グレゴリー大隊長のもとで行われる鍛錬は、盗賊討伐任務を最後に終わることになった。ヒューガはともかく、冬樹と夏のことを考えて、本当はもう一度か二度、任務に同行させようとグレゴリー大隊長は考えていたのだが、盗賊討伐任務の内容の濃さを考えて、無用と判断されたのだ。
盗賊討伐任務そのものではない。帰路に遭遇した魔獣の襲撃が理由だ。
任務を終えて気が緩んでいた部隊を襲ったのはブラッディードッグの群れ。頻繁に魔獣討伐を行っているギルドの傭兵たちでも数年に一度しか巡り会えない、誰もそれを望まないが、百匹を超えようかという大群だ。
解放したダークエルフの呪い。こんなことを言い出す兵士がいたほどの不幸。
その不幸をヒューガは力尽くで吹き飛ばしてみせた。数匹だと思っていた群れが、まさかの大群だと気づくとすぐに、人を殺したショックをまだ引きずっていた冬樹と夏を叱咤し、襲い掛かってくるブラッディードッグの群れに立ち向かった。
剣と魔法を駆使したその戦い方は、グレゴリー大隊長も舌を巻くもの。かなり強引な戦い方ではあったが、ほぼ三人だけで蹴散らしてしまった。
実戦を経験してヒューガは一段階上った。まだ不安が残っていた夏と冬樹もショックから立ち直り、見事な戦いを見せたことで、これ以上の実戦経験は無用と判断されたのだ。もちろん、もっと大隊のスケジュールに余裕があればグレゴリー大隊長も別の判断をしたであろうが。
その時のことを思い出して夏はぼんやりとしている。よく戦えたものだと感心している。盗賊討伐を終えた直後はそう思うくらいに酷い状態だったのだ。
殺さなければ殺される。追い詰められての行動ではあったが、それで気持ちが保てるわけではなかった。胃の中のものを全て吐き出し、残るは胃液だけとなってもしばらく吐き気は治まらなかった。ようやく治まったと思ったその後は、その瞬間が何度も頭の中でフラッシュバックされる。気が狂ってしまうかと思った。
その状態の夏を救ってくれたのはグレゴリー大隊長。
この世界で生きる上での覚悟、それを知ってしまった上でどうしなければならないかを話してくれた。
細かい中身は覚えていない。唯一覚えているのは、人殺しが罪であることを決して忘れてはいけないという言葉。
この世界で生きる中で、まして傭兵になるのであれば人との戦いは避けられない。だが、それに慣れてはいけない。罪の意識に苦しむ必要はないが、それでもそれを良しとしてはいけない。淡々とこれを話す大隊長が夏にはとても暖かった。気が付けば夏はグレゴリー大隊長にしがみついて泣いていた。その時のことを思い出すと恥ずかしくて顔が赤くなる。
夏たちはまた一つ、この世界で生きていく為に必要なものを身につけた。
剣術は協力しながらもそれぞれで自己鍛錬を続けることになる。魔法の方はすでにそれを始めている。そうなるともう、この城に残る必要性はかなり薄れる。
だが真っ先にそれを言い出すはずのヒューガは何も言わない。その理由を夏は分かっている。自分の知っていることを話さなければならない。クラリスがいない今はその絶好の機会だ。
「ねえ、ヒューガ」
「何?」
ヒューガは国語のテスト用紙から顔をあげないまま返事をした。夏にとってはそれくらいのほうが話しやすい。
「前に頼まれていたことあったよね?」
「……ディアのこと?」
ディアの話だと分かってヒューガは顔をあげてしまった。自分を見つめるヒューガの碧色の瞳に、夏は胸が苦しくなる。
「……そう」
「何か分かったの?」
「分かってないのだけど、分かったこともあるかな?」
見つめられたままだと話しづらい。夏はつい曖昧な答えを返してしまう。
「……なんだそれ?」
夏の言葉を聞いたヒューガはまた視線をテスト用紙に戻すことになった。夏の言い方でそれほど重要な話ではないと判断したのだ。
「いや、何ていうか……まあディアさんは見つかってないのだけどね」
「じゃあ、何?」
「……えっとね。わかったのはディアという名の侍女はこの城にはいないこと。外出しているのではなく、元々いないの。侍女の人たちにかなりしつこく聞いた結果だから、これは間違いないと思う」
「そうか……それで?」
ヒューガの反応は、夏が想像していたのとは違い淡泊なもの。ヒューガも気付いていたのかもしれないと夏は思った。だが話の核心はここからだ。
