ウィンヒール侯爵家の嫡男であるヴィンセントの専任従者。それが自分の仕事になった。
どうしてこうなったのか、いくら考えても答えが見つからない。仕方なく、聞きたくない相手に尋ねる事にした。
「あの」
「何だ? 何か分からない事があるのか?」
先程までと打って変わって、男はご機嫌な態度で自分に接してくる。つまり、それだけヴィンセントの従者を離れた事が嬉しいという事に違いない。
「どうしてこうなったのでしょう? 自分をこの家から追い出す話をしていたのではないのですか?」
「そんな話? 仕事の事を聞けよ。とっとと引き継ぎを終わらせたいんだ」
「いや、でも気になって」
「仕方ないな。最初はそうだった。貧民街の人間なんて信用ならない。貸しを作れば、金づるだと考えて付きまとうに決まっているからな」
「……まあ、貧民街出身の自分が言うのも何ですけど、そういう人間ばかりです」
「そんな奴が求める金なんてたかが知れているが、侯爵家となると甘い顔を見せる訳にはいかないからな。しつこく付きまとえば始末する事になる。そうであれば、最初からそうすれば良い。そういう話だ」
この男はさらっと言ったが、それは殺人だ。問題にはならないのかと疑問に思ったが、聞くべき事ではないだろうと声にする事は止めた。
「そこから、どうして従者という事に?」
「本当はエアリエル様が部屋に入ってきた所でもう始末する事はなくなっていた。ヴィンセント様以上に旦那様と奥様はエアリエル様に甘いからな」
つまりは親馬鹿という事だ。馬鹿にしている訳ではない。早くに親を亡くした自分にとっては、羨ましい事だ。
「では、その後のやりとりは」
「俺が嫌だった。ヴィンセント様の世話だって大変なのに、貧民街の孤児の面倒まで見ていられないだろ?」
その本人によくも面と向かって言えるものだ。この男はやはり人として何かがおかしい。自分の印象は間違っていない。
「失礼ですけど、従者にそんな権限が?」
「嫡子の専任従者となれば、次代の家令、そうでなくても当主の側近中の側近になる。ヴィンセント様に絡む件については、発言権はかなり認められている」
「えっ? そんな立場を自分に?」
「お前はない。さすがにどこの馬の骨とも分からない孤児を侯爵家の当主側近になんて出来ない」
この男、無神経にも程がある。これでどうして侯爵家の嫡子の従者が務まるのだろう。
「でも……そう言えばお名前は?」
「ウォル。ウォル・ケーリーだ」
「ケーリーさんは」
「ケーリーさんって。ウォルさんと呼べ」
名を呼ぶのが正しいのか。こういう所は少しずつ覚えないとだ。
「ウォルさんは良いのですか? その将来の側近の座を」
「それは……まあ、気にするな。俺はそういう堅苦しいのは苦手なんだよ」
「そうですか」
嘘をついているのは、明らかだ。だが、それを追及する訳にもいかない。
何かある。そうでなければ、この男がこんな機嫌が良くなるはずがない。この家で働いていれば、そのうち分かる事だろうか。
「じゃあ、引き継ぎだ。速攻で終わらせるからな」
専任従者の仕事を一言にすると雑用係だ。とにかく相手の望みを全て叶える事。そう言われたのだが、これは怪しい。
ウォルが我儘そうな少年の望みを全て叶えていたとは思えない。
実際に引き継ぎといっても、想像していたものとは全然違った。教わったのは一月のスケジュール、これはまだ良い。
それ以外は食べ物の好き嫌い。まだ許せる。
勉強の好き嫌い、といっても好きはない。
得意な魔法、なんて聞く必要もない。
人の好き嫌い。どうしてウォルの名が入っていない? 絶対に嫌われているはずだ。
とにかく、今やっている途中の仕事など一つもない。心配になって何度も聞いたがウィルは無い一点張りだ。
ウィルの思い通りに、あっという間に引き継ぎは終わり、少年の部屋に連れて行かれた。そこでウォルの野郎はとんずらだ。
残された自分と少年はというと――自分の着る服を選んでいた。
考えてみれば、自分はずっとローブのような寝間着を着たままだった。それを少年が気にして、従者の服を用意させようとしたのだが、自分の背丈にあう制服はなかった。
どうやら自分はかなり小柄なようだ。というか年齢が分からない。合う服がないという事は、従者をするような年齢ではないのかもしれない。
代わりにと今、選んでいるのが少年の幼い頃の服だ。
「これはどうだ?」
「……従者にしては少し派手かと」
「これもか? まあ、そうだな。従者といえばもっと落ち着いた雰囲気だ」
少し分かったのは、少年は、こういうモノはこうでなければならない、という拘りが強いという事だ。
真っ先に自分の服を探し始めたのも、自分の専任従者がこんな服装ではいけないという思いからのようだ。
