疑わしい人たちが無罪であることを確認して真犯人を絞り込んだ。その上で、リーゼロッテが犯人であるという噂を塗り替える為の工作も行った。あとは最後の仕上げ。これが成し遂げられなければ、ここまでのことはほとんど意味を為さなくなる。だが、ジグルスに成功の確信はない。完全に当たって砕けろの心持ちだ。
「失礼であろう。何の前触れもなく王女殿下に話しかけるとは」
「それについてはいくらでもお詫び致します。ですが何卒、王女殿下に聞いて頂きたい話があるのです」
下校しようとしていたカロリーネ王女の前にジグルスは跪いている。正確にはそれを遮る為に間に立った護衛兵の前だ。その護衛兵は突然乱入したジグルスに冷たい目を向けている。
「王女殿下は下校途中だ。話がしたいのであれば、また明日、改めて申し入れてくるのだな」
「学院でもその手続きが必要なのですか?」
そう簡単に引き下がるわけにはいかない。言う通りにしても、明日話が出来る保証などないのだ。
「当たり前であろう? お前も貴族の家の者であれば、王族への礼儀というものをきちんとわきまえるのだな」
「それで王女殿下は他の生徒との交流を持てるのですか?」
「何だと?」
護衛兵の顔に厳しさが増す。ここまで言って、相手が反論してくるとは思っていなかったのだ。
「同級生と王女殿下が会話をしようとした時。その時も同じような手続きを求められるのですか?」
「それは……」
「そんなはずはございませんよね?」
あるはずがない。それではカロリーネ王女は教室で孤立してしまう。
「当たり前だ。授業中の教室でそんなことをするはずがないであろう?」
「では何故、今はそれをお求めになられるのですか?」
「お前が王女殿下と話をしたいと言うからだ」
それでも護衛兵士はジグルスにカロリーネ王女と話すことを許さない。これはもうただ意地になっているだけだ。
「ああ、つまり王女殿下から話しかけるのは良いが、生徒側から話しかけるのは駄目ということですね」
「そういうことだ」
「随分と一方的な交流です。それで本音を話し合えるのでしょうか?」
「貴様……学生だと思って、優しくしておればつけあがりおって!」
理屈では勝てないと分かって、今度は恫喝に出る護衛兵。自分の態度によってカロリーネ王女の印象が悪くなることに気が付いていない。質の悪い兵士だとジグルスは思う。
「もう良い。こんなやり取りをしているだけ時間の無駄よ」
カロリーネ王女本人はそれに気が付いた。
「王女殿下、しかし……」
「その者の言うとおり。そのような一方的なやり取りは妾の望むものではない。それに実際、自由に話をしている。この者の話も聞くことにする」
「……承知いたしました。では、手短に話せ」
カロリーネ王女が認めたのであるから護衛兵は文句を言えない。それでも「手短に話せ」などと余計な一言を付け加えてくる。ただこれはジグルスも望むところだ。
「はい。ではすぐに本題に入ります。お聞きいただきたのはリーゼロッテ様のことです」
「リーゼロッテ? その件であれば聞きたくない」
リーゼロッテの話と聞いて、カロリーネ王女は話を聞くのを拒絶してきた。それだけリーゼロッテへの不信感が高まっているということだ。そうであれば意地でも話を聞いてもらわなければならない。
「今しがた話を聞くとおっしゃられたばかりです。王族の方がこのような簡単に前言を翻してよろしいのですか?」
「貴様! 無礼であろう!」
また護衛兵が割って入ってくる。
「良い! 約束は約束。最後まで話は聞いてやるわ」
それを制するカロリーネ王女。ジグルスの言うことに一理があると考えたのだ。
「ありがとうございます。今回、学院に広がっている怪文書の件です」
「ああ、よく知っている。恥知らずな所業よ」
「あれはリーゼロッテ様の企み事ではございません」
「何故、そう言い切れる?」
従属貴族の子弟あたりが庇おうとしている、とは思っているがそれで話を打ち切ることはしない。約束したからにはきちんと最後まで話を聞くつもりだ。
