月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #15 巻き込まれは誰のせい?

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 ヒューガは早めにギルドの依頼を切り上げて貧民区に向かうことにした。夏と冬樹も一緒。今日は二人を子供たちに紹介する予定なのだ。
 いつもの細い路地を通り抜け、三人は貧民区にたどり着く。

「ええー! ここっ?」「うわっ!」

 夏も冬樹も周囲の様子を見て驚いている。ここまでの道も大通りとは異なり、かなり怪しさを感じさせるものだが、それでも街並みと呼べるものがあった。
 だが最後の路地を抜けた瞬間、辺りの景色は一変するのだ。

「よう、ヒューガ兄ちゃん。今日ははやいな」

 早速、ヒューガを見つけたジャンが近づいてきた。

「ジャン、いたのか。お前こそ、仕事はいいのか?」

「今日は仕事できなかった。また、あいつらがきてたからな」

 今日も勇者は貧民区に来ていた。彼等が来ると貧民区周辺にも見張りの兵が立つことになる。ジャンたちにとっては仕事の邪魔でしかない存在だ。

「あいつらって勇者のこと?」

 夏が二人の会話に割り込んできた。

「おお? 何だ、ヒューガ兄ちゃんの連れか? 女連れだなんて、兄ちゃんもなかなかやるな」

 すかさず反応するジャン。

「ちがうわよ! ヒューガとはただの友達」

「だから連れだろ?」

「……まあ、そうね」

 必死に否定した自分が恥ずかしくなる夏であった。

「じゃあ、後ろの男も一緒か?」

「ああ、冬樹だ。よろしくな」

「フーキー? なんか変な名前だな」

「……フーでいい」

 落ち込む冬樹だが、今更だ。何故かフユキはこの世界の人には発音しづらい。クラリスもグレゴリー大隊長たちも冬樹のことはフーと呼んでいるのだ。

「ジャン。皆、いるのか?」

「ああ、みんな仕事ができなくてずっとねてる。今日もただめし食えたからラッキーだけどな」

「じゃあ、二人を紹介するから、いつもの所に集まるように伝えてくれ」

「わかった!」

 他の子供たちがいる場所に、勢いよく駆けていくジャン。

「ねえ、仕事って?」

 ジャンが離れて行ったのを見計らって、夏はヒューガにジャンたちの仕事を尋ねる。どのような仕事か分かった上での確認だ。

「ジャンの主な仕事はかっぱらいだね。他も似たようなものだ」

「子供がそんなこと……」

 分かっていたことだった。だが実際にジャンを見て、その幼さを知るとショックは大きかった。

「同情なんてしないように。仕事の中身はともかく、あいつらはあいつらで自分の力で生きていることに誇りを持っている。僕もそれで良いと思う」

「じゃあなんでギルドで働かせようとしているの?」

「それだけじゃあ生活が安定しないから。それに子供だから捕まっても叩かれるくらいで済んでいるけど、もう少し大人になれば、そうはいかない。いつまでも続けていける仕事じゃない」

「そうね」

 大人になればもっと本格的な犯罪に手を染めることになる。ヒューガは彼等が後戻り出来なくなる前に、他の選択肢を与えたいのだ。

「しかし、思ったより元気だな」

 冬樹はジャンの明るさに驚いている。もっと暗い、悲惨な暮らしをイメージしていたのだ。

「だから言った。あいつらはあれで精一杯生きている。あいつらに比べたら、僕の元の世界での生活なんて。ただ無駄に時間を消化するだけだった。大学に戻らない間もいくらでもやることはあった。今はそれを反省してる」

「うわぁ、それを言ったらあたしなんて、死んでたも同じね」

「俺もだな」

「分かったら行こう。言っておくけど、あれが十二人も集まったら、それはすごいから。覚悟するように」

 ジャンを待つことなくヒューガは奥に進んでいく。立ち止まっていたのは夏と冬樹の偏見を薄める為。ヒューガも子供たちがやっていることを完全に肯定しているわけではない。だが、否定ばかりでは彼等に受け入れられないことを知っているのだ。
 夏と冬樹はおそらく大丈夫。そう思えたところで子供たちに会わせることにしたのだ。

 