だが、少年の服はとにかくセンスが悪い。この世界では正しいのかもしれないが、自分にはとても我慢出来ない服ばかり。何着見ても、納得するものは見つからなかった。
もう駄目かと諦めかけたその時。自分の部屋以上に広いクローゼットの隅で一着の服を見つけた。スーツとはかなり違うが黒一色で落ち着いた感じの服だ。
「これが良いのでは?」
「ん?」
自分が差し出した服に目を向ける少年。その表情が曇った。どうやら気に入らないようだ。
「これ騎士服だ」
「騎士服?」
「騎士が着る服だ」
「いや、それは分かりますけど、問題がありますか?」
「お前は従者であって騎士ではない」
「……確かにそうですが」
こういう拘りは思った以上に厄介なのかもしれない。しかし、これに関して引く訳にはいかない。フリルひらひらのシャツに短パンなんて死んでも嫌だ。
「しかし、私はヴィンセント様の専任従者です。専任従者とは時に主を守る盾になる事もあるのではないでしょうか?」
「……そうだな」
「主を守る盾となれば、それは騎士と同じ事。職は違えども役割には変わりはありません」
「……ふむ」
「ですから専任従者である私が、騎士服を着る事は何の問題もありません」
「……良いだろう。ではお前の制服はこれにしよう」
「はい」
説得成功! 早速、クローゼットに戻って着替える事にした。
騎士服と聞いたが、学ランを少し変えたような感じだ。高い詰襟、上衣の丈もかなり長い。黒一色だと思っていたが、所々に銀糸で刺繍がされている。
着替え終わって鏡の前に立ってみたが、思っていたよりもずっと恰好が良い。
そうなると、何故、この服だけがという疑問が湧く。貴族の服と騎士服の違いというだけなのだろうか?
そんな事を考えながら、クローゼットを出ると、少年が驚いた顔で迎えていた。
「……おかしいですか?」
「いや、逆だ。良く似合っている」
「それはありがとうございます。この騎士服が恰好良いからです」
「黒の騎士を真似た」
「はい?」
「知らないか。小さい時に読んだ本の主人公だ。黒目黒髪で、服も黒一色。遥か昔に異界から現れた勇者だ。その本に書いてあった騎士服を真似て作らせた」
「はあ……」
それは日本人でしょうか。そうだとしたら、この世界に来た異世界人は自分だけではないと言う事か。でも体が黒目黒髪の日本人そのままだとすると、自分とは違って召還だな。
この世界は何でもありだ。
「剣は使えるのか?」
「まさか」
「それもそうか。じゃあ、僕と一緒に学べ」
「えっ?」
「僕のスケジュールを知らないのか?」
「いえ、知っています。週三回、剣術の練習があります。その事でしょうか?」
少年のスケジュールを教わって分かった事がある。この世界の一週間は六日間だった。日月火水風土で、金曜日がなく木曜日が風曜日だ。太陽と月と四属性。分かり易くはある。
「その剣術の練習にお前も参加しろ」
「邪魔になりませんか?」
剣を教われるのは嬉しい。しかし、自分が参加して良いものかの判断が付かない。
「お前は僕を守る盾でもある。剣の腕を磨くのは当然だ」
これはさっき自分が言った台詞だ。まあ、それは良い。
「分かりました。ではそうさせて頂きます」
これで自分も剣術を習う事が出来るようになった。だが、事は剣術だけではおさまらなかった。
◇◇◇
スケジュールを知って、実は少し少年の見方を変えていた。かなり忙しいスケジュールだったからだ。
毎日、午前中は住み込みの家庭教師に勉強を教わり、午後はこれも又、家庭教師による魔法の個人授業。午後には更に週の半分が剣術、残りの半分はマナーなど教養学習がある。
一日中、ずっと勉強の予定が入っているのだ。
侯爵家の嫡男ともなると、それなりに大変なのだと、スケジュールを聞いた時は思ったものだ。だが実際に授業に立ち会ってみると、同情の気持ちはすっかり薄れてしまった。
「僕が分からないのはお前の教え方が悪いからだ」
「それは謝罪しますが、教わる側が覚える気がないのではどうにもなりません」
「僕が悪いというのか?」
「お互いに努力をしようと申し上げているのです」
あまりに出来の悪い少年は、その責任を家庭教師に押し付けている。それに対して家庭教師の方も言う事は言っている。
家庭教師のハービー・ムーア先生は、他の使用人とは少し違うようだ。その理由は後から分かった。住み込みの家庭教師という事だが、他にいくらでも働き口があるようで、首になる事を恐れていないらしい。
実家が従属貴族家である使用人たちよりは、よほど気楽な立場という事だ。
気楽という言い方は失礼か。授業を見ていれば分かる。少年に物を教えるという事は、かなり大変そうだ。