「企み事を起こすのであれば、必ず俺に相談があるはずです。それはありませんでした。そして事実、リーゼロッテ様は今回の件は全く知らないと仰っていました」
「その言葉を信じるのか?」
「はい、リーゼロッテ様は俺には嘘はつきません」
「……お主、リーゼロッテの何だ?」
リーゼロッテは嘘をつかないと断言出来るジグルス。どういう関係なのかとカロリーネ王女は気になった。
「実家はテーリング家の従属貴族です」
「……取り巻きか。そのような者の話は信じるわけにはいかない」
カロリーネ王女が求めた答えはこういうことではないのだが、続けて追及することはしなかった。どういう関係であろうと庇っていることに違いはないと思ったのだ。
「何故でしょうか?」
「リーゼロッテを庇うために決まっているからだ。そうであろう?」
「いえ、違います。俺はただ事実を話しているだけです」
「それをどう証明する? 証拠がなければ信用など出来ん」
「では今回の件がリーゼロッテ様の仕業だという証拠を王女殿下は確認されたのですか?」
「いや、それはない。だが、それでリーゼロッテが無実であるということにもならん」
その程度のことで誤魔化される自分ではない。カロリーネ王女はそう考えている。だがジグルスの話はまだこれからだ。
「それはこれから説明致します。まず、今回の件でリーゼロッテ様には何の利もありません。それどころか害にしかなりません。何故そのような愚かな企みを行う必要があるのでしょうか?」
「……他に犯人はいると。では、それは誰だ?」
「それについては証拠がございません。ただ今回の件で利を得たものは知っております」
「それは?」
「証拠がありませんので名指しは致しません。ただ不審な点だけはお伝えいたします」
ジグルスの目的は真犯人の糾弾ではない。リーゼロッテが今回の件に関わっていないと信じてもらうこと。その為には嘘や誇張と思われそうなことは話さないと決めていた。
「……申せ」
「怪文書で中傷の的となったお二人には当日のアリバイがございます。しかし、そもそも怪文書にわざわざ具体的な日付を書く必要がございますか?」
「……なるほど。必要ないな」
少し考えてカロリーネ王女はジグルスの説明に納得した。
「怪文書が回ってすぐにアリバイを証言する生徒が現れました。しかしそれは深夜の出来事。私は、同じ時間は一人で過ごすことがほとんどというか寝ております。誰かと夜更かしをすることなど滅多にあるものではありません。その滅多にない日が怪文書には記されています。とても運の良い偶然です」
「うむ……まあ、そうとも言えるな」
不自然ではある。それについてはカロリーネ王女も認めた。
「そして、すぐに事がリーゼロッテ様の仕業だと広がりました。さて、王女殿下のお耳にこの話が届いたのは、いつのことですか? 文書が出回ったのは昨日。リーゼロッテ様の身近にいる、最も伝えにくいはずの私に届くまでにわずか一日しか経っておりません」
「妾は……その日のうちだな」
一日で怪文書が嘘であると判明し、それを配布した犯人まで分かった。そこまで揃ってから自分の耳にその噂が届いたことに、カロリーネ王女も疑念を持った。
「学院はずいぶんと噂が広まるのが早い。これが果たして自然に広まったものなのかどうか」
「意図的に、しかも予め準備をして誰かが広めたと言いたいのか?」
「そう考えたほうが自然です」
「しかしな……」
これは推論。状況証拠に過ぎない。これだけで判断して良いのかカロリーネ王女は悩む。
「王女殿下はご存知でしたか? 怪文書が出回る前から、同じ内容の噂が密かに広まっていたことを?」
事実を調べている中でジグルス自身が、この噂を耳にしている。その気になってカロリーネ王女が調べれば、真実だとすぐに分かる情報だ。
「それは知らん。だが、それもリーゼロッテがやったことかもしれん」
