月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #9 ようやくギルド訪問が実現しました

f:id:ayato_tsukino:20190622072505p:plain


 勇者召喚の事実が正式にパルス国内外に発表された。つまり外に出しても恥ずかしくないだけの実力を勇者たちが身につけたということだ。
 日向たち三人は、クラリスとグレゴリー大隊長からそれぞれ魔法と剣を教わるようになってから、二人とはまったく顔を合わせていない。会いたいという気持ちはない。ただその話を聞いて、二人との差がわずかでも縮まっているのだろうかと不安になった。恐らくは縮まっていない。そんなに甘くないとは思っていても、やはり気になるのだ。
 それとは別の話で、勇者の件が公になったおかげか日向たちにも外出許可が下りた。そうなれば向かうのは当然、傭兵ギルド。三人は、何故か案内役として付いてきたアインと一緒に傭兵ギルドの建物に向かった。

「うーん。街並みはこんなものかな」

 パルス王国の都を歩くのは始めてのこと。だが夏の反応は良いものではない。

「不満そうだね?」

「だってぇ、これだとヨーロッパの古都とそんなに変わらなくない? 異世界って感じがしない」

「そんな特別な建物を期待してたの?」

「建物じゃなくて人よ」

「ああ」

 石造りの建物が続く大通り。夏が文句を言っているのは建物ではない。街を歩く人々のことだ。金髪碧眼、茶髪、赤毛など元の世界でも特別とは言えない容姿の人々。それは夏が求める異世界ではない。

「なんでエルフとかドワーフが歩いていないかな?」

 夏が不満なのは人間以外の種族が見られないことだ。

「ああ? そんなの滅多に見れるわけないだろ」

 夏の疑問に反応したのはアインだ。この世界の人であるアインは、夏たちが知らない事情を当然知っている。

「なんで?」

「ドワーフはあまり他種族と交流を持とうとしない。自国以外に出るのは商人か特別に国に招かれた鍛冶師くらいだ」

 ドワーフ族は閉鎖的な性質を持っている。この世界の人でも滅多に見られない種族なのだ。

「じゃあ、エルフは?」

「エルフはその……まあ、色々あるから」

「色々って?」

「それを聞くか? エルフにとっては危険な場所だってことだよ。人族の街は」

「……うわっ! 分かった! 嫌だ、最低。そういうこと? ああ、何か気分悪い」

 エルフの美貌を目当てに良からぬことを企む人族がいる。そういうことだと夏はアインの言葉を受け取った。正解だ。

「じゃあエルフってどこにいる?」

 日向も多種族の存在は気になる。異世界に来たからには、やはり会ってみたいと思っているのだ。

「そうだな。大きな森林の奥深くに隠れて暮らしている。外の世界に出てくるのは、それなりに腕に自信がある奴だけだ」

「そこは危険じゃないの?」

「あんまり聞くなよ。危険だよ。エルフを狙うなんて貴族とか力を持った商人とかだからな。まとまった人数でエルフの里を襲うってのはないことじゃない」

 アインのような一兵士には大っぴらに批判出来ない相手。そういう力ある存在が関わっているのだから、事態が改善することはない。

「それに傭兵が使われるってことはないよね?」

 生活の為であっても、出来ればそんな気分が悪くなる仕事は避けたい。

「当たり前だ。ギルドの傭兵ってのはかなり厳しい規律に縛られてんだぞ。中には悪いことをする奴らもいるが、そういう奴らはギルド自らの手で確実に処分される」

「規律って?」

「細かい中身は登録申請した時に渡される冊子に書いてある。簡単に説明すると犯罪を起こさないこと、依頼人の利益を守ること、依頼によって得た情報は絶対にもらさないこと。この三つだ」

