月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #5 小隊長裏試験

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 グレンが出て行った天幕の中では、ドーン中隊長が腕を組んだまま、じっと身じろぎもしないで居た。しばらく、そうしていた中隊長であったが、その口がゆっくりと開いた。

「もう良いぞ」

 中隊長の声に反応して出てきたのは、グレンを除いた小隊長の面々だった。グレンに見つからない様に天幕の奥にある寝室に潜んでいたのだ。

「さて、どう思った?」

 早速、ドーン中隊長は出てきた小隊長たちに向かって問いを発した。

「まずは問題ないかと思います。清廉潔白な性格だと思っておりましたが、割と柔軟性があるようです」

「それに頭の切り替えも早い。かなり落ち込んでいたはずですが、天幕を出る時には声に力が戻っていました」

「今回は中隊長の勝ちです。自分の見る目が間違っておりました」

 現れた小隊長たちが口々にグレンへの評価を述べていく。全て肯定的な意見だ。

「では合格で良いな」

 その小隊長たちの意見を受けて、ドーン中隊長が判断を口にしたのだが。

「まだ甘い所は残っております」

 唯一、ボリス小隊長が懸念を述べてきた。

「ん。お前が一番、グレンを買っていると思っていたのだがな?」

「そうですが。だからこそ厳しい目で見ようと思っております」

「そうか。だが、不合格という訳ではないのだな?」

「はい。小隊長として、正式に認める事には反対致しません」

 このボリス小隊長の言葉でグレンは正式に三一○一○中隊の小隊長の一人と認められた事になる。正式といっても三一○一○中隊独自の認定だ。だが、この認定が無ければ小隊長として居られない。

「では、そういう事で。一応、聞いておこう。足りない所はどこだ?」

「非情さ」

 女性たちを殺した。だが、そこにかなりの躊躇いがあった事は、この場に居る全員が知っている。

「それは小隊長に必要な事か?」

 だが、躊躇う事が普通なのだ。それ以上の非情さをドーン中隊長は部下に求めていない。

「……いえ」

「つまり、その上。俺の地位に就くに相応しいと?」

 部下ではなく上司。ボリス小隊長は、グレンにもっと多くの人の上に立つ事を要求しているのだと、ドーン中隊長は考えた。

「相応しくはありません。そうなる可能性がなくはないというだけです」

「どういう事だ?」

 ボリス小隊長の説明は今一つ分かりにくい。中隊長になる可能性が有るか無いという事であれば、この場に居る小隊長全員に有るはずだ。

「何と言いますか、あれは目立ちます。何がと言われると分からないのですが、とにかく目立つのです」

「……ふむ。他の者の意見は?」

 ドーン中隊長はそれほど常のグレンを見ていない。そのせいで、ボリス小隊長の説明がピンと来なかった。

「同意します。何となく動きが気になります。半分は若さだと思います。恥ずかしげもなく正しいと思う事をする勢いがあります。それが他の者より目立たせてしまうのではないかと」