◇◇◇

 子供たちと対面した夏と冬樹。ヒューガが言っていた「覚悟をしておけ」が誇張ではないことをすぐに思い知ることになった。

「おおー、女だ」「あれどっちの女だ?」「ヒューガ兄ちゃんだろ?」「いや、ヒューガ兄ちゃんにそんなかいしょうないだろ?」「じゃあ、あの男か?」「えー、ヒューガ兄のほうがカッコイイ」「私はあれもありかな」「うそ、ジュンはあんなのが好みなの?」「俺の方がカッコイイ」「…………」「セイジョのほうがいい女だな」

 十人がそれぞれ、子供とは思えないませた台詞を口にしている。それに夏と冬樹は呆気にとられている。

「静かにしろー! 紹介する。僕の仲間で夏と冬樹だ」

 子供たちに向かってヒューガが二人を紹介する。それに対して子供たちは。

「フーキーだって」「なんか変」「ヒューガのほうがいい」「そうだな」「ぷぷ」「へーん」「いやだ、がっかり」「ほらヒューガ兄のほうがいい」「俺の名のほうがカッコイイ」「…………」「セイジョはなんて名かな」

 冬樹をがっくりと落ち込ませる言葉を次々と口にする。

「いいから静かに! これから二人にも勉強を教えてもらうことになった。とりあえず今日の分を配るから、分からないことがあったら遠慮なく二人に聞くように」

「「「はーい!」」」「「「おおー!」」」

 ヒューガが用意した国語のテストを配ると、子供たちは途端に静かになった。ヒューガが配ったテストを真剣な表情で見て、考えている。

「今、配ったのはいつもの通り、昨日教えた分だ。ちゃんと復習してれば分かるはずだからな」

「「「「…………」」」」

 まるで学校みたい。これが夏の感想だ。子供たちは黙々と回答をテスト用紙に書いている。そんな子供たちの様子を一人一人見て回っているヒューガは先生そのもの。
 夏はまたヒューガの意外な一面を知った気がした。他人を突き放すような態度を取っているヒューガ。その一方でこんな面倒見の良いところを見せる。
 どちらがヒューガの本質か。後者だと夏は思う。文句を言いながらもヒューガは、夏と冬樹を見放さない。時には自分の時間を削ってでも二人の為に行動する。
 ヒューガのことを知れば知るほど、夏は不思議に思う。どうしてヒューガが勇者ではないのかと。
 これを考えて思い出すのはクラリスの言葉。「勇者は力あるもの。それ以上でもそれ以下でもない」と彼女は言った。この言葉の意味を夏は聞けていない。
 クラリスも不思議な人物だ。クラリスについて調べてもほとんど情報は得られない。誰もいつクラリスが城にあがったか知らなかったのだ。クラリスに比べればまだ第一王女の情報のほうが手に入った。そして一つの仮説が夏の中で生まれた。
 だがそれを夏はまだヒューガに話せていない。話すきっかけが掴めないでいた。

「…ちゃん、姉ちゃん!」

「えっ、何?」

「なに、ボーとしてんだ? 姉ちゃんもヒューガ兄ちゃんと同じ先生だろ。ちゃんとおしえてくれよ」

「ごめーん。ちょっと考え事してた。それで? 何を聞きたいの?」

「この言葉のいみがわからない。ヒューガ兄ちゃんにならったはずなのにおぼえていないんだ」

「もう、仕方ないわね。ちゃんと復習しなかったんでしょ? どれどれ、えーとっ……」

 子供に聞かれた言葉の意味。どの言葉か確認しようとテスト用紙に視線を向けたまま、夏は固まってしまった。 

「なんだ。姉ちゃんもわからないのか?」

「分かるわよ。食道よね? これは体の中の一部。いい? 口があるでしょ。口から飲み込まれた食べ物は喉を通って、食道を通って胃に届く。その食道よ」

「……そんなのならったかな? イってなんだ?」

「胃というのはね、消化器の……ちょっとヒューガ!? なんでこんな難しい言葉を選んだのよ?」

 内蔵についてなど分かりやすく説明出来ない。夏はその言葉を選んだヒューガに文句を言った。

「ああ? 難しい言葉なんて教えてない。普段目にするものが中心だ」

「食道なんて目にしないでしょ?」

「食堂は目にするよね? こいつら店の区別は店に掲げられている印でしか分かってないから。まずはそういう常識から教えてる」

「店? 食道でしょ?」

「食堂だな」

 微妙に二人の会話はズレている。その原因は何か。それを考えて夏は気が付いた。夏もこの問題の模写をしているのだ。そして今、目の前にあるテスト用紙の字は、自分の字ではない。

