王都の大通りを、煌びやかな鎧を纏った兵たちが隊列を整えて進んでいる。先頭を進むのは、真っ白な鎧に身を固めた男と真っ白なローブを身にまとった女。二人はこのパルスに降臨した勇者だ。
美男美女の二人が多くの兵を率いて前を進む様は、王都の住民を熱狂させた。大通りの左右にずらりと並んだ住民から、二人に向かって熱い声援が飛んでいる。
「きゃあー! ユート様!」「ユート様! こっち向いてー!」
「ミリア様!」「ミリア様! 素敵!」
「勇者様! がんばれー!」
にこやかな表情で声援に応えて手を振りながら、二人はゆっくりと大通りを進んでいく。軍隊を率いての魔族討伐。それが今回、新たに勇者が臨む戦い。
召喚されからずっと鍛えてきた勇者が、いよいよ魔族との戦いに臨むことになった。
「さすがだね」
先頭を行く二人のやや後ろをグランと並んで歩くアレックス、予想を遙かに超えた周囲の熱狂に驚いている。
「ふむ。そうじゃな。これが勇者のカリスマという奴かの」
「そういう意味で言ったわけではありませんよ。何故ここまで民が熱狂しているか、その理由はグラン殿が一番分かっているでしょう?」
「まあな」
軍隊が出陣することは過去に何度もあったが、これ程の熱気に包まれたことはなかった。この状況は、先頭を歩く二人によるもの、とだけは言えない。グランによる情報操作、情報誘導。これらがうまくいっているのだ。
民衆の間で徐々に勇者への期待が高まっている。それは魔王を倒してくれるという期待から、いずれは異なるものに変質する、させる予定だ。
「そういえば、第二王女はどうしておる?」
「さあ、自分がついていけないと知ってから、かなり不機嫌でしたからね。一応慰めておきましたが、簡単には納得してもらえませんでした」
「難儀なことじゃな」
勇者二人の面倒を見ることだけで大変なのに、ローズマリー王女のご機嫌取りまで行わなければならない。グランが直接それに関わっているわけではないが、彼女の機嫌を気にしなければならないことは面倒だった。
「ええ、困ったものです。ローズマリー様はミリア殿への嫉妬の気持ちがかなり強い。後々、揉め事の種になりそうです」
「ふむ。ユート殿の気持ちはどうなのだ?」
「彼は……二人とも好きなんじゃないですか?」
「二人とも? それはまた……異世界は身分に関係なく一夫一婦制と聞いていたが、ユート殿はあまり元の世界の慣習に拘らんのか?」
「そうなるように仕向けたのはグラン殿ではないですか。ユート殿の場合は向こうからチョッカイを出される場合が多いようですけどね」
だがその誘惑を拒もうと優斗はしていない。これはアレックスの言う通り、グランのせいだ。当初、彼が送り込んだ女性との経験のせいで、抵抗感がなくなっているのだ。
「誰でも良しか」
「行動は。それでも本命はミリア殿。私はそう見ていますよ」
「それはお主の希望か?」
「まさか」
グランの問いに苦笑いで返すアレックス。この話になると二人の間には溝が生まれる。グランはアレックスの野心を疑い、アレックスは疑われていることを心良く思っていないのだ。
「分かっているのだろうな? 正統性を主張するには相手はローズマリー様でなければならないってことを」
「もちろんですよ。王族が側室というわけにはいきませんからね」
望ましい形はローズマリーを王妃として、優斗が王になること。それであれば、まだ実現可能性は十分にある。だが優斗が王で美理愛が王妃では、それはもうパルスではない。簒奪として糾弾されることになる。
グランたちの仲間は小貴族が多い。いきなり内戦にまで発展してしまっては厳しいものがある。出来るだけ穏便に、王権を押さえてから徐々に仲間の力を強めていく。そういう計画なのだ。
「グラン殿としてはどうするつもりなのですか?」
「ミリア殿はローズマリー様と違って頭が良い。その辺は理解してくれると思うがの。そういう点では、どちらが相応しいのかという問題はあるが……まあ、それは考えるべきではないの」
「そうですね。しかしクラウディア様がパルスからいなくなってくれたのは、助かりましたね。結果的に私たちにとっての課題のひとつが勝手に解決されました」
「……油断するな」