「……普通だ」
「そうね。普通」
「それのどこが厳しいんだ?」

 三人にとっては特別厳しい規律には思えない。当たり前のことだと言えるくらいの内容だ。

「どんな世界なんだ? お前たちの世界は」

「えっ?」

 このことにアインが驚くことが日向には驚きだ。この世界はそれだけ無法な世界ということか。自分たちが考えていた以上に厳しい世界なのだと日向は考えた。

「この世界はそんな無法地帯なのか?」

「はっ? 無法ってほどじゃない。ただ貴族には法律のかなりの部分が適用されないからな。それに商人も貴族と懇意にしてる奴が多い。法はあっても例外があるってことだよ」

「悪者は貴族ってこと? なんだかそんなとこだけ異世界だ」

 悪者は権力者。小説でもドラマでも、映画であろうと、とにかくありがちな形だ。

「あまり偏見を持たれると困るから言っておくが、全ての貴族がそういうわけじゃないからな。ちゃんと領民のことを考えて善政を行っている貴族もいる」

「たとえば?」

「ん? 貴族のことなんか知ってるのか?」

「王城内の図書室で少し調べた」

 日向はようやく強くなること以外について調べる余裕が出来た。時間の余裕ではなく心の余裕。クラリスとグレゴリー大隊長という師匠を得たことで、鍛錬方法について悩む必要がなくなったのだ。

「そうか。代表的なのはイーストエンド侯爵家だな。名門貴族だがそこの領主は優れた人物が多い。領地経営もそうだし、東の守りの要として私軍もよく鍛えられている。そういう意味では辺境の守りを担当している貴族はおおむね善政を布いているな」

「辺境か……」

 パルス王国以外の国の状況は今のところまだ良く分からない。パルス王国内で一時的に生活することを考えていたが、それには辺境まで行く必要があるかもしれない。日向にとっては良い情報ではない。

「おっ、着いたぞ。あれがギルド本部だ」

 大通りの一角にあるひときわ大きな建物。その建物の二階の位置から、旗が吊り下げられている。白地に盾の前で十字に交差する二本の赤い剣が描かれた旗だ。

「あの旗は?」

「あれはギルドの紋章だ。なんでも中立を意味するらしいぞ」

「中立? 傭兵なのに?」

「傭兵だからだ。一方の勢力だけに加担することはない。傭兵ギルド自体はどの勢力からでも依頼は受け付ける。どちらにつくかは、あくまでも依頼を受ける傭兵の自由ってことだよ」

 どちらか一方に荷担することはない。それも中立だ。ただ両方から信用されないのではないかと日向は思う。

「さて、中に入るぞ」

 入り口の扉を開けて中に入ると、いくつものテーブルが置かれた大きな部屋があった。人影はあまりない。

「ここは傭兵の待機場だ。飯も食えるし、酒も飲める」

「全然人いなくない?」

「この時間だからな。ギルドが混むのは朝と夕方。朝は良い依頼を手に入れる為。夕方は報酬を受け取る為だな。この時間はみんな依頼の仕事をしてるよ。受け付けは二階だ。行くぞ」

 こう言うとアインは二階に続く階段をとっとと登り始めた。日向たち三人もあとに続いて階段を上ると、そこには番号札を上から吊り下げた受付がいくつも並んでいた。

「ねえ、なんかこの雰囲気」

「ああ」

 これもまた異世界と思えない光景、というよりどこかで見たことがあるような光景だ。

「ほら行くぞ。登録受け付けは二番の窓口だ」

 アインに続いて二番の札がかかっている受付の前に向かう。

「いらっしゃいませ。傭兵ギルドへようこそ。ご登録でよろしいですか? よろしければこの用紙に必要事項を記入して十番の窓口にお出しください。用紙へのご記入は後ろの記入台をお使いください」

 どこかで聞いたことがあるような案内の言葉。それを不思議に感じながらも日向たちは受付で用紙を受け取り、言われた通りにすぐ後ろにある記入台に向かう。
 置かれていたペンを手に取って、用紙を見る。記入欄に書かれているのは本名、住所、ニックネームだけだった。

