今日は国軍の休養日だというのに、グレンは騎士団官舎を訪れていた。バレル千人将の侍女サラとの待ち合わせの為だ。
約束の時間はもうとっくに過ぎている。どうやらすっぽかされたようだとグレンは判断した。軍を退役しようとしている話は当然、侍女は知っているはず。バレル千人将の思った通りであるとすれば、もうグレンには用はないはずだからだ。
官舎を背にして、宿へ引き返そうとするグレン。その背中に声が掛かった。
「あの、国軍の方ですか?」
「はい。そうですけど」
グレンが着ているのは、国軍の制服である黒の軍服。女性と遊びに行くのに軍服を着ているのもおかしな話だが、きちんとした普段着など持っていないグレンである。これでも一応は気を使った結果なのだ。
「ここで何をしているのですか?」
「はい? 何故、それを貴女に教えなければいけないのですか?」
「あっ、いえ。今日は休日だと聞いていましたので」
「確かにそうですけど、休日であれば尚更、聞かれる筋合いはないと思います」
「そうですね……あの?」
「何ですか?」
はっきりしない女性の態度に、グレンは少しイライラしてきた。元々、人付き合いは苦手というより、嫌いなグレンである。普段であれば、まだ取り繕うこともあるのだが、休日の今はそういう心遣いさえ面倒に思ってしまう。
「いえ……」
グレンの不機嫌そうな態度に、女性の方も落ち込んだ様子を見せる。そうなると今度はグレンも自分の態度を反省してしまう。人付き合いは嫌いだが、女性の扱いも苦手なグレンなのだ。
「……ご用件をお聞きします。何でしょうか?」
「あっ、えっと、暇ですか?」
「ここで、こうしているくらいですから」
気を遣ってみたが、やはり苛立ちは消えない。
「……すみません」
「ご用件は?」
「もし時間があるなら、王都を案内して頂けないかと思いまして」
「……もしかして、将官のどなたかの侍女の方ですか?」
初対面の自分に、こんな厚かましいお願いをしてくる。バレル千人将の侍女であるサラと同じ魂胆ではないかとグレンは疑っている。
「将官?」
だが女性はそうではなかったようだ。将官を知らない侍女など居ない。
「軍の関係者ではないのですか?」
「あっ、はい。将官というのは?」
「……百人将という言葉は?」
何故、これを説明しなければならないのか。こんな不満を抱きながらも、グレンは説明を始める。
「それは知っています」
「百人将以上の方を将官と言います。ただ、それは騎士だからで、同じ中隊長でも平民出身だと尉官です」
「同じ中隊長でも尉官というのは?」
「こんな話に興味がありますか?」
「……せっかくですので」
女性は申し訳なさそうにしながらも、説明を求めてくる。
「そうですか。軍の役職は大きく将官、佐官、尉官に分かれています。階級ですね。小隊長から中隊長までは尉官です。少尉、中尉、大尉という順に偉くなります。その上が佐官。職位でいうと大隊長ですね。少佐、中佐、大佐とあります。将官はさっき言った通りです。ただし、今説明したのは、かなり昔に決められた制度で今はこの規定通りにはなっていません。騎士の方は佐官、そして百人将以上の方は全て将官とされています。中佐、大佐などと呼ぶこともありません。説明は以上です」
早口で一気に軍の職位についてグレンは説明した。きちんと伝えるつもりはない。とっとと説明を終わらせることを優先している。
「……なんとなく分かりました」
「どうでも良い話でしたね」
「いえ、勉強になりました。それで貴方は?」
「一応、まだ中隊長ですので尉官。階級でいえば中尉になります」
「えっ?」
グレンの説明を聞いて、女性が驚いた様子を見せている。
「何か?」
「そんなに若いのに」
「……じゃあ、何で聞いたのですか? 平の兵士は無官ですけど?」
平兵士だと思っているのであれば聞く必要などない。女性の感覚がグレンには理解出来ない。
「すみません」
「別に謝って頂く必要はありません。それで案内と言うのは? どこか行きたい場所があるのですか?」
「これといって決まった場所はありません。少し、気分転換が出来ればと思って」
「……それに自分に付き合えと?」