「ディアさんが仕えていると言っていた第一王女なのだけど、この人も謎が多い。誰も第一王女について良く知らないし、知っていそうな人もなかなか口を開こうとしない」
「第一王女についても調べたの?」
「ディアさんを探す取っ掛かりになるかなと思って。で、分かったのは第一王女は数年間この城を離れていた時期があったことと彼女の名前」
「…………」
「第一王女の名前はね、クラウディア・サラ・パルスっていうの。愛称はクラウ」
夏が第一王女の名を告げた瞬間、ヒューガの目が軽く見開かれた。ヒューガの知らない事実だったのだ。
「……そういうことか」
「やっぱりヒューガもそう思う?」
「ああ……ディアが第一王女だってことだろ?」
「えっ!? そうなのか!?」
声をあげたのは冬樹。分かっていなかったのは彼だけだ
「反応遅すぎ。第一王女の名前を聞いたところで気づきなさいよ。ディアは偽名。クラウディアから愛称のクラウを除いただけでしょ?」
「サラは?」
「そこ気にする? サラっていうのは第一王女の祖母の名からつけたらしいわ。クラウとサラはどちらも城内では知られた名前。とっさにそれを避けたってことじゃないかな?」
「なるほどな」
「そんな冬樹は放っておいて、ヒューガはどうするの? 相手は第一王女。今のところ、この国の王位継承権第一位よ」
どうこうなる相手ではない。それにヒューガがパルス王国を、それ以前に城を出れば、二度と会うことは出来なくなるはずの相手だ。
「……そうだね。それは本人と話してから考える」
「簡単に言わないでよ。いくら知り合いだといっても相手は第一王女よ? それにヒューガに会う気があるのであれば、とっくにクラリスさんを通じてその機会を作っていると思うわ。それをしないってことは、言いにくいけど第一王女はヒューガに会うつもりはないのよ」
これが夏がヒューガにこの情報を伝えづらかった理由。すでに終わっている恋。ヒューガの一方的な想いだと告げるのは、忍びなかったのだ。
「……いや、多分大丈夫だと思う。そうだね、ちょっと行ってくる」
「はい?」
「ディアに会いに」
「「はぁ?」」
さらっとディアに会いに行くと言って、ヒューガは部屋を出て言った。夏と冬樹はそんなヒューガをただ茫然と見つめていた。
◇◇◇
部屋を出たヒューガは図書室に来ていた。彼がここに来るのは久しぶりのことだ。鍛錬や子供たちの相手で忙しくて、図書室に籠る時間がとれなかったのだ。
相変わらず人影はない。ただ一カ所を除いては。いつも本を読んでいた奥の机。その近くにある窓から外を眺めているクラリスの姿があった。
ヒューガはその背中にそっと近づいて、後ろから声を掛ける。
「……ディア」
背中を向けて窓の外を見続けていた彼女の肩が、ピクリと動いたのが見えた。
「こっちを向いてくれないかな? ディアだよね?」
ヒューガの願いを聞いてクラリスは振り返った。綺麗な青い瞳を大きく見開き、彼のほうを見つめている。
「どうして?」
「どうしてだろ? いつの間にかクラリスさんの姿にディアが重なるようになって……いつの間にか確信してた。クラリスさんがディアだって」
「ヒューガ……」
ヒューガは気付いていた。それが嬉しく、悲しくもある。知られてしまえばもうヒューガには会えない。そう考えているのだ。
「えっと……どっちの姿が本当? それは分かってなくて」
「そうだね。ちょっと待ってて」
こう言うとディアは、胸のボタンを外して首にかけていたネックレスを取り出した。ネックレスの先には漆黒の、それでいて何故か輝いている宝石が付いている。
そのネックレスを首から外した途端、ディアはかつてヒューガが見た姿になった。
「こっちが本物か。僕と年は変わらないようだね?」
「うん。同い年になるのかな?」
「それは何?」
ヒューガはディアが付けていたネックレスを指差す。そのネックレスがディアの姿を変えていたのは明らかだ。
「変化の水晶っていうの。これをつけていると姿を変えられるの」
「そんなものがこの世界にはあるのか」
「うん。いくつもあるものではないけどね。これはある人に貰った、貸してもらったかな?」
「そう。でも何で? どうして別人の振りをして僕の前に現れたの?」
どうしてわざわざ姿を変えて自分の前に現れることを選んだのか。その理由がヒューガには分からない。
