ウェヌス王国軍には三軍の他にも軍組織がある。地方軍と呼ばれているのが、それだ。
三軍が対外戦、外国との戦いを担っているのに対し、地方軍は国内治安維持を担当している。主な役割は盗賊退治や、何十年も起こっていないが地方領主の反乱鎮圧などだ。
だが王都周辺においては、この役割分担は曖昧になる。王都周辺に地方軍は配備されていない。その為に治安維持活動も三軍の管轄になるのだ。
そして三軍の中でも、盗賊退治などに動員されるのは序列が低い部隊。第三軍の第十大隊以下が主となる。
王都に近い街道周辺に盗賊が出没しているという事で、今回動員、今回も動員されたのは、三一○一○中隊の百名。当然、グレンの小隊トリプルテンも含まれていた。
盗賊のアジトを正面に見据えて、グレンは緊張の色を隠せないでいた。グレンのこんな様子は当然、部下にも伝わる。戦いを前にして、あまり良い傾向ではない。
「小隊長、どうしたのですか?」
それを察して、部下のカルロがグレンに声を掛けてきた。
「あっ、ああ。ちょっと緊張していて」
「珍しいですね? 戦いを前に緊張するのは当然ですが、小隊長は割と鈍感なところがあったような」
「鈍感は酷いな。でも一隊員でいた時より、ずっと緊張しているのは自分でも分かる」
「なるほど。部下を率いているって事での緊張ですか」
「そうなのかな?」
グレンの説明を聞いて、カルロには緊張している理由が分かった様だ。部下の命を預かっているという責任感、自分の失敗で部下を死なせてしまうのではという不安感が、グレンを緊張させているのだと。
「それは余計な心配ですね。盗賊程度に後れを取る自分たちではありません。自分たちの事は気にしないで小隊長は普段通りに戦えば良いのです」
「そうかな?」
「何なら一人で全部倒してくれても良いですよ。楽が出来るに越した事はありませんからね」
「それ無理だから」
「いや、諦めないで頑張って下さい」
カルロの言い様にグレンの顔に苦笑いが浮かぶ。表情が崩れると同時に肩の力が抜けていくのをグレンは感じた。
これでようやくグレンは、部下が自分の気持ちを落ち着かせようと話し掛けてきたのが分かった。こんな事にも気付かない位に自分が緊張していた事にも。
「……ありがとう。少し気持ちが落ち着いた」
「それは何よりです。全部倒しては冗談です。どちらかと言えば、程々に戦って下さい」
「程々に?」
「昇進したての小隊長の死傷率って高いですから。部下を率いる事の戸惑いや、逆に気持ちを逸らせてしまってとか。まあ、原因は色々とあるようですけどね」
「そうか。似たような事を言われていたのを忘れていた。気を付けないと」
グレンは宿の親父さんが話してくれた事を思い出した。
「ああ、どうやら来たようです」
グレンの気持ちが落ち着くのを待っていてくれたかの様に、盗賊がアジトから飛び出してきた。小さな運だが、こういった運が戦場で生き残る為には大切なのだ。
自分の所の小隊長は、どうやらその運を持っているようだ、古参といえる部下の数名が、少し安堵した事をグレンは気が付いていない。
「申し合わせた通りに、隊列を乱す事なく纏まって行動する様に」
「本当に盗賊相手にそれをするのですか?」
「これも訓練の一環だろ?」
「それは建前ですが?」
盗賊退治を下位部隊に任せるのは未熟な部隊を実戦で鍛える為。こういう理由になっている。部下が言った建前とはこの事だ。実際は、大して名誉にならない盗賊退治なんて雑務を下位部隊に押し付けているに過ぎない。
「建前は軍隊では大切だと聞いた」
「誰がそんな事を?」
「ボリス小隊長」
「なるほど」
ボリス小隊長らしい言葉だとカルロは納得した。
「とにかく。今回は手柄を立てるのは諦めてくれ。さっき自分に言った通り、程々に戦う」