道案内だと思っていたが違っていた。これでは侍女に求められたことと変わりはない。
「すみま……いえ、そうです」
女性は又、とっさに謝罪の言葉を口に出そうとしたのだが、それをグレンは軽く手を上げることで遮った。
「そこまで暇では……別の方にお願いして頂けませんか?」
「それが……そう思って、ここに来たのですけど、お休みで」
「では、残念ですが日を改めた方が良いと思います」
「でも、私あんまり自由に動けなくて。今日は特別なのです」
「……普段は何を?」
侍女ではないのに自由時間がない。女性が何者なのか少しグレンは気になってきた。
「勉強ですとか、鍛錬ですとか」
「えっと、どこかの貴族家の方なのですか?」
「いえ違います」
「……では、何です?」
「あまり、人に言える立場では……」
グレンの問いに、女性は返事に困っている。訳ありなのは良く分かった。
「そんな貴女を案内しろと?」
「お願いします! ほんの少しで良いのです。とにかく色々あって、気持ちが滅入っていて」
女性は今にもしがみつきそうな勢いで、頼み込んできた。さすがに、この状態の女性を無碍にはしづらい。
「……どんな所に行きたいのですか?」
「連れて行ってくれるのですか!?」
グレンの言葉を聞いて、女性の顔が一気に明るくなる。この切り替えの早さは、グレンに警戒心を抱かせた。どうやら面倒くさい女性だと。
「聞いてからです。自分もそれほど王都には詳しくありませんので」
「そうですね。美味しいスイーツを食べられるお店とか」
「スイーツって何ですか?」
「あっ、甘いものです」
「ああ、なるほど」
甘いものが食べられる場所。残念なことにグレンには心当たりがあった。
「知っています?」
「……まあ、行こうとしていた所はあります」
サラを連れて行こうとしていた場所だ。
「もしかしてデートだったのですか?」
「デートではないです。同じように王都を案内して欲しいと頼まれて」
「その人は?」
「都合が悪くなったみたいですね。約束の時間はとっくに過ぎています」
「あ、ああ……」
女性の目に同情の色が浮かぶ。色事に奥手なグレンでもこの意味は分かった。
「振られたわけではありませんから。あくまでも案内人として約束しただけです」
「……そうですね。じゃあ、丁度良いですね? 行こうとしていた所に案内してください」
「……案内することがもう決まったような言い方ですね?」
女性の強引さはローズを思い出させる。グレンの苦手なタイプだ。
「良いじゃないですか」
「……では、少しだけ」
そして、グレンは女性の押しに弱い。最後にはこうして了承してしまう。
「ありがとう。私は和泉結衣と言います。この世界ではユイ・イズミですね」
「……今何と言いました?」
だが、了承を口にするのは早すぎた。
「私の名前はユイ・イズミです」
「いえ、その前です」
「和泉結衣」
「その後ろ」
「……この世界では? この世界ではファーストネームが先ですよね?」
もっとも関わり合いになりたくない存在。軍人を辞めると決めていても、やはりグレンはこう思った。結衣にはどこか危険な匂いがするのだ。
「お城にご案内致します。すぐ隣ですけど」
「どうして?」
「貴女、勇者ですよね?」
「違います」
グレンの問いに結衣ははっきりと否定で返す。
「……じゃあ、何です?」
「勇者である健太郎に巻き込まれて召還されてきたのです」
「……それを勇者というのでは?」
巻き込まれて召喚と言われても、グレンにはどのような状況なのか想像が付かなかった。
「勇者は健太郎。私はただの巻き込まれです」
「……とにかくお城にご案内します」
結衣の理屈はグレンには全く理解出来ない。グレンの知識では異世界から召喚されれば、それは勇者だ。
「嫌よ。せっかく脱け出して来たのに」
「だからです。勝手に城を脱け出すなんて、何を考えているのですか?」
「だって……」
「とにかく、すぐに戻ってください」
「……戻りたくない」
「それは我儘というものです」
「だって、大変なことがあって。なんだか混乱して。でも、そんな私の気持ちなんて、誰も分かってくれない。全てを投げ出したいのに、それも許してもらえない……私は、ただの学生なのに……」