「戻ってくるってことですか? しかし、仮に戻ってきても、もう王位継承権は与えられないでしょう?」
二度目の魔族による誘拐。これで戻ってきても、さすがに王位を与えようと考える人はいないはずだとアレックスは考えている。
「そうではない。儂が反対の立場であれば、この機会にひとつ動くことがある」
「何ですか? それは」
アレックスには、計画は順調に進んでいるように見える。だがグランの考えは違う。さきほどまでの和やかな雰囲気を消して、真剣な目つきでアレックスを見つめている。
「王に新たな妃を迎えてもらうことじゃ。先代の王妃が亡くなってから、王は頑なにそれを拒んできた。有力貴族にとっても、男子がいないほうが都合は良いからの。それほど積極的に勧める者もいなかったというのが実際のところじゃ。だが今は違う。唯一残った王位継承権者を自分たちに取り込めていないと分かれば、やる事は一つ。新たな対抗馬を作り出すことじゃ」
「しかし、王は受け入れないでしょう?」
「強く勧められれば拒み続けることはできん。ローズマリー様に万一何かがあったら。それを理由にされては、王族の責務として受け入れるしかないだろう」
血族を残す。これは国王の義務だ。たとえ万が一の可能性であっても、そのリスク発生を出来るだけ低減する為の選択をとらなければならない。
「……どうするのです?」
「勇者を活躍させて、国民の支持を高める。その上で、王にローズマリー様とユート殿の婚姻の許しをもらい、ユート殿に王位継承権を認めさせる。やる事は変わらん。ただ、時期を早めるだけだ」
王妃候補などそんなに簡単に決まるものではない。有力貴族家の中にも利害関係がある。それを調整して一人の候補者に絞り込むまでにはそれなりの期間が必要になる。
「なるほど。それで今回の魔族討伐ですか」
「そうだ。予定ではもう少し力をつけさせてからにしたかったのだが、そうも言っておられん。勇者の力不足は当面、儂とお主でカバーする。その為に宮廷筆頭魔法士である儂が自ら出張ることにしたのだ」
「任せてください。今回の魔将程度、私の敵ではありませんよ。逃がしたとはいえ私は、魔将第四位に勝っているのですよ」
「ああ、期待しておる。じゃが、あまり出しゃばりすぎるなよ。倒すのは、あくまでも勇者の役目じゃ」
「ええ、分かっていますよ」
近衛第一大隊長の地位は実力で手に入れたもの。アレックスにはその自負がある。
有力貴族のように、ただその家に生まれたというだけで手にした地位ではないのだ。それでも彼はこの国の政治に関わることは出来ない。これ以上の地位も望めない。それはグランも同じだ。実力のあるものが国政の中心となる地位につけない。それは全て一部の有力貴族が権益を独占しているからだ。
それを変えることがアレックスの、グランの目的。自分たちのように高い能力があり、実績をあげたものが正しく評価される国にすることが。
◆◆◆
城外の喧噪もようやく落ち着いた。
勇者が軍を率いて城に出ると、王都の住民がこぞって見送りに出ていた。いつの間にこんな人気を、というのが正直な感想だ。勇者の実力ではない。それくらいのことはすぐに分かる。
新貴族派はリチャード・スコット侯爵にとっては敵対勢力。その彼等に一手許してしまったことを苦々しく感じている。
「どうやら無事、出発したようですな」
内心の思いを一切表に出すことなく、目の前に座る国王に声をかける。
「そのようだな」
「久しぶりですな。ここに通されるのは」
この部屋は国王の私室といえる場所。スコット侯爵がこの部屋に来るのは久しぶりだ。国王が即位したばかりの頃は頻繁に訪れていたのだが、今はもう、そういうわけにはいかなくなっている。
「侯のほうから話があると言うからだ。二人きりで話すのに、謁見の間というのも変であろう?」
「確かにそうですな。つまり、二人っきりで話すのは久しぶりということですか」
「ああ……それで、話というのは?」
スコット侯爵の言葉に、国王は少し寂しさを感じた。だがその感情は表に出すべきものではない。
「久しぶりなのに急がれますな? そんなに私と話したくないですか?」
