私たちの召喚が公にされてから頻繁に街の視察に出るようになった。勧めてくれたのは師匠であるグランさんとアレックスさん。
勇者の活動は民によって支えられている。その民の心を掴むのは今後の為にも大切なことだという話だった。確かにそうだと思う。私たちが城で何不自由なく生活出来るのは民の血税のおかげなのですから。
街に出ると皆が私たちを歓迎してくれた。私と優斗ははそんな人たち一人ひとりに声を掛けることにしている。なんだか皇族にでもなっかのよう。
自分でやってみて初めて、思っていた以上にそういった活動が大変な労力を必要とするものだと分かった。それでもみんなの温かい声援は大変さを忘れさせてくれる。
これが何回目の視察か、もう数えてもいないのだけど今日はいつもと様子が違う。護衛の近衛兵の数も多いし、師匠のところの中級魔法士も何人か同行している。
街の雰囲気もいつもと違う。大通りから細い路地を進んでいくと、周りはどこか退廃的な雰囲気を漂わせるものとなった。
「もう少しじゃ。周りはしっかりと守られておる。心配は無用じゃ」
周りの雰囲気に少し怯えている私に気づいたのか、師匠が声を掛けてきた。その声に少し気持ちが落ち着いて、さらに奥へと進んでいく。
細い、ひと一人しか通れないような路地を抜けたところにそれはあった。
広がる空間。そのところどころに小屋というのも憚られるような粗末な建物が立っている。先程から辺りに漂う何ともいえない悪臭は、その後方に積み上げられたゴミの山からのものかしら。
だらしなく地面に座り込んでいる人たち。その目からは何の光も見えない。
「これは!?」
優斗が驚きの声をあげている。私もそう。まさか王都にこんな場所があったなんて。
「これがこの国の実情なのじゃ。華やかな表通りから奥に入ると、これこのように人の暮らしとはいえないような世界が存在している」
「あの人たちは?」
「職を失い、財産を失い、行き場を失くした者たちじゃ。その日の糧を得る為に女は身を売り、男は犯罪に手を染めておる」
「子供もいますよ?」
追い詰められた結果、悪事に手を染めている人たち。だがここに子供たちもいる。子供たちまでそんな辛い思いをしているのか。
「ああ、子供も例外ではない。小さい頃からスリやかっぱらいで金を稼いでいる。それが彼等の仕事。仕事と言って良いのかという思いはあるがな」
「王は? 王は何故この現状を放っておくのです」
民の暮らしを守るのは国王の仕事。何故、国王はその責任を放棄しているのか。怒りが胸に湧いてくるのを感じる。
「王とてずっと知らんぷりをしているわけではない。何とかしようと努力をされていた時もあった。だが自分たちの利しか考えていない者がその邪魔をしたのじゃ。今では王も諦めておる」
「師匠は? お二人はどうして……」
師匠もそれなりの地位にあるはず。師匠まで見て見ぬ振りをしてきたのだとすれば、それは悲しいこと。
「それを言われると辛いが、儂らは政治に関わることが出来んのじゃ。国政の中枢は一部の貴族に牛耳られておるからの」
「そんな……」
「勇者である二人には知っておいてもらいたかった。王都でもこの始末じゃ。地方貴族の領地ではどうなっていることか……」
この世界に来てから王城での華やかな場所しか私たちは見ていなかった。私たちが城で贅沢な暮らしをしているすぐ近くが、こんなことになっているなんて想像もしていなかった。
「私たちは何をすれば良いのでしょう? この人たちの為に」
「まずは魔族との戦いに決着をつけることじゃ。戦いがなくなれば民の負担は減る。この場所に落ちる者も減るじゃろう」
「でも、既にここにいる人たちは?」
「それは……政治を変えねばどうにもならん」
「どうすれば良いのですか? どうすれば政治は変えられるのでしょう?」
「それについては、儂の口からは言えん」
師匠は答えを与えてくれない。それは私達自身で考えろという教えなのでしょうか。勇者である私たちに出来ること。今は何も思い浮かばない。
「ふむ、思いつかんか。まあ良い。焦ることはない。じっくりと考えて結論を出せば良いのだ。儂も少しは相談に乗ろう」
「お願いします」
「さて今日の目的はもうひとつある。ほれ、アレックス。指示を出さんか」
「ええ、わかりました、じゃあ、皆、準備を始めてくれ」
近衛兵の人たちは持っていた荷物を降ろし、中から色々と取り出し始めた。鍋に食糧、そういうことですか。
「炊き出しですね?」
「知っておったか。今、儂らに出来るのはこれくらいじゃからな」