「……私と仲良くしていると知られるとヒューガに迷惑がかかるから」
理由を問われたディアの表情が暗くなる。
「それはディアが第一王女だから?」
「それも知ってたのね? それもある。それもあるけど……」
最後まで言葉にすることなくディアは俯いてしまった。第一王女であること以外にも、恐らくはそれ以上に重い理由があることが分かる。
「教えてくれないか? ディアのことをちゃんと知りたいんだ」
「でも……」
「お願い」
ディアの瞳をまっすぐに見つめるヒューガ。何を聞いても自分は変わらない。言葉の代わりに目で訴えている。
「……分かった。実は私、幼い頃に誘拐されたことがあるの」
「誘拐? 王女であるディアが?」
それは大事件だ。そもそもどうしてそのようなことが可能だったのか、ヒューガは疑問に思う。
「そう。お城の中庭でお母様と遊んでいるときに」
「そんなことがあり得るの?」
「私を誘拐したのは普通の人じゃないから。私を誘拐したのは……魔族なの」
「えっ……」
魔族に誘拐されたという事実を聞いて、ヒューガはすぐに言葉を発することが出来なかった。まったく想像していなかった事実に驚いているのだ。
「……驚くよね?」
「それはね。よく無事だったなぁと思った」
「私は魔族に誘拐されたけど、それは魔族の手違いだったの。正確には、功に逸った魔族の一人の暴走と言ったほうが良いのかな? その魔族によって、魔王の居城に連れて行かれた私だったけど、その私に対して魔王は……」
「……魔王は?」
「謝ってくれたの。まだ幼い子供に向かって魔王が頭を下げたのよ? 実際には最初に会った時のことははっきりとは覚えていないのだけど、それからも事ある毎に私に気を使ってくれていた」
ディアの顔に笑みが浮かんでいる。ヒューガを驚かそうとわざと言葉をためたことが、それで分かった。
「優しくしてもらったんだ……魔族のところでの生活は、もしかして楽しかった?」
ディアにとって魔族に誘拐されたことは辛い思い出ではないのかもしれない。彼女の笑顔を見て、ヒューガはそう感じた。
「うん。中には私のことを白い目で見る人もいたけど……あれは人族が悪いの。理由もなく魔族を迫害するから。魔王のまわりの魔族のほとんどは私に優しくしてくれたわ」
「そっか……えっと、それはいつの話?」
「私がお城に戻ってきたのは四年前」
「もしかしてそれで魔族との争いが始まったの?」
魔族との戦いはディアが誘拐されたことが原因。ヒューガはそう考えたのだが。
「どうだろ? 攫われたのは四才だからね。魔族の所にいた六年間はパルスとの争いなんて聞いたことなかったな。小さな争いはずっとあるけどね」
「六年間も魔族のところにいたの? なんでそんなに長く? 間違いならすぐに返してくれればいいのに」
ディアが誘拐されていたのは考えていたよりも遙かに長かった。それにヒューガは驚き、少し怒っている。
「それも私に気を使ってくれたの。私が魔族に誘拐されたことは、この国の宮中の人間にはすぐに知れ渡ったから。お母様と護衛の兵がいる前で白昼堂々と中庭でさらわれたからね。魔族に誘拐された王女が何事もなく返される。素直に良かったとは言ってもらえないよ」
「替え玉を疑うわけだ。王位継承権第一位の人間が、もしかしたら魔族かもしれない。そんな可能性があるなんて問題だからね」
「そう。仮にこの国に戻しても、人知れず殺されてしまう可能性があった。魔王はそれを心配してくれたの」
「じゃあ、どうやって戻ったの?」
「この国には王家の血を引く人を識別する魔法具があったの。それを使えば本物かどうか分かる。幼い私はそんな物の存在は知らなかった。それを知ったのは魔族の密偵がもたらした情報によってよ。私を無事に返せるか、城の状況を調べる為に密偵をずっと城に入れていたそうよ」
何故そのような魔法具があるのか。ヒューガの頭に浮かんだのは隠し子や不倫などを調べる為。今はどうでも良い話だ。
「だからといって『どうぞお返しします』ってわけにもいかなくない?」
「だから、それとなく私が監禁されている場所の情報を流して、城から救出部隊を送り込ませるように仕掛けてくれたの。その時は魔王もかなり、その、楽しんでいたけどね。わざわざ上位魔将を配置する手の入れようだったから」