どうやら少年は、馬鹿なのだ。
「僕は努力している」
「そうでしょうか?」
「何だと?」
「今、教えている事など、真面目に聞いていればすぐに理解できるようになります。それが出来ないという事は、真面目に聞いていないという事です」
「……そんな事はない!」
「いいえ。そうです」
「どうして、そう言える?」
「後ろで聞いている彼は、もう分かっているようですが?」
「何?」
「えっ?」
ここでまさかの展開。話を自分に振るのは止めて欲しい。確かに分かる。分かるが、それは真面目に聞いていたからではなくて、とっくの昔に学んでいた事だからだ。
「本当か?」
「それは……」
「答えないのが答えです。彼はヴィンセント様に気を遣っているのです」
先生が更に自分を追い込んでくる。この先生、どういうつもりだ。
「……リオン。ではこの問題を解いてみろ」
「いや、それは」
「解けなかったら罰として食事を抜く」
少年は完全にムキになっている。問題を解いてひがまれる事を選ぶか、食事を選ぶかの二者択一だ。
「……分かりました」
食欲には勝てなかった。しめされた席について問題を見る。書かれているのは分数の掛け算、割り算。さすがにこれは答えられる。
置かれているペンを持つ。計算よりもペンで書く事の方が大変だ。いちいちインクを付けて書かなければいけないペンを使う事に慣れていない。
慣れないペンで、かなり汚い字になったが、なんとか全ての答えを書いた。
「……算数を習った事は?」
「親から少しだけ」
「孤児だと聞いたが?」
「親が亡くなる前の話です」
「……貧民街の住人が子供に勉強を?」
「その辺は私には分かりません。ただ、貧民街を脱け出すには学問が必要だと言っていた事をなんとなく覚えています」
「確かにそうだが。しかし、暗算で解くとはな」
どうやら、やってしまった。分数の掛け算割り算の中でも実に簡単な問題だった。それでも暗算で解くのは、やり過ぎだったようだ。
この世界の、この年代の勉強のレベルを知らないで、やる事ではなかった。
そして、少年の反応は。
「さすが僕の専任従者だ。よし、お前もこれからは僕と一緒にきちんと学べ。先生、それで良いな」
「ええ、もちろん」
嫉妬などをする事なく、素直に喜ぶのだ。知れば知るほど、この少年が分からなくなる。愚者なのか、賢者なのか。
今、分かるのは、ただの我儘な御坊ちゃまと判断するには、少し早いという事だ。
◇◇◇
昼食を終えると、午後の勉強の時間。
剣術の勉強だ。教えるのは、ウィンヒール侯家の王都騎士隊の隊長を務めるエリック・マービン師匠。自分も剣を教わる立場になったので、騎士隊長ではなく、師匠と呼ぶようにと少年に言われた。これも少年の拘りだ。
この剣術だが、さすがに算数のようにはいかない。
剣術はもちろん、剣道も自分はやった事がない。そんなずぶの素人の自分が何から始めるのかというと、それは決まっている。
ひたすら素振りだ。
マービン師匠と立ち合い稽古をする少年を横目に一心不乱に剣を振り続ける。ただ剣を振れば良いというものではない。
足の踏込、足首、膝の動き、股関節、腰の重心の移動、そして腕が自然に降り、それに逆らう事なく一気に振り下ろす。
そう言われたが、全く理解出来ないし、出来ない。要は腕だけではなく、体全体で振れという事なのだろう。
そう考えて、体の動きを一つ一つ意識しながら素振りを行う。
それをただひたすら時間一杯、続けるだけだ。何といってもそれさえ今の自分は出来ないのだから。
息が切れる、腕が上がらなくなる。自分の体力のなさをこの剣術の時間で痛感している。体力作りをしなければならない。その時間は、自分で作るしかない。
こうして、少しずつ自分のスケジュールも決まっていく。
◇◇◇
剣術の時間が終わると、お昼寝の時間。
もちろんそれは少年の予定であって、自分に昼寝など許されていない。
かといって従者になったばかりの自分には時間が空いても何もすることはない。それを見越したかのようにやってきたのは妹の方だった。
「リオン、暇よね?」
「はい」
「じゃあ、付いて来て」
「どちらへ?」
「これから勉強の時間なの。貴方も一緒に教わりなさい」
「……はい」
何だか分からないが、学べる事は良い事だ。元の世界ではもっと勉強をしたくても出来なかった。もう一人の自分は勉強などした事もない。
貧しいという事は、それだけで人の可能性を奪ってしまう。そんな言葉をふと思い出した。
「マイヤーズ先生。リオンを連れて来ましたわ」
「そう、彼が」
事前に断りを入れていたようで、マイヤーズと呼ばれた先生は、自分が来ても驚く事はなかった。きっちりとした感じのいかにも貴族のご令嬢の家庭教師という感じの人だ。