「分かりました。それが小隊長の指示であれば我々は従うだけです」
「悪いな。さて、そろそろだな。隊列を整えろ!」
盗賊との距離が詰まったのを見て、グレンは部下に指示を出す。
「全隊、前進!」
それとほぼ同時に中隊長の号令が響いた
「小隊。並足、前進!」
その号令に応じて、グレンの小隊は盗賊たちに向かって前進を始めた。
盗賊との戦いが始まった。
◇◇◇
小隊を纏めて、盗賊たちに向かって行ったグレンたちであったのだが。
「小隊長、何か暇ですね?」
今まさに戦闘の真っ最中とは思えないのんびりした口調で、話し掛けてきたのは、又、カルロだった。
「……避けられているな」
既に戦闘はあちこちで繰り広げられているだが、グレンの小隊には一向に盗賊たちは向かって来ない。乱戦の中で、完全に孤立している形だ。
「逃げるのが目的でしょうから。わざわざ固まっている自分達に向かって来る事はないでしょう」
「失敗したか」
「殲滅を目的とするのであれば。適当に散らすのであれば、これで正解では?」
「……中隊長は何も言ってなかったな」
今回、グレンは作戦の目的を中隊長から聞かされていなかった。別に珍しい事ではない。
「多分ですが逃がして終わりですね」
「えっ、どうして分かる?」
上位者が何を考えているか。それを意識するようにグレンは気を付けていたのだが、今の段階では中隊長の考えなど見当も付いていない。その答えをあっさりとカルロが出した事にグレンは驚いている。
「殲滅するつもりなら、こんな布陣はしません。数も質もこちらが上。左右にも小隊を置いて包囲戦に持ち込むでしょう」
「馬鹿正直に全部隊で正面から攻めたりしないか。それもそうだな……」
カルロの説明を聞いて、グレンは少し落ち込んでしまう。真面目に勉強しているつもりだったのだが、それが全く身に付いていない事がはっきりと分かったからだ。
「さて、どうしますか? 周囲は混戦。中隊長からの指示はありません」
「……どこに逃がすと思う?」
「そうですね……左でしょうね」
又、カルロはグレンの疑問に答えを出した。
「それも布陣から?」
グレンは気持ちを切り替えて、カルロから学ぶ事にしている。
「いえ。たまたま、こちらの兵数が少なくなっただけでしょう」
「そうか……じゃあ、迂回してその先を塞ぐ」
「敵が集中します」
逃げる敵の前に立ち塞げれば、激しい戦いになる。
「正面からは行かない。側面から逃げる盗賊の数を減らすだけだ」
グレンもカルロが懸念している事は分かっていて、対策を考えていた。
「なるほど。悪くはありませんが、止めておいた方が良いでしょう」
「どうして?」
「それは……後で説明します。あまり大っぴらに話す事ではありませんから」
「そうか。じゃあ、どうする?」
敵は相変わらず、グレンの小隊を避けている。こちらから敵に向かわなければ、何もしないままに任務が終わってしまう。
「先行してアジトに乗り込むのも一つの手ですね。盗賊は逃げに出ています。残っている者は居ないでしょう」
「それだと意味なくないか?」
せっかくのカルロの提案だが、盗賊の居ないアジトに乗り込む理由がグレンには分からない。
「それは行ってみないと」
「それって……」
「さあ、とにかく行きましょう」
「あっ、ああ」
カルロに促されて、グレンは小隊をアジトに向かって進めた。
どちらが小隊長か分からない。こんな思いも胸をよぎったが、知識も経験もない自分では、この状況も仕方がないと無理やり自分を納得させる事にした。いつか小隊長に相応しい実力を身に付ければ良いのだと。
◇◇◇
盗賊のアジトに一番乗りを果たしたグレンの小隊。警戒は怠らなかったが、予想通り、盗賊の姿はどこにも見えなかった。
