大陸のほぼ中央に位置するウェヌス王国は、大陸で一二を争う大国である。
かなり早い段階で騎士階級以外においても職業軍人の制度を採り入れており、その軍事力は大陸随一の力を誇ってきた。
どこの国でも出来る政策ではない。ウェヌス王国が保有する中央平原という豊沃な土地、そこから上がる税収があってのことだ。
そして更に、ウェヌス王国を長年に渡って強国足らしめている理由がある。
国軍の演習場。演習の時間は終わり、人影はかなり少なくなっている。
「小隊長、聞きましたか? なんでも勇者が召喚されたそうですよ」
国軍の兵士の一人が上司である小隊長に話しかけている。まだ若い、茶色いくせっ毛と良く動く茶色い瞳が、どこか愛嬌を感じさせる兵士だ。
「はい。聞きました。もう、かなり噂になっているようです」
だが、それに応える小隊長はもっと若い。銀髪と翠色の瞳が印象的ではあるが、全体的には童顔で、体格もかなり小柄。どう見ても子供で、演習場にいることに違和感を感じてしまうほどだ。
「……小隊長。その敬語止めてもらえませんか? 自分は部下なのですから」
「そう言われても自分の方が年下なわけですし。それに、つい先日まで厳しくしごかれていた先輩にいきなりタメ口というのは……」
つい先日、小隊長になったばかりの身。それまでは部下の方が先輩風を吹かせていた。
「……そんな厳しかったですか?」
「はい。あれは、しごきと言うより虐め……」
「忘れましょう! とにかく、国軍では階級は絶対ですから敬語は禁止です」
「……分かった」
軍の秩序の大切さは当然、小隊長には分かっている。分かっているから、しごきという名の虐めにも耐えてきたのだ。
「それで勇者っていうのはやっぱり強いのですかね?」
部下が話題を戻す。都合の悪い事から話を逸らしたいのだ。
「それは強いだろ? なんたって勇者だ」
「小隊長より?」
「当たり前だろ?」
勇者と国軍の小隊長。比べる方が間違っている。
「いや、だって小隊長だって史上最年少、最短昇進記録を打ち立てたくらい強いじゃないですか?」
ただ、この小隊長はちょっと普通じゃなかった。それに勇者がどれ程強いかなど、末端の兵士には分からない。
「それは俺が生活費を稼ぐために規定年齢になってすぐに国軍に入ったからだ」
「でも実際に小隊の誰よりも強い」
「それは、人より先に剣を習っていたから」
「ああ、そんなこと言っていましたね? でも騎士の家系ではないのですよね?」
「違う」
「じゃあ、小隊長の親って何の仕事をしていたのですか? 子供に剣を教えるなんて普通の仕事じゃないですよね?」
一般家庭で子供の頃から剣を習うものなど普通はいない。だが、この小隊長は入隊したばかりの時から隊の誰よりも強かった。ずっと疑問に思っていたことを、部下はこの機会に聞いてみようとしたのだが。
「それ、あまり聞かれたくないな」
小隊長の答えはこれだった。
「どうしてですか?」
「親が何をしていたかは知らない。でも父親は仕事だといって何か月も、酷い時は一年以上も家にいないことがあった。おまけに、たまに戻ってきたと思えば、柄の悪そうな友達を家に連れてきたり、向うから訪ねてきたり」
「それは、ちょっとあれですね?」
誰が聞いてもマトモな仕事をしているとは思えない。兵士も、うまい言葉が見つからずに曖昧な言葉で返した。
「だろ? 堅気には思えないよな?」
「ま、まあ、でも捕まってはいないわけですよね?」
「盗賊だとは断言してないけど?」
「……えっと、あっ、でもそれだと剣は誰に習ったのですか?」
咄嗟に兵士は話を変えてきた。だが、この疑問も当然だ。父親はほとんど家にいなかったと今、小隊長は言ったのだ。
「母親」
「はい?」
答えは又も兵士の意表をつくものだった。
「俺の母親は馬鹿みたいに強いから。ああ、あの母親なら勇者にも勝てるかもしれない」
「そ、それは凄いですね。そんな強いなら是非、自分も教えて頂きたいものです」
「無理。両親は死んでいるから」