「違うと断言致しますが、それは良いです。誰が犯人であろうと、すでに噂が広まりかけているのにあえて怪文書を回す。これの意味をどうお考えになりますか?」
「それは……」
結果として怪文書が出回ったことで噂は否定されることになった。そうであるとすれば。カロリーネ王女の疑念は強まっていく。
「今回の一件にはおかしなことばかりあります。表に広まっていることが真実とは言えません」
「……お主、実によく頭が回るな」
「そんなことはありません」
「確かにお主の言うとおり、不自然だ。だが、あえてその不自然さを演出し、裏をかいているのではないか? お主であればそれくらいの策は思いつきそうだ」
カロリーネ王女は簡単にはリーゼロッテが無実だと認めようとしない。ただこれは自分が無実だと認めることの影響を考えてのこと。王女である自分が無実だと口にすれば、それで事は決まる。よほどの確信がなければはっきりと言葉に出来ないのだ。
「俺の策略だとお疑いですか?」
「その可能性はある」
「それはありえません。この生命にかけて、そのような真似はしていないと誓います」
「口だけでは何とでも言えるな」
本気で疑っているわけではない。話を曖昧に終わらせる為に口にした言葉だ。だが、この言葉を口にすることも慎重であるべきだったと、カロリーネ王女は後悔することになる。
「……では、証明させて頂きます」
こう言ってジグルスは懐に入れていた短剣を取り出した。
「貴様!」
それに反応したいのは護衛兵。それはそうだ。カロリーネ王女の前で刃物を取り出すなど許されることではない。色めき立つ護衛兵。ジグルスを押さえつけようと動き出した兵もいる。
「お静かに! 自らの無実を証明するだけです」
その兵をジグルスは制す。だが実際に兵士を止めたのはカロリーネ王女の真横にあげられた手だ。
「……お主、何を考えている?」
「今はまだ命を絶つわけにはいきません。リーゼロッテ様を卒業までお守りする約束がありますので」
「そうか……それで」
ホッとした表情を見せるカロリーネ王女。だが安心するのは早すぎた。短剣を握るジグルスの手が震えていることに気が付けば、ホッとなど出来なかったはずだ。
覚悟を決めろ。心の中でジグルスは自分を叱咤する。ここが正念場。自分は一度は死んだ身、恐怖を克服しろと。
「失礼いたします!」
この声と同時にジグルスは握っていた短剣を、自分の腹に突き立てた。
「ば……馬鹿もん! 何をしているのだ!?」
「……か、覚悟、を、示した、まで」
「お主は馬鹿か!? なんてことを! 早く短剣を抜け! 抜くのだ!」
「し、信じ、て、い、ただけ、ます、か?」
痛みを堪えて、ジグルスはカロリーネ王女に問い掛ける。言質をとらなければならない。その為に、ここまでの無茶をしているのだ。
「……それは後だ、とにかく剣を」
「し、信じ、て……」
だが当たり前だが、こんなことは初めての経験。加減を間違えたのか、そうでなくてもそうなるのか、ジグルスは気が遠くなってきた。
「もう良い! ヤツを押さえつけろ! 無理矢理にでも抜くのだ!」
「はっ!」
「ち、ちょっと……あっ、駄目、だ。い、痛、す、ぎ……」
結局、カロリーネ王女から信じるという言葉をもらえないまま、ジグルスは気を失ってしまった。
◇◇◇
「お主は馬鹿か?」
ジグルスが目覚めて最初に耳に入ったのは、カロリーネ王女のこの言葉だった。
「……助かりました?」
「当たり前だ。妾がその場にいて、そう簡単に人を死なせるか。ちゃんと治療したわ」
カロリーネ王女は回復魔法を使える。いざとなれば助けてもらえるとジグルスは考えていたのが、その期待にカロリーネ王女は応えていた。気絶するまで何もしてもらえなかったのはジグルスにとって誤算だが。
「いやあ、助かりました。完全に死んだと思いました」
こう言いながら体を起こすジグルス。その彼の頬に、バチンという音と共に鋭い痛みが走った。
「……痛い」
「ジーク! 貴方は何てことをしてくれたの!?」