最後のほうはグレンに話すというよりは、独り言のようになっていた。これを聞いたグレンの表情が変わる。結衣の言葉は、グレンが今思う気持ちと一緒だ。
「……それでも戻らないと。貴女は良いかもしれませんが、それで罰を受けるのは、自分や……罰か……」
「そうですね。周りの人に迷惑かけてしまいますね」
グレンに迷惑を掛けることになる。今更ながら気付いて、結衣は少し冷静になっている。
「あっ、いや。自分があまりにも酷い罰を受けそうになったら、庇って頂けますか?」
「それはもちろんです。いえ軽い罰でもちゃんと」
「それは良いです。ほどほどの罰は望むところです」
「えっ?」
「こういう手もありましたね」
一人で勝手に納得しているグレン。今度は結衣が訳が分からなくなる番だ。
「あの、何の話ですか?」
「何でもありません。じゃあ、行きましょうか。美味しいものが食べられるお店ですね?」
「あっ、はい」
退役を認めてもらえないのであれば、認めざるをえない状況にすれば良い。こんな風に考えたグレンだったのだが、後にこの判断を強く後悔することになる
◆◆◆
王都の表通りを商店街に向かって歩くグレンと結衣。普通に歩いているつもりなのだが、すでに二人は注目の的になっていた。
結衣が着ているドレスは簡素ではあるが、一目見て上質だと分かるもの。そうでなくても、ドレス姿で通りを歩いている者など珍しい。それだけで人目を引くには十分だ。
まして、結衣はすれ違えば十人が十人振り返る程の美人。目立たないでいることの方が難しかった。
「ねえ。洋服を売っている場所を知らない?」
「…………」
いきなり砕けた口調で話す結衣。結衣は知らない。グレンがこういう馴れ馴れしさを嫌うということを。
「何?」
「別に。知っていますけど。どうしてですか?」
「着替えを買いたいの」
「ああ。そうですね。その方が良さそうです。じゃあ、少し急ぎましょう」
通りをやや速足で進んで、グレンが知っている洋服屋の入り口をくぐる。
「庶民の服しかありませんけど」
「その方が良いわ。じゃあ、気に入った服を探してみるから」
「どうぞ」
グレンは店先で買い物が済むのを待っているつもりだったのだが。
「……こういう時は一緒に探すものよ」
「女性の服ですよ?」
「そういうものなの」
「はあ」
無理やり腕を引かれて店の奥に連れて行かれるグレン。結衣の方は、せっかくだからと、デート気分でそうしているのだが、グレンにとっては迷惑極まりない。
「これなんてどう?」
気になる服を取り出して、結衣はグレンに見せた。
「気に入ったのでしたら良いのではないですか?」
「……グレンくんに聞いているの」
「グレンくん?」
口調だけでなく、呼び方まで砕けている。
「だって、年下って」
「そうですけど」
「私のことも結衣で良いから」
「自分と貴女は名で呼び合うほど親しくないと思いますけど」
「……堅いのね」
「これが普通だと思います」
「少しは砕けてよ。せっかくのデートなのだから」
「自分は店を案内しているだけです」
グレンの素っ気ない態度にわずかに結衣の顔がゆがんだ。
「……ちょっとショック」
「ショック?」
「傷ついたってことよ」
何故、ショックを受けるのかとグレンは聞いたつもりだったのだが、結衣は言葉が分からないのだと勘違いしている。
「何故ですか?」
面倒なので、グレンはそのまま話を続けた。
「これでも男の人には少しはモテる方なのにな。グレンくんは眼中にない感じ」
「モテる?」
ちなみにこれはワザとだ。
「……好意を向けられるってこと」
これを言わせる為の。
「それを自分で言いますか?」
「そう言われると恥ずかしくなるじゃない。でも、私って魅力ないかな?」
意識して笑みを作って結衣はグレンを正面から見詰めた。十人の男がいれば、ほぼ全てが虜になるような魅力的な笑み。だがグレンは、そのほぼから外れる数少ない男の一人だった。
「……美人だと思います」
「そう!」
「目立つので顔を、少なくとも髪は隠した方が良いですね。黒髪の女性は少ないですから」
「そう……」