目の前にいくつもの台を作ると、そこに次々と火をおこしていく。鍋が吊るされ、お湯を沸かし、色々な食材がそこに入れられていく。
その様子を見て、徐々に人が集まってきた。人々は何も言葉を発することなく、じっと私たちの様子を見ている。
その奥から人の群れをかき分けるようにして前に出てきて人。その人は突然、私たちの前に跪いた。
「勇者様!」
辺りに響く大きな声。その声に驚き、思わず一歩後ずさってしまう。
「この度は我らのような者たちの為に、わざわざこのような場所にお越しいただきありがとうございます。勇者様のおかげで私たちは今日の糧を得ることが出来ます。それに対し、どのように感謝してよいか」
「あの……貴方は?」
「名乗る名など、もう忘れてしまいました」
ようやく男の人の声は普通に戻った。でも名前を忘れてしまったというのはどういうことなのでしょう。
「ここにずっと?」
「物心ついた頃より」
「そうですか……あの、私たちに何か望みはありますか? 何の力もない私たちですが少しでも力になりたいのです」
「それは……もったいないお言葉をいただきました。でも私たちの望みなど、とても口に出来るものではございません」
「でも、少しでも力になれれば」
「いえいえ」
望みがあるのは明らかなのに、男の人はそれを話そうとしない。その理由が私には分からない。
「遠慮することはないですよ。僕もミリアと同じ気持ちです。勇者として貴方たちの力になりたい」
優斗も彼に話をするように言ってきた。
「……この国を、いや」
「何ですか?」
「……この国を変えていただけないでしょう? このままでは私たちは皆、飢え死にしてしまいます」
跪いたままの男の人は目から涙をこぼしながら、じっとユートを見つめている。
「この国を変えるとは?」
「慈悲深い方にこの国を統べて……」
途中まで言いかけたところで、男の人はうつむいてしまった。それでもこの人が何を言いたいかは分かる。
「今のは……新たな王を望んでいるという意味ですか?」
「……これ以上はご勘弁を。私の命が……いえ、私の命などどうでも良いのです。でも、こんな私にも養わなければいけない家族がいて……」
「……わかりました。あとは自分たちで考えてみます」
考えるまでもない。男の人が望んでいるのは、この国を変える新たな王の誕生。
もしそんな人がいるとすればそれは優斗しかいない。優斗であればきっと民を大切にする王になれるに違いないわ。
その為に私に何が出来るか……お父様、お母様、私はもう元の世界に戻れないかもしれません。この人たちを見捨てて平和な世界に戻ることなど、私には出来ません。
◇◇◇
またここに来てしまった。街を探索していて紛れ込んでしまったこの場所。始めは言葉を失ったが、実際に話をしてみるとここの人たちは、なかなか強かだ。恵まれた世界で生きてきた僕に人間のたくましさってものを教えてくれる。
まあ、それだけ油断のならない人たちなのだが。それもまた駆け引きみたいで面白い。そう思えるのは今の僕には命以外に奪われるものがないからだろう。
ただ、どうやら今日は先約がいるみたいだ。見つかると面倒くさいので、そのまま来た道を戻ろうとした。
「よう、にいちゃん! またきたのか?」
声を掛けてきたのは、前に来たときに僕の財布を盗もうとした子供だ。財布なんて持っていない僕からは何も盗ることが出来なかった、子供のくせになかなか大胆な真似をする奴だった。
僕も金なんてまったく持っていないと教えて、実際に持ち物を全部出して見せてやると、仲間意識でも持ったのか妙になれなれしくなった。それはそれで面倒だったけど。
「なんだ権兵衛か。今日は随分とにぎやかだね」
名前を聞いたらそんなものはないというので権兵衛と呼ぶことにしている。当然、その呼び名は名無しの権兵衛からきている。
「ああ、なんかキレイなふくきたヤツらがきゅうにゾロゾロやってきた。あれはなにしにきたんだ?」
勇者一行のほうを見ると、何カ所かで火をおこして何か準備を始めている。鍋もあるようだ。
「炊き出しかな? 多分飯を食べさせてもらえる」
「メシか……おいら金もってねえしな」
「心配するな。あれはきっとタダだ」
「ほんとか? そりゃあ、あれだな。ラッキーだっけ?」
「そうだ。ラッキーだな」
ラッキーという言葉を教えたら、権兵衛はやけにそれを気に入ったようだ。意識して使おうとしてくる。
「なんだ、にいちゃんもめあてはそれか? なかなかハナがきくな」
「僕は偶然だよ、偶然」
「勇者様!」
