月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #3 元帥の講義

f:id:ayato_tsukino:20190716111743j:plain

 グレンの毎日のスケジュールが、かなり固定されてきた。
 二と半刻に起き出して、宿の裏庭での鍛錬。裏庭の散らかりようは相変わらずだが、グレンは毎日、廃材の位置を変える事にした。規則性はない。適当にばらまくだけだ。
 乱雑といっても毎日決まった場所にあるのでは鍛錬の意味がないと考えた結果だ。
 数日は、いつ親父さんに文句を言われるかと冷々していたが、結局何も言われる事はなかった。
 グレンは、やはり親父さんは戦場での戦いを想定して、ああ言ったのだと確信したが、本人に細かく尋ねる事は止めておいた。何となく親父さんがそれに触れられたくないような雰囲気を醸し出していたのを感じ取っていたからだ。
 朝の自主練が終わると国軍の調練。午前のそれが終わると昼食を大急ぎで詰め込んで、図書室に向かう。午後の調練の開始時間まで、ずっと図書室に篭って勉強だ。
 午後の調練は七の刻から一刻。それが終わると又、図書室といった感じだ。
 宿に戻って夕食を取り、部屋に戻って母親の手作りの教科書で勉強。それをしていると大抵、フローラがやってきて勉強の邪魔をする。グレンの帰りが遅い事に不満を持っているのは分かっているので、文句を言いながらも相手をしている。

 今日も又、調練を終えると真っ直ぐに図書室にやってきて、書庫から幾つもの本を取り出す。それを机の上に積み上げて片っ端から読んでいくのだ。
 今、読んでいるのは「戦術論」。正直グレンにはかなり難しい。それでもへこたれずに、少しずつ先に進んでいく。少し理解出来た所があると、今後はそれに関連する国軍の教本を読む。実際にどう運用されているのかを確かめる為だ。
 だが、これも又、難しい作業だ。グレンから見て国軍の教本は不親切だとしか思えない。こう行動すべきとは書いてある。だが何故、そうすべきなのかが細かく教本には書かれていないのだ。そこで又、戦術論などの理論に関わる本に戻る。目的らしき記述を探すためだ。
 こんなやり方をしているので、実際の勉強の方は思う通りには進んでいない。

「うほん」

 わざとらしい咳払いに、グレンは本から目を離して上を向いた。机の向こうに、なんとも厳しい顔をした老年の男が立っている。その服装からかなり身分が高いのは明らかだ。
 グレンは慌てて席を立って、姿勢を正した。

「若いな。ここは尉官以上しか入室出来ないはずだ。許可は取ってあるのか?」

「はっ! 自分は三一○一○一○小隊の小隊長を勤めております!」

「トリプルテンか。こんな若造が小隊長とは噂通りだな」

 トリプルテンは最下位であるグレンの小隊の蔑称だ。こう呼ばれて気分は良くないが、それを知っているという事は軍関係者であるのに間違いない。文句どころか、嫌な顔一つ見せる訳にはいかない。

「何か御用でしょうか?」

「お前に用はない。用があるのは、お前の目の前にある本にだ」

「ご所望はどの本でしょうか?」

「戦術論」

「あっ、そうですか……」

 今の勉強の基本となっている本。それを取り上げられるのは正直痛いのだが、嫌だという訳にもいかない。グレンは戦術論の本を手に取って差し出した。

「うむ。借り出すのは読む本だけにしろ。他の者の迷惑だ」

「申し訳ありません」

 謝罪の言葉を述べて、深く頭を下げる。気配が消えたと感じて頭を上げた時には、男は離れた席に座っていた。
 それを確認してグレンは席についた。どうやって勉強を進めようと少し考えていたが、取り敢えず、まだあまり読んでいない本を選んで手に取った。
 「防衛行動理論」、選んだ本はこれだ。目次をめくり歩兵に関する記述がある場所を選んで頁を開く。基本的な行動、陣形、個々の部隊における隊列などの記述から始まり、対戦兵種毎の対応に移っていく。