だが、盗賊は居なくても誰も居ないわけではない。アジトに人はいた。
部下の報告を受けて、その小屋に入ったグレンは、そのまま引き返したい衝動に駆られた。小屋に居たのは裸同然の姿で、壁に繋がれていた女性たち。何処からか攫われてきた女性たちだ。
「……鎖を外してやってくれ。それと何か布はないかな?」
「探してきます」
グレンの指示で、部下の一人が小屋を出て行く。
「自分は国軍の小隊長グレンと言います。皆さんを助けに来ました」
「…………」
グレンの言葉に反応する者は居ない。ただ虚ろな目でじっと見つめているだけだ。グレンの気持ちが益々重くなる。
「あの……どなたか話せる人は居ませんか?」
「……殺して下さい」
「えっ?」
ようやく一人が口を開いたのだが、出てきた言葉はグレンの思いもよらないものだった。
「他にも同じ様に考えている者は居るか? 居たら手を上げろ」
驚いているグレンを余所に、部下のフランクが女性たちに問い掛ける。その問いに答えて、何人かの手が挙がった。
「……話し合いが必要だな。手を挙げた者は残れ」
「フランク?」
フランクが何をしようとしているのか、グレンにはさっぱり分からない。グレンの問いにもフランクは意味ありげな視線を返すだけだった。
やがて布を探しに行った部下が戻ってきて、何人かの女性たちが外に連れ出されていった。残ったのは手を挙げた女性たちだ。
「さて、覚悟は決まっているのだな?」
こう言いながらフランクは自分の剣を抜く。
「ちっ、ちょっと!? 何をしてる!?」
「本人たちの希望です」
グレンの制止の言葉にも、フランクは冷静に返して来る。
「殺すなんて許される訳ないだろ?」
「この者たちは家に戻っても白い目で見られるだけです。死んだ方がマシ。そう思うのはおかしな事ではありません」
「……まさか、こういう事はいつも?」
フランクの冷静な態度と説明は、これが初めての経験ではない事を示している。
「小隊長は知らないのですね? まあ、そうでしょう。こういう仕事は、自分みたいな長い兵士生活で心が麻痺してしまった者の仕事です」
「そんな……」
盗賊討伐任務の陰で、これまでも攫われた女性たちが助けに来た兵に殺されていた。この事実はグレンにとって衝撃的だった。
茫然としているグレンを尻目にフランクは、剣を手に提げて女性たちの前に進み出て行く。
「まっ、待て!」
そのフランクにグレンは又、制止の声を掛けた。
「待てません。他の小隊が来ないうちに片付けておかないと。これも大っぴらに出来る事ではありませんから」
「でも、殺すなんて」
「……こうして攫われた女の行く末は哀れなものです。周りから、ずっと後ろ指を指されて生きる事になります。娶ろうなんて考える男は居ないでしょう。すでに夫が居ても、まず間違いなく離縁されます。そして生活の術を失くした女が向かう先は、娼婦に身を落とすか、自ら死を選ぶか。こんな思いをさせたいと思いますか?」
「…………」
助けが助けになっていない。知れば知るほど、グレンは落ち込むばかりだ。
「もっと言えば、既に盗賊の子を孕んでいるかもしれません。ここに居るという事がどういう事か、小隊長だって分かるはずです」
「それは……分かる」
「命令は必要ありません。自分がやります」
「まっ、待て!」
「まだ何か?」
振り返ったフランクは、うんざりした顔を見せている。
「……自分がやる」
思い詰めた様子でグレンはフランクに告げた。これを聞いたフランクの顔は複雑な表情に変わった。
「……無理はしない方が良いと思います。何でしたら、外に出ていて頂いても」
グレンは意地になっている。フランクはこう受け取った。
「俺がやる」
だが、グレンは言葉を引っ込めようとはしない。始めよりもはっきりと言い切った。