 第六小隊のウォーレス小隊長が、ボリス小隊長の意見に同意した。他の者も頷く事で同意を示している。

「それが上の目にも止まるかもしれない。あの性格です。取り立てられる可能性はありますね」

 それを受けて、又、ボリス小隊長が理由を述べた。

「悪い事ではない。中隊長になるのも良いだろう。それに相応しい実力を身に付ければな。だが……」

 ドーン中隊長は途中で言葉を飲み込んだ。

「何か懸念が?」

 そうされれば尚更気になる。ボリス小隊長が説明を求めた。

「時期の問題だ。俺はいつ退役させられてもおかしくない。そして、そのきっかけはこの先幾らでもある」

「戦争が近いという噂は本当なのですか?」

 きっかけが増えるだけの変化。ボリス小隊長が思い付いたのは最近流れている噂だった。

「本当だと思う」

 ドーン中隊長がボリス小隊長の考えを肯定する。

「……いつですか?」

 戦争。それはこの場に居る全員が望まないものだ。

「それはさすがに分からん。もう少し動きが出ないとな」

「動きとは?」

「勇者だ。今はまだ鍛えている最中で詳しい話は届いてこない。だが、それの目途が立てば実戦という事になるだろう」

「その時ですか。では、大丈夫です。いくら何でもそこまで早く昇進させられる訳がありません」

「いや、勇者の最初の実戦は必ず勝てる相手を選ぶだろう。それを何度か続けて、いよいよ本番という事になるはずだ」

 勇者の存在は敵に恐怖を与え、味方に絶対勝てるという安心感を与える。そうである為には、勇者に失敗は許されないのだ。

「下手にそこで功績を上げれば中隊長に昇進。そして新米中隊長で本番の戦争ですか。それは不味いですね」

 愚かな上官は下手な敵よりも遥かに味方を殺す。

「……やはり、消しますか?」

 第四小隊長のグレッグが過激な言葉を口にするが、誰もそれを咎める者は居ない。元々、不適格となれば、そうする予定だったのだ。そういった特殊な過激さが三一○一○中隊にはある。

「それは惜しいな。まず、勇者の同行に我らが選ばれる可能性は少ない。一軍の上位ナンバーズが妥当だろう。それに、そもそも他に小隊長に相応しい者が見つからん」

 ドーン中隊長にはグレンを殺すつもりはない。その才覚を買っているのだ。

「それこそグレンの所にいるフランクは」

 グレッグ小隊長が、グレンの小隊のフランクの名を上げてきた。

「あれは駄目だ」

 だがドーン中隊長は即時に否定した。

「何故ですか? 汚れ仕事を厭わない。そのくせ金に汚くない。戦場での目も悪くありません。剣の腕を除けば、グレンと同じかそれ以上の適正があります」

「そんな男が何故、トリプルテンに異動になった。しかも、あの年齢で」

 トリプルテンは落ちこぼれ、不良兵士の流刑地だ。厄介者扱いされた兵士が送られる小隊であって、フランクの様な、きちんとした兵士は本来送られるはずがない。

「……まさか、監察?」

 国軍には監察部という部署がある。軍部の不正を取り締まる部署だ。そして三一○一○中隊にはそれを恐れる理由があった。

「可能性はないとは言えん」

「ではそっちを消すべきです」

「この間、前任の小隊長が死んだばかりだ。益々、怪しまれる」

「しかし、監察に動きを掴まれては」

「物品の横流し、接収品の着服くらいであれば死罪までにはならん。罪も俺一人が被れば済むだろう」

「それ以上が知れたら?」

 トリプルテンが落ちこぼれ小隊であれば、それが所属する中隊に居る兵士も結構な悪党ばかりだ。最下位ナンバーズとはそういう部隊なのだ。

「そこまで掴んでいるかどうかだ。掴んでいなければ藪蛇になる。一人を消しても、又、別の者がくる。そして次は何を調べにくるか」

 一つの中隊で立て続けに死者が出た。しかも、そのうちの一人が監査部の者となれば、その死を怪しまれないとは限らない。

「確かに……」

「泳がすしかないのだ」

「そうなるとグレンが心配です。あれは取り込まれないでしょうか?」

 フランクが監察部の人間で、何かを調べようとしているのであれば、グレンに目を付ける可能性が高い。同じ小隊で、しかもまだ若く、小隊長になったばかりのグレンだ。与し易い相手だと普通は考える。

「確かにそうだな」

「取り込まれるかという点では恐らく平気だと思います」

 多くの者が中隊長と同じ懸念を抱く中で、意見を異にしたのは又、ボリス小隊長だった。

「何故だ? あんな素直な性格では、監察官に掛かればイチコロだろ?」

 真面目で人の意見に素直に耳を傾ける。大抵の者のグレンの印象はこうだ。

「そう見えるだけで、本当は他人を信じていないような気が致します」

「何だと?」

「確たる理由はありませんが」

「それでも何かしらあるのだろう? それを説明しろ」

 ボリス小隊長は、ただの勘だけで何かを語るような男ではない。これは、この場に居る全員が知っている。

「はい。グレンの身元を洗ったのは既にご報告した通りです」

「ああ。だが、結果はまだ出ていないと」

「そうです。今分かっているのは、グレンは裏通りにある宿屋の一室を借りて生活しています。家族は妹が一人」

「孤児だったな」

「はい。完全に調べ切れた訳ではありませんが、親類縁者も居ません。宿を訪れる者は誰も居なく、グレン本人も調練以外はずっと宿に籠っています。これは休日も変わりません。国軍内でも入隊当初から親しい者を作ろうとしていません。年が離れているという事が理由だと思っていたのですが」