「ふーゆーきー!」

「えっ、何だよ?」

「あんた食堂っていう字もまともに書けないの!? これ、冬樹の書いたテスト用紙が間違ってるじゃない! だいたい書くというより写すだけよね!? ヒューガが書いたものをそのまま書くだけ! あんたそんな事もまともに出来ないの?!」

 会話がすれ違っていた原因は冬樹。冬樹が書き写し損ねていたのだ。

「えっ、嘘? あっ、ほんとだ」

「ほんとだ、じゃないわよ。もう他にも間違ってるんじゃないの? ああ、これも。こここもじゃない」

「……悪い」

 夏に叱られて小さくなる冬樹。その様子を見た子供たちは。

「おお、尻にしかれるってやつだな」「ああ、あれがそうか」「ヒューガ兄もかな?」「それはないだろ」「ぷぷ」「かっこわるーい」「げんめつ、やっぱヒューガ兄ね」「あたりまえだよ」「俺のほうがあたまがいい」「…………」「セイジョのしりにしかれたい」

「うるさーい!」

「おお、おこった」「きれたな」「こえー」「こわい、こわい」「ぷぷぷぷ」「おんなはおしとやかじゃなくちゃ」「わたしはおしとやか」「そうだね」「俺のほうがやさしい」「…………」「おこられるならセイジョがいいな」

「…………」

 夏が怒鳴っても子供たちにはまったく反省する様子がない。反省するはずがない。なんであろうが自分たちの相手をしてもらえるのが楽しいのだ。怒っていても自分たちに向き合ってもらえるのが嬉しいのだ。

「もう……ヒューガまで笑わないでよ」

 ヒューガは子供たちにからかわれている夏を見て笑っている。夏が子供たちに受け入れられたと思って、喜んでいるのだがそれは夏には分からない。

「よーし、とりあえず今日はここまでだな。ちゃんと復習しておけよ」

『『『はーい!』』』

 ヒューガに向かって元気に返事をする子供たち。この場面だけ切り抜けば可愛い子供たちなのに、と夏は思う。

「じゃあ、またな」

「ああ、ヒューガ兄もまた。ナツ姉も、フーもな」

「……なんで俺には兄(にい)がつかないんだ?」

 自分だけ呼び方が違うことに気付いた冬樹。

「だってフーは」「だってな」「ヒューガ兄とはね?」「そうだな」「ぷぷ」「フーだもん」「フーじゃね」「フーだから」「俺よりフーは……」「…………」「セイジョ明日もくるかな」

「お前が字を間違えるからだろ? やつらにとって冬樹は自分たちと同レベル。いや、下かな?」

「なんだってー!?」

 書き間違えのせいで、冬樹は子供たちが自分たちと同じように字を知らないと想われたのだ。兄や姉と呼ぶのは子供たちにとって尊敬の証。そういう意味では夏は上だと認められたということだ。

「兄をつけて欲しければ冬樹も勉強したらどう?」

「うう……勉強は苦手だ」

「じゃあ運動は? 要は自分たちより優れていると認めてもらえればいいんだから」

「おっ、それならいける。そうか、よーし、俺の力を見せつけてやる」

 運動に関しては冬樹は自信がある。勇者にはその自身を木っ端微塵に砕かれたが、子供に負けるとは思っていない。

「ちょっと? 子供相手にムキにならないでよ」

「何だ、運動って?」

 ジャンが運動とは何かを聞いてきた。この言葉はまだ教わっていないのだ。

「今度、俺がお前たちに剣を教えてやる」

「ちょっと、冬樹。剣じゃなくてもいいでしょ?」

「おお、剣だ」「剣だって」「もしかして強いのか」「そうかも」「へえー」「何、つよいの?」「いやだ、カッコイイ」「フーって」「俺のほうが強い……はず」「……剣」「セイジョ……より剣だな。うん」