「……すみません」
小隊長は成人してすぐに入隊している。この若さで、国軍に入隊した理由を部下は知った。
「別に謝らなくて良いから。逆に同情される方が気分が悪くなる」
「そうですね。でも分かりました。それで国軍に入ったのですね?」
「そう。その前も働いていたけど、足元みられて小遣い程度しか貰えなかった。でも国軍は違う。十五であろうと、もっと年上であろうと給料は同じだ。幸いにも剣は少し使えたから、試験に合格できたし」
「また謙遜ですか。少しどころか相当使えるでしょうに」
「だから、俺より強い人は国軍には大勢いる。騎士団に至っては全員、俺より強いだろ? 自慢出来るような腕じゃないから」
「所詮、自分らは、しがない末端兵ですからね?」
「そういうこと」
「何か暗くなってしまいましたね。気晴らしも兼ねて一杯行きますか?」
「……なるほど。これが目的か」
先輩だった部下が、下出に出て話してきた理由が、小隊長には分かった。
「だって給料日ですよ?」
「……悪い。今日は、ちょっと付き合えないな。家で妹が待っているから」
「あっ、妹さんがいたのですか?」
「そう。今日は俺の昇進祝いだって言っていたから早く帰らないと」
「そうですか。じゃあ、仕方がないですね。又、今度にしましょう」
「ああ。また誘ってくれ」
「では!」
あわよくば新任の小隊長に驕らせようと思っていた部下は、その目論見が外れたと分かると直ぐに、別の者を誘うために足早にこの場を離れて行った。
「やっぱ、タメ口は慣れないな」
ウェヌス王国軍第三軍第十大隊第十中隊第十小隊、別名三一○一○一○(サン・イチマル・イチマル・イチマル)小隊、トリプルテンと蔑称されている国軍最下位の小隊長グレン・タカソンは、こう呟きながら、家路についた。
◇◇◇
王都の裏通り。あまり治安が良いとは言えないその一角に、鷹の爪亭という古びた宿屋が建っている。そこがグレンの家だ。
グレン自身が宿屋をやっている訳ではない。宿屋の一室を借りて住んでいるだけだ。両親を亡くした後、仕事を求めて王都に来てからずっとこの宿屋に住んでいる。妹を家で一人にさせたくないという事と、安宿であれば家を借りるよりも安く済むという二つの理由からだ。
「あら、グレン。今日は早いね」
宿屋に入ると直ぐに女将であるマアサが声を掛けてきた。もう何年もここで生活しているグレンたちにとっては、母親代わりと言っても良い存在だ。
「はい。フローラが俺の昇進を祝ってくれると言うから、早く帰ってきました」
「それは知っているわよ。でも約束していても、いつもすっぽかしていたじゃない」
「それはいつも先輩たちが帰ることを許してくれなくて。でも、小隊長になったおかげで今日は断ることが出来ました」
「ああ、なるほどね。昇進して良かったのはお給金だけじゃなかったのね?」
「まあ。でも、今度行く時はきっと俺の驕りになります。それを考えると喜んでばかりもいられなくて」
「それは仕方ないわ。小隊長だからね。部下の面倒を見るのも仕事よ」
「それは分かっているつもりです。でもせっかく給料が上がっても、そういうところで無駄遣いするとなると」
「全く。あんたは倹約過ぎるわよ。若い時はもっと何も考えないで遊ばないと」
「そういうわけにはいきません。将来を考えて、お金は貯めておかないと」
国軍兵士なんて危険な仕事を、ずっと続けるつもりはグレンにはない。ある程度の金が貯まったら辞めるつもりなのだ。
「相変わらず、お金のこととなると聞く耳持たないわね。まあ放蕩よりはマシね。じゃあ、部下と飲む時はここに連れて来なさい。少しはおまけしてあげるわよ」
宿屋の一階は食堂になっている。昼は食堂、夜は酒場という良くある形の店だ。
「あっ、そうか。その手があった」
「うちも客が増えて助かるわ。だからそうしなさい」
「分かりました。それで、フローラは?」
「今は厨房にいるわ」
「厨房?」
「料理しているのよ。せっかくだから自分の手料理を食べさせたいと言ってね」