「そうですか……おい、小屋の周りを固めろ! 他の小隊が近づいたら、直ぐに知らせろ!」
グレンの覚悟を本物と見て取ったフランクは望み通り任せる事にした。その為の指示を他の兵士に出している。
指示を聞いた別の部下が、小屋を出て扉を閉める。その部下が他の者にも指示を出しているのが、小屋の中にも聞こえてきた。
「無理であればいつでも変わります」
「……ああ」
重く感じる足を無理やり引きずって、グレンは女たちの前に進み出た。
「心変わりはないですか?」
無言で頷いた一人の女性の背後にグレンは回った。
「名前は?」
「小隊長! そんなの必要ありません!」
女性に名を聞こうとしているグレンに、フランクが無用の事だと言ってきた。
「罪もないのに殺してしまう人だ。名前くらいは覚えておくべきだろう?」
フランクの忠告をグレンは聞くつもりはない。
「そんな事をしては辛くなるだけです」
誰を殺したなど覚えておく必要はない。誰かも分からないまま、忘れてしまうのは一番なのだ。
「苦しむのは当然だ……これも言い訳か。名前は?」
どんな理由を付けても、どんなに苦しんでも、無実の人を殺すのは許される事ではないとグレンは考えている。
「……ア、アイサです」
「アイサさん、申し訳ありません。では、行きます」
背中から心臓めがけて、剣を突き立てる。
「んぐっ……」
アイサと名乗った女性が、わずかな呻き声をあげるだけで崩れ落ちて行ったのは、グレンにとって救いだった。だが、殺すのはこの女性で終わりではない。
「名前は?」
「シオです」
「ではシオさん」
「あっ、あの」
グレンが剣を構えた所で、女性が声をあげた。
「止めますか?」
「いえ……苦しまない様にお願い出来ないかと」
前のアイサは短い時間で絶命した。それでもこの女性から見ると苦しんだ様に思えるのだ。
「……首を落としますか? それであれば、痛みを感じる暇もないかと。ただ死んだ後が」
首を落とせば血も吹き出して、かなり凄惨な死体となる。女性にとって、そういう最後はどうなのかとグレンは思った。
「それでお願いします。死んだ後なんてどうでも」
確かに死んでしまえば自分の死体など見えない。
「分かりました。前屈みになってもらえますか? 首は伸ばして」
「はい……」
立ち位置を女性の横に変えて、剣を振りかぶるグレン。
「……では行きます」
そこから一気に剣を振り下ろした。一瞬の間を置いて、物と化した女の首が地面に転がる。それとほぼ同時に首から噴き出した血が地面を赤く染めていった。
「さすが……」
それを見たフランクが、思わず呟きを漏らすほどの鋭い剣だ。
そして女たちも凄惨な光景だったとはいえ、苦しまずに済むそれをグレンに願っていく。
「名は?」
「……ねえ」
グレンの問いに、最後の一人となった女性が顔を上げた。
「前屈みに」
「違うの。貴方の奥さんにしてくれないかしら? そうしてくれたら死なないわ」
「……それは」
女性の願いは生きる為のものだ。だが、グレンが受け入れられるものではない。
「やっぱり、盗賊にまわされた女なんて汚らわしい?」
「…………」
グレンには返す言葉が見つからない。
「女、卑怯な真似はやめろ」
黙り込んでしまったグレンの代わりにフランクが声を発した。そのまま女を睨みつけている。
「何が?」
「小隊長の優しさに付け込むような真似は止めろと言っているのだ」
「貴方に聞いてないわよ」
「そんな事は関係ない。これ以上、小隊長を追い込むようなら。自分が殺してやる」
女性を睨みつけたまま、フランクは自分の剣を抜いた。脅しではない。本気で殺すつもりだ。
「……じゃあ、良いわ。小隊長さん、私は死なないから」