返すのではなく、わざと奪回させる。それであればディアが疑われることはない。そう魔王は考えたのだ。
「まんまとその手に乗って、お姫様は無事に助けられたってわけだ。随分と親切な魔王だね? でも本物だと分かったからといって、簡単ではなかったよね? 魔族に操られているって思われることはなかった?」
「実際その通り。第一王女の地位はそのままだけど待遇は……最初は、ほとんど軟禁と同じ。それは私が魔族に優しくしてもらったなんて正直に話したのがいけなかったのだけど。城を出ることは今も出来ない。それに城内も人の視線が気になって、あまり出歩く気にはなれない」
ディアへの疑いは今も解けていないのだ。恐らくは永遠に解けることはない。ディアに悪意を持つ人たちが、そうしてしまう。
疑いが解けるとすれば魔族の真実を人々が知り、それを信じた時。その時が来る可能性は限りなくゼロに近い。
「だから侍女のふりをした」
「そう。私の周りの世話をする人はほとんどいなかったの。侍女はいたけど、私が呼ばない限り近づこうとしなかった。急に新しい侍女が増えても怪しむどころか自分が世話をする必要がなくなるって喜んでいたな」
「それって」
「それでいて裏では陰口を言っているの。王女に取り入って良い思いをしようとしているとか、普通に接することが出来るのは魔族だからじゃないか、とか……」
「そうか……」
クラリスに化けることでディアはさらに嫌な思いをしていた。この城はディアにとって決して居心地の良い場所ではない。その事実がヒューガを苛立たせる。
「だから私はヒューガとは一緒にいられないの」
「なんで? 今の話が何で僕と一緒にいられない理由になるの?」
「だって……」
「魔族に誘拐されたことはまったく気にならない。僕も魔王に会ってみたいくらいだ」
これはディアを慰める為の嘘ではない。もともとヒューガはこの世界の人たちに比べれば、魔族への嫌悪感がないに等しい。見たこともない魔族を嫌う理由がないのだ。
「私と仲良くしていたらヒューガまで陰口を言われるよ?」
「陰口なら元の世界にいた時に言われ過ぎて何も感じない」
「ヒューガ……」
ヒューガの言葉は嬉しい。だがこの言葉はヒューガの過去の辛い経験を示すものでもある。それを考えるとディアの胸が痛む。
「なあ、ディア。ディアはこの城が好き? そんなはずないよね?」
「……うん」
この城にディアが信頼出来る人はいない。城にいる全員が彼女に悪意を持っているわけではないのだが彼女の行動範囲が狭すぎて、そういう人に出会えないのだ。出会っていても第一王女という地位が相手を萎縮させ、彼女にそれを気付かせないのだ。
「じゃあ……僕と一緒に来ない?」
ヒューガは思い切って考えていたことを告げてみた。クラリスがディアだと気付いてから考えていたこと。王女だと思っていなかったので考えられたことだ。
「一緒にって……?」
「僕と一緒に城を出て、自由に暮らさない?」
「……無理だよ。私これでも王女だよ? 国が許してくれない」
「許してもらう必要はない。自分たちの意思でここを出て行くんだ。それともディアは王女の地位を捨てたくない?」
「そんなことはない! 王女なんてどうでも良い!」
王女の地位などディアにとって重荷でしかない。王位継承権第一位であることで人に悪意を向けられる。魔族に誘拐された事実がある彼女が、国王に就けるはずがないのに。
「じゃあ、一緒に行こう」
「……どうして? どうして出会ったばかりの私にこんなに優しくしてくれるの?」
城を出ることの誘いを、ディアは優しさだと感じている。これがディアの本当の思い。出来るものなら城を出たいのだ。
「優しくする理由は……その……僕が……ディアを好きだから」
「あっ……」
「ディア。僕は君が好きだ。片想いだとしても僕はディアの為に何かをしてあげたいと思ってる。ディアがこの城で生活するのが辛いなら、僕が外の世界に連れ出してあげる」
自分の口からこんな言葉がすらすらと出てくることにヒューガは驚いている。告白なんて生まれて初めてなのだ。
「ヒューガ、私――」
「びっ、びぇーん!!」
「はっ?」
突然図書室に響き渡ったディアの言葉を遮る奇声。ヒューガとディアが何事かと驚いて、奇声が聞こえてきた方向に視線を向けると。
「よがっだ、ほんどうに……よがっだ……ヒック」