「……アインさん、これだけでいいの?」

「ああ、ギルドは基本来るものは拒まず、去る者は追わずだからな。登録時なんてこんなものだ。もちろん犯罪者は駄目だぞ」

「はあ」

 なんともいい加減な感じだが、簡単なのは良いことだ。日向はもう一度用紙に向かい、いざ書こうとうするが。すぐに手が止まった。

「……本名って?」

「はっ? ヒューガは本名も知らないのか?」

「本名は知っているけど、どういう意味かと思って」

「いやだから本名だろ?」

 日向の質問の意味がアインには分からない。分かるはずがない。

「日向の本名は黒島日向だろ。それ以外に何がある?」

 アインと同じように日向の質問の意味が理解出来ない冬樹。呆れた様子で、日向に問い掛けてきた。

「それ日本に移ってから名乗った名前なんだ。戸籍上は別の名前がある。やっぱそっちが本名かな?」

「はあ? なんで?」

「なんでって……まず僕が生まれたのはイギリス。国籍もイギリスと日本の両方にある」

「「うそ?」」

 日向の説明に驚く冬樹と夏。まったく気付いていなかった事実だった。

「言ってなかった?」

「「聞いてない(わよ)!」」

「そうか。僕は母親が日本人で父親はドイツ系イギリス人。名前はヒューガ、いや正確にはヒューゴ・アルベリヒ・ケーニヒ」

「……黒島日向ってのは?」

 黒島日向とはかけ離れた、名はかなり似ているが、名前。夏はそれを聞いてどうして黒島日向を名乗っていたのかという疑問が湧いた。 

「黒島は母親の実家の姓で日向は母が考えたヒューゴの元になった名前。それを……通名って言うの? それで使っている」

「どうして?」

「どうしてって……日本人らしい名前のほうが面倒が起きない」

「面倒……まあハーフだって知ると少し彫りが深いかなって思うけど、ほぼ日本人顔だものね」

 日向は顔だけではハーフとは思えない。だからこそ夏と冬樹は驚いているのだ。

「顔はね」

「顔は?」

「髪は染めているし、目もこれ、カラーコンタクト」

「……なんでそんなことを?」

 今の日向の顔は本来のものではない。それに驚き、何故そんな真似をしているのかが気になった。

「周りと色が違うおかげで色々あったから。だから外見と名前を、名前は最初からか、日本人らしいのに変えた」

「色々……ねえ、日向って……」

「まあいいか。本名はヒューゴ・アルベリヒ・ケーニヒだよな」

 夏が何か聞きたそうにしているのを無視して、日向は書類に視線を戻す。あまり人に話したい内容ではないのだ。
 本名の欄を埋めたあとは住所。

「……アインさん、住所は?」

 住所も何を書けば良いのか分からない。今暮らしているのは城だが、それを書くにしても住所を知らないのだ。

「ああ、いらない、いらない。住所決まってないなんて良くある話だからな」

「……ニックネームは?」

「付けたければ付ければ?」

「えっ、そんないい加減? ……じゃあ、本名はヒューゴじゃなくヒューガにしよう。呼ばれ慣れているから」

 受付に記入する内容はどうでも良いのだと思って、日向は本名を変えた。ほとんど使っていなかった名だ。執着はない。黒島の姓もこれを機に捨てようと考えている。

「はい、確かに受け取りました。では今後のお手続きをご説明いたしますね。申請が受理されましたら、こちらの方でギルドカードを作成いたします。ギルドカードへの本登録が終わって初めて、傭兵ギルドに加入したことになりますので、その点はご了承ください。なおこちらの冊子に傭兵ギルドに加入する上での注意事項が書かれておりますので、ギルドカード本登録前に必ずお読みください。ギルドカード本登録前までは申請の取り消しが可能となっております。さて、ご質問は?」

 すらすらと長い説明を口にする受付の女性。決まり文句というものだ。

「カードはいつ出来る?」

「後ろの壁に貼られた表をご覧ください。そちらに出来上がる日が書いてあります」

「……分かった」

 冊子を受け取って、受付に言われた壁に向かうと確かに仕上がり予定表と書かれた紙が貼ってあった。今日の申請分の仕上がりは……明日。今日だけでなく明日も明後日も出来上がりは翌日だ。
 それを見て日向は呆れ、ますます疑念が強くなった。