「……こっちの方が分かりやすかったな」

 戦術論に比べればはるかに具体的な行動について書かれてあるこの本は、グレンには理解しやすかった。それを読んでは教本との比較。進め方は同じだ。
 「歩兵行動に関する教本」を読んで、次に「基本調練に関する教本」に移る。戦闘でどう行動するべきかを確認して、国軍での行動指針を確かめる。そして、それに対してどういった調練が行われているか、行われるのかを確かめる。
 戦術論を元にしていた時よりは、ずっと理解が早く進んでいく。
 だがそれもやがて限界が来る。対兵種毎の対応、弓兵部隊、魔導部隊、騎馬部隊などと歩兵が戦う場合の防衛行動に移ったところで、グレンの手が止まった。

「……分からないな」

「その独り言は癖か?」

 またすぐ前から声が聞こえる。今度は相手を確かめるまでもなく、グレンは席を立って背筋を伸ばした。

「申し訳ありません」

「癖かと聞いておるのだ」

「……はい。子供の頃に身についた癖です」

「何故だ?」

「それは……」

 何故、自分の癖を気にするのか、グレンには分からない。

「理由を聞いておるのだ」

「はっ。妹がおります。側にいないと寂しがるのですが、ずっとそうしているわけにも参りません。独り言でも声が聞こえていれば安心しますので、それをずっと続けておりました」

「……親は?」

 半ば答えが分かっていて、相手はこれを聞いている。

「おりません」

「孤児か。なるほどな。理由は分かった。本を並べている理由もな」

「は、はい」

「分からないと言ったな。何が分からない?」

 こう言いながら男は、グレンの前の席に座る。グレンとしては実に困った状況だ。男の相手をしていては勉強の時間がなくなってしまう。だが、それも又、口に出して言える事ではない。男の質問にそのまま答えた。

「防衛時の歩兵の行動について調べておりました。対騎馬部隊、対魔導部隊などの対応に関する記述を読んでいたのですが、自分はそもそも騎馬部隊も魔導部隊もどう行動するのかが分かりません」

