月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

逢魔が時に龍が舞う 第1話 逢魔が時

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 黄昏時。空を染めていた夕日の色も今は東から伸びた藍色によってかなり西に押しやられている。人の心を惹きつけた空を彩る橙と藍の二色の美しいグラデーション。それももうすぐ終わりの時間だ。間もなく夜の闇が空を完全に覆うことになる。
 その光景を最後の瞬間まで楽しもうと考えているのか、少年はじっと動かないまま装甲車の小さな窓から外を眺めている。まだ幼さの残る横顔。だがその瞳には歳不相応の静けさが湛えられていると感じるのは、少年の素性を知っているからこその思い込みなのか。
 第七七四特務部隊の指揮官である葛城(かつらぎ)徳馬(とくま)陸将補は少年の様子を見ながらぼんやりとそんなことを考えていた。
 そんな少年と葛城陸将補とは対照的に、緊張した面持ちなのが車内の四隅に配置されている護衛隊員。将官の護衛ということだけで緊張しているのではない。彼らが警戒しなければならない相手は葛城陸将補の目の前に座っているその少年なのだ。子供相手にどうして護衛が必要なのだ、とは彼らは思わない。子供を警戒しなければならない理由。そしてその必要性を国防軍兵士である彼らは知っている。その少年固有の理由ではない。今の世の中で最も危険なのは未成年者なのだ。

「随分と熱心だな?」

 空はすでに夜の闇に覆われている頃。都会の空では星も見えないはずだ。そうであるのに、いつまでも空に視線を向け続けている少年を不思議に思って、葛城陸将補は声を掛けた。

「……空を見るのは久しぶりですから」

「そうか。だが空であればこれからはいくらでも見ることが出来る。わざわざそんな狭い窓から見る必要はないだろう?」

 それだけのことであれば葛城陸将補もわざわざ少年に声は掛けない。本当は少年との会話はあまり護衛隊員には聞かせたくないのだ。だが少年の放つ雰囲気が葛城陸将補の何かに触れた。それがあえて声を掛けることを彼に選ばせた。

「逢魔(おうま)が時……この時間帯はこう呼ぶのでしたっけ?」

「……魔が生まれると言うのか?」

 少年が発した『逢魔が時』の意味を葛城陸将補は正確に理解した。当然だ。彼の所属する第七七四特務部隊はその魔、『鬼』と呼ばれている存在と戦う為にあるのだから。
 葛城陸将補の問いに少年はただ肩をすくめるだけ。だが葛城陸将補は少年の言葉を忠告だと受け取った。

「七七四(ななし)本部に連絡を。警戒レベルを2に上げろと伝えてくれ」

「はっ? レベル2ですか?」

 警戒レベルは三段階。通常レベルを加えれば四段階となり、レベル2は部隊全体が即時出動に備えるような高い警戒レベルだ。今の会話だけでそこまで警戒レベルを上げる必要性が護衛隊員には分からない。

「上位者の命令にそんな応え方をしろと誰に習った?」

「し、失礼しました! すぐに連絡致します!」

 葛城陸将補を怒らせたと思って護衛隊員は、かなり慌てた様子で指示された通り、本部に無線で連絡を取り始めた。すぐに本部にいるオペレータの声が無線から聞こえてくる。

「葛城陸将補からの命令を伝えます。警戒レベル2に移行せよ。警戒レベル2に移行せよ」

 護衛隊員は葛城陸将補の命令を伝えたのだが。

『内容は承知しました。命令遂行にあたってコードを頂けますか? もしくは葛城陸将補に代わって下さい』

「し、失礼……葛城陸将補」

 護衛隊員に警戒レベルの変更を命じる権限はない。命令コードを事前に教えてもらう必要があったのだ。護衛隊員は慌てていたことで、それを忘れていた。

「謝罪は不要だ。教えなかった私が悪い。面倒だから代わろう。葛城だ。その声は一華(いちか)くんかな? 相変わらず良い声だな」

『……はい、その声は確かに葛城陸将補ですね。では命令を部隊に伝えます』

 こんな何気ない会話の裏では、パスワードとなる単語そして声紋の照合が行われている。それは無線の会話を聞いているだけでは分からないことだ。

「さて鬼が出るか、蛇が出るか。鬼に決まっているか」

 やや不謹慎な言葉だが、この場には将官である葛城陸将補を咎められる人はいない。冗談としても面白くはない。

「何も出ないかもしれません」

 やや冷えた空気の中、少年が口を開いた。

「そうであれば結構なことだ」

「……何を考えています?」

 警戒レベル2というものがどれ程のことか詳しいところまでは少年には分からない。だが護衛隊員の反応でそれが只事でないことは分かった。

「信頼を得るにはまずこちらが信頼すること。こう私は思っている」

「信頼……そんなものが必要ですか?」

 少年は信頼など求めていない。相手を信頼するつもりもない。

「物事が円滑に進む。猜疑心(さいぎしん)を持ちながらでは何事も思うように進められない。それはお互いに不幸なことだと思う。我々は約束を守る。これを信じてもらうことから始めるつもりなのだ」