「よし、これで今日は終わりだ。ギルドカードはまあ適当に取りに来い。あと大隊長から言われてるけど、勝手に依頼は受けるなよ? 許可が出るまで禁止だ」

「えー、何で?」

「お前らだけでいきなり依頼をさせるわけにはいかないだろ」

「そうかもしれないけど、少しでも金を稼いでおきたい。城を出されても無一文じゃあ。生活出来ない」

 仕事は出来るだけ早く始めたいと日向は考えている。約束の期限がくれば城を出なければならなくなる。今の日向は宿に泊まる金も持っていないのだ。

「うむ。まあ、そうだな……よし、それについては大隊長に相談しといてやる。そっか、金持ってねえのか。じゃあ帰りは俺がおごってやるよ。何がいい?」

「おっ、ラッキー! 夏は何が良い?」

「うん……あたしは何でも……」

 珍しく夏の反応が悪い。食事に関しては三人の中で一番貪欲なはずの夏なのだ。

「なんだ、具合悪いのか?」

「ううん、平気……冬樹の好きなのにしなよ」

「そうか? じゃあ何が良いかな。安くてうまいものが良いな。城の上品な飯は飽きた。やっぱ牛丼かな? いや待てよ。ここはラーメンか? よし、ラーメンが良い」

 悩んだ結果、冬樹が決めたのはラーメン。

「……冬樹、いくらなんでもラーメンはないだろ?」

 異世界にラーメンなんてあるがはずがない。そう思った日向だが、これは間違い。

「ん? あるぞ。よし、ラーメンだな。じゃあ俺の行きつけの店にしよう。まあお祝いだからな。炒飯と餃子も付けてやる」

「「うっそー!」」

 

◇◇◇

 アインの馴染みの店に連れてきてもらった日向たち。メニューを見て、さらに驚くことになった。本当にラーメンがあった。しかも豚骨ラーメンだ。きちんと話を聞くと、この世界でラーメンといえば豚骨だと教えられた。
 醤油ラーメンや味噌ラーメンはないのかと日向が尋ねると、アインは醤油と味噌という言葉自体を知らなかった。
 醤油ラーメンはないのに豚骨ラーメンはある。不思議に思って考えていた日向の頭の中にひとつの仮説が生まれた。
 仮にこの世界で自分がラーメンを作ろうとしたら、やっぱり豚骨ラーメンだと。何故なら醤油も味噌も全く作れる気がしない。大豆が元だと分かっていても、それをどう加工すれば良いのか分からないのだ。だが豚骨なら、時間はかかるだろうがそれらしいものは出来そうな気がする。美味い、という条件が付けられると自信はないが。
 ここから導き出される仮説。つまり豚骨ラーメンは自分たちと同じ召喚された人間が広めたものではないかというものだ。
 もしかすると前回召喚された勇者かもしれない。

「……なあ、日向。ラーメンごときでなんでそこまで深く考えようとするんだ?」

 城に戻ってきてからもラーメンについて語る日向。それを聞いて冬樹は呆れている。豚骨であろうとなんであろうと、それを食べることが出来、美味ければそれで良いのだ。

「かなり重要なことだ」

「どこがだよ?」

「たとえば今日行ったギルド。あれは銀行とか役所の窓口みたいだと思わなかった? なんであんな仕組みがこの世界にある?」

 銀行や役所にそう何度も行ったことがあるわけではない。だがドラマなどで見るその場面は、今日見たギルドの受付に似ていると日向は感じていた。

「それは……日向はギルドも召喚した人が作ったって言いたいのか?」

 冬樹もそれは認めるところだ。そうなるとこういう結論になる。

「仮説だけどね。そしてこの仮説が正しいとすると更に新たな可能性が生まれる」

「何だよ。可能性って」

「あのギルドでの窓口対応は昔からのそれじゃないと思う。僕たちが生きていた時代からそれほど離れていない感じだ。でもギルドはこの世界ではずっと昔から存在していた。ここから何が導き出されるかわかる?」

「わかんねぇよ! 早く説明しろ」

 日向のクドい説明に冬樹は焦れてしまった。冬樹にはまったく思い付かないので、早く結論を知りたいのだ。

「何だよ。少しは考えろよな。つまり召喚に時間の流れは関係ないということだ。僕たちと変わらない時代に生きた人が、ずっと昔にこの世界に召喚されている可能性がある。どうだ? すごいだろ?」