フランクの本気が伝わったのか、女性はグレンへの要求を引っ込めた。
「そ、そうか」
「でも、村に送るのは止めて」
「……では、どうすれば?」
「王都に連れて行って、そこで仕事を探すわ。まあ、あのおっさんが言った通り、娼婦くらいしか出来ないでしょうけどね」
「分かった」
この女性の言葉にはグレンはあっさりと返事をした。
「あら? 同情してくれないのかしら?」
そのグレンの態度は女性の望むものではなかった。
「娼婦に知り合いが居るから。娼婦だからって同情する必要がない事を知っている」
「……意外。もっと奥手だと思っていたわ」
「ち、違う! 近くに住んでいるだけだ!」
娼婦というのは裏町の知り合いだ。グレンにとって珍しい相手ではない。裏町は表稼業では生きられない者ばかりが住んでいる場所だ。
「あっそ、それは良かったわ」
「何が?」
「最初のお客さんは貴方が良いわ。働き場が決まったら直ぐに教えるから、お店に来てね」
「い、いや、それは……」
「後で連絡先も教えてね? 取り敢えず外に出してくれるかしら? ここはちょっと匂いが」
わざとらしく鼻をつまんで女が文句を言ってきた。実際に小屋の中には血の匂いが充満している。
「そうだな。じゃあ、外に」
「この恰好で?」
女性はグレンの知る娼婦よりも薄着だ。
「あっ、布。布は?」
「外にあるかと。少々お待ち下さい。おい! 布の用意は!?」
フランクの声に応えて、別の部下が扉を開けて、その隙間から布を差し出してきた。
「適当に体に巻いて、外に出ろ」
生き残った女性は、フランクの指示に従って布を体に巻くと建物の外に出て行った。
「小隊長も外に」
「あ、ああ」
女性の後に付いてグレンも外に出る。小屋の外では何人かの部下たちが、いつの間に用意したのか、松明を持って立っていた。
「えっ?」
「良いぞ、火を点けろ」
グレンに続いて小屋を出てきたフランクの指示で、一斉に松明が小屋に投げ入れられた。小屋に火が回るのはあっという間だった。寝床代わりに敷かれていた藁のせいもあるのだろう。
「良いのか?」
「周知の事とはいえ、証拠は消しておいた方が良いです。それに女たちを弔う意味でも」
「……そうだな」
激しく燃え上がる炎を、グレンは少し離れた場所で、じっと見詰めていた。
◇◇◇
アジトの捜索を終えるとすぐに部隊は王都への帰還の途に就いた。日が暮れ始めた所で、その日の行軍は終了。慌ただしく野営の準備が進められた。
気持ちが何処かに飛んだような状態のグレンは、指示も動きも鈍い。だが、そんなグレンに部下も、他の小隊の者たちも何も言わなかった。原因は分かっているからだ。
「中隊長が?」
そんなグレンに、一人の兵士が中隊長が呼んでいると伝えにきた。
「はい。すぐに来るようにと」
「……やばい、戦闘の事を怒られるのかな?」
グレンには怒られる覚えが山程ある。
「さあ?」
「あっ、今の独り言。自分の癖なのです」
「あっ、そうですか。とにかく、中隊長の所へ」
「はい」
中隊長の元に向かうグレンの気持ちは、これまでとは違った意味で重くなっている。心当たりは有り過ぎる程ある。だからと言って命令を無視して逃げる訳にもいかず、嫌々ながら中隊長の天幕に向かった。
「第十小隊長グレン、参りました!」
「入れ」
中隊長の声を確認して天幕の中に入る。行軍用の、しかも中隊長の天幕だ。中はかなり広い。ちょっとした会議が開けるくらいだ。
「座れ」
「はっ!」
中隊長が指差す椅子に腰掛ける。この事が益々グレンの気持ちを重くする。座れと言う事は、それだけ話が長いという事だからだ。
「ご苦労だったな」
「いえ」
「取り敢えず、これを受け取れ。特別手当という奴だ」