「儂の問題ではない。公と二人きりで長話をしていたなんて話が広まったら、余計な詮索をする者が出てくるだろう?」
「……不便ですな。幼馴染が二人で自由に話すことも出来ないとは」
かつて幼なじみであった二人は大きく道を違えてしまった。二人きりで話を出来なくなるくらいに。
「仕方あるまい。儂は国王、そして侯は貴族派の筆頭だ。対立する勢力のトップが馴れ合うわけにはいかんだろ?」
「対立か……確かにそうですが、元々の原因を作ったのは王族の側ですよ」
王家と有力貴族の対立。その原因を作ったのは先々代の国王。世間では、パルス王国存亡の危機を救った貴族が、その功を誇って増長したことになっているが、真実は異なる。
実際は、貴族が力を強めるのを恐れた国王が功のあった貴族の数人を、ほとんど言いがかりに近い形で、罪に落としたのがきっかけだ。内戦にならなかったのが不思議なくらいのやりよう。それだけ当時の貴族側に良識があったということだ。
とにかく自分たちを滅ぼそうとする国王の意志を知った貴族たちは、身を守るために協力して勢力を広げていった。その結果、間接的な争いは貴族側の勝利に終わり、国王側はその力を弱めていった。
その時の対立構造は、現国王の代まで続いている。もっとも今はそこに、新貴族派というのが加わっている。新貴族なんて名乗っているが、近年新たに爵位を与えられた本当の意味での新貴族などほとんどいない。多くは功をあげることが出来ずに、地位も領地も与えられなかった小貴族だ。
「まあ、そんな話をしに来たわけではありません。長話を無用でしたな。本題に入ります。いつまで放っておくつもりですかな?」
「……そう言われてもな。居場所が分からなければ、どうしようもなかろう」
「居場所? 何の話です?」
「……クラウの話ではないのか?」
スコット侯爵の問いで、国王は自分が勘違いしていたことに気が付いた。
「……私が今聞いたのはその件ではありません」
「それでなければ何の話だ? 二人で話したいなどというからその件かと思っていた」
「なるほど……それでこの部屋ですか?」
あえて私室を選んだのは話の内容が私的なものだと考えていたから。第一王女の話が私的かという点は微妙だが、国王はそう考えていたのだ。
「有力貴族派の代表としてではなく、姪を心配する伯父としての話だと思っていた。侯がクラウについては何か言ってくることなどなかったから珍しいなとは思っていたのだがな。さすがに今回はと思って」
「ずっとクラウについて何も言わなかったのは、彼女が最初に誘拐された時に忘れることにしたからです。いや、ソフィアが亡くなった時にだったかな」
妹のソフィアが亡くなったのは、クラウが誘拐された一年後だった。目の前で娘を誘拐された彼女は、そのことに責任を感じて、ろくに食事もとらなくなった。
どんどん衰弱していく妹をなんとかしようとスコット侯爵は思ったが、どうにも出来なかった。
死の寸前まで国王に謝っている妹を見て、スコット侯爵は誘拐した魔族を、そして妹を救うことが出来なかった国王をも恨んだものだ。なによりも許せなかったのは、有力貴族の筆頭と言われながらも何も出来なかった自分。誘拐されてしまったクラウまで恨みそうになっていることに気付いて、恨むよりはと、忘れることに決めたのだ。
「そうか……そう言えば戻ってからも、一度も会おうとしなかったな」
「会えるわけがないだろ……クラウの顔形はソフィアにそっくりだ。そんなクラウと、彼女と……どうやって向き合えと言うのだ!?」
淡々と話す王の様子に、思わずスコット侯爵はかっとなってしまった。本気で忘れられるはずがない。クラウディア大切な妹の忘れ形見。会わずにいたのはクラディアを忘れていたからではない。妹を思い出してしまうからだ。
「……すまなかった。儂が無神経だったな。そうか……公がクラウを担ぎ出そうとしなかったのは、その価値がないと思っていたわけではなく、政争の道具にしたくなかったからか」
「……それに答える必要はありませんな」
「ふむ。戻ってしまったか。さっきは少し昔の侯を思い出したのだがな」
「わざとですか? まあ、どちらでも良いことです。話を戻しますか。放っておいて良いのかと聞いたのは、勇者とその周りで動き回っている者たちのことです」