「……全然」

「なんだよ、想像力ないな。もし元の世界に戻る方法、いや自由に行き来することが可能になったら。それってタイムマシンと一緒だ。過去に戻れるんだ」

「……日向、お前やっぱ変。すでに異世界に来てる俺たちが今更なんでタイムマシンだよ?」

 日向の興奮が冬樹には理解出来ない。異世界に転移してしまった以上の驚きを、タイムマシンがもたらすとは思えないのだ。

「はあ、どんな境遇でも可能性を諦めたら進歩はないから」

「なんか初めて日向が大学生だったってことを実感した。そういうの好きなんだな?」

 日向が大学で何を専攻していたか冬樹は知らない。それでも考えることが好きであることは良く分かった。

「大学は研究するところだから」

「いっそのこと研究者で食っていけばどうだ?」

「それ無理。仮説はいくつも作れても証明できるだけの技術がこの世界にも僕にもない。さすがに研究施設を作ることは出来ない」

「もしかして少し考えてたか?」

「それで食べていけるかどうかは別にして。時間は有り余ってるから」

 一つの可能性として日向は考えていた。すぐに選択肢から外した可能性だ。必要と思えるものは何もかも揃っていた元の世界とは違う。無の状態から事を始められると思うほど、日向は自信家ではない。

「はあ、この話は終わり。日向に付き合っていたら永遠に話が終わりそうにない。飯食おうぜ、飯。クラリスさんお願い」

「はい。わかりました」

 日向たちの会話を少し離れたところで聞いていたクラリス。冬樹の求めに応じて、夕食の準備を始めた。

「夏、具合でも悪いの?」

「大丈夫」

 夕食の時間になっても夏は元気がない。さすがにこれだけ長く元気がないと、病気になってしまったのではないかと心配になる。

「具合悪いなら寝たほうがいいんじゃない?」

「具合は本当に悪くないの」

「じゃあ、なんでずっと黙ってる?」

「……あのさ、ひとつ聞いていいかな?」

 少し躊躇いながらも夏は日向に聞きたいことがあると伝えてきた。

「何?」

「日向ってもしかして、小学生の時、いじめられてた?」

「……知ってたの?」

 小学校は夏とは別の学校。それで夏が虐めがあったことを知っていたことに日向は驚いた。

「だってニュースになったくらいじゃない。いくら別の学校だって知ってるよ」

「そっか……確かにかなり騒ぎになったしな」

「ねえ、なんで生きてるの?」

「はあ? なんだそれ?」

 虐められていたという話から、何故自分が生きていることを問われなければならないのか。夏の質問の意味が日向には分からない。

「ニュースでは詳しいことは報道されなかったけど、知り合いに聞いたのよ。ハーフの男の子がクラス全員に虐められて、自殺したって」

「自殺? 日向が?」

 夏の話を聞いて、冬樹が驚きの声をあげた。驚くべき情報かもしれないが。

「おい、冬樹? 自殺してたら僕はここにいないから……なるほどね、そういうことか」

 ようやく日向にも事情が分かった。夏には誤った情報が伝わっている。真実は夏の知っているものとは違うのだ。

「そういうことって、どういうこと?」

「普通、人の暗い過去を聞くかな?」

「でも……」

「……まあ、いいか。話すよ。僕が虐められていたのは事実。昼に少し話した通り、髪の色や瞳の色が違うことがきっかけ。それに小学生の勉強なんて僕には必要なかった。そんな態度も周りは気に食わなかったのだろうね」

 外見だけでなく日向が周りに見せる態度も原因。日向自身にその自覚がなくても、周りは不快な態度として受け取ってしまったのだ。

「先生は?」

「先生は僕の言葉使いが悪いことにいつも文句を言っていた。敬意が足りないとか言って。おかげで周りの虐めは益々ひどくなった感じだ」

「……それで自殺か」

「だから、生きてるよね? でも自殺を考えたことはあった。直接的な暴力は当たり前。持ち物を捨てられたり汚されたり。無視なんて日常。何か月もクラス全員が一言も口を効いてくれないこともあった。そんなことが続くと自分はこの世界にいてはいけない存在なんじゃないかとか思ってしまうんだ」

「でも日向は、こうして生きてる」

「自分の力じゃない。友達がいてね。そいつが助けてくれた。僕と普通に接してくれる唯一の同級生。あくまでも裏でだけど。表立って僕と仲良くしていたら、そいつも虐められると分かっていたから」