グレンの目の前に差し出されたのは小さな皮袋。手当というからには中に入っているのは貨幣だ。ただ受け取れと言われても特別手当の意味がグレンには分からない。
「特別手当と言いますと?」
「細かくは言わせるな。最初にアジトに入った者への手当だと思えば良い」
つまりは攫われた女性たちを殺した事への手当という意味だ。
「ああ、そういう事ですか」
「誰もやりたがらない仕事だ。手当くらいは与えないとな」
「つまり、これは国軍では正式な」
手当が出るという事は、正式に認められている任務なのだとグレンは考えた。
「そんな訳がないだろ?」
「でも手当は……まさか、中隊長の自腹ですか?」
「そんな訳もない」
「……あっ、まさか」
盗賊からの接収品、グレンの頭に浮かんだのはこれだ。
「それ以上は口にするな。全く鈍いのか鋭いのか分からんな」
中隊長が先を続けさせなかった事が、グレンの考えを裏付けている。本来は軍に届けなければいけないそれを着服しているのだ。口に出して良い事ではない。
「申し訳ありません」
「しかし、意外だったな。お前はああいう仕事は好まないと思っていた」
「恐らくは、部下に嵌められたのではないかと」
「嵌められた?」
「アジトに乗り込もうと進言されました。今思えば、ああなる事は分かっていての進言ではないかと」
最初にアジトに入った者への手当と中隊長は言った。それは、攫われた女性を殺すのは、最初にアジトに入った者の役目と決まっている事だと、グレンは考えた。
「そうか」
「その理由も今、分かりました。手当が出るのですね? 今回の任務では手柄は立てられそうもないと思って、考えたのでしょう」
「いや、それは……」
「何でしょうか?」
「何でもない。さて、こちらの用件は以上だ。何かあるか?」
「一つだけお聞きしてもよろしいでしょうか?」
怒られる為に呼び出されたのはないと分かったグレンの気持ちは一気に軽くなっている。
「何だ?」
「何故、殲滅を選ばなかったのでしょうか? 盗賊を取り逃がせば、又、同じような事がどこかで起こる可能性があります」
これも大っぴらに話せる事ではないと部下は言っていた。特別な意味があるのだ。その意味をグレンは知りたかった。
「よりにもよってそれか」
「申し訳ありません」
「いつかは知る事だ。良いだろう。盗賊討伐は多くの場合、殲滅を図らない。これは俺だけが特別と言う訳ではないのだ」
「理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「理由は大きく二つ。一つは、王都周辺から盗賊が消え去れば任務がなくなる。任務がなければ手当が出ない」
「そんな理由で?」
自分たちの利益の為に盗賊を見逃している。これはグレンには納得出来ない理由だ。やや憤慨しているグレンを無視して中隊長は先を続ける。
「そしてもう一つは、盗賊の多くは元から盗賊であった訳ではない。食うに困って、どうしようもなく盗賊になった者の方が多いだろう」
「……そうですね」
盗賊は美味しい仕事ではない。命の危険は多い。それに贅沢出来る程の金が手に入る訳ではない事もグレンは任務の中で知っている。
「一度酷い目に会えば、それに懲りて足を洗うかもしれない。蓄えが出来ていれば尚更だ。まあ、悪事で貯めた金だ。それを許すのもおかしいのだが」
「少し納得出来るものではあります。しかし、それによって酷い目に会う者が居ます」
今日、グレンが自らの手で殺した女性たちのように。
「盗賊は消えない。その理由は……これも言わせるな」
「……何となく分かりました」
「口に出すなよ。出せば俺はお前を拘束しなければならなくなる。国政批判という大罪によってな」
これはグレンの考えを、その通りだと認めたのと同じだ。政治が悪いから苦しむ民が出る。苦しむ民の中から盗賊が生み出されている。そういう事なのだ。