こんな調子の二人だったが、それでも結衣は気に入った服を見つけ出すことが出来た。
選んだのは白いワンピースとそれに合うような靴。そして、赤いリボンの付いた麦わら帽だ。ドレスとは正反対の質素な装いだが、それも清楚な雰囲気を醸し出して、結衣の魅力を引き出している。
「もう少し目立たない服はなかったのですか?」
だが、グレンの態度は全く変わらなかった。
「せっかく買うのだから」
「……そうですね。先々も着られた方が良いですね。一度だけでは勿体ない」
「そうね……」
二人の価値基準はどこかずれている。
「じゃあ、お勘定を済ませてきてください」
「…………」
信じられないという表情で結衣はグレンの方を見詰めている。一方で見つめられているグレンはどうしてこんな表情を向けられるのかが分からない。
「お勘定を」
「無いの」
「何が無いのですか?」
「お金」
「はい?」
「お金なんて貰ってないから」
「……じゃあ、仕方ないですね。元のドレスに着替えてください」
呆れた顔を見せて、グレンはこう結衣に告げた。
「えっ? 出してくれないの?」
そのグレンに結衣が驚きを見せている。
「どうして自分が出さなければいけないのですか?」
「だって、デートの時は男性が出すものよ」
「デートではありません。道案内です」
「……ケチね」
「一般庶民の生活を知らないからそんなことが言えるのです。お城で何不自由なく生活している貴女には分からないでしょうけど」
「……分かったわよ。じゃあ、貸して。後で返すから」
さすがにグレンの言葉が嫌味であると結衣にも通じたようだ。実際に、城では贅沢な暮らしをしているのだ。
「いつ返してくれるのですか?」
「直ぐに返すわよ」
「絶対ですよ? 次の給料日はまだ先です。余裕がないのですから」
「分かってるわよ。何か残念な感じ」
「残念?」
「デート気分が台無し」
「デートじゃありませんから」
「…………」
◇◇◇
精算を済ませて二人は店を出た。お気に入りの服が見つかってご機嫌な結衣。それとは正反対に、グレンは酷く落ち込んでいる。
「高い。こんな高い服があの店に置いてあるなんて。しかも、よりにもよってそれを選ぶ貴女は」
結衣の買った服は思いの外、高かったのだ。貸しただけだとしても、返してもらうまでの手持ちが少なくなってしまう。
「ご、ごめん。だって肌触りが違うのよ」
グレンの落ち込みを見て、さすがに結衣も悪いと思い始めてきた。
「……ちゃんと返してくださいよ?」
「分かっているわよ」
「絶対ですよ? 次は、甘味ですね……これも貸しですよ?」
「甘味くらい驕ってよ」
「……異世界の女性って、皆そうなのですか?」
ローズの強引さと結衣のそれが違うことにグレンは気が付いている。結衣の態度には、人への甘えが多分に含まれている。これがあるとないでは、随分と違うのだとグレンは知った。
「そうってどう?」
「見ず知らずの男性に平気で甘える」
「見ず知らずってことはないじゃない。貴方のことは知っているわよ」
「今日知り合ったばかりです。そして、明日になれば、又、知らない人です」
この辺の線引きはきっちりとしておきたい。結衣を知れば知る程、グレンはこう思う。
「ちょっと冷たくない?」
「勇者と親しい一般兵なんて居ませんから」
「居ても悪くないわよ」
「悪いですね。分に合わない関係は良い結果を生みませんから」
「意味が分からない」
「……例えば王子様と平民の子が仲良く出来ますか?」
何故、年上にこんな説明の仕方をしなければならないのか。グレンのストレスは溜まる一方だ。
「出来ないことはないわよ。人は身分などで差別されてはいけないもの」
「……なるほど。やはり貴女はこの世界の人ではない」
結衣に対して、ストレスを感じる原因がグレンには分かった。
「この世界がおかしいのよ」
「そして、貴女は勇者という特別な人だ」
「なんか嫌な言い方ね」
「自分が貴女と同じことを言えば、間違いなく罪に問われます。でも貴女がそれを言っても誰にも咎められない。つまり、貴女は差別の恩恵を受けている側ですね?」
異世界人だからというだけではない。結衣はグレンの嫌いな権力を持つ側の、それも特別な権力を持つ人間なのだ。