「それでも大切な友達だな」

 たとえ影だけであっても日向を支えていたのは事実。そんな友達が日向にいたことが冬樹は少し意外で、少しその友達に嫉妬した。

「……親友だった」

「だった?」

「そう、過去形。自殺してニュースになったのはそいつだ。ばれたんだ。僕と仲良しなのが。そして虐めの対象は僕からそいつに移った。僕への虐めも続いていたけどね」

「……それで?」

「そいつは僕ほど強くなかった。いや、逆か。僕がそいつ程、強くなかったんだ。助けてあげられなかった。僕がそいつに助けてもらったみたいに……ある日、学校に行ったら机の中にそいつからの手紙が入っていた。それには、たった一言、『ごめん』とだけ書かれていた。そしてその日に、そいつが自殺したことを知った。変な奴だろ? 謝らなければいけないのは、僕のほうなのに……」

「「………」」

 言葉を失う冬樹と夏。淡々とそれを語る日向。だが二人には日向の悲しみが感じられた。淡々と語ることで、悲しみを耐えている日向の気持ちが感じられた。

「……強くなろうと思った。自分を守れるように。もう二度とあいつのような友達を必要としないように。中学に入ってからは生意気と言われようが何と言われようが、敬語なんて使わなかった。虐めようとした奴には容赦なく反撃した。おかげで僕に表立って文句を言ってくる奴はいなくなった」

「それで心は晴れましたか?」

「えっ?」

 じっと話を聞いているだけだったクラリスが、突然話に割り込んできた。その問いは日向の心を揺らすものだ。

「ヒューガ様は強くなろうとした。そして恐らくは強くなったのでしょう。でも……ヒューガ様は変わらず人が嫌いなのですね?」

「なんでそう思う?」

「誰でも思います。常に心に壁を作ろうとしている。決してその内側に他人を入れないように。今も辛い過去を話されていますが、事実を淡々と述べているだけで感情を見せようとしていません」

 感情を隠すのは自分の心をさらけ出したくないから。かなり親しくなったと言える冬樹や夏に対しても、まだ本当の意味で日向は心を開いていない。

「……そうだね」

「ヒューガ様は間違っていると思います。ヒューガ様に必要なのは助けてくれる友達を必要としない強さではなく、もう一度、助けたいと思う友達を作る勇気を取り戻すことです」

 まっすぐに日向を見つめるクラリスの瞳。あいかわらず感情の色が見えない無機質な顔であるはずが、日向はその瞳の奥にどこかで見たぬくもりを感じた。

「クラリスさん、いや……」

「あっ! 失礼しました! 何も知らない侍女ふぜいが勝手なこと」

「いや、別に……」

「あの……私はこれで失礼します」

 かなり慌てた様子で、席を立って部屋を出ていくクラリスの後ろ姿。その背中から日向は目を離せなかった。

「……なんかあたしの出番なかったね?」

「ああ、クラリスさんがあんなことを言いだすとは思わなかった。いつも冷静な人なのにな」

 クラリスが見せた態度には夏と冬樹も驚きだ。二人よりもさらに日向は驚いているが。

「日向?」

「ん?」

「ごめん。あたしが変な好奇心出したから。これじゃあ前と一緒だね?」

 前と一緒か。それがディアとのことであると日向には分かった。今も夏はそれを気にしているのだと。

「……夏」

「何?」

「お願いがある」

「何だろ?」

「もう一度、ディアを探してもらえないか。あと出来ればクラリスさんのことも調べて欲しい」

「……難しい頼みだね。第一王女関係はみんな口が堅いんだよね……でも分かった。頑張ってみる」

 日向の頼みだ。それを拒否することは夏には出来ない。日向の、本当の意味での始めての頼み事だと分かったから。

「なあ、日向」

「なんだ?」

「俺は死なないからな。どんなことがあっても絶対に死なない」

「……馬鹿か。そういう台詞はもっと強くなってから口にしろ。僕がこいつなら大丈夫だと思えるくらいに強くなってから」

「ああ、任せろ」

 この日、三人の距離は間違いなく縮まった。まだまだ日向が受け入れたとは言い切れないかもしれない。だがそうなる可能性を二人は示したのだ。そうなって欲しいと日向に思わせたのだ。

www.tsukinolibraly.com