「ああ、そのことか。別に問題はない。儂にとってはな」
国王にとっては問題ない。それどころか自分の意向に沿って動いている彼等を応援しているくらいだ。
「考えている方向は同じということですか。しかし、彼らは若い。若さゆえの暴走というものもあるのではないですかな?」
「グランがいる。それを押さえるのがグランの役目ではないのか?」
「グランは年を重ねているだけで、中身はただの世間しらずです。その辺の機微を調整できるとは思えませんな」
「……ふむ。まあ、そういった危惧はあるな」
グランの地位は宮廷筆頭魔法士。政治事は素人だ。頭は良いかもしれないが、それは机上の知識に過ぎない。スコット侯爵はそう考えており、国王もそれを否定出来ない。
「そう思うなら、ご自身で統制を取るべきでしょう? 彼らが暴走しないように」
「有力貴族派の侯がそれを言うのか? 理由が分からんな。彼らの計画が進んでは有力貴族派は困るのではないか?」
「もちろん。新貴族派の思惑通りに進めさせるつもりはありません。当然、それなりの手を打たせてもらうつもりです。既にお話がいっているでしょう?」
「……新しい王妃の件か」
有力貴族派はすでに手を打っている。新たに王妃を迎える提言が国王に届いているのだ。
「ええ、断ることはなされないでしょう? まあ、相手については、これからの話ですが」
「ロージーの母を王妃にするという手もある」
「それが出来るのであれば、とっくにそうされているのではありませんかな? あの方が王妃になれば、どうなるか分かっておられるのでしょう?」
「……ああ、新しい派閥が出来るだろうな」
ローズマリー王女の母親は野心家だ。その彼女の野心を燃え上がらせる薪をくべるべきではない。
「王妃になれば、ようやく鎮まったあの方の野心が蘇ります。ローズマリー様と勇者の結婚など認めないでしょうな。婿候補はさしずめ、生国であるユーロン王国の王家の血筋を引く貴族あたりですかな? そんなことになれば、パルスはそれぞれの派閥の思惑が入り乱れて混乱してしまう」
「今でも十分混乱しているだろう」
「今の状況は十分にコントロールされています。こちらと新貴族派、どちらが勝つにしろ国内に大きな混乱はおこりません」
「本当にそうであれば、候の心配は杞憂にすぎない。新貴族派に好きにさせておけばよいではないか?」
「私は『今の状況は』と申し上げたのです。危惧しているのは勇者の暴走です。異世界人なんてものは、何をしでかすか分かりませんからな。勇者の手綱はもっとしっかりと握っておくべきです」
スコット侯爵が恐れているのは新貴族派ではない。勇者なのだ。
「ほお……そういえば、侯と同じことを言った者がいたな」
「……誰ですか?」
「勇者の二人とは別の異世界人だ」
「……ひとりだけ魔族討伐を拒否したという者がいましたな。その者ですか?」
スコット侯爵は実際にはもっと詳しい情報を持っている。だがこの場で話す必要のないことだ。
「ああ。勇者、特に男の方には気をつけろと言っていた」
「……何か知っているということですか?」
「そんな感じではなかったな。言っていたのは、勇者は元の世界にいる時から恵まれた環境で生きていて、人の上に立つことを当然と考える人間だと。今はまだ良いが人は変わる。それを忘れるなと」
「人は変わる……確かにそうですな。それで、その者の行方はご存じなのですか? 城を出たはずですが」
「良く知っておるな。勇者以外の異世界人に興味を持っているとは知らなかった」
「それはそうでしょう。勇者ではないとしても、相手は異世界人です」
「それだけか?」
国王の目が細められる。スコット侯爵はヒューガについてもっと情報を持っていることを知っているのだ。その反応がスコット侯爵にも、国王は自分が分かっていない何かの情報を持っていると気付かせた。
「それだけではありません。その理由は、王も良くご存じのはずですが?」
「奴は大丈夫だ。なかなか切れる頭を持っていたからな。魔族の所に行くような真似はせんだろう」
「話したのですか……まあ当然か」
「一度だけだ。ほんの二十分ほどだったかな?」