姿は見えないが、言葉もよく聞き取れないが、間違いなく夏の声であることは分かる。
「ちょっと夏、静かにしろよ。気付かれるだろ」
冬樹も一緒だ。
「だっで、あだじのせいで……ふだりがあえなぐなったと、ヒック、おもっでたから、ヒック」
「だから泣くなよ。何言ってるかわかんねえだろ」
「えーん、よがっだよー」
「はあ、しょうがねぇな。ヒューガに気付かれちゃうから部屋に戻ろう。なっ!」
この場面で号泣して雰囲気を壊す夏はどうかと思うが、この状況で気が付いていないと思える冬樹も相当だ。
「あのさ。それ冗談のつもり?」
内心の呆れをそのまま言葉に出して、ヒューガは冬樹に問い掛ける。
「ヒューガ!? 気付いてたのか?」
「当たり前だ! そんな大声で話していれば誰だって気付くわ!」
「ふふふ」
さきほどまでの良い雰囲気はこれで完全に消え去った。それでもヒューガは、ディアが隣で笑っているのを見て、良かったと思えた。
「あっ、初めまして。俺、冬樹っていいます!」
そんなディアを見て、慌てて冬樹が挨拶をする。
「僕の話を聞け! それに初めてじゃないだろ? ディアとクラリスさんは同一人物だ」
「いや、俺はディアちゃんの姿で会うのは初めてだからな。やっぱり初めましてだな」
「ディアちゃんって……馴れ馴れしく呼ぶな」
「なんだよ? お前こそ彼氏づらするなよ。まだディアちゃんは返事をしてないだろ」
「あっ……」「えっ?」
「つまりお前は振られる可能性があるわけだ。さあ、どうする。ここではっきりさせるか?」
「えっと……」
さきほどは雰囲気と勢いで告げられた。だが今、この状況でディアの心を確かめることにはヒューガは躊躇いを覚えてしまう。
「あのねヒューガ。私は」
「ディアちゃーん!」
向かい合うヒューガとディアの間に夏が飛び込んできた。
「良かったよー、また会えて。あたしのこと、覚えてくれてる?」
「いや、だからずっと会ってるから……」
「もう! ディアちゃん可愛いー! 天使みたい。クラリスさんも美人だったけど、やっぱりあたしはこっちのディアちゃんがいいな」
夏はヒューガを押しのけて、ディアを両手で抱きしめて、その髪に頬ずりしている。邪魔者以外の何者でもないのだが、本人は気が付いていない。
「お前……どうして夏がディアに抱き付いているんだ?」
「何よ。女同士なんだから良いでしょ? 自分が出来ないからって人の邪魔しないで」
これをヒューガに言う前に夏はディアの気持ちを確認するべきだ。
「あの……」
抱きつかれているディアは、いきなりの展開に戸惑っている。
「ディアちゃん、もう良いんだよ。そのままの姿でいて良いの」
「なんだ、その親戚のおばさんみたいな態度」
夏に邪魔をされているヒューガは苛立ちが止まらない。
「親戚のおばさんでも良いの! ディアちゃんはあたしが守る! ヒューガなんかに渡さないんだから!」
「……どうしてそういう話になるんだ?」
夏は邪魔者の立場を自ら確立しようとしている。どうしてそうなるのかヒューガにはさっぱり分からない。
「じゃあ、ディアちゃん。部屋に戻りましょ?」
「あっ、じゃあ、お茶の用意を」
「……これからは自分の分は自分でやることにしましょう。うん、それが人としての基本」
「それで良いのですか?」
「良いの、良いの。じゃあ行きましょ」
夏はディアの手を引いて、図書室を出て行こうとしている。手を引かれているディアも嬉しそうだ。ここまで遠慮のない好意を向けられるのは彼女にとって久しぶりのこと。それが嬉しいのだ。
「まっ、いっか」
ディアの笑顔が見られるのであれば良い。ヒューガもそう思える。
「日向」
声を掛けてきた冬樹は真剣な表情でヒューガを見つめている。
「どうした?」
何事かと思ったヒューガだったが。
「良かったな」
冬樹が発したのは祝福の言葉。良かったな、というだけの、それでも冬樹の強い気持ちが伝わる言葉だった。
「……ああ。まだこれからだけどね」
正直、良かったの言葉は早すぎるとヒューガは思っている。ディアを連れて城を出る算段は、これから考えなければならない。パルス王国の第一王女を、本人も同意してのこととはいえ、誘拐しようというのだ。簡単なことではない。
それでも成功させなければならない。ディアを失望させるわけにはいかないのだ。