突然あたりに響く大きな声。ひとりの男が勇者たちに向かって話をしている。あまりに大きな声で話しているので、ここにいても何を話しているのか分かる。
何だ、あれは? 勇者の信奉者か何かかな? 誰であっても、あんな大声で話す必要ないだろうに。
「うるさいな。あの男」
「そうだな。だれだろ、あれ?」
「知った顔じゃないのか?」
「あんなヤツしらない。なんかむずかしいコトバつかってるからまちのやつだろ?」
「ふぅん」
何で街の奴がここに来てるのだろう。しかも勇者の前に出て礼を言ってる。お前が礼を言うことじゃないだろうに。
「あんなヤツどうでもいいよ。それよりおいらのダチをしょうかいしてやる」
「紹介?」
権兵衛は後ろにある建物のほうに走って行った。建物の影から出てきたのはどいつもこいつも小汚いガキども。
「おい、みんなしょうかいするぞ。おいらのダチでヒューガってんだ」
「……ヒューガだ。よろしく。それで……」
「なかまだ!」
うん、それはわかるけど、紹介ってのはそういうものじゃない。
「……もしかして皆、名前がないの?」
全員が権兵衛と同じように名を持たないのかもしれない。その可能性が頭に浮かんだ。
「まあな。なまえなんてあるヤツのほうがめずらしいだろ? そういうやつはたいていシンザンモノだ」
「……新参者のことか? なんでそんな難しい言葉知ってるんだ?」
「ババアがいってた。よそからきたヤツはシンザンモノっていうんだ」
「そうか、ババアがね……しかしな。それじゃあ呼びようがないな」
二、三人であればまだなんとかなりそうだが、目の前に並んでいる子供たちは十人くらいいる。
「じゃあにいちゃんがなまえをつけてくれよ。おいらにつけてくれたみたいに」
「名前? 権兵衛って名前じゃないから。権兵衛ってのは名無しの権兵衛っていってな、名前のない奴に対する……まあそういう奴を呼ぶときに使う言葉だ」
「えっ、そうなのか? おいら、みんなにじまんしちゃったよ」
権兵衛は自分が呼ばれている言葉が名前じゃないと分かって、ひどく落ち込んでいる。失敗した。名前があることをそんなに喜んでいるとは思っていなかった。
まわりの子供たちも物言いたげな雰囲気で、じっと僕を見つめている。なんか僕、すごい悪者みたいだ。
「……よし。じゃあ、僕が改めてちゃんとした名前を考えてやる」
「ほんとか?」
「ああ」
「やったー!」
「ずるぅい」「おれもぉ」「わたしもぉ」「ずるいずるい」
権兵衛に名前を付けてやるといった途端に周りの仲間が一斉に騒ぎ出した。そんなに名前欲しいのか? だったら自分でつければいいのに。
「静かに! 分かったよ。皆につければいいんだろ?」
「「「やったぁっ!」」」
しかし、これだけの人数の名前か……信長、秀吉、家康……駄目だな。いっそのこと、一号、二号……権兵衛と変わらないか。
「にいちゃん、まだか?」
いやいや、権兵衛、人の名前をそんな簡単に決めたら悪いから。
「ちょっと待て。よし、ちょっと横一列に並んで」
僕の指示通りに子供たちは目の前に横一列に並ぶ。人数は十二人。女の子は三人、のはず。顔も汚れていてよくわからない。
「よし、決めた。じゃあ生まれた順に並べるか?」
「うぅん。そんなのわかんないよ」
「そうか。じゃあ順番は僕が決める。最初は権兵衛だね。権兵衛、お前の名前はジャンだ」
「ジャン? なんかかっこいいな」
「そうか、それは良かった。ちょっと待ってろ。今紙に書いてやるから」
持っていた手帳をめくると残りのページが少ないのが分かった。でも仕方がない。『ジャン』と書いてそのページを破り、ジャンに渡す。
「これがおいらのなまえ?」
「そう。名前くらい書けるようになったほうが良い。ちゃんと覚えなよ」
「ああ、わかった」
「よし次は……お前だ」
「おれ?」
「そう。お前の名はフェブ。そしてこれがお前の名前の文字」
ジャンと同じように紙に書いた名前を渡す。
「おお、フェブだな。おぼえたぞ」
「次はお前、マーチ。はい、これ」
「マーチ!」
三人目も喜んでくれている……どんな名前でも喜ぶのではないかと思えてきた。まあ、良い。続けよう。
「今度は女の子だね。よしお前……女の子だよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、エイプリル」
「エイプリル? なんかかわいいね」
「気に入ってもらえるとうれしいよ。次も女の子だね。お前はメイ。次もだね、ジュンだ。あとは全員男であってる?」
「「「「おお」」」」
良かった。これで女の子がいたら、一から考え直す必要が出てくるところだった。