「ふむ。外出もしないのか?」

「外出するとしても近くをうろうろするだけです。表通りに出た様子を確認した事はありません」

「……何か後ろめたい事でもあるのか?」

 ここまで徹底していると、意識して人を遠ざけているとしか思えない。そうなると、遠ざける理由が何か気になる。

「はっきりとした理由は掴めておりません。探りを入れた限りは妹をあまり人目に晒したくないのだと言っていたようです」

「妹に何かあるというのか?」

「何かと言いますか。自分も確認しましたが驚く程の美形です。まだ十三らしいのですが、それでも美人と言える容姿です。後、数年で周りの男は放っておかなくなるでしょう」

「それが理由か?」

「本人はそう言っています。あの見た目では分からなくもありませんが、裏通りは平気で表通りは駄目というのが腑に落ちません。どちらの治安が悪いかは言うまでもありません」

「そうだな」

「しかも、どうやら貴族や騎士などの上流階級を異常なほど警戒しているようです。妹は宿の食堂で手伝いをしているのですが、そういった者が現れたら、すぐに隠れろと言っていたと」

「……何かあったな」

 変な男が来たら隠れろなら分かる。だが、貴族や騎士に限定するのは何か特別な事情がある事を思わせる。

「恐らくは」

「あるとすれば両親か。両親の死因は?」

 グレンの年齢で、しかも入隊前の年齢で、貴族や騎士とトラブルを起こすとは思えない。妹のフローラも、幾ら美人だとしてもまだ子供だ。何かあったとしても、本人たちが直接ではないとドーン中隊長は考えた。

「分かりません」

「全くか?」

「本人は決して話そうとしないようです。それで諦めた訳ではありません。妹にそれとなく聞いて出身地を突き止めました。そこに人を送り込んで聞き込みをさせております」

「そこまでして分からないのか?」

 グレンの素性を洗うように指示したのはドーン中隊長だが、ここまでの事をするとは思っていなかった。

「益々、分からなくなったと言えます」

「どういう事だ?」

「実家はすでに跡形もなく取り壊されておりました。それでも、そんな昔の話ではありません。近所に色々と聞いて回って情報を仕入れました。両親も近所との交流は持たなかったようです。堅気と思えない父親と、これも又、驚くほど美人な母親だったそうで。妹は母親似なのでしょう」