「そう言えば、熱心に勉強しているようだな?」
もうこの話題を終わらせたいようで、中隊長は話を大きく変えた。
「はい。ですが、中々身に付きません」
「本を読むだけではな」
「はい。何と言いますか、本というものは細かい事が書かれておりません。上っ面と言えば書いた人に失礼ですが」
「そんなものだ。本を読むだけで理解出来るのであれば、教師や教官は不要になるからな」
言い換えれば、教師や教官の為に敢えて分かりにくく書かれているとなる。
「また、そんな理由ですか?」
「半分は冗談だ。細かい事を書いても、それがいつの時代も正しいとは限らない。それに読む者の立場によって必要な情報は変わってくる。だから表面というか基本的な事に留まらざるを得ない。こういう事だと思う」
「……さすが中隊長ですね。今の説明はよく分かりました。本を読んでいて何となく、そんな事を感じていたのです」
「だろうな」
「そういえば教官という人が居ないようですが? 何か理由があるのですか?」
図書室であったお偉いさんが言っていた事をグレンは中隊長に聞いてみた。
「本当の所は知らん。だが、教官になるからには将官教育を受けていて、それは騎士という事だ。騎士であるのに人に教えるだけで戦功をあげられない。そんな仕事を望む者は居ない。こういう事情があるとは聞いた事があるな」
「なるほど。分かるような気がします」
「勉強は良いが図書室の本は率いる者の為の本だ。兵であるお前とは視点が違うという事を覚えておけ」
「視点……例えば?」
又、グレンの興味を引く言葉が中隊長の口から出てきた。
「そうだな……歩兵の役割は何だと思う?」
「決戦兵種を投入する機会を作る事です」
中隊長の問いにグレンは悩む事なく即答する。これもお偉いさんに教わった事だ。
「それは本に書いてあったのか?」
「いえ、人から聞きました。凄く偉い方だと思うのですが、誰かは分かっておりません」
「そうか。そうだろうな。その言い方は将の言い方だ」
つまり中隊長の考えは違うという事だ。
「では、兵としての言い方は?」
「歩兵は消耗品だ」
「はい?」
グレンが思ってもいなかった言葉が中隊長の口から出てきた。
「決戦兵種を投入する機会を作る事とお前は言った。確かにそうだ。だが、それは、歩兵では戦闘を決定づける事は出来ないと言っているのと同じだ」
「……確かにそうです」
「歩兵は将からはそれほど低く見られているのだ」
「はい」
「では歩兵の役割は何か? 歩兵同士の戦い、それは敵が隙を作る時、味方の準備が整う時間を待っているだけだ。歩兵は時に騎馬隊の突入の盾にされる。他の兵種を守るために、歩兵が犠牲になるのだ。矢や魔法が降り注ぐ中を突き進む事は常にある。敵の矢を魔道士の魔力を少しでも減らす為だ」
歩兵を犠牲にする事で自軍は勝機を作ろうとしている。歩兵は犠牲が出る事を当然とされる兵種だ。
「だから、歩兵は消耗品」
「そう思えないか?」
「……思えます」
「図書室の本の多くは、歩兵は消耗品という前提で書かれてある。それを忘れるな」
「分かりました」
「まあ、少し極端に言い過ぎたな。だが、物事は視点を変えれば見え方も変わる。これは間違いない」
「はい」
「話は以上だ。戻って良い」
「はっ! ありがとうございました」
中隊長に敬礼をして天幕を出るグレン。来る時の鬱屈とした表情は消え失せている。
「凄いな。中隊長でもあれだけの見識が必要なのか。やっぱり俺ってまだまだだな」
こんなぼやきを呟いていても、グレンの顔は明るい。
頼れる人が中隊には多く居る。この事が嬉しくて堪らないのだ。小隊長という重圧を思わぬ形でグレンは消し去る事が出来た。