「そ、そうですか……」
妹のフローラが料理をしている姿など、グレンは見たことがない。嬉しい気持ちはあるのだが、それ以上にグレンの心の中には不安が広がった。
「大丈夫よ。ちゃんと、うちの旦那が教えているから。それなりの物が出てくるはずよ」
そんなグレンの思いを敏感に察した女将が、すかさずフォローする。宿屋で客へ出す料理を作っている大将が手伝っているのだ。心配する必要はない。
グレンからも不安は消え去った。
「大将が手伝ってくれているのなら安心ですね? じゃあ、俺は着替えてきます」
マアサとの会話を終えるとグレンは二階へ続く階段を昇って行った。
「全く、もう少し子供らしく出来ないかねえ」
その背中を見てマアサが呟く。マアサにはグレンたちの親代わりという思いがある。だが、フローラはまだしもグレンの方はほとんど甘えを見せてくれない。それが少し寂しいのだ。
「仕方ねえだろ?」
マアサの独り言に答えたのは大将だった。
「あら、あんた。フローラちゃんは良いの?」
「残った料理は煮込みだけだ。火の番をしているだけで済む」
「そう。それで仕方ないってのは?」
「グレンの仕事は明日にも死んじまうかもしれねえ仕事だ。貯められるだけ貯めておきてえってのは間違いじゃねえ」
大将は二人の会話を聞いていたようだ。マアサの呟きの理由はこれとは違うのだが、それを説明するのは面倒だと、話を合わせる事にした。
「縁起でもない事言わないでおくれよ。グレンはまだ十六だよ?」
「戦争の生き死にに年齢なんて関係ねえ。運があるかないかだ」
「戦争が起こるのかい?」
「そうじゃなきゃあ、勇者なんて召喚する必要がねえだろ?」
勇者召還の技。これがウェヌス王国を強国にしている理由の一つだ。
「勇者ね。全く迷惑な話だねえ。そんな者がいなけりゃあ、国王様も他国を攻めようなんて思わないだろうに」
「馬鹿、逆だ。他国を攻めようと思っているから勇者を召喚したのさ」
「どっちでも良いよ。グレンが巻き込まれないでくれればね」
「…………」
グレンは国軍の小隊長だ。巻き込まれないはずがない。だが、大将はそれを言葉にすることを止めておいた。
◇◇◇
宿屋の食堂で少し早めの夕食をグレンたちは取っている。もう少し遅くなると、食堂が混むことが分かっているからだ。
宿屋の食堂と言っても、宿泊客だけが利用する訳ではない。鷹の爪亭は安くて美味いと評判の食堂。食事時となれば、常に満席になる人気店だ。
もっとも満席になる理由はそれだけではない。
今も食事を取っている客が、ちらちらと二人の方を見ていた。
「お兄ちゃん、昇進おめでとう」
「ああ、ありがとう」
妹のフローラの祝いの言葉に少し照れながらグレンは応える。フローラはグレンより三つ下の十三才。まだ幼さが残っているが、その整った顔立ちは大人になったら、どれだけの美人になるのかと期待させずにはいられない。
フローラはちょっとした小遣い稼ぎに食堂の手伝いをしている。この看板娘の存在が、鷹の爪亭の人気の一つでもあるのだ。
グレンにとっては、この妹の美貌は嬉しくもあり、悩ましい事でもある。
「さあ食べて。今日の食事はフローラが作ったのよ」
「ああ、おばさんに聞いた」
「えっ、聞いていたの? もう、せっかく驚かそうと思っていたのに」
頬を膨らませて拗ねてみせるフローラ。こういった仕草を見せるところはまだまだ子供だ。
「いや、驚いているよ。正直、こんな立派な料理が出てくるなんて思っていなかった」
「それって何か複雑」
フローラの表情がさらに拗ねたものに変わる。グレンとしてはフォローしたつもりだったのが、失敗したようだ。
「とにかく頂くよ」
「うん、食べてみて」
目の前に並んでいる食事から、まずは無難そうなスープを選んで口に運ぶ。
「……美味しい」
「ほんと!?」
「ああ、凄く美味しいよ」
「良かった。他のも食べてみて」
「ああ」
スープの味に安心したグレンは、他の料理も次々と口に運んでいく。どれもグレンが思っていたより、はるかに美味しいものだった。