 剣を教えてもらえると聞いた子供のたちの冬樹評は急上昇。

「あーあ、もう引っ込みつかないからね。どうするの? 練習用の剣なんて用意できるのかな?」

「あっ、どうしよう……いや、なんとかする。こいつらの期待を裏切るわけにはいかないからな」

「自分が尊敬されたいだけでしょ?」

「それもある」

「まあ、いいか。それは後で考えよう。じゃあ、今度こそ、またな」

『『『またねー!』』』

 手を振って見送る子供たちと別れて来た道を戻ろうとしたヒューガ。その彼に声を掛けてきた人がいた。
 目の前に立っているのはかなり年を召したお婆さん。ヒューガはその老婆を見て不信そうな顔をしている。顔見知りではないのだ。

「誰?」

「わしはバーバじゃ」

「……もしかしてジャンが言っていたババア?」

「バーバじゃ! まったくあの子たちは名だと何度言っても理解せん」

「バーバって名前だったか? それはまた……」

 老婆の名前がバーバ。冗談のような名前だ。

「なんじゃ! 儂だって昔から年寄だったわけではない。若い頃はそれはもう評判の美人で、近寄る男どもが後を絶たんかったものじゃ。儂はそれを……」

「若い頃の自慢話はいい。何の用?」

 昔話に付き合っていられるほどヒューガには時間の余裕がない。他人のモテ話を聞かされても楽しいとは思えない。

「……なんじゃ、つまらん。もう少し相手をしてくれてもいいだろうに。用はな、ちょっとお主に聞きたいことがあって」

「聞きたいこと?」

 眉をひそめるヒューガ。初対面の老婆が何を聞きたいのかなど、ヒューガにはまったく見当がつかないのだ。

「あの子たちをどうするつもりなのだ」

「ああ、あいつらのことか……特に考えてない」

 バーバが聞きたいのは子供たちをどうするつもりかということ。だがこんなことを聞かれてもヒューガに答えはない。

「それはずいぶんと無責任ではないか?」

「何故?」

「お主がやっていることは子供たちの未来に希望を与えるものじゃ。それ自体は良い。じゃがな、一度持った光を失うことは、最初から光のない生活をしているよりもずっと辛いことじゃ。そう思わんか?」

「バーバさんはもしかして目が見えないの?」

 バーバの細い目。まぶたの隙間から見える白く濁った瞳はヒューガを向いていない。一方向を向いたまま話をするバーバの様子で、目が不自由なのではないかと思った。

「ん? まあな。だが儂が言っておるのはそういうことではない」

「それは分かってる。でも本当にバーバさんの言うとおりなのかな? 光のない生活を続けることは、挫折を味わうよりも良いこと?」

「お主はそう思っておらんのか。しかし、それは挫折を味わったことのない者の台詞じゃな」

「ちょっとヒューガは!」

 バーバに言葉を聞いて、夏が声をあげた。ヒューガが挫折を味わっていないとは彼女は思っていない。

「夏、いいから。僕は挫折を味わったと言い切れるほど、人生を真剣に生きていない。ただ僕は挫折が辛いことだけとは思わない。それはバーバさんのほうが実は分かっているんじゃないかな?」

「……なるほど。ただの同情ではなかったか」

 ヒューガの言葉にバーバはあっさりと納得した。ヒューガは最初から綺麗事を口にしなかった。その時点でヒューガ自身に対しての心配は薄れていたのだ。

「同情? やつらに? それはないな。僕からすればあいつらはすごく輝いている。生きる力に満ちているって言えばいいのかな?」

「ほう、そうか……儂から見ればお主のほうが輝いているがな。正直、お主の輝きは世を捨てた儂らには少し眩しすぎる。これは分かってもらえるかの?」

「眩しいって、バーバさん目は見えてないよね?」

「見えていないから、見えるものもある」

「……ずいぶんと哲学的な表現だ。それで、結局何が言いたいのかな? 要は迷惑だってこと?」

「簡単に言えばな。勇者が召喚されてからここはすいぶんと騒がしくなった。世捨て人の儂らにはそれが騒がしくてならんのじゃ」

 バーバは貧民区に人の出入りが増えることを望んでいない。ヒューガ自身がどう考えていようと、これは変わらない。

「それは勇者に言うべきだ。それと世捨て人にとっては騒がしいかもしれないけど、あいつらは世捨て人じゃない。世の中を嘆いたり、人生を悲観するほど、あいつら人生を生きていない。あいつらの人生はまだまだこれからだ」