「何だかどんどんと怪しくなってきたな」

 子供まで居て、近所付き合いをしない。王都の様な人の多い場所であれば、あり得なくもないが、そうでない土地では考えられない事だ。

「もっと怪しくなります。聞き込みに入って間もなく接触してきた者が居たそうです。これも又、何とも怪しげな男だったようで」

「それで?」

「一目で国軍の兵士だと見破られたと。何を調べているのか、逆にしつこく聞かれたようです」

「……そうか」

 素性を調べられる事を警戒している者が居る。隠したい事があるからだと考えられる。

「取り敢えず、グレンの部下で、たまたま近くに来たので寄ってみたと誤魔化したそうです」

「誤魔化せたのか?」

「分かりません。何となく身の危険を感じて、その日のうちに逃げ出したそうですので」

「そうか……」

 ここまでしても、具体的な情報は得られず、怪しさだけが一層強まった。

「後はグレンの姓を手掛かりに調べを進めています」

 だが、ボリス小隊長は、そこで諦めなかった。まだ調査を進めていたのだ。

「姓?」

「あれは姓を持っています。それもかなり珍しい姓です」

「そうだった……実家の職業は分からなかったのか?」

 姓を持つとなれば、貴族か騎士の家系に連なる者。これは大きな手掛かりだ。

「出身地では。ただ得られた情報から一つの推測を立てております」

「それは何だ?」

「傭兵ではないかと」

「傭兵? 理由は?」

 ボリス小隊長の推測は、ドーン中隊長が考えていた事とは大きく違っている。

「グレンの剣です。傭兵の剣とは言えませんが、それでもきちんとした訓練を受けております」

「では騎士の家ではないのか?」

「騎士の家であれば、近所の者は知っているはずです。それにグレンの出身地は小さな村です。騎士が駐屯するような場所ではありません」

「……没落した騎士か」

 過去には騎士として国や貴族家に仕えていたが、今はそうでなくなったという家はなくはない。剣の腕しか取り柄がない元騎士が、傭兵の仕事に就くのはよくある話だ。

「その可能性が高いと思います。ただ、剣を教えていたのは母親です」

「何だと?」

「父親は滅多に家に居なかったそうです。それで剣は母親が教えていたと。これはグレン本人の口から語られました。しかも、母親は異常に強いとも。冗談めかして勇者に勝てるかもと言ったくらいです。恐らく、今のグレンよりも強いのではないかと」

「母親も傭兵か」

「それくらいしか思い当たりません」

 剣を使える女性など滅多に居ない。騎士ではない。女性騎士など居ないのだ。他に剣の使い方を覚えられる職業となると、盗賊か傭兵だ。

「その傭兵の線で探っているのだな?」

「はい。王国内で活動している傭兵団。タカソンという姓。そして女の傭兵。これだけ揃えばと思ったのですが」

「国内では見つからんか」

 傭兵で見つからないとなると盗賊という事になる。だが、ドーン中隊長の頭の中には一つの可能性が浮かんでいた。

「姓は当てになりません。傭兵はほとんど偽名ですので。ただ女の傭兵でも全く引っかかってきません」

「父親が近年まで活動していたのは間違いないのだな?」

「家を離れていたのは、その為だと考えております」

「……すでに解散している可能性は?」

 少し躊躇う素振りを見せながらもドーン中隊長、これを口にした。

「解散ですか?」

「グレンの父親が団長であったら無くはない。団長あっての傭兵団というのは良くある話だ。それと王国内ではなく、王国近辺で考えて見ろ」

 ドーン中隊長の頭の中には、この傭兵団ではないかという具体的な心当たりがある。

「……それを本気でお考えですか?」

 ボリス小隊長の顔色が変わった。ドーン中隊長が何を考えているか、ボリス小隊長にも分かったのだ。

「あくまでも可能性だ」

「しかし、近頃、噂を聞かなくなった傭兵団と言えば自分は一つしか知りません」

「俺もだ」

 二人の頭の中には、共通の傭兵団が浮かんでいる。

「……調査は継続ですか?」

「いや、国内の傭兵団だけにしておけ。それと宿へ探りを入れるのも止めだ。実家とやらで会った男が気になる」

「ありがとうございます」

 実質的な調査中止という命令。そして、それに対して礼を言うボリス小隊長。他の小隊長には意味が分からなかった。

「あの、どういう事でしょうか? 途中から自分には意味が分からなくなりました」

 ウォーレス小隊長が説明を求めるが。

「……悪いが教えられない」

 ドーン中隊長は答えを拒否した。

「そんなに重大な話なのですか?」

 そのドーン中隊長の態度が、事情が分かっていない小隊長たちを不安にさせる。

「あくまでも推測だ。だが事実であれば困った事になる。良いか。今日聞いた話は一切他言するな。興味本位で調べようとする事も禁ずる。そして、くれぐれもグレンに変な勘繰りを入れている事を悟られるな。分かったな」

「「「……はっ」」」

 多くの疑問を小隊長たちの頭の中に残したまま、この場は解散となった。

 