「よし、ジュラ、オウガ、セップ、オクト、ノブ、最後にディッセだ」
「ディッセ……」
「あれ、気に入らなかったか?」
とうとう名前が気に入らない子供が出てきてしまった、と思ったのだけど。
「いや。でもなまえって二つあるってきいたぞ」
「名前は二つもないから」
「でも、このまえきたやつはビル・クラインっていっていた。二つのなまえだ」
「ああ、ファーストネームとラストネームか」
ディッセの言いたいことが分かった。
「それそれ」
「でもラストネームって家族で一つだ。お前の親のラストネームは?」
「とうちゃんもかあちゃんもいねえ」
「そうなのか?」
「とっくにしんだ。おれってかわいそうだろ?」
「自分で可哀そうだろって言うか? 言っておくが僕はそう思わない。僕だって母親は死んでる。父親も小さい時に別れたきりだ。でも僕は僕を可哀そうだなんて思ってないから」
ディッセに同情する気にはならない。もちろん僕は彼に比べると遙かに恵まれている。裕福な家で育てられ、食べるものに苦労したことなんてない。それでも両親を失った子供の気持ちは分かるつもりだ。
「そうなのか?」
「そう。親がいなくて育ってるんだから、威張って良いくらいだ」
可哀想なんて同情されたくない。僕はずっとそう思ってきた。
「……そうだな。おれたちエライな」
「ああ偉い。さてラストネームか……」
「にいちゃんはもってないのか?」
ラストネームを考えようとしたところで権兵衛改めジャンが僕のラストネームを聞いてきた。
「ん? 持ってるけど」
「じゃあ、それでいい。にいちゃんとおいらはダチだからな」
「だからラストネームは家族のものだって言ったろ?」
「じゃあ……かぞくでもいいぞ……」
「どうしてそういう展開になる? まあ僕ので良いならいいよ。僕のラストネームはケーニヒだ。これでいいか?」
「おお、いいぞ!」
ジャンはすごく嬉しそうだ。ここまで喜んでもらえると僕も嬉しくなる。
「よし、じゃあ一回、紙を回収する。ラストネームも書いておくからね」
「おっ、わかった」
十二枚の紙を回収して、一枚一枚にラストネームを付け加えて、それぞれに返す。
「よし、いい? 今渡したのがお前たちのフルネームだ。忘れないように」
「「「「…………」」」」
あれ、反応がない。
「にいちゃん。すげえな。もうかおとなまえがわかるようになってるのか?」
どうやら僕が間違えることなく名前を書いた紙を配ったことに驚いていたようだ。
「当たり前。僕が名づけたんだ。よし、あとはお前たちの名前の由来も教えておこう。由来というのは、どうしてそういう名前になったかってこと。お前たちの名前は、この国とは別の場所の月を表す言葉から取っている。お前たちはちょうど十二人。十二人が集まって一年になる。十二人が一緒になることでひとつの形になるわけだ」
「おおー、なんかすげえな」
喜んでくれているけど意味分かっているのかな。まあ、良い。反応がないよりはマシだ。
「ただし! だからといって十二人以外の人間を仲間はずれにするような真似はするな。名前が異なるってだけで、そんな真似をしたら僕のラストネームは返してもらうから」
「「「わかった!」」」
「よし。ほら、飯出来たみたいだ。無くならないうちに、とっとと行って食べて来い」
「にいちゃんは?」
「僕は自分の分は持ってきているからいらない」
そうでなくても勇者たちに恵んでもらうような形は嫌だ。これはジャンに言う必要のないことだ。
「わかった。かえるなよ。メシぐらいくっていけ」
「食っていけって、ジャンが用意したわけじゃないだろ? いいよ、わかった。ここで待ってる」
「へへっ。なまえでよばれた」
にっこりと笑うジャン。何故かその笑顔を見ると僕も嬉しくなった。名前を考えて良かったと思えた。
「いいから早く行って来い! なくなるよ!」
「おう!」
結局、ジャンたちはそれぞれが僕の分まで取ってきて、目の前に十二個のお椀が並ぶことになった。
僕も持ってきた食事を少しずつ分けて皆にふるまう。十二人で分けるからわずかな量になってしまうが、それでも皆喜んでいた。城から持ってきた食事だからね。珍しかったのだろう。
途中で沢山のお椀を並べて食事している僕に気付いたプリンセスが文句を言ってきたが、ジャンたちが強烈に下品な言葉で文句を言い返したことで、不満そうな顔をしながらも引き下がっていった。
それでも、離れたところから僕のほうを睨んでいる勇者二人の視線が煩わしくて、食事をとっとと終わらせて、城へ戻ることにした。
また来る、そう子供たちと約束して。