「たったそれだけで何がわかるのです?」
その二十分の会話で国王は「大丈夫だ」と断言してみせた。その理由がスコット侯爵は気になる。
「その短い時間で 奴は何故勇者を召喚したのかを読み切った。それだけではない。それによってクラウの立場がどうなるか。そこまで考えていたな」
「……そいつが城を出て行ったのはいつでしたかな?」
「いつだったかな? 勇者が初めて魔物討伐に出た頃か」
「……クラウが消えたのも、その頃ですな?」
「ああ、そうだったな。確か同じ頃だ」
これは少々、わざとらしかった。クラウディアが行方不明にあった時期に対して、「確か」などという曖昧な表現を使うはずがない。それくらいきちんと調べ、情報を得ているはずだとスコット侯爵は思う。
「知っていたのか?」
「……それを聞くということは、侯こそ知っているという意味だな?」
国王がそれとなく匂わせたのは、これを確かめる為。
「知っていると言ったらどうする?」
「まさか引き離したのか? だとしたら……可哀そうな真似をするものだ」
「クラウが望んだことだ」
「……何故だ? クラウはあの男と一緒にいることを望んでいたはず」
何故、クラウディアがヒューガと離れることを望むのか。そのあたりの事情について、国王はまったく見当がつかない。
「詳しい事情は聞いていないが、恐らくその男の為だろう?」
「ふむ。それほど、あの男を買っているということか。それで? どうするつもりだ?」
「このまま領地で保護するに決まっている」
「クラウを政争の道具にするつもりか? 侯の所にクラウがいると分かれば、必ずそれを担ごうとする者が出てくる。他の有力貴族派が放っておかないだろ?」
国王にとって最悪な状況だ。こういう事態が起こらないようにする為に、危険を承知でヒューガに任せたのだ。
「そのつもりはない。クラウの王位継承権は正式に剥奪してもらう。王女の地位もな。その為に話をしにきたのだ。まさか保護していることまで話すことになるとは思っていなかったがな」
「それでもクラウは自由に外に出られないのではないのか? 侯の館にじっと閉じ籠ることになる。この城で、クラウがそうだったようにな。ヒューガはクラウをそんな境遇から助けようとして連れだしたのだ。当然、それはクラウも望んでのことだったはずだ。侯はそんな二人の想いを邪魔するのか?」
「しかしこれはクラウが望んだことだ」
「だとしてもだ! ヒューガであれば大丈夫だ。必ずクラウを幸せにしてくれるだろう。儂はヒューガと話をした後、そう確信した。ヒューガと一緒であればクラウは自由にこの世界で生きることが出来る。余計な肩書など、あの娘には最初から不要なのだ」
「……それは王の発言ではないな?」
政治は一切関係ない。ただ娘の幸せだけを考えた発言だとスコット侯爵は受け取った。
「ああ、これは父としての気持ちだ」
「……今更だな」
「そうだな、今更だ。だが王としても同じ気持ちだぞ。勇者と接すれば接するほど、たった一度話しただけのヒューガに未練が生まれる。あれとクラウが儂の代わりにこの国を治めてくれれば、この国はずっと良い国になるのではないかと。馬鹿な話だろ?」
「お前……」
まさか国王がここまでのことを考えていたとはスコット侯爵は思っていなかった。分かるはずはない。国王のこの気持ちは理屈では説明出来ないものだ。
「リチャード。俺はもう疲れてしまったんだよ。なんとか国を良くしようと頑張ってきたつもりだったが結果は……新貴族派なんていう新しい派閥が生まれ、貴族同士の争いが増えるばかりだ。唯一の心の支えだったソフィアを失い、彼女が残してくれたクラウに対しても、ただの父親として接することが出来ない。俺は……何を間違ったのだろうな?」
「ジョージ……」
「その名で呼んでくれるか」
「先に俺の名を呼んだのはお前だろ」
「そうだな……リチャード、お前はどうだ? まだ昔の気持ちが残っているか? この国を必ず良くしようと誓い合った頃の気持ちは」
「…………」
国王の問いにスコット侯爵は答えられない。かつての純粋な気持ちを今も持ち続けているとは言えなかった。
「実はな、二人が城を出たあと、後を追うようにしてお忍びで城下に出た」