「……それは必要ですね」

「その答えをもらえたところで、ひとつ甘えても良いかな?」

「……何ですか?」

 いきなりの頼み事と聞いて、少年の心の中に一気に警戒心が広がっていく。

「『穢(けが)れ』とは何だろう?」

「……それへの答えを僕は持っていません。それにそれが簡単に分かるようなら世の中は今の様にはなっていないのではないですか?」

 唐突に飛び出してきた『穢れ』という単語。だが少年はその単語だけで葛城陸将補が何を聞きたいのか分かっている。これでもう葛城陸将補は求めていた答えの半分を得た。

「それは分かっている。正しい答えがもらえるとは思っていない。君はどう考えるかを聞きたいだけだ」

「……人、人の営み。この世の中そのもの。穢れは特別なものではありません。どこにでもあるもの……でしょうか」

「なるほど……そう考えるか」

 少年の考えは葛城陸将補の予想の範囲内。葛城陸将補も『穢れ』は特別なものではないと思っている。一方で特別なものであってくれればどれほど楽かとも思う。葛城陸将補の仕事はその『穢れ』を打ち払うこと。『穢れ』に染まった鬼を討つ為の部隊の指揮官が葛城陸将補の役目なのだ。

 

「……入電! 湾岸東地区にて反応探知とのこと!」

 護衛隊員が無線からの伝言を口にする。反応探知、つまり鬼が現れたのだ。

「ありがとう。君の忠告のおかげだ」

「お礼を言われるようなことはしていません。それにまだ終わっていません」

「そうだな……このまま現場に向かってくれ」

「……はっ」

 護衛隊員は少し躊躇いながらも返事をした。ここで疑問を返しても、また叱責されるだけだと思ったからだ。だが今回は護衛隊員の代わりをしてくれる人がいた。

「貴方が戦うのですか?」

 少年は意外そうな顔をして葛城陸将補に尋ねた。

「戦う気になればまだまだ戦えるつもりだが、今回の目的は違う」

「では何ですか? 僕も戦いませんよ」

「きちんと説明してからと考えていたのだが、どうせなら見てもらったほうが早いと思ってな」

「だから何をですか?」

「先ほどのオペレータからすると真っ先に出動するのは第五分隊。そのメンバーの一人の戦いを君に見てもらいたい」

「一人……?」

 分隊の戦いではなく、その中の一人の戦いを見ろと葛城陸将補は言う。恐らくは特別な隊員なのだとは分かるが、その相手を自分に見せようとする理由が少年には分からない。

「君にはそのメンバーの補佐をしてもらいたいと思っている。それが君の仕事だ」

「ほさ?」

 補佐と言われても軍の仕事など知らない少年には何をすれば良いのか分からない……のではなく、そもそも『補佐』の意味が少年は分からなかった。

「どういうことかは現場で説明しよう。そのほうが分かりやすいはずだ。それまではちょっと私にも仕事をさせてくれ。状況の報告を」

 だが少年の疑問は葛城陸将補には正しく伝わらなかった。葛城陸将補は視線を護衛隊員に移して報告を求めた。

「はっ。鬼の反応数は一。反応レベルはCです。現在地は湾岸東地区第十四ブロック。環状六号を超えて、北西に向かっております」

「……小物か。あまり活躍は出来ないで終わるかもしれないな。まあ良い。とにかく向かおう」

 報告を聞いて、安堵したようなガッカリしたような表情を見せている葛城陸将補。見せたいという人物はそれだけ強者であるのだろうと少年は思った。人ならざる存在となった鬼と呼ばれる者を、小物とはいえ、簡単に倒せると考えるのだから。
 その葛城陸将補に少年は心の中でつぶやく。「がっかりする必要はない。今夜は多くの『穢れ』が空を舞っている。今は小物でもすぐに成長するから」と。