「…………」
グレンの話に結衣は何も言えなくなってしまう。差別は間違いと言いながら、自分は良い意味で差別されている。この矛盾に気が付いたのだ。
「ちょっと言い過ぎました。申し訳ありません」
「別に。でも、自分で望んだことじゃない。それは分かって欲しいな」
「そうなのですか?」
「そうよ。普通の暮らしをしていた。でもある日突然、元の世界から引き離されてここに連れてこられたの。家族も友人も誰も居ないこの世界に」
「そうですね」
異世界人である結衣には異世界での生活があった。当たり前のことだが、グレンはこれを初めて知った気がした。
「しかも勇者だって。私は巻き込まれただけと言っても許してもらえないし」
「……でも特別な力はあるのではないですか?」
「あるけど……」
「そういうことです。特別な人には特別な人生が用意されるものです。同情しないわけではありませんが、仕方のない面もあります」
「私は貴方のような平凡な暮らしが良いな」
「平凡……」
平凡な人生をどれだけグレンが求めているか、結衣は知らない。
「あっ、ごめん」
「いえ、そうではなくて。平凡な人生にも、それなりの試練はあります。それを言いたかっただけです」
「そっか。そうね。元の世界は平凡な暮らしだったけど、それは今と比べての話で、何もなかったわけではないものね」
「そういうことです」
「グレンくんには何があったの?」
「自分ですか? そうですね。ある日、突然勇者が目の前に現れて、金を奪って行ったとか」
結衣に自分のことを語るつもりはない。親しさもそうだが、それ以前に、話しても肝心なところは理解されない。何となくこう思ったのだ。
「ひど~い。それって私のことじゃない」
「奪った自覚があって何よりです。でも、ちゃんと返してください」
「しつこい」
「ああ、ここです。着きました」
目的の場所に着いた。後は食べて帰るだけだ。で終わることをグレンは願っている。
「そういえば甘味って何?」
「さあ?」
「えっ?」
「普段はこんな贅沢はしません。この店は女性を案内するのに良い場所をと、人から聞いて知っただけです」
「そう。じゃあ、何が出てくるか楽しみね」
「まあ。じゃあ、入りましょうか」
グレンを前にして食堂に入る二人。そこで聞こえるはずのない声をグレンは聞くことになった。
「お兄ちゃん! こっち、こっち!」
フローラの声だ。
「えっ? 嘘?」
グレンに向かって手を振っているフローラに、結衣は驚いている。待ち合わせをしていた彼女と鉢合わせしたと勘違いしているのだ。
「……ちょっとすみません。知り合いが居たみたいで」
「え、ええ」
途端に厳しくなったグレンの顔に戸惑う結衣。グレンはそれに構わずに、声のした方向に向かって行った。結衣も慌てて、その後を追う。
「遅かったね。待ちくたびれちゃった」
「ここで何をしている?」
笑みを浮かべているフローラに、グレンは厳しい視線を向けて詰問した。
「えっ、えっと、ローズさんと甘味を」
グレンの剣幕にフローラの顔から一瞬で笑みが消えた。
「……お前が連れてきたのか?」
より一層厳しくなった視線をグレンはローズに向けた。
「ちょっと何を怒っているのよ? それはデートの邪魔をするのは悪いと思うけど」
「そうじゃない。どうしてフローラをこんな店に連れ出したと言っているのだ」
グレンが怒っているのは、フローラが表通りに出てきたことだ。
「それはお兄さんのデートの相手は気になるかなと思って」
「そうじゃない!」
「ち、ちょっと。大声出さないでよ」
グレンの怒鳴り声に周囲の視線が集まる。
「……フローラ。宿に戻るぞ」
周囲の視線に気付いて、グレンは声を落とした。
「だって……」
「表通りには出るなと言ったはずだ。どうして、言うことを守らない?」
「……ごめんなさい」
グレンに叱られて、フローラはすっかりしょげている。
「俺も一緒に戻るから。えっと、すみません。ここで失礼します」
結衣の方を振り返って、グレンは帰ると言い出した。
「ええっ? 良いじゃない。一緒に食べましょうよ?」
「いえ。家に戻ります。ああ、甘味はこの女に聞いてください。代金もこの女が払います」
「ちょっと!?」
勝手に結衣の相手をすることを決められたローズが文句を言おうとするが。
「文句あるのか?」
「……いえ、ありません」
グレンのひと睨みで、何も言えないで終わった。
「そういうことで」
「ねえ、妹さんなの?」
結衣が又、グレンに話し掛けてきた。
「そうですけど……」
「綺麗ね。グレンくんが私に見向きもしない理由が少し分かったわ。まだ子供だけど、それでも可愛いより綺麗って表現がぴったり」
普段であればグレンも喜ぶところだが、今はこの言葉に不安しか浮かんでこない。
「……帽子返してもらって良いですか?」
「はい?」
「俺の金で買ったものです」
「そうだけど」
「服のお金はいりません。だから、帽子をこちらに下さい」
有無を言わせぬ強い口調で言うグレンに、これ以上、結衣は逆らえなかった。帽子を取ってグレンに差し出す。
「はい。どうぞ」
結衣が差し出した帽子を受け取るとグレンはすぐに、それをフローラに被せた。
「あら可愛い。確かに私より似合いそう」
「……そういう問題ではありません。ほら、もっと深く被って」
「う、うん」
顔を隠すようにして帽子を被らせると、グレンはフローラを抱えるようにして、さっさと店を出て行った。その様子を呆気に取られて見ていた結衣だったが、同じように呆れ顔をしているローザを見て、口を開いた。
「……もしかして、グレンくんってシスコン?」
「筋金入りのね。どうやら他の男の目に映るのも嫌みたい」
「まあ、あれだけ綺麗な妹さんだものね」
「貴女もね。デートの相手が、貴女みたいな美人とは思わなかったわ」
「ありがとう。そう言って貰えて嬉しい。グレンくんはお世辞にも女性を褒めることをしないから」
「でしょうね。諦めたほうが良いわよ。彼を口説こうとしたって無駄」
フローラとローズがこの場に居たのは、デートの邪魔が目的だ。結果としてデートは潰せた。あとは相手を諦めさせるだけ。
「そんなつもりはないわ」
「誘ったくせに」
「たまたま彼が暇そうでいたから」
「……あれ?」
この結衣の言葉で、ローズは自分の勘違いに気が付いた。
「グレンくんと会ったのは今日が始めてよ」
「侍女じゃないの?」
「ええ。私は和泉結衣。この世界だとユイ・イズミね」
「この世界だと?」
ローズの反応はグレンのそれを同じだ。
「もう、面倒。そうよ。私は勇者と一緒に召還された異世人」
この世界だと、なんて、わざわざ付けるから面倒なのだ。
「じゃあ、私もこの辺で。二度と会うことはないけど、元気でね」
結衣が勇者と知って、ローズもさっさとこの場を去ろうと席を立った。
「ちょっと! まだ甘味食べてない!」
「一人でどうぞ」
「そんなに私と関わるのは嫌?」
「当たり前。勇者なんて特別な人間と関わったら、碌なことにならないもの」
「……グレンくんにもそう言われた」
グレンとローズ。出会った二人に同じことを言われて、結衣は落ち込んだ様子を見せている。この世界に来て、こういう反応は初めてなのだ。
「でしょうね。彼は静かに暮らすことを望んでいる。それが無理なことであっても」
「無理なの?」
「私から見ればグレンだって特別よ。それを本人は自覚してないけど」
「……そう」
どうやらグレンも又、平凡とは違う人生を歩んでいる。これを知った結衣は、自分の言葉を思い出して恥ずかしくなった。
「あっ、今のは忘れて。私が余計なことを言ったなんて知れたら、彼奴に何をされるか」
「大げさね。貴方ってグレンくんの何?」
「婚約者」
「嘘ね」
「婚約者候補」
これは事実だ。妹の承認を得ているだけだが。
「それって、何でもないのと同じよ?」
「余計なお世話。貴女には関係ないから」
「そうだけど。ねえ、グレンくんって」
「はい。ここまで。お迎えが来たようだよ」
結衣の言葉を遮って、ローズは入り口のほうを指差した。
「えっ?」
それに反応して結衣が振り返ってみれば、入り口に煌びやかな鎧に身を固めた騎士たちが集まっていた。結衣も知る近衛騎士たちだ。
「……仕方ないな。ねえ……居ない」
結衣が話し掛けようと向き直った時には、ローズの姿は、すでにどこにも見当たらなかった。