「なんて馬鹿な真似を? 自分の立場を考えろ」
「見たかったのだ。クラウがどんな顔をして、ヒューガと一緒にいるのか」
「……どうだった?」
父としての望み。それを知っては国王の立場で、なんて言葉は続けられない。
「笑っていた。クラウのあんな笑顔を見たのは久しぶりだ。ソフィアと俺、三人でいる時にあんな顔をしていたな……リチャード、これは王ではなく父としての願いだ。あの二人を引き離すような真似は止めてくれ」
「それは……約束できない。もうヒューガという男がどこに行ったのか分からないのだ」
国王の、幼なじみの望みを叶えてあげられない。それを思うとスコット侯爵は胸が痛くなった。
「レンベルク帝国ではないのか?」
「目的地は確かにそうだったようだ。だが、その男がレンベルクに入った形跡はない」
「行方不明ということか?」
「クラウと別れてすぐの足取りは分かっている」
「それは?」
「その男が向かった先は……ドュンケルハイト大森林だ」
「……ドュンケルハイト大森林だと?」
ドュンケルハイト大森林はかつてエルフの住まう森と言われた、大自然に覆われたこの大陸で唯一といえる人族にとっての未開の土地。
パルス王国にとってもゆかりの深い場所だ。かつて、その地を治めようとして大森林に入ったパルス軍は、万を超す兵が誰一人として戻らないという悲劇に見舞われた。
それにより国力を大きく落としたパルス王国は他国からの侵略を受け、その際に活躍して国を守った貴族が今の有力貴族派といわれる貴族の祖先。
それ以降、どの国も大森林に手を出すことはしていない。今はただ流刑の地として罪人が送られているだけだ。
この時代ではもう大森林をエルフの住まう森などと言う者はいない。自然の迷宮。人外の住む森。何物の支配も受け付けない混沌の森。それが今のドュンケルハイト大森林だ。
「大森林に入ったのは確かだが、その後の足取りは一切つかめていない」
「それはそうだろう? あそこに入って無事にいられるわけがない」
「そうとも言えん」
「……どういうことだ。あそこがどういう場所かは侯もよく知っているだろう?」
一度入れば生きても戻ることは出来ない。そうであるのに、何故、スコット侯爵が死を否定するのか国王には分からない。
「同行者がいた。エルフの特徴を持った銀髪の女性だ」
「……ダークエルフか」
「大森林はかつてエルフの王国があった場所と言われている。もしかしたら、まだ残っているのかしれない。大森林の奥深くにな」
「……ふっ、ふあっ、はあっはっはっ!」
国王は突然、異常とも思える雰囲気で笑い声をあげはじめた。
「どうした? 何が可笑しい?」
その唐突な反応にスコット侯爵は戸惑っている。
「……なるほど、そういうことだったか。あの男にすっかり騙されたな。いや、あの男自身気付いていないのか?」
だが国王はスコット侯爵の問いに答えることなく、意味の分からない独り言を呟いているだけ。
「それはどういう意味だ? きちんと説明しろ!」
「ふっ……それは出来ん。これは王族にのみ許される事実だからな」
急に笑いをおさめると国王の目はすでに友を見る目ではなくなっていた。最初にこの部屋に入った時の国王としての目だ。
「なんだと……?」
「もう話は終わりだ。これ以上、話をすることはないからな。クラウの件は侯の申し出通りにしよう。以後、クラウはパルスの王女ではない。王位継承権もな」
これを言うと国王は視線をスコット侯爵から外し、すっと目を閉じた。もうスコット侯爵には興味はないといった雰囲気だ。
「……わかりました。これで失礼します」
スコット侯爵も態度を臣下のそれに改める。
立ち上がって部屋を出ようとしたスコット侯爵。ふと気になって振り返ると、そこには変わらず目をつむったまま、じっと動かない国王の姿があった。
その顔は、かつてスコット侯爵が知っていたジョージの顔ではない。疲れたと国王は言っていた。もしかすると、全てを投げ出そうとしているではないか。そんな思いもスコット侯爵の胸に湧いてくる。
たとえそうだとしても今のスコット侯爵には、国王にしてあげられることは何もない。彼自身が、国王にとっての最大の政敵、心労の種なのだから。