目に涙を溜めながらジグルスを怒鳴りつけるリーゼロッテ。それを見たジグルスは、叩かれた頬よりも胸のほうが痛く感じた。
「……すみません」
「私はジークにこんなことを望んでいないわ! 私を助けてくれるという約束はこんなことなの!?」
「……いえ、違います。ずっとお側にいます」
「ずっと……あの、でも……」
ジグルスの言葉に恥ずかしそうに俯いてしまうリーゼロッテ。ジグルスの言葉にリーゼロッテは敏感に反応してしまう。普段の彼女からは想像出来ない態度だ。
「こら。妾を無視してイチャつくな」
これを言うカロリーネ王女は内心でかなり驚いている。
「イチャついてはいないです」
「今のどこがイチャついていないと言うのだ?」
「えっ? 今のどこがイチャついていると言うのですか?」
「お主……」
どれだけ鈍感なのだ。カロリーネ王女は心の中で呟いた。本当にそうなのか、それともわざと惚けているのか判断がつかなかったのだ。
「何でしょうか?」
「……良い。傷は塞いだ、だが安静にしておくのだ。表面の傷は消えていてもそれで完全に治ったわけではない。体の奥の傷が治るにはそれなりに時間がかかる」
これは人によって差異がある。カロリーネ王女」は安全をとって、ジグルスに最悪のケースを伝えているのだ。
「分かりました、どうも、ありがとうございました」
「……妾はもう行く、供の者を待たせたままだからな」
「はい」
「……それと今回の件はお主の策に乗ってやることにする」
カロリーネ王女ジグルスの命を賭けた、本人は賭けたつもりはないが、策略を見抜いていた.。だが大事なのは結果だ。
「では?」
「リーゼロッテを疑うことはしない。これで良いな?」
「はい! ありがとうございます!」
カロリーネ王女はリーゼロッテを疑わないとはっきりと口にした。ジグルスとしては無茶をした甲斐があったというものだ。
「リーゼロッテ」
「はい。カロリーネ様」
「良い男を得たの。妾は少しお主が羨ましい」
「はい。私には過ぎた……友です」
リーゼロッテはジグルスを友と呼んだ。家臣ではなく友と。これを聞いてジグルスはさらに報われた思いがした。
「友か。今はそれでも良い。いや、そのままのほうが良いのか」
「あの……それはどう意味でしょうか?」
「……とりあえず看病をしてやるのだな」
「分かりました」
どうやら二人とも鈍感なようだ。だがカロリーネ王女はそれを指摘してやることが出来ない。公家の息女であるリーゼロッテが男爵家に嫁ぐことなどまずあり得ない。これ以上の想いを持っても辛くなるだけだ。
部屋を出て行くカロリーネ王女。その背中に向かってリーゼロッテとジグルスは深く頭を下げる。
「……もうこんな真似はしないで」
その姿が見えなくなったところで、リーゼロッテはジグルスに念を押す。
「はい。ご心配をお掛けしてすみません」
「痛みはありませんか?」
「頬が痛いです」
「馬鹿……」
「……あれ?」
頬を染めて小さく呟いたリーゼロッテ。その姿からは彼女が普段見せる傲慢さは欠片もない。可愛らしいさと嫌らしさを感じさせない色気を同居させている彼女は、とても魅力的な女性だった。
「何ですか?」
「……少し胸が……いえ、大丈夫です」
「そう……私もドキドキしましたわ。ジークが死んでしまうと思って」
「ご心配をかけて申し訳ありません」
「もう謝罪は良いわ。あっ、御礼がまだでしたわね? ジーク、ありがとう。自らを傷つける行為は認められないけど、気持ちは嬉しく思いますわ」
にっこりとジグルスに微笑みかけるリーゼロッテ。この笑顔の為であれば。頭に浮かんだその思いにジグルスは自分で驚いてしまう。
「……その笑顔で報われます。リーゼロッテ様の笑顔は何度見ても癒やされますね?」
「馬鹿」
「その言葉も」
ゲームではリーゼロッテのこのような笑顔は描かれていなかった。キャラクターではなく生きている一人の人間としてのリーゼロッテ。その笑顔を見られた時、ジグルスも自分はモブキャラではなく一人の生きている人間だと実感出来るのだ。