あくまでも自分の勝手なイメージだが、そのイメージにぴったりはまっている。
「では先生。よろしくお願いしますわ」
「ええ、エアリエル様。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「……何よ?」
これまでとは違う礼儀正しいお嬢様を見て、驚きで軽く固まってしまった自分を、不満そうに見ている。これはいつものお嬢様の雰囲気だ。
「エアリエル様。その態度はいかがかしら?」
「……お恥ずかしいところをお見せいたしました。以後気を付けますわ」
又、変な態度になる。
「あの、これは何の授業なのでしょう?」
「見て分かりませんか? マナーの勉強ですわ」
「マナー? それを自分が?」
「貴方はお兄様の専任従者であり、私の……私の……」
マナーの先生の前でさすがにペット呼ばわりをしない分別はあるようだ。
「とにかく侯爵家の人間として人前に出ても恥かしくない礼儀を身に付けてもらうわ」
「……しかし、自分は使用人であって」
「使用人であってもよ。貴方は常にお兄様と行動を共にするようになるわ。時には私とも。その時に私やお兄様に恥をかかせるつもりかしら?」
「いえ、そんなつもりはありません」
「じゃあ、きちんと正しい礼儀を身に付けなさい」
「はい……」
自分よりも、少なくとも精神年齢はずっと下のはずなのに、不思議とこの少女には逆らえない。生まれながらの貴族の威厳というものなのだろうか。ただ少年からは感じないな。
「では、今日は初めてのダンスですわね」
「はい?」
「だから貴方を呼んだのよ。ダンスの練習にはパートナーが必要だわ」
「私はダンスなんてした事ありません」
小学校でやった記憶があるが、ここで言うダンスは別物のはずだ。
「大丈夫よ。私も初めてだから。さあ、先生、始めましょう」
結局、一時間以上もダンスに付き合わされる事になった。幸いだったのはダンス授業が初めてだけあって、実に簡単なステップであった事。
ステップ……こんな言葉を普通に使う様になるとは。
そして、これが最後ではない。ダンスだけではなく、他のマナー授業も自分が一緒に教わる事になった。まあ、良いけど。
ただこれは従者の仕事なのだろうか?
◇◇◇
少女のダンスに付き合った後は、又、少年の下に戻る。
次は魔法の勉強だった。こればかりは自分には一緒に学ぶ資格はない。
魔法の先生の教えに従って、魔力に気持ちを集中させている少年の邪魔にならないように部屋の隅で立っているだけだ。
魔法の勉強だが、実際の魔法を使うという訳ではないようだ。
先生の説明では魔法には魔力操作が何よりも重要との事。体内の魔力を引き起こし、それを体内に循環させて、必要な分だけを取り出す。
この魔力操作を熟達する事で、魔法の効果も精度も上がるという事らしい。
今、少年はその魔力操作の練習中だ。
ブツブツと呟いているのは、魔法の詠唱。魔法の詠唱は三段階に分かれていて、魔法を引き起こす活性化のフェーズ、“我の身に宿る魔法の力よ、その力を顕現し”がそれらしい。
この部分はどの属性でもほとんど変わらないらしいが、個人のイメージなので、それにあったアレンジはあるという事だ。
つまり言葉を口にするのは、あくまでもイメージを持ちやすくする為だ。これで特別な能力でもあれば、無詠唱でなんて出来る様になるのだろう。
二段階目が一度聞いたことがある“我に癒しの力を与えよ”。これは当然、魔法の効果によって変わってくる。何故かこれが魔法を体内に巡らす為の詠唱らしい。ちょっと違うような気がする。自分のイメージでは循環には合わない。
そして最後に属性と効果を定める。“癒しの風、ヒーリング”で風属性の回復魔法となる。
先生は言葉では体内の魔力を引き起こし、それによって世界の理に作用すると言っていた。どこで世界に作用するのだろう?
詠唱の説明にそれに該当する部分がない。属性魔法と精霊魔法がごっちゃになっている。元の世界でのファンタジーの知識からすると、そう思える。
まあ、拙い知識だ。もっとラノベとか読んでおけば良かったかもしれない。
世界の理、属性、それが精霊だとすれば、魔法が使える人には見えているのだろうか。きょろきょろと周囲を見渡しても自分には見えない。
やっぱり魔法は無理なようだ。
こうなると戦闘力は剣に賭けるしかない。今のままでは駄目だ。そう思って、これからの事を考える事に集中しはじめた。
何と言われようと構わない。この世界で生きるからには、生きる力を手に入れなければいけない。
ファンタジー小説の主人公なみに修行に力を入れてやろうと、心に誓った。