◇◇◇

 ドーン中隊長の天幕の中で、そんな会話が繰り広げられている時。当のグレンは何をしているかと言うと。

「ねえ、貴方、いくつ?」

「十六です」

「そんなに若いの? それで小隊長なんて凄いわね」

 助けた女性に纏わりつかれていた。

「あの、ローズさん」

「何?」

「そんな元気があったら、他の人たちを慰めてもらえませんか?」

 こんな風に元気にしているのはローズだけだ。他の女性たちは、今も生気を失くした顔で一所に固まって動かないでいる。

「どうして私が?」

「いや、だって、同じ境遇であった訳ですから。気持ちも分かるのではないかと」

「……嫌よ」

 グレンの頼みをローズはきっぱりと拒否した。

「どうしてですか?」

「思い出したくないもの」

「それは、そうかもしれません……」

 慰める事が辛い出来事を思い出す事になるかもしれない。ローズの説明にグレンは同意を示した。

「あんな事思い出したくもないわ。盗賊たちは嫌がる私の服を無理やり引き千切って」

「いや、話さなくて結構です」

「私は一生懸命に抵抗したのに。男達の手が私の胸に。荒々しく揉まれて私の柔らかい胸はまるで」

 グレンが制止してもローズの話は止まらない。やけに具体的に、しかも話している内容に合わせて、自分の胸に手を置いたりしている。

「ち、ちょっと待って!」

「……何?」

「本当に思い出したくないのですか?」

「当たり前じゃない。それでね。私のこの綺麗な足が男たちに無理やり拡げられて」

 こう言いながら、今度はグレンの目の前で足を拡げて見せる。これは間違いなく、わざとやっている事だ。

「……自分をからかっていますよね?」

「興奮した?」

「しません」

「嘘。したくせに」

「していませんから」

「……良いのよ。君なら」

 今度は、グレンの耳に顔を寄せて囁いてくる。ここまでされれば、初心なグレンでもローズが挑発しているのは分かる。

「これ以上、やるなら。拘束しますよ?」

「あら、そんな趣味? あまりきつく縛らないでね?」

「……それどういう意味ですか?」

 からかわれているのは分かっても、ローズの言っている意味がグレンには分からない。

「きゃあ! 意味が分からないなんて。やっぱり初心ね。もう可愛いな」

「だから止めて下さい!」

 頭を撫でようとするローズの腕を取って、それを避けたグレンだったが。

「あんっ、痛くしないで」

「あっ、すみません」

「……優しくして」

 ローズの方が何枚も上手だった。

「もう、さっさと寝て下さい!」

「だって、退屈だもの」

「だから自分をからかいに来たのですか? 野営中だからって自分は暇な訳じゃないのですけど?」

「何かあるの?」

「取り敢えずは日課の鍛錬をしようかなと」

 これを忙しいとは普通の人は言わない。そもそも、任務中にまで自己鍛錬はしない。

「じゃあ、どうぞ」

「はい?」

「見ていてあげる」

「いや、人に見せるものではありませんから」

「人に見られているくらいで集中出来ないの? そんな鍛錬は意味ないわね」

「……やります」

 完全に挑発に乗った形なのだが、グレン自身もそれは分かっての事だ。無駄話をしているよりはマシだ。
 剣を抜いて構える。朝の日課と同じ。始めはゆっくりと、徐々に振る速さをあげていく。
 これを続けていくうちに、グレンはローズに見られているという意識を完全に消し去って、剣に集中していった。
 風切音の間隔がどんどん短くなっていく。小さな歩幅で、摺り足の様にして地面を探りながら剣を振り続ける。このやり方にも随分と慣れてきていた。
 毎朝の裏庭での鍛錬の成果がようやく出てきたのだ。

「えっ」

 不意に背中に何かを感じて、グレンは剣を振り払った。手応えは何もない。一拍遅れて、自分の体に小石が当たるのを感じた。
 正面でローズがニヤニヤと笑っている。ローズが小石を投げたのは明らかだ。

