そうだな、アステン将軍が良いか。将軍であれば、恐らく閣下のお側に居るはず。それで近くまでは行けるはずだ」
「後は自分の裁量で何とかしろと?」
今の話だとバレル千人将は、その場に行かないことになる。
「まあ、そうなる。ただ、アステン将軍には話しておこう。お前が辞める為だとなれば、協力はしてくれるだろう」
「それは、どの程度の協力でしょうか?」
「お前が来るのを見計らって、閣下の隣に立っているくらいだな」
「……それは大変ありがたい協力です」
隣に居るだけで、何の口添えもしてもらえない。それを協力とは言わない。
「だから嫌味を言うな」
「言いたくもなります。辞める身だから言わせて頂きますが、騎士団の方々は、少し官僚色に染まっていらっしゃいませんか? 上を気にして言うべきことを言えないなど。それは本来の職場である戦場でもそうなのでしょうか?」
「それ間違っても騎士団の前で言うなよ?」
「それがお答えですか」
「言い訳をさせてもらえば、戦争らしい戦争がなかったからだ。滅多に戦功をあげる機会などない。そうなれば昇進は普段の振る舞いによって決められる。上に睨まれても、圧倒的な戦功で認めさせる嘗ての英雄的な将なんて存在は今の時代には居ないのだ」
大陸の戦乱が激しかった時代。個性的な将が何人も居た。どんな捻くれた性格であっても勝てば全てが許される。そんな時代だったのだ。
だが、今となってはお伽話の世界でしか存在しない。
「……そう言われると、何も言えません。そういう意味では、今は良い時代だということですか」
「だが、それも間もなく終わる」
「……やはり」
「正直言うと俺個人としては、お前みたいな部下には居て欲しいのだ。扱いは難しいが、いざと言う時に頼りになる。これからはそういう軍人が必要な時代になるかもしれん」
それは嘗ての戦乱の世が再来するということだ。バレル千人将はそこまで意識して言葉にしたわけではないが。
「買い被りです。自分は大隊長に褒められるような仕事はしておりません」
「惚けるな。俺がいつまでも騙されたままだと思っているのか?」
「何の事でしょう?」
「合同演習。他の中隊長からも話を聞いた。始めは何をしているのかと呆れたそうだが、お前たちが陣取った場所は周囲より小高い、敵から見て攻めづらい場所だったそうではないか。しかも、もう一カ所のそういう場所を結んで、うちの大隊は陣を組んだ」
「偶然です」
「指示を聞いたという者が居る。そして実際に、その場所を押さえたおかげで戦いを楽に進めることが出来たそうだ。うちの大隊は離脱者が少なく、その余裕がお前の中隊の離脱を可能にした。そして、あの結果だ」
「…………」
面倒くさがりのはずのバレル千人将が、実に良く調べている。これはグレンには少し意外だった。
「お前が閣下に見込まれる理由も分かる。それだけの能力を持っていて本当に辞めるつもりか?」
「はい。大隊長の推測が仮に事実であったとしても、実際の戦場は、そんな上手くは行きません。下手な小細工は却って、命を縮めるだけかと」
「……そうか」
「閣下の下へはいつ行けますか?」
「機会が出来たら呼ぶ。そう先ではない。閣下は毎日のように調練に出ているそうだからな。後はアステン将軍が同席される日を選ぶだけだ」
「分かりました。では、ご連絡をお待ちしております」
グレンの少々強引な手は、この時はうまく行ったのだが、結果として事態をより悪いものに変えてしまうことになる。
特別である自覚のないグレン。だが、そんなことに構うことなく周囲は動いていく。
特別な人には特別な人生が用意されることになる。結衣に言ったその言葉がそのまま自分に返ってくるなど、この時のグレンは思ってもいなかった。