「どれも美味しいな。フローラも見ていないで食べなよ」
「うん」
グレンの反応に満足すると、フローラも自分の分の食事にとりかかる。しばらくは、二人とも腹を満たすことに専念して、ただただ食事を片づけて行った。
「満足」
「早いよ。もっと味わって食べてよ」
「あっ、ごめん。でも美味しかったから止まらなくて」
「そう。じゃあ、又、作ってあげるね」
「ああ、よろしく」
「ねえ、お兄ちゃん。小隊長って何をする人なの?」
「えっ、そんな事に興味あるのか?」
フローラの問いにグレンは少し驚いた。フローラが仕事について尋ねてくるのは珍しい事だ。
「それはそうだよ。お兄ちゃんの仕事じゃない」
「そうか。えっと国軍は三軍あって、一軍は十大隊で編成されている。大隊は又、十の中隊で編成されて、一中隊は十小隊で編成されている。一小隊には十人の兵士がいてお兄ちゃんはその小隊の隊長」
フローラが知りたいのは、決してこういう事ではない。
「……よく分からないけど。つまり、一番下の隊長さんだね?」
「酷い事言うなあ。まあ実際に下っ端だけどな」
「将軍までは遠いね?」
「お兄ちゃんは将軍にはなれないな」
「どうして?」
「将軍は将校という役職の一番上なのだけど、将校は騎士の人しかなれない」
「騎士と兵士は違うの?」
「違うね。騎士は、平騎士の人は別にして、階級としては千人将と将軍がいる。千人将は大隊の指揮を取る。その千人将が率いる大隊を更に幾つも率いるのが将軍。兵士は中隊長までが最高かな? まれに大隊長まで上がる人もいるみたいだけど、それでも騎士の人より階級は下」
「そうじゃなくて、どうして兵士は騎士に成れないの?」
「それは……騎士は騎士の家系の人じゃないと成れないから」
ウェヌス王国には厳格な身分制度がある。この身分制度による格差は、別にウェヌス王国が特別なわけではない。この世界はそういう世界なのだ。
「強い人が騎士になるわけじゃないの?」
「騎士の人たちは強いよ。幼い頃から鍛えているからね」
「お兄ちゃんも鍛えていたよね?」
「それは……俺はそれでも弱いから」
「そんな事ない! お兄ちゃんは強いもん!」
グレンの言葉に、フローラは大声で文句を言ってきた。
「ちょっと、大声だすなよ。お店の迷惑になるだろ?」
「だって……」
フローラにとってグレンは自慢の兄だ。その兄が自分を卑下するような事を言うのが気に入らないのだ。
「一般の兵士の中では、まあまあ強いよ。だから小隊長に成れたのさ。でも、世の中には俺よりも強い人は幾らでもいるってこと」
「じゃあ、その人たちより強くなれば騎士に成れる?」
「それは分からないな。でも、お兄ちゃん、仮に騎士に成れる事があっても、成ろうとは思わないから」
「どうして?」
「騎士に成れば、ずっと戦争に出ないといけなくなるだろ?」
「あっ、そうだね」
グレンの説明で、あっさりとフローラは納得した。グレンと長く離れ離れでいることは、フローラには耐えられないのだ。
「貯金が出来たら普通の仕事がしたいからな。騎士というのは命を惜しまない特別な人たちの仕事だ。そういう仕事は目指すべきじゃない」
「じゃあ、何をするの?」
「まだ決まってない。とりあえず、今はお金を貯める事と勉強を頑張る事だな」
「勉強? お兄ちゃん勉強しているの?」
「何、おかしい?」
「だって……苦手じゃない」
「……ありがとう。優しく言ってくれて。どうせ、俺は馬鹿だよ」
これもグレンが自嘲しているだけ。馬鹿ではない、嫌いだっただけだ。こうして自分を下に見せようとするのは、グレンの癖のようなものだ。こういった態度もマアサを不満にさせたりするのだ。
「お兄ちゃんが勉強をね。お母さんがあんなに厳しく言っても聞かなかったくせに」
「言うな。今は後悔している。あの頃、もう少し真面目にやっていればなって」
「でも、どこで?」
「ああ、小隊長になると国軍が管理している図書室を使えるのさ。だから、そこを使っている」