「それで?」

「それでは本に書いてある事が正しいかの判断がつきませんでした」

「……本を疑っておるのか?」

「あっ、いえ。理解が深まりませんでした」

 相手の反応を見て、慌ててグレンは言い直した。

「そうか……それは簡単には教えられんな。見た事は一度もないのか?」

「ありません」

「実戦は……有るはずがないか。その若さではな。国軍が戦争に出動したのは……そう言えば、お前幾つだ?」

 グレンの見た目は小隊長以前に、兵士としても若すぎる。

「十六です。もうすぐ十七になります」

「入って二年も経っていないのに小隊長だと?」

「はい」

「いくらトリプルテンとはいえ……それを今言っても仕方ないか。戦争経験がないのは分かった。それ以外の実戦は?」

「はっ。盗賊討伐を何度か経験しております」

「軍人であれば数字は具体的に言え」

「……八回です」

 少し考えて、グレンは回数を答えた。回数など一々覚えていないのだ。

「そんなにか?」

「二ヶ月に一回の頻度です」

「盗賊はそんな頻繁に出没しているのか?」

「多いのですか?」

 相手が軍関係者であるのは間違いない。そうでありながら、任務数に驚いている理由がグレンには分からない。

「お前だけでそんなに出動しているのだ。他の部隊の出動分も入れれば、相当な数に昇るであろう?」

「二ヶ月に一回です」

 自分の出動頻度と同じ答えをグレンは返した。

「……全てに出動しているという意味か?」

「はい。自分が知る限りはそのはずです」

「他の部隊は何をしているのだ?」

「申し訳ありません。任務以外の他の中隊の行動までは把握しておりません」

 そろそろグレンは相手が何者なのか不思議に思い始めた。軍関係者にしては国軍の状況を知らな過ぎる。

「そうか……だが盗賊討伐ではな。本を読んだだけで理解など出来ないであろう?」

「はい。十分とは言えません。しかし歩兵に関わる部分は、調練などの経験から少し理解出来ているとは思っております」

「そうだな。他に何かあるか?」

「あの、よろしいのですか? 自分の相手などしていてはお時間が」

「構わん。戦術論の見直しを検討していてな。今の記述がどのようなものが少し確かめに来ただけだ」

「そうですか」

 グレンの本音は、自分の時間がなくなるという事なのだが、残念ながら相手には通じなかった。

「遠慮なく聞くが良い」

「では……あの、凄く馬鹿げた質問ですが?」

「構わん。小隊長の質問など、その程度であろう」

「はい……何故、戦闘は歩兵同士のぶつかり合いから始まるのでしょうか?」

「はあ?」

 グレンの質問は相手の予想外のものだったようだ。

「いえ、歩兵相手であれば、騎馬部隊をぶつけたほうが有利です。何故、それをしないのかと」

「こんな質問をされるとは思わんかった」

「馬鹿な質問で申し訳ありません」

「いや、悪くはない。ある意味では戦闘の核心を突いているとも言えるな」

「それは……」

 呆れられたと思ったのだが、何故か相手は納得した様子に変わった。これグレンの望む変化ではない。

「戦闘には決戦兵種というものがある。それは分かるか?」

「決戦兵種……切り札となる部隊ですか?」

「似ているようで違うな。勝敗を決める兵種の事だ。別に切り札として隠しているものではない」

「はい」

「それは何か?」

「……騎馬部隊、重装歩兵部隊でしょうか?」

 とにかく強そうな部隊を並べてみる。騎士の部隊で思いつくのはこれだけという事でもある。

「ほう。正解だ。中々勘が良いな。まあ、多くの場合は騎馬部隊だな。さて騎馬部隊をいきなり突っ込ませればどうなる?」

「……弓兵部隊を出されるか、魔導部隊の魔法で攻撃されるか」

「又、当たりか」

 グレンが正解を答えているのに、相手は不満そうだ。

「あっ、本に書いてありました。質問はそれを元にしたものです」

 その反応を見て、相手は無知な自分に物を教えたいのだとグレンは理解した。

「そういう事か。騎馬部隊は機動力に優れ、攻撃力も大きい。だが致命的に防御力が弱い。特に遠隔攻撃にはな。だから弓兵や魔導士は、騎馬部隊にとっての天敵だ」

「はい」

「弓兵や魔導士は接近されると弱い。そして歩兵は機動力が低く、攻撃力も高くはないが、防御力は高い」

「防御力は高いのですか?」

 一番弱い兵種だと思っていた歩兵の防御力が高いという説明は意外だった。

「そうだ。弓や魔法は手に持った盾で防げば良い。ああ、それに機動力は弱いと言ったが小回りは効く。速さがないだけでな。つまり、個々で弓や魔法を避ける能力もある」

「ああ、そういう事ですか」

「さて本題に戻ろう。戦闘の勝ち負けはどう決まる?」

「相手を多く倒したほうが勝ちでは?」

「違う。逃げなかった方が勝ちだ」

「はい?」

 これはグレンには意外過ぎる説明だった。

「そういう事なのだ。損害が敵より大きくても陣地を守りきれば勝ち。相手の陣地を奪い取れば勝ちだ」

「確かに」

「ではどうやって相手を逃げる気にさせるか。確かに損害が大きくなれば引くだろう。だが別の場合もある。大将を討たれた時だ」

「はい」

「つまるところ、戦闘の勝敗は士気による。戦う意思を失くした方が負けだ。これは余談か。さて、相手の大将はどこにいる?」

「本陣です」

「そうだ。多くの場合はそうで、本陣は敵の奥深くにある。そこに一番早くたどり着けるのは?」

「騎馬です」

 簡単な問いが続く。相づちを求めているようなものだ。

「そうだ。だから騎馬部隊は決戦兵種なのだ。だが、騎馬部隊を敵の奥深くに送るには工夫がいる。途中で天敵である弓兵部隊や魔導部隊にやられないように。敵の騎馬部隊に防がれないように」

「はい」

「その為に歩兵部隊がある。歩兵部隊が相手を押し込めば、それだけ騎馬部隊は近い場所から敵本陣に向かえる。更に押し込んで、敵歩兵部隊の後ろにいる弓兵部隊や魔導部隊に届けば、接近戦で倒す事が出来る。それで騎馬部隊は容易に敵本陣に向かう事が出来る」

「確かにそうです」

 始めは時間を気にしていたグレンだが、今は相手の話に夢中になっている。

「敵の騎馬部隊を足止め出来れば、それでもう決着は着いたも同じ。味方の騎馬部隊は何の邪魔もされずに敵本陣にたどり着いて、相手の大将を討てる」

「だから最初に歩兵を出して、少しでも前に進む事が必要になるわけですか」

「まあ、かなり簡単に説明したが、そういう事だ。騎馬部隊を最初に潰されたら、必ず負けるとは言えないが、勝ち目はないに等しくなる。だから、ここぞという時まで温存しておくのだ」