「……だから、あの子らを導くと?」

「導くって……おおげさだな。僕がやっているのはあいつらが自ら望んだこと。僕は僕が出来る最低限なことをやってるだけだ。この先どうするかはあいつら自身が決めることで、僕が指示することじゃない。僕はせいぜいその選択肢を少し増やしているだけに過ぎない」

「……ふむ。日……太陽か。日の当たる場所。なるほど眩しいはずだ」

 見えないはずの白く濁った眼を真っ直ぐにヒューガに向けて、バーバは突然意味の分からない言葉を呟いた。

「……それって?」

 その言葉に反応するヒューガ。

「心当たりがあるのか?」

「僕の名だ。母親が僕の名をつけるときに考えていた意味のひとつ」

「そうか……なるほどな」

「なんで、その言葉を?」

「見えていないから見えるものがあると言っただろ? 盲いた儂の眼に映るお主の姿。日の当たる場所、一筋の光明というところか。知性、魂が美しい人。なるほどやはり導き手か……しかもエルフ? いや白銀のか……うーむ」

 バーバの言葉に夏は自分の心臓が大きく高鳴るのを感じた。バーバは何を言い出したのか。今の言葉の意味は。この会話は。バーバは何者なのか。様々な疑問が頭の中に浮かんでいく。

「本当に見えてないの? まあいい、それ以上は聞きたくない」

 ヒューガはバーバの話を聞いても、とくに感じるものはない様子だ。感じていたとしてもそれは嫌悪感。それ以上の話を聞くのを拒否した。

「何故じゃ?」

「バーバさんが言った最後の言葉。その色には嫌な思い出がある」

「……なるほど。それでか、お主の姿が滲んで見えるのは。お主まだ定まっていないの」

「定まってない?」

 またバーバに口から飛び出してきた謎の言葉。それにヒューガは眉をしかめている。

「確固たる自分を定めていない。何をしたいのか、何をしなければならないのか。お主はまだ自分を自分として認める覚悟が出来ていない」

「……それは否定できないな」

 この言葉にはヒューガも心当たりがある。元の世界で生きていた時から、ヒューガは自分の人生を生きている実感がなかった。

「だが、いずれお主はそれを為さねばならない時がくる」

「……預言者にでもなったつもり?」

「いや、儂はただの盲いた老婆じゃ」

「……じゃあ、話を戻していい? 僕は僕の事情が許す限り、これからもあいつらに関わる。それに文句を言われても、改めるつもりはない」

 これだけははっきりと告げておかなければならないと思った。子供たちの可能性を、年老いたバーバの考えで潰すわけにはいかないのだ。

「もう、それは良い。どうやらあの子らもいずれここを出ていくことになる。それまでは我慢してやろう」

「……そうして。まだ何かある?」

 バーバは子供たちの未来を語った。貧民区を出て行くというだけのことだ。内容はないに等しい。それでもバーバの語り口がヒューガには気になる。

「いや、今のお主とは話すことはこれ以上ない」

「今の僕とは、か。ますます預言者っぽい言い回しになってきた。バーバさんが何者か知らないけど、先の見えた未来に興味ない。それに縛られることも嫌だ。だからこういう話は聞きたくない」

「先の未来はお主自身が作るものじゃ。儂に人を導く力などない」

「……そうか。じゃあ。これで」

「ああ、またな」

「また?」

 ヒューガとバーバの会話を聞いている夏は、震える体を押さえ込もうと自分の体に腕を回した。実際にはそんなことでは震えは止まらない。胸にこみ上げてくる熱い何かがそれを許さない。
 冬樹も夏と同じように感じるものがあるようで、真剣な表情でずっとヒューガとバーバを、まるで小説のワンシーンを演じているような二人のやりとりを見つめ続けている。
 巻き込まれたのは誰か、いや、誰が自分たちを巻き込んだのか。答えが分かっている問いが夏の頭に浮かぶ。
 覚悟を決めなければならない。これからもヒューガと共に生きようと思うのなら。彼の人生は、この先も波瀾万丈に満ちたものであるのだから。

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