「自習?」
「まあ」
「それで覚えられるの?」
「まだ始めたばかり。でも、まあ、何とか出来そう。無理やり母さんに詰め込まれたものが少しは残っているみたいだ。あの時、サボっていた復習だっけ? それをやっている感じ」
グレンが母親に学んでいたのは剣だけではない。勉強もだ。これも普通の家では、あまりない事だ。
「そうなんだ。じゃあ、シロク」
「二十四」
「あっ、出来た」
「馬鹿にしているだろ? それくらいは覚えているさ」
「まあね。ずっと唱えさせられたものね」
「風呂に入っている間ずっとな。お蔭で何度のぼせて倒れそうになった事か」
「それはお兄ちゃんが悪いのよ。ちゃんと覚えないから」
「フローラは覚えるのが早かったからな。俺の方が先だったのに、あっという間に追い抜かれた」
「まあね」
「それでも助かっている。今となっては母さんに感謝だな」
「そうなの?」
「軍の仕事って役職が上がれば上がる程、勉強が必要みたいで。だから図書室が開放されるのさ。成れる事はないとしても大隊長ともなると千人の兵を面倒みる事になる。食事とか物資とかの調達は計算が必要だし、書類を書く事も多い」
「ふうん。大変なんだね?」
軍の仕事の話をしてもフローラに分かるはずがない。だが、グレンのこういう所に慣れっこなフローラは、適当に相槌を打つ事を知っている。
「国軍に入って初めて知ったけど、兵士の人は九九どころか、文字を書けない人も多い。俺が小隊長に成れたのは、その辺も関係しているみたいだな」
「そっか」
「だから、今の話は人にしないようにな」
「どうして?」
「今日も部下の人に言われた。剣とか勉強とかって、あまり普通の家では教わらないみたいだ。それで父さんの仕事が変な仕事じゃないかって思われて」
「……実際、変な仕事だったりして」
父親の怪しさは妹のフローラも分かっている。
「そうだったら、尚更だ」
「そうだね……あっ、お店混んできちゃった。そろそろお開きだね?」
「ああ、そうか……あのさ」
片付けを始めたフローラに躊躇いがちにグレンが声を掛ける。
「何?」
「店に来る軽薄な男に引っかかるなよ?」
「そんな馬鹿じゃないもん」
「それと貴族とか騎士とか、そうじゃなくても金持ちそうな人が来たら、奥に引っ込むんだぞ」
「分かってるよ。もう、心配性なんだから」
「妹の事を心配して何が悪い? とにかくフローラは誠実な旦那さんを見つけて」
「もう、平気! じゃあ、行くね!」
グレンの言葉を途中で遮って、フローラは厨房の方に歩いて行ってしまった。
「おい! ちゃんと俺の話を聞いているか? ……心配だ」
可愛すぎる妹を持った兄の苦悩は、こうして毎日続いて行く。
◇◇◇
自分で後片付けを済ませた後は、グレンは部屋に戻って勉強をする事にした。
教科書は母親が残してくれたもの。思い出の品として保管しておいたものを引っ張り出してきたのだ。
幼い頃に学んでいた事の復習となるのだが、今それを見ると、自分の母親は自分たちに何をさせたかったのか疑問に思ってしまう。
「俺の両親って本当に何者だったのだろう?」
こんな呟きが口から漏れる。
国軍に入って初めて知った事実。一般兵士で子供の頃から剣を学んだ人は、全くいないわけではない。護身の為に、ある程度の剣術を身に付けている人はいるのだ。
だが、子供に勉強を教える親なんて一般の家庭には居ない。親自身がまともな教育を受けていないのだから、教える事なんて出来ないのだ。
だが、自分達は小さな頃から母親に勉強を教わっていた。しかも、途中からはかなり特殊な勉強を。
国軍の図書室で興味本位で手に取った本。そこに書かれていた内容を頭に思い浮かべて、比較するように手元の紙を眺める。
文字や図形が不規則に並ぶ、それは、間違いなく図書室で見た本に書かれていたものと似通っていた。
「こんなの覚えていても使えないのに」
グレンが国軍図書室で見た本は「基礎魔導術式教本」。魔力という極めて限られた才能を持つ魔道士の為の本だった。