「分かりました。ありがとうございます」

「さて、分からない事は消えたな」

 存分に語って相手も満足した様子だ。だがグレンのほうにこれで終わらせない理由が出来た。

「あの、また別の疑問が?」

「何だ?」

「全て騎馬部隊にしてしまえば良いのではないですか?」

「はあ?」

「確かに弓兵部隊や魔導部隊は天敵です。ですが、数と速さで一気に歩兵を蹴散らして接近してしまえば、天敵が天敵でなくなります」

 この疑問の答えが欲しくて、話を続けたくなったのだ。

「単純に考えるものだな。それをするのに馬が、そして騎士がどれだけ必要になると思っているのだ? 我が国でもそれだけの国力はない。馬は高い。それに騎士を育成するのだって、時間も金も掛かるのだぞ?」

「すみません。そういう事を考えていませんでした」

「……まあ、小隊長ではな。軍政まで頭が回らなくても仕方がないか」

「それと」

「まだあるのか?」

「あっ、結構です」

「……良い。こうなれば全部答えてやる」

「ではお言葉に甘えて。大将がいなければ?」

 さきほどの話では大将という存在は弱点であるように聞こえた。弱点を除けばどうなのか。こんな疑問も湧いたのだ。

「それは少し話した。士気の問題に関わってくる。お前は陛下が見ている前と誰も見ていない場で、どちらがより戦う気になる?」

「それは当然、陛下がご覧になっている前です」

 実際にはグレンにこんな気持ちはない。求められている答えを口にしただけだ。

「そういったやる気も士気の一つだ。もう一度言おう。戦闘の勝ち負けは負けたと思ったほうが負けなのだ。戦う気を失くしたほうが負けと言ったほうが分かりやすいか。見られていないと思えば、兵はすぐに命を惜しんで逃げ出すだろう。それでは勝てん」

「双方に大将がいなければ。自分の場合はそういう戦いのほうが多いので参考までにお聞き出来ればと」

 トリプルテンが行う盗賊討伐任務に大将と呼ばれるような存在はいない。中隊長が最上位であるのだが、万が一討たれても、逃げ出すかとなるとそうではないと思う。

「それは……悲惨な戦いになる可能性がある。数を倒すしかなくなるからな。ただただ殺し合いだ」

「……はい」

 確かに盗賊討伐はそんな戦いだ。相手を殲滅することが任務なのだ。

「後は?」

「すごく基本に戻ってもよろしいですか?」

「構わん」

「なぜ、歩兵は隊列を揃える必要があるのでしょう?」

「そこまで初歩に戻るか」

 また相手は呆れ顔を見せてきた。問いの内容が逆に初歩に戻っているので、こうなるのだが、グレンはそこまで考えていない。思い付いた疑問を順番に尋ねているだけだ。

「申し訳ありません。ですが、本には書いてないのです。隊列を揃えて、それを乱さないように進めとは書いてあるのでが、何故それをしろとは」

「本当か?」

「自分が見落としていなければですが」

「それが事実だとすれば問題だな。調練では?」

 グレンの説明を聞いて相手の顔が引き締まる。

「あの、その基礎調練は小隊長の自分の役割です。その私が知らないのです」

「中隊長からは?」

「一度も」

「……そういう事か」

「あっ、中隊長の件は」

 説明をしない中隊長が悪い。こう思わせてしまったと考えて、あわてて言い訳をしようとしたグレンだが。

「そうではない。お前の中隊長が悪い訳ではないのだ。嘗て、王国の国軍には調練専門の教官がいた。その組織もな。それが今はない。恐らくそのせいで、教本の内容が教えられる機会がないのだ」

「そういう事ですか。ほっとしました」

「お前はそうでも、儂はそうはいかん。これは少し考えなければいかんな。戦術論の見直しより、余程優先すべき事柄だ。ああ、合同訓練も最近聞かんな。そういう部分でも影響が出ておる」