「……ローズさん」

「隙あり」

 構ってもらえて、ローズは嬉しそうだ。

「邪魔しないで下さい」

「隙があるのが悪いのよ。小石くらい避けなさい」

「背中から投げられたのですよ?」

 しかも小石だ。どれ程の達人になれば、避けられというのだろう。

「あら? 戦場では背中から切りつけられる事はないの?」

「……あります」

「ほら」

「でも、小石なんて」

 背中から切りつけられる事はあっても、それは人が行う事だ。小石とは大きさが違う上に、人には気配がある。グレンだって、すぐ後ろに立たれれば分かる。

「矢の太さってどれくらい?」

 だが、ローズの屁理屈は止まらない。

「……小石よりは細いです」

「ほら」

「ほらって、矢を切れとでも言うのですか?」

「出来ないの?」

 又、達人級の要求をローズは求めてくる。

「……横になら何度か試せば」

 出来ないと言ってしまわない所が、グレンの子供な所だ。

「何か、普通」

「普通で何が悪いのですか?」

「縦にスパッと切った方が格好良いわよ」

「恰好なんてどうでも良いです。矢を避けられれば」

 死ななければ、怪我をしなければ、手段は何でも良いのだ。

「よし、練習してみよう!」

 だが、ローズは納得してくれない。納得するはずがない。ローズも手段は何でも良いのだ。グレンで遊べれば。

「いや、良いです」

「良いから。ほら」

 グレンの了解を得る事もなく、ローズは又、小石を投げつけてくる。反射的にそれに向かって剣を振ったグレン。

「空振り。恰好悪い」

 グレンの剣は小石にかすりもしなかった。

「無理ですって」

「少年、諦めたら物事は何も進まないぞ? よし、次だ!」

 そして、又、グレンに向かって小石が飛んでくる。今度は慎重に見極めてグレンは剣を振る。小さな金属音が鳴った。

「当たった」

「恰好悪い」

「どうしてですか? 当たりましたよ」

「だって切ってないもの。剣って切るものよね?」

「……叩く場合もあります」

 当てるだけで困難な小石をローズは斬れという。さすがに、これにはグレンも抵抗を示した。

「切った方が恰好良いわ。じゃあ、今度こそ」

「ちょっと」

 又、飛んできた小石に向かって、今度は切るつもりで剣を振るグレン。文句を言いながらも言われた通りにやろうとするのがグレンの良い所でもあり悪い所でもある。

「……空振りだ」

「何か、こうスパッと剣を振れないものかしらね。スパッと」

「簡単に言わないで下さい」

「出来ると思ってやっている? 半信半疑でやっても出来ないわよ?」

 何となく説得力を感じさせる様な言葉をローズは口にしてくる。

「……じゃあ、もう一度。ちょっと待って下さい」

 これにはグレンも素直に乗ることにした。一度大きく息を吐くと、グレンは気持ちを集中させて剣を構える。

「……どうぞ」

「じゃあ、行くわよ。……はい」

 ローズが放り投げた小石に意識を集中させて、ギリギリまで見極めた所で、グレンは一気に剣を振った。
 金属音はしない。だが、確かな手応えを感じていた。

「出来たじゃない」

「出来ました。でも……石の大きさ変えましたね?」

 先程から投げられていた石とは、大きさが違った事にグレンは気付いていた。

「あら、気が付いた?」

「気が付きますよ」

「馬鹿ね。騙されて出来た気になっていれば良いのに。物事には自信というものも大切なのよ」

「……貴女という人は」

 又、説得力のありそうな言葉を聞かされて、グレンは呆れている。

「まあ、今日はこれくらいにしてあげるわ。ちゃんと鍛錬続けなさいよ」

「言われなくても続けます」

「じゃあね」

 明るく手を振って、女性たちが居る天幕に戻っていくローズ。その背中を見て、グレンは小さくため息をついた。あまり人付き合いのないグレンであるが、ローズは苦手なタイプだと分かったのだ。
 その気持ちを軽く頭を振る事で振り払うと、又、グレンは剣に気持ちを集中させていく。又、素振りから、こう思って剣を構えたグレンだったが、ふとある事に気が付いた。

「あれ? あの背中に感じたの、何だったのだろう?」

 最初に小石を投げられた時、グレンは何かを感じてとっさに振り返った。小さな石を感じ取れるような能力はグレンにはない。
 では、あれは何だったのか。しばらく考えたグレンだったが、結局、答えは出ず。仕方なく鍛錬に気持ちを戻した。

 そんなグレンの様子を遠くから見ている者がいた。天幕に戻ったはずのローズだ。

「何だか面白いのを見つけられたわ。まさか国軍の小隊にあんなのが居るなんてね。これはしばらく退屈しないで済むわ」

 嬉しそうな笑みを浮かべるローズ。その笑みは先ほどまでの惚けたものとは異なる雰囲気を漂わせていた。