「あの、自分の質問は?」

 自分の考えにのめり込みそうになっている相手を、遠慮しながらもグレンは引き戻した。

「……そうだったな。難しい事ではない。足並みの乱れた軍勢が近づいてくるのと、一糸乱れぬ隊列で近づいてくる軍勢のどちらが強く見える? どちらが怖そうだ?」

「それは当然、一糸乱れぬ……相手を恐れさせる為ですか?」

「なんだ、そんな事でと思っておるのか? それはまだ士気というものを理解していない。逃げたい、そう思った方が負けだと言ったであろう」

「そうでした……」

 相手は話が上手い。驚かせるような答えを返すことで、グレンは相手の説明に興味を引かれるのだ。

「もう一つ、きちんとした理由もある」

「それは?」

「軍は命令で動く。どんなに敵が近づいていても攻撃しろと命令が出なければじっと我慢していなければならん」

 その上で常識的な話も付け加える。

「そう教わっております」

「そうか。それは良かった。それも知らんかったら、さすがに呆れるところであった。さて、命令は一つ。その時に敵との距離がずれていたら?」

「はい?」

「ある部隊はもう敵に接している。ある部隊はまだ届かない。それでも命令は一つだ」

「……でも、中隊単位で命令は出ます」

「元は一つだ。中隊長はそれを伝達しているに過ぎない。遅滞なくな」

「それって」

 それでも相手は命令を守れと言っているのだ。それが分かったグレンは納得いかない表情になる。

「非効率だと思うか? だがな、百や二百ならまだ良い。いや千でもなんとかなるか。だが万の軍勢となると、それぞれの部隊が勝手に判断する事は許されん。槍を構えろと言われたら、敵がまだ遠くでも、その場に留まって槍を構えなければならんのだ」

「何故ですか?」

「お前は歩兵として前線にいて戦場全体を把握出来るか?」

「……出来ません」

 グレンはボリスの話を思い出した。そして、戦場全体を把握する事は大切なのだと、改めて思った。

「それが出来るのが将軍だ。ある部隊にとって理不尽な命令であっても、軍全体では、それが必要な命令となる。そういう事だ」

「……分かりました」

「まだあるか?」

「いえ、もう思い付きません」

「そうか。思ったよりも有意義な時間だったな。国軍の問題も知る事が出来た。儂は滅多に来る事はないが、見かけたら遠慮なく質問して来い。それを許す」

「はっ、ありがとうございます。あのお名前をお聞きしても? 自分はグレンと申します」

「……それは聞かんほうが良いな。それを聞けば、恐らくお前は二度と話しかけてくる事はないであろう」

「……そうですか」

 どうやら、とんでもない大物と話をしていたのだと分かって、今更ながらグレンは少しビビってしまった。失礼はなかったか、頭の中ではひたすらそれを考えていたのだが、その心配は無用だとすぐに分かった。

「グレンだったな。楽しかった。又、機会があれば会おう」

「はっ!」

 男が図書室から出て行くまで、グレンは直立不動で見送った。規律に厳しそうな男だ。いきなり振り返って確認する事もあるかもしれないと念の為にそうしたのだ。
 だが、その心配は無用だった。男はただ前を向いて、真っ直ぐに図書室を出て行った。
 それを見届けたところで、グレンは席に座り勉強に戻った。

「教えてもらえる人がいると違うな。また、会えるかな?」

 こんな事を呟きながら。

◇◇◇

 男が図書室を出るとすぐに駆け寄ってくる者がいた。

「閣下。こちらにいらっしゃいましたか」

「どうした?」

「いえ、お戻りが遅いので心配になりまして」

「儂を老人扱いするな。まだ現役だぞ」

「それは分かっておりますが、若くない事は事実です」

「生意気な事を言う」

「生意気とはあんまりです。自分は閣下のお体を心配しているだけであって」

「それが余計だというのだ。もう良い。戻るぞ。やることが又、増えた」

「はい」

 もし、この会話をグレンが耳にしていたら、又、男に会いたいなどという気持ちは吹き飛ぶだろう。
 ウェヌス王国軍に閣下と呼ばれる者は一人しかいない。国軍のみならず、王国騎士団も含む全ての軍人の頂点に立つ男、ランス・トルーマン元帥だけだ。